性被害を受けた僕の心を救ってくれた元AV女優

すどう零

第1話 二十歳になった記念の初めての恋

 僕の名は今村良希、僕には性被害の過去がある(前編の「それでも僕は少年愛男を憎むことはできない」を読んで頂けたら周知の筈だと思います)

 でも、過去はシャワーのように洗い流し、恋をしようと決心し続けたときから、三年目にあたる。


 僕はJRとはいえ、芸能界のハシクレにいた人間だから、もう美形は見飽きている。いや、美形というのはすぐ飽きられるケースが多いので、常にダイエットに励み、太目のお笑い芸人を妬みの目でみたりする。

 なかには太めのお笑い芸人に面と向かって

「いいわねえ、美貌が落ちても半年後には生き残っていけそうじゃない。あっ、失礼、とんでもない勘違い、あなたには元から美貌のかけらもある筈なかったわね」

などと無意味な憎たれ口を叩くことさえある。

 しかし、タレントの語源は能力である。

 テレビで司会者に話題を振られると「アー、ウー」と詰まっているようではダメなのである。

 臨機応変にピンポンのように、会話のキャッチボールを続けていかねばならないのである。

 そのためには、常に新聞を読み、いろんな人と会話し、世間勉強することが必至である。

 

 僕はやはりタレントの夢をあきらめ切れず、ジュリー事務所を退所してからもピアノや声楽の勉強をしていた。

 そんなとき、僕は高校卒業と同時に、お笑いタレントを目指そうとしていた。


 養成所の授業料を稼ぐため、地元の老舗カフェ「ランプ」でバイトをし始めたとき、見覚えのある女性に出会った。

 彼女はそのカフェのオーナーの同級生であり、厨房を担当していた。

 どこかで見たことのある女性、ああそういえば、一度だけNHKの人情ドラマに出演していた桃木ルイというアイドル系美女である。

 役柄はレイプの被害にあった知的障碍者女性の役であった。

 チェック柄のワンピースを着て、大人に励まされながら涙を流すというラストシーンが印象的だった。


 彼女の本名は桃木ルイなどという派手な芸名とは裏腹に、古川まさみというきわめて古風な名前であった。

 彼女はいつも、前髪で額を隠していたが、ふとした拍子に額の傷を見てしまったことがある。僕はもちろん、見て見ぬふりをしていた。

 なぜなら、その傷は3センチに及ぶほどの深い傷だったからである。

 もしかして、単なる事故ではなくて、故意に誰かから切られたものなのかもしれない。僕は勝手に邪推していたが、もちろん口に出すことはなかった。

 

 実は僕は、ジュリー氏から受けた性被害のせいで、性被害を受けた時点のジュリー氏の年齢ー五十五歳くらいの男性が苦手である。

 もちろん、ジュリー氏とは何の関係もないが、ついジュリー氏とのことを思い出してしまう。

 ジュリー氏はベッドのなかで僕に土下座をし、立ち去るときは必ず二万円を渡し、ドアの前で深々と90度頭を下げて挨拶をした。

 だからジュリー氏を憎むことはできないが、でも涙を流した性被害を消し去ることはできない。


 僕はホール廻りにまわされたが、古川さんは厨房の中から僕にいろいろアドバイスをしてくれた。

「このカフェは、この商店街で二番目に古い店なの。だから常連さんとその子供が多い。コロナ渦のせいで皆臆病になっているから、あまり元気のいい挨拶は必要ないわ。むしろ、静かなゆったりとした空間を求めている人が多いの。

 それと高齢者は気さくに話かけてくるわ。たとえば「どこそこのスーパー、安いね」とか「この帽子似合う?」とかね。

 でも否定的な返事をしてはダメ。といっても褒めすぎる必要もない。はいそうですねと肯定的な返事さえすれば、当たり障りはないわ」

 そうかあ。コロナ渦で静けさを求めている人が多いのか。

「ありがとうございます。また教えて下さいね。

 この店の名前のランプのように、かすかな光を与える店ですね」

 僕は古川さんの指示に従うことにした。

 

 ランプに勤務して二週間ほどたった頃、古川さんは帰宅時間が近づくたびに左手が震えるのを見過ごすわけにはいかなかった。

 かと言ってその理由を聞き出すほど、親しい間柄でもなく、あくまで先輩と後輩の間柄である。

 もしかして、誰かに脅されているのではないだろうか。

 僕は性被害を受けたときと似たような、不安と恐怖感を古川さんのなかに感じた。ご恩返しじゃないけれど、何か力になりたい。

 自分の胸のなかに秘めておくと、壊れていくなにかがある。

 それが嵩じると、日常生活に亀裂が入り、仕事にも悪影響を及ぼす。

 僕は、古川さんを救う義務があると感じていた。


 僕は、仕事帰りにはいつも駅前にある小さな書店に寄ることにしている。

 噂では、この小さな書店も四十五年を機に、閉店するかもしれないという。

 この書店は、店頭には古本が置いてあるという、極めて珍しい形態の書店である。

 ある男性雑誌に手を伸ばすと、巻頭グラビアにAV特集があった。

 思わずページをめくると、なんと「桃木ルイの華麗なる十年前の過去」という特集があった。

「NHK人情ドラマで演技を評価されている桃木ルイは、AV出身桃木るいである。本人曰く、

「AV出演が親バレして勘当状態であったが、NHKに出演したことで、勘当も解け私を可愛がってくれた祖母のお墓参りに行きました」

 桃木ルイは、元々アイドル志望で、十七歳のときにはなんとNHKの大河ドラマにもチョイ役で出演したことがあったという。

 もちろん、桃木ルイ時代のヌード写真、男優との絡みの写真も掲載されていたが、僕は思わずページをめくってしまった。

 桃木ルイいや、古川まさみは僕の予想通り、Tシャツ越しにくっきり目立つほど、胸は大きかった。

 

「今村さん」ふと呼び止められると、そこには桃木ルイいや僕の先輩古川まさみさんが、仕事帰りのTシャツ姿で立っていた。

 僕は思わず、とまどったが、表面は何事もなかったように取り繕った。

「古川さん、この本屋、よく行くの? もしかしたら常連だったりしてね」

 古川さんは、懐かし気に目を細めた。

「この本屋はね、私の心のふるさとでもあるの。

 私が小学校のときから、おばあちゃんと一緒に通っていたのよ」


 もしかして古川さんは、僕を試しているのだろうか?

 人気AV女優 桃木ルイの過去を知っているかどうか?

 僕は素知らぬフリをすることにした。

 古川さんにとっては、桃木ルイ時代を知られたくないに違いない。

 しかし、老舗カフェ「ランプ」の人は、オーナーも含めてこのことを知っているのだろうか?

 僕は桃木ルイ時代のことを、誰にも言わないことに決めた。

 もう十年もたっているんだ。

 だいたち、アダルトビデオ女優というのは一年くらいで飽きられるという。

 二年もったら、もう大御所扱いだという。

 しかし、桃木ルイは桃木るいという名でNHKのゴールデンドラマにも出演している。AV時代の過去を隠すのは極めて困難である。


 昔があったから、現在があるというが、美保純のようにポルノ女優であることをNHKでも、あっけらかんと(当の本人はどう思っているかわからないが)語る女優もいる。

 だいたいAV女優というのはプロダクションから「うちの事務所は大手有名プロの傘下である」と騙され契約書にサインをさせられ「歌手としてデビューさせるので、半年間、ボイストレーニングを受けてほしい」という言葉に載せられ、CD録音の現場だと騙されて連れて行かれたところが、なんとAVの撮影現場だったという実話もあるくらいである。

 とすると、古川さんも騙されたのだろうか?

 まあ、好き好んでAV女優になる女性がいるとは思えないが。


 僕はふと我に帰った。

 古川さんの左手は震えが頂点に達したようである。

 僕は思わず「大丈夫ですか」と尋ねた。

 すると意外な答えが返ってきた。

「今村君も知ってるでしょう。私が元桃木ルイだったという過去があったのを」

 

 

 















 


 

 

 

 


 


 

 

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