第9話 社畜、先手必勝退職する

「おはようございま……」


「おい紀嶺(きれい)、すぐに社長室まで来い!

 用件は分かってるよな?」


 月曜日、出社した俺は挨拶をする間もなくクニオさんに呼び出される。

 正直、予想通りだ。


 俺はスーツの内ポケットに”書類”があることを確かめ、クニオさんの後に続く。


 がちゃり


 後ろ手に扉を閉め、防音バッチリの社長室の中でクニオさんと一対一になる。


 棚に並ぶ高級洋酒がまた増えている。

 よっぽど儲かっているらしい。


「紀嶺(きれい)、お前なぁ……なんとかっていうダンジョンのぉ」


 どうやってイビってやろうか、被虐心たっぷりに表情をゆがめて話し出したクニオさんの機先を制すのだ。


 ばばっ!


 勢い良く頭を下げる。


「申し訳ありません!!

 いくらボランティアとはいえ、アイドル配信者を手伝うなんて軽率でした!

 責任を取って、本日付けて退職させていただきます!!」


 ばしん!


 ”退職届”と書かれた紙をクニオさんの執務机に叩きつける。


「お、おう?」


 必死に弁明すると予想していたのだろう。

 困惑した表情を浮かべるクニオさん。


「退職金も返上しますし、懲戒解雇という形で構いません!

 それに加え超過労働の請求もしない旨、誓約書も書いてきました!」


 ばしん!


 しっかりと押印した誓約書を退職届の上に叩きつける。


「お、おおぉ!

 殊勝な心掛けだな、無能なお前には珍しい!」


 ……誓約書があろうがなかろうが違法なのだが、順法意識がミジンコなクニオさんは気にするそぶりが無い。


「ヴァナランド素材の加工業者ですが、俺より安く短納期で請けてくれる業者を5社ほど選定しておきましたのでお使いください!」


 ばしん!


 業者の連絡先が書かれた紙を誓約書の上に叩きつける。

 ……海外の怪しげな業者だけど。


「おお、素晴らしいじゃないか紀嶺(きれい)!

 これでお前を雇い続ける理由はこれっぽっちも無くなったな!!」


「はいっ!!」


「オレは寛大な男だ。

 年金手帳などの必要書類は特別に渡してやろう!」


「はっ、ありがたき幸せ!!」


「おお、特別だぞ!」


 ……渡さないと違法だってば。


「それでは、失礼いたします!!」


 用事は済んだ。

 俺は回れ右をすると、社長室から退室した。


 ……引継ぎがてら俺と同じ倉庫係の同僚と話したら、彼も今月いっぱいで辞めるらしい。

 さもありなん。



 ***  ***


「ということで、正式にマサトさんのところで働かせてください」


 数時間後、俺はマサトさんと駅前の喫茶店で契約手続きを進めていた。


「はっはっは!

 昨日の今日で返事をくれるとは……もちろん大歓迎さ!」


 まさか半日で会社を辞めてくるとは思わなかったのだろう。

 巨体を揺らして大笑いするマサトさん。


「超レアなスキルツリー持ちの探索者を、これっぽっちの待遇で雇って申し訳ないけどね」


「いえ、充分ですよ」


 フリーランスとしての契約になるが、月額報酬は今の2倍以上。

 投げ銭のインセンティブもあり、配信が無いときは何をしていても自由だ。


 なにより、ゆゆと一緒に過ごせるのだ。

 最高のやりがい職場と言えた。


「経理と営業、動画編集の販売や渉外交渉は今まで通り僕が担当するから。

 タクミ君には”ゆゆ”の生活サポートやトレーニングの補助、を任せたい」


「アイツはああ見えて結構だらしないんだ。

 なかなかそこまで手が回らなくてね」


「そうなんですか?」


 いつも明るく何でもこなすゆゆのイメージがあるので、意外である。

 アイドルとしての顔とオフは違うという事か?


「そういえば、マサトさんとゆゆってどういう間柄なんですか?」


 アイドルとマネージャーという立場にしては、ふたりの間に漂う空気は気安い。

 まるでちょっと厳しい兄と妹のような?


 そういえば、マサトさんには妹がいたはずだ。

 ゆゆと下の名前が同じで、ちょっとおっちょこちょいで大人しい子。


 マサトさんに付いて俺の実家にやってきて、誤ってダンジョンに迷い込んでしまい……俺が助け出してやったっけ。

 忘れていた懐かしい思い出がよみがえる。


「ふむ……。

 タクミ君、いきなりで申し訳ないが初仕事だ」


 遠い目をする俺を見て、なぜか悪戯っぽい笑顔を浮かべたマサトさんがそう切り出す。


「え?」


「本日18時から臨時で筋力トレーニングをするんだが……のヤツ、チャットに返事をしなくてね。とっ捕まえて来てくれないか?」

 ああ心配なく。ユウナには発信機を付けている」


「……は?」


 今なんて?

 唖然としているとドラ○ンレーダーのような丸型のタブレットを渡される。


「えっと……」


 何がなんだかわからないまま、俺はゆゆこと緩樹 悠奈(ゆるき ゆうな)を迎えに行くことになったのだった。



 ***  ***


「めちゃめちゃ名門校じゃないか……」


 発信機が指し示すまま、三ノ宮から電車に乗って30分ほど……高級住宅街の中にその学園はあった。

 旧華族の娘も通うという、筋金入りのお嬢様学園。


 清楚な青いセーラー服を着た少女たちが、大理石で出来た歩道を歩いていく。

 ……ジーンズにジャケットというラフないで立ちの25歳がいていい場所じゃない気がする。


「あら、あちらにいらっしゃるお方は……」

「ゆゆ様の配信でだんきち様の着ぐるみに入っておられた方では?」


 さすがにお淑やかなお嬢様たち。

 表立って騒がれることは無いが、顔が売れているとこういう時に困る。


「ていうか、ゆゆはここに通ってるのか?」


 いくらなんでもお嬢様学園すぎない?

 いつも快活で、ギャルJKなゆゆのイメージからは少々かけ離れた場所。


「ぴいっ!?」


 その時、妙な鳴き声が俺の背後から聞こえた。


「ぴぃ?」


 どこか聞き覚えのある声に振り向くと。


 膝下丈の清楚なセーラー服に身を包んだ16~7歳の少女がそこに立っていた。

 艶やかな黒髪に、小さなおさげがとてもかわいい。


 大きな目を隠すように少し野暮ったい眼鏡をかけ、ふにゃりと少々戸惑い気味の笑みを浮かべている。


「霧島……悠奈(ゆうな)?」


 10年程前、よく遊んでやったマサトさんの妹。

 ダンジョンに迷い込んでピンチに陥った彼女を無我夢中で助けた。


 ああ、大きくなったなぁ。


「……って?」


 発信機の反応は、目の前の少女から出ているじゃないか。


「タクミっち……じゃなくて、タクミおにいちゃん!」


「……へ?」


 かちゃ


 少しだけずらした眼鏡から覗く双眸は、色は違えど”ゆゆ”のものだった。


「まさか、君が?」


 ”ゆゆ”なのか?


「ぷぅ」


 俺の言葉に応えるように、ぷくりとふくれるユウナなのだった。

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