時空を超えた探し物
森本 晃次
第1話 ナース
――気が付けば、私ももう五十歳を超えてしまったな――
五十歳を超えてから、もう二年以上も経とうというのに、あらたまって五十歳を超えたということを自分に問いかけることも久しい。
しかし、つい一度問いかけてしまうと、前に問いかけたのが、まるで昨日のことのように思えてくるから、
――年は取りたくない――
というものだ。
山本悟は、一度結婚したが、すぐに離婚。子供がいなかったこともあって、離婚にはさほど体力を使うこともなく、今では結婚していたということがまるでウソのように思えるほど、意識から遠ざかっていた。
結婚したのは三十代前半、会社の事務員の女の子と仲良くなり、それまでほとんど女性と付き合ったこともなかった悟には、交際期間はまるで夢のような時間だった。
相手の女の子は二十代後半、焦っているわけではなかったが、結婚するとなると、とんとん拍子に話が進み、結婚の話が持ち上がってから、二か月ほどで新婚生活に突入していた。
お互いにままごとのような新婚生活だった。彼女の方が新婚生活には有頂天だった。どちらかが有頂天になって舞い上がってしまうと、片方は結構冷めてしまうもので、悟の方も、相手にペースを握られっぱなしだった。
それでも、楽しかったので、不満はなかった。子供を相手にしているようで、それなりに楽しかった。むしろ、夢にまで見た新婚生活そのものだったような気がするくらいだった。
しかし、楽しい時間は長くは続かなかった。一気に燃え上がって、一気に冷める、
――熱しやすく冷めやすいタイプーー
である彼女と、
――徐々に燃え上がって、そのまま燃え続けるタイプ――
である悟の間では、共鳴できる時間があまりにも短かった。近づいてきていると思って安心していると、いつの間にか、自分の後ろを通り抜けていて、居場所を見つけることができなくなっていたのだ。
――すれ違ったなんてもんじゃないな――
それは、相手の姿が見えなくなった瞬間だったと思っていたが、後から考えれば、最初から姿が見えていたのか怪しいものだった。いつも虚空を眺めていたようで、離婚してからというもの、
――彼女がほしい――
と思ってみても、付き合いまで発展することはなかった。
離婚してからというもの、時間が経つのが早かった。毎日を何事もなくやり過ごすことだけを考えていたのだから、あっという間だったというのも無理もないことだった。
学生時代というのは、一日一日が結構長く感じられたが、過ぎてしまえばあっという間だった。しかし社会人になってから離婚するまでの間は、毎日があっという間だったように思えたにも関わらず、離婚した時に大学を卒業した時を思い出してみたが、相当昔のことだったように感じたものだ。
今は日々の時間と、一定の期間が過ぎてしまった時に感じる時間の長さは、ほとんど変わらない気がする。何かを目指しているわけでもなく、ただ無為に時間を過ごしているだけの毎日は、それだけつまらないものなのだろう。
これでも学生時代には、彼女と呼べるような人が数人はいたものだった。もちろん、学生時代だったので、結婚まで具体的なことを考えた女性はいなかったが、それなりに楽しく付き合えたものだった。だが、社会人になって二年目の夏だったが、その時、急に転勤を言い渡された悟は、盆が終わって、九月の声が聞こえてくる頃、新しい土地に赴任したが、そこにいた事務員の女性とすぐに仲良くなった。
今でも、
――今までで一番好きだったのは、和子だ――
と、その時の事務員の和子の名を挙げることができる。
和子は、悟にとって、今でも忘れることのできない唯一の女性だった。離婚した女性よりも思い出すのは和子のこと、そんなだから、離婚するのも無理のないことだったのかも知れないが、結婚生活を短かったと思うのは、和子との時間が貴重だったということの裏返しだった。
悟は、五十歳になってからは、ほとんど表を出歩くことはなくなった。五十歳までは、馴染みの飲み屋や、馴染みの喫茶店があったりして、時間があれば寄っていたのだが、五十歳になってからは、急に億劫になってきた。毎日が会社と部屋の往復で、休みの日も、ほとんど出かけることがなくなっていた。
そんな悟が帰りに立ち寄ったりするのは、コンビニか、レンタルビデオ屋であった。DVDを借りてきて、部屋で一人で映画鑑賞、これが最近の悟のパターンだった。
ビールやおつまみをたくさん買い込み、ソファーに横になって映画を観る。三十代の頃までは、想像もつかないことであった。
ただ、悟は二十代後半に、一人で映画を観るのを趣味にしていた時期があった。ビデオを見るわけではなく、映画館での鑑賞である。こじんまりとした映画館であれば、一人でも違和感がないのか、思ったよりも一人で来ている人が多いのに、ビックリしたものだった。
映画館でも、あまり近くに人がいるのが嫌だったので、少々角度が悪くとも、前の方の列で見ることが多かった。
映画を前の方で見ることになったその頃から、何となく、映画の中に出てくる気になる人を一人決めて、その人になりきったように見るようになっていた。特に恋愛モノの映画では、ヒロインに恋する男優の気持ちが手に取るように分かってきて、自意識過剰になっている自分を感じていた。
そのくせ、現実ではまわりの女性に何も感じない。次第に一人でいることに違和感がなくなってきたのも頷けるというもの。次第に見る映画のジャンルが狭まってきたのも、好きなジャンルが定まってきた証拠でもある。
悟が見る映画のジャンルは、段階的に狭まっていった。
まずは、外国映画を見ることがなくなり、日本映画一本になった。そして次には、恋愛モノや、奇妙なお話が多くなり、ミステリーやサスペンス系を見ることがなくなった。さらには、出演女優で決めることも増えてきた。自分の好きなジャンルに出ている女優を見ているうちに、自分の好みの女性とかぶってきた気がしてきたことで、映画を観る幅が狭まったことが正解であると思うようになっていた。
――やっぱり、自分が妄想できるような内容が、映画を観る醍醐味ではないだろうか?
と思うようになっていった。
最初こそ映画を見ていると、自分が主演男優になったような目で見ていたのだが、そのうちに映画館にも行かなくなった。元々、
――どうしても見たくてたまらない――
というほどのものではなかった。
確かに最初はただの暇つぶしのつもりが、映画館の雰囲気や一人でゆっくりできるという意味で次第に嵌って行ったのも事実だが、自分が主人公になったような目で見ていると、今度は、次第に面白くなくなってくるのを感じた。
楽しみなことというのは、半永久的に続くものではないということくらいは分かっていた。次第に有頂天になっていくと、どこかに頂点があり、それを超えると、後は冷めてくるというのも分かっていたつもりだ。映画に関しては、冷めて行ったという意識はないのだが、いつの間にか映画館に行くことがなくなってしまったのは、ただ単に出かけるのが億劫な時期がちょうど、有頂天を超えてから、下り坂と重なってしまったというだけのことだったに違いない。
映画を観に行かなくなってからというのは、どこか心の中にポッカリ穴が空いたような気がしていたのだが、その直接的な原因がどこにあるのか、気が付いていなかった。
ちょっと考えればすぐに分かりそうなことなのに、どうしたことなのだろう?
映画館に通っていた時期というのは、ちょうど一年くらいのことだっただろうか?
毎週の土日の休みのうちの土曜日に映画に行くようにしていたので、五十回ほど一人で映画に赴いたことになる。その数字が多かったのか、少なかったのか、今考えてみると、多かったように思えていた。
一つの作品は一か月近くはロードショーされることを思うと、通っていた映画館は四つを下らないことになる。どの映画館も広さに変わりはなかった。真っ暗な中でスクリーンに映し出された映像は、映画館の大きさに比例するわけではない。大きな映画館でも、こじんまりとした映画館でも、暗くなってしまえば、さほど大きさに違いは感じられない。それであれば、こじんまりとした映画館の方が気分的にも楽だ。いつもこじんまりとした映画館を選ぶのは、そう言った気分的な理由もあってのことだった。
ちょうど一年経ってから、急に映画館に行かなくなったのは、確かに億劫になったというのも理由だが、それだけではなかったように思う。その理由については忘れてしまったが、忘れてしまうということは、悟にとってはさほど珍しいことではなかった。
――後になって思い出そうとしても、思い出すことができないということの中には、肝心なこともあったような気がする――
と思うようになったのは、映画館に急に行かなくなった理由を忘れてしまった時期くらいだったように思えてならない。
映画館に行かなくなったからと言って、レンタルビデオを借りてみようとは思わなかった。その頃は、テレビで再放送されるものを見ればいいという程度で、どうしてもその時期に見ないといけないという意識はなかった。レンタルビデオを借りるようになってからでも、新作を特別に意識しているわけではなく、最初から何が見たいのかを決めて立ち寄るというよりも、陳列棚を見ながら見たいものを探している時間が、結構楽しかったりする。そんな時間を楽しむことができるようになるなど、その頃は考えてもみなかった。
三十代の頃は、まだまだ気が短い方だった。急にキレることもあり、落ち着きがない方だった。
――こんな感じで、落ち着いてくるようになるんだろうか?
と思っていたが、
「きっかけなんて、いきなり訪れるもので、本人が意識しない間に通りすぎ、それでもちゃっかりときっかけをものにしていたりするものだよ」
と言われたことがあったが、
「そんなものかな?」
と、曖昧に答えた。
話をしてくれた人が、よく言えばポジティブな性格で、楽天的なところがあった。そんな人の話ほど、信憑性を疑いたくなり、話を軽くしか見ることができない。その時は曖昧に答えたが、時間が経つと、
――それももっともだ――
と思うようになり、いつの間にか、その「きっかけ」を待ち望むようになっていた。
しかし皮肉なことに意識すればするほど、きっかけを感じることができず、気が付けば初老と呼ばれる年齢になっていて、人からは、
「さすが落ち着いていらっしゃる」
と言われるようにはなったが、それが年齢や容姿からの話という可能性もあり、素直に喜んでいいのかを疑いたくもなっていた。しかし、言われるたびに自分でもその気になっていき、気が付けば、
――年相応の落ち着きが見られるようになったんだろうな――
と感じるようになっていた。
離婚してから性格が変わったと思っている悟は、それまでに感じたことがない「寂しさ」に対して敏感だったことに気が付いた。離婚してからサッパリしたという意識とは別に、寂しさを感じていたのも分かっていた。
だが、離婚してから寂しさに敏感だったはずの自分が、寂しさだけに包まれてくると、
――寂しさに対して、感覚がマヒしてきた――
と思うようになると、
――感覚がマヒするまでには、必ず通り抜けなければならない何かがある――
と思った。
感覚がマヒするまでに至るには、一度痛みを最大限までに、気絶するくらいの感覚を味わうことでしか得ることができないと思っている。通り抜けなければならない何かというのも、限りなく痛みを最大限までに感じる必要があるということだろうか? 寂しさというほど地味で感情を押し殺したような感覚もない。そこのどこに痛みを感じるというのか、考えれば考えるほど、疑問だった。
表面ばかりしか見ていないことは分かっていた。一つどこかを裏返せば、まったく違ったものが見えてくるかも知れないという気がしていた。それは、ビデオを見ている時に感じることは絶対にないと思っていた。なぜなら、
――映像に写された世界は、あくまでも虚像であり、現実世界とは絶対的に相容れないものがあるに違いない――
と思っている。
映像を作る方としても、もちろん、現実と虚像とをシンクロさせて見てほしいとは思っているだろうが、重ね合わせるなどという発想はない。
――いかに現実の発想に近い形で作品を作ることができるか――
というのが永遠のテーマなのだ。
もし、現実の世界と虚像の世界を混同して考えるような人がいれば、却ってそれは危険なことであり、クリエーターがそんなことを望むはずはない。作品はあくまでもフィクションであり、フィクションだからこそ、作者の独創性が表に出てくるというものである。
悟は、ドキュメンタリーやノンフィクションなどよりも、フィクションの方が圧倒的に好きだった。
ただ例外もある。
「俺は歴史ものだけは、史実に従っている方が好きなんだ」
確かに史実を揺るがす発想を搦めたスペクタクル戦記物も嫌いではないが、史実と違っていれば、何が正しいのか頭の中で混乱してしまう。
歴史認識に関しては、教養として身につけていたいと思っていることで、歴史ものだけはノンフィクションを読んだりしていた。
四十歳になった頃から、映像よりも、読書の方が主流になってきた。仕事が終わってから立ち寄ったり、休みの日に出かけて立ち寄る場所に、必ず本屋は入っていた。
最初の頃は歴史ものをよく読んでいた。特に気になって読んでいたのは、歴史上の人物を一冊の本にまとめたものが多く、時代背景は戦国武将がほとんどだった。
しかも有名大名というよりも、ナンバー2くらいの人を読むようになっていた。軍師と呼ばれる人だったり、ブレーンだったり、渋めのところをチョイスして読み込んでいったのである。
歴史ものを二年ほどずっと読んできたが、急に恋愛モノに目移りした時期があった。
――これも一つのきっかけだ――
自分では意識していなかったことなのに、急に目移りするというのは、昔聞かされた「きっかけ」によるものだという考えもありではないだろうか。
歴史ものに飽きたわけでもなかった。ある程度の歴史上の人物の本を読んだという意識はあったが、
――読めば読むほど、次々に読みたい人が出てくる――
というのが、歴史ものの本を読む醍醐味だった。
その醍醐味が薄れたわけでもない。嫌になったという感覚もない。ただ、
――恋愛モノが読みたい――
と思ったのは、「きっかけ」以外の何物でもないだろう。
そういえば、恋愛モノを読むようになってから、少し自分の中で落ち着いてきたような気がした。
それまフィクションを読まなかったのは、落ち着きがないために、どうしても先を急いで読み込んでしまうため、途中を端折って読む癖がついてしまっていた。歴史上の人物の本であれば、途中端折っても、基本的には時系列に書かれているので、読み返す機会が生まれたとしても、読み返す場所の見当はついている。
それに比べてフィクションはそうもいかない。
――きっと途中を端折ってしまうと、途中で分からなくなり、分からなくなると、ラストシーンに向かえば向かうほど、読んでいて訳が分からなくなってしまいそうな気がする――
と感じていた。
だから、それまでフィクション系に手を出す勇気がなかったのである。
しかし、急にフィクションが読みたくなった。それも恋愛小説である。
慣れてきたはずの寂しさだったにも関わらず、恋愛モノというのは、一番ハードルの高いものだと思っていた。
ただ、恋愛小説にもいろいろなものがある。
ライトノベルのようなベタな恋愛小説もあれば、逆に嫉妬や憎悪が渦巻き、犯罪の匂いさえも漂わせるドロドロの恋愛小説もある。
さすがに、いきなりドロドロの恋愛小説というのは無理がある。かといって、この年になってベタな恋愛小説というのも、どこかわざとらしさが感じられそうで、あまり読みたいとは思えない。
――では、なぜ恋愛小説なのか?
作家で選ぶのも手だと思った。
同じ恋愛小説を書く人で、ベタな恋愛小説を書く人が、ドロドロとしたものを描くことはできないだろうし、逆も同じであろう。そういう意味では、作家でジャンルを選ぶのが一番いい手段ではないかと思うのだ。
そういう意味で、悟は久しぶりにレンタルビデオ屋に顔を出した。
映画を観て、原作を読むというのも悪いことではないと思ったからだ。
最初に原作を読んで、映画化されたものを見るというのは、
――原作に適うものはない――
という考えがあるので、あまりしたことがない。しかし、逆であれば問題ないと思うので、悟は恋愛もののDVDを借りようと思ったのだ。
――そういえば、恋愛モノのDVDのコーナーに立ち寄るのは初めてだな――
テレビで放送されたものを録画して見たことはあったが、わざわざビデオ屋で借りて見たことはなかった。
――新鮮な気がするだろうか?
と思って立ち寄っていたが、思っていたほど新鮮な気はしなかった。やはり、恋愛モノの映像はあまり今まで見てこなかったこともあってか、悟には馴染みのないものとしてしか映らなかった。特にケースの表に描かれているものを見ると、どこかウソっぽさが感じられた。写真で写されたものはまだいいが、絵画になって描かれているものは、ケースを見た瞬間から、興ざめしてしまうような気がしていた。やはり映像に似合うのは写真であり、絵画ではウソっぽさしか感じない。
――まるで子供だましのようだな――
ただ、それは今になって思うことであり、三十代に映画館で見ていた頃のポスターで絵画やアニメ系のものがあったとしても、そこにウソっぽさはおろか、違和感すら感じることはなかったのである。
先に映像を見てから、原作を読むという発想はしばらく続いた。半年くらいは続いたかも知れない。しかし、小説に違和感を感じることがなくなってからは、パッタリとレンタルビデオ屋に立ち寄ることもなくなった。やはり原作が一番であることに変わりはないということを、再認識したからだった。
小説を読んでいると、時間を忘れさせてくれる。
時間を忘れるということは、寂しさを忘れるということにもなり、いいことのように感じるが、実はそうではなかった。
その時には分からなかったが、小説を読んでいて、それまで以上に小説にのめりこんでいき、自分がまるで架空の世界の中にいるような思いがしてくるようになる。
それまでに何度か、そのことを知らせる信号のようなものを感じたことがあった。しかし、そんな時に限って、小説の中に入りこんでしまったかのように感じているようなのだが、感覚的に感情がマヒしてしまったかのようで、本当に感動しても、どこに感動しているのか分からない。あくまでも感覚的なものであって、
「感動しているのか、していないのか?」
と聞かれると、
「しているような気がする」
としか答えられないようなことでも、自分の中で確信的に感動していることを分かっている。ただ、具体的な詳細を聞かれても、どう表現していいのか分からないだけなのだ。
具体的な詳細など、誰が答えることができるというのか?
そんなことも分かっているのだが、自分の感覚がマヒしていることで、答えることができない自分に非があるように思えてならないのだ。
なぜ、感覚がマヒしてきたのか、最初は分からなかった。だが、一番今慢性的に感じていなければいけないはずの寂しさを、感じることができなくなったその時点で、感覚がマヒしてきたのだということに気が付いたのが、小説を読んでいて、ふと気が付くと、自分が小説の世界の主人公になりきろうと思っていた世界から引き戻されたのを感じた時だった。
小説の世界の主人公になりきろうとすると、どうしても気になるのがヒロインだった。
――主人公というのは、ヒロインに慕われているものだ――
と思っている。
いや、ヒロインに慕われる主人公でなければ、本を読んでも楽しくはない。自分が同じ恋愛小説でも、どんな話を読みたいのかというと、
――主人公である自分が、慕われていると思いこめるような小説――
であった。
ラストでどんでん返しが起こり、裏切られたとしても、それは問題ではない。ストーリーが展開していく中で、慕われているという主人公を感じながら読み込んでいくというのは、それだけ自分が寂しさを感じたくないという思いの表れだったに違いない。
――寂しさなんて感情は、すでにマヒしていたはずなのに――
と思っていたが、マヒしていたわけではなく、慕われているという幻想が中和剤になって、寂しさをマヒさせているのだ。だから、慕われているという感情が、リアルすぎると却ってウソのようなので、あくまでも幻想でなければ、中和剤としての役目を果たさないのだろう。だからこそ、
――小説の中の主人公――
なのである。
悟の四十代は、小説を読むことで自分の寂しさを紛らわせているつもりで、感覚をマヒさせるために、小説の中の主人公になりきることが一番だということに気付いた年でもあった。
――寂しさとは何か?
ということを、気付かぬままに追い求めていた自分が、時間を無駄にしているのではないかと思った時期もあったが、考えてみれば、寂しさについて考えることが、最初から余計なことだと思ってしまうことで、何も考えないようにしている自分の方が、感覚をマヒさせようとしている意志を持てない分、時間を無駄にしていたに違いないと思う。
悟の四十代は決して無駄な時間ではなかった。
いや、それまでの時間にも、無駄な時間などなかったと思えるほど、絶えず何かを考えていたということを今となってみれば、顧みることができるのだ。
感覚がマヒしてきたと思うようになったのは、寂しさを感じないようにしたいという思いからだったが、実際に寂しさを感じなくなったのは、感覚がマヒしてきたのを感じるようになってから、しばらく経ってのことだった。その間、あっという間のように感じていたが、実際には結構長かった。気が付けば、まったく正反対の季節になっていた。
その頃から主人公になりきって読んでいるというよりも、小説に書かれていることが、実際に起きるのではないかと感じるようになっていることに気が付いた。自分が主人公になって小説を読むということよりも、現実に起きるのではないかと感じることの方が、発想が壮大で、そのくせ、リアルな感覚が襲ってくるように思え、
――本を読みこんできた成果のようなものかも知れない――
と感じるようになった。
本を読む時は、静かにしないと読めなかったはずなのに、いつの間にか、喧騒とした雰囲気の中でも読めるようになっていた。最初のきっかけは喫茶店で本を読んだ時のことだった。
元々喫茶店に一人で入ることに抵抗を感じない悟は、時間があると、よく喫茶店に入っていた。いや、悟にとって時間というのは、余りあるほどにあった。若い頃は、
――もっと自由な時間がほしい――
と感じたものだった。
若い頃も、本当はそんなに忙しいわけではなく、時間がないわけではなかった。ただ、何かをしようとすると、最初にそれに使う時間を無意識に計算してみて、空いた時間が当てられるかどうかを考えると、なかなかうまく当て嵌まらないと思ったからだ。無意識に計算する時間というのは、大抵はサバを読んで計算している。多めに計算した上で、当て嵌める時間に余裕を持たせているのだから、最初から時間が合うわけもない。もう少し気持ちに余裕があれば、時間を分割して使うくらいに感じることができるのだろうが、若さからか、自分が使う時間を分割するという意識はなかったのである。
若い頃に感じていた、
――時間がない――
という思いは、焦りの気持ちから感じるものだということに気付いていなかった。焦りが気持ちの中に余裕を持たせないという発想であるにも関わらず、若い頃に本をあまり読まなかったことが、気持ちに余裕を持てない証拠だったということに、やっと今になって気が付いたのだ。
若い頃に何かを残したわけでもないのに、今の方が時間が経つのをあっという間に感じるというのが不思議だった。
今から思えば若い頃の自分が、本当に何もなかったことに気付かされるのに、時間だけが長く感じるというのは、何かしたいことがあって、それを達成できなかったことへの後悔ではないかと思っていた。
しかし、それは間違いで、
――今だって、やろうと思えばできないことはない――
何を目指しているかというのも、別にハッキリとしているわけではない。どちらかというと、若い頃から、その日が無事に済めばいいという程度の毎日しか過ごしていなかったはずだ。
――いや、どこかで目標を失って、目標を持っていたということすら、忘れてしまっていたのかも知れない――
と、感じるようになっていた。
悟が何に目標を持っていたのかというと、漠然としたものしか持っていなかった。
――何かを作ることが好きな俺は、創作意欲だけはあった――
と思っていたが、何を創作しようかというところまでは煮詰まっておらず、気が付けば、年齢だけを重ねてきた。
しかし、その途中で一度、その気持ちをリセットした時があったような気がした。創作意欲がいつの間にかなくなっていたというのは、間違いに思えて仕方がないからだ。もし、そんな時期があったとすれば、考えられるとすれば、恋愛から結婚、そして離婚に繋がるまでの時期だったような気がする。
今から思い出そうとすると、その頃のことを思い出すことはできない。できないというよりも、子供の頃のことの方がまだハッキリと思い出せるのではないかと思うほど、時系列の中では、一番遠いところにある記憶だった。
――決して、後悔なんかしていない――
その頃のことを思い出そうとする時のキーワードはこの思いだった。そう思わないと、思い出した記憶の中から、戻ってこれないような気がしたからだ。
――昔の記憶の時系列が曖昧なのは、その記憶の中に後悔の念が含まれているからではないか――
と思うようになっていたが、過去の記憶の中から戻ってこれないほどの後悔の念がどれほどのものなのか、悟は想像を巡らせていた。
喫茶店に一人で立ち寄るようになったのは、本を読むようになってからだ。それまでは、仕事での待ちあわせなどでもない限り、立ち寄ることはなかった。一人で喫茶店に入ることに抵抗がないと感じたのは、一人で立ち寄った時からだったのだが、意識としては、元々抵抗がなかったという思いが、ずっと渦巻いている。
恋愛期間中は、元嫁と待ちあわせることが多く、自分が待つこともあれば、彼女が待っていてくれることもあった。回数からすれば半々くらいだっただろうか、その比率が悟の中で彼女と結婚を決意させた一つのきっかけになったというのも面白いことだった。
喫茶店では他愛もない話ばかりしていたが、他愛もない話が面白い時期というのも貴重なものだ。
「他愛もない会話が楽しいと思える時期が、人生の中でほんの短い有頂天になれる期間なのかも知れないわね」
と、まだ交際期間中で、結婚についての話もしていない頃に彼女が言った言葉だった。彼女との思い出はほどんどなかったが、この言葉だけはなぜか頭に残っている。
――束の間の幸せな期間というのは、忘れることのできない言葉を聞いた時期なのかも知れないな――
と、悟は感じていた。
悟は、自分がかつて頭の中をリセットしたいと思った時期があったのを思い出した時、それが元嫁と過ごした期間のどこかだったことに気がついた。最近までそのことを忘れていたのは、その時期が自分にとって、今までの中で一番架空に近い時間を過ごした時期だったということを意識していたからだろう。
――四十歳を超えて、本を片手に喫茶店で時間を過ごす――
リセットした頭の中で、最初に考えたことだったのではないかと今から思えば感じている。喫茶店での余裕を感じさせる時間と空間を感じた時、新鮮な思いと、懐かしさを感じたのは、まさしくデジャブだった。悟にとって頭の中のリセットがやっと火の目を見る時がきたのは、この時だったのだ。
――なるほど、時間があっという間に過ぎたと思うのも無理のないことだ――
と感じた。
悟にとって喫茶店での時間を本を読んで過ごすことが一番であり、本を読むベストポジションが喫茶店であるということを証明したような気がした。
本を読んでいると、最初は喧騒とした雰囲気が自分の中で小説の舞台を思い浮かべるのに邪魔になっていると思っていた。しかし、そのうちに喧騒とした雰囲気が邪魔にならないようになってきたのは、本の世界に集中するあまり、まわりの声が聞こえなくなったと思うようになっていた。
だが、それで終わりではなかった。本を読んでいて、まわりの声が聞こえなくなってくると、感じるようになったのは、空気の流れる音であり、どんなに穏やかな風であっても、空気の流れる音を聞き逃すことはないように思えてくる。
さらに感じてきたのは、胸の鼓動の音だった。
それが自分の胸の鼓動の音なのか、他の人の胸の鼓動なのか判断がつかない。しかも聞こえてくるのは一つだけ規則的な鼓動であった。この事実だけで見れば、自分の胸の鼓動でしかないはずなのに、毎回鼓動が違っているように思えてくると、
――本当に自分のものなのか?
と疑問に感じるようになった。
胸の鼓動の音は、気が付けば風の音にかき消されていた。いつの間にか聞こえなくなっていたにも関わらず、どうして風の音にかき消されたのかと言いきれるのか、自分でも分からなかった。胸の鼓動の音が、いつも違っていたことと関係があるように思えていたが、考えれば考えるほど、何一つ、その二つを結びつけるものはないのだった。
胸の鼓動がかき消されてしまうと、風の音だけになっていた。胸の鼓動が規則的な音だったこともあって、読書をするには、リズムがあることで、違和感はなかったが、逆に風の音だけになると、最初に感じた喧騒とした雰囲気と変わらないような気がしていて、気が散るのか、読書が進まなくなってくる。
しかし、これが本当なのかも知れない。
元々喧騒とした雰囲気を感じていたのだから、元に戻ったと言っても過言ではない。ただ、だからと言って、喫茶店で本を読むのをやめようと思わなかったのは、
――そのうちに、胸の鼓動を感じる時がやってくる――
と感じたからだった。
意外とその時期はすぐにやってきた。胸の鼓動が聞こえなかった時期がまるで夢だったかのような感覚は、錯覚に近いものがあり、錯覚を感じさせるということは、すぐに現状を復活させることができるという発想を抱かせたのだった。
その頃になると、喫茶店で本を読むというのは、もはや趣味ではなくなっていた。
――生活の一部――
となっていたのである。
生活の一部に感じるようになったのは、慢性化したというのも一つなのだが、一度聞こえなくなった胸の鼓動が、また聞こえてくるようになったからではないかと思うようになった。
悟は、仕事が終わってから立ち寄る喫茶店を馴染みの喫茶店と位置づけ、最初読んでいた歴史ものの小説が遠い過去に感じられるほど、恋愛小説に嵌っていった。胸の鼓動を最初に感じたのは、恋愛小説を読むようになった頃であり、再度鼓動が聞こえ始めた時には、同じ恋愛小説でも、どんなジャンルを読みたいと思うかということを自分の中で決めた時だった。
あまりドロドロとした恋愛小説は、どうしても苦手だった。それでも読んでみようと思って二、三冊読んでみたが、どうしも馴染めない。同じ作者の作品だったので、必然的に、その人の作品は読まなくなった。その作者の名前は、相原恵子と言った。
――女性が描く作品の方が、よりドロドロしているような気がするな――
少女漫画の方が少年漫画よりも、エロいシーンは過激だとよく言われる。悟も、
――その通りだ――
と思うが、中学時代に友達と一緒に見た本だったので、今とはだいぶ違っているだろうが、その時のイメージが強く、どうしても、女性作家の作品には、ドロドロしたところに遠慮がないように思えてならなかった。
昼メロと呼ばれる時間帯でのドラマは、特に嫌いだった。午後一時すぎくらいからの一時間ほど、数チャンネルで似たような番組をしている。今でこそあまり見なくなったが、
――やはり、時代遅れなのかも知れない――
と思うと、余計に読みたくなくなってしまった。純粋な恋愛モノだと言えないかも知れないがトレンディドラマと呼ばれたのも今は昔、一世を風靡はしたが、すでに時代遅れだった。
悟はあまりテレビを見ることはない。部屋にいて殺風景なのでテレビをつけていることもあるが、ドラマ系やバラエティ系がついていることはあまりない。それならニュースをつけている方がマシだった。もし、ドラマを見るのであればレンタルビデオを借りてきて見る方がいい。再放送ならまだしも本放送であれば、一週間待たなければいけない。それまでに気分が冷めてしまいそうに感じるからで、今まで映画のように、一部完結ばかりを見ていると、いいところで翌週に引っ張られるのは、あまり気分のいいものではない。
テレビドラマを見ない代わりに本を読んでいるというわけではないが、自分の部屋で本を読むことはないので、ほとんど部屋にいることはなくなった。喫茶店に立ち寄るようになってからは、閉店までいることがほとんどで。毎日、三時間近くも喫茶店にいる時期が続いていた。
その喫茶店には、本を読むために立ち寄っている人は他にもいた。男性は悟一人で、他には女性が三人いるという話だった。
そのうちの一人だけとは面識があった。他の二人と全然会わなかったのは、ただの偶然なのかも知れないが、時々会っているとは言え、面識のある彼女とは、ほとんど会話をしたこともなかった。
年齢は、三十歳前半くらいだろうか? 週に二回くらいは会っている。最初は意識していなかったが、見かけるようになって一か月ほど経ってからだろうか。彼女の方から会釈してくれた。二回目からは悟の方から頭を下げているが、急にどんな心境の変化があったというのだろうか。ただ、話をすることはなく、お互いに黙って本を読んでいるだけだった。
彼女の存在を意識するようになったのは、それからのことだった。挨拶されなければこちらから挨拶をすることもない。存在は感じていても、意識することはなかったはずだ。それなのに、挨拶一つだけで、彼女の存在を感じてしまうと、本を読んでいる空間に一人ぼっちだと思っていたのに、一人侵入してきたことを想像した。
一つの空間に一人侵入してきたのだから、空間はその人の分だけ狭くなったように普通なら感じることだろう。しかし、その時は普通ではなかった。狭く感じるはずの空間が、広く感じられたのだ。
――彼女が不思議な存在なのか、それとも、本を読んでいるという意識が、自分の中で作り上げた空間に錯覚を呼び込んだのか――
そのどちらかなのだろうと思ったが、そのどちらとも言える決定的なものは存在しなかった。
決定的なものがなければ、後者で片づける方が気は楽であった。その時も、後者で自分を納得させたが、彼女との距離がずっと同じままだった。
――少しくらいは距離感が変わってもいいものを――
と感じていたが、まったく変わらないというのも気持ちの悪いものだった。
その頃、悟は日記をつけていた。すぐに飽きてしまって、継続性のない悟だったが、その時は三年も日記をつけていた。悟にしては異例のことであった。
どうして継続できたのかというと、その時に見かけた本を読んでいる女性をずっと見ていて、自分なりに勝手な妄想を抱いていたからである。抱いた妄想を、部屋に帰って思い浮かべながら、ふと書き残していたものが、数日経って読んでみると、物語のように感じたからだ。
――別に小説を書いているわけではないのに――
前の日に妄想したことは忘れているはずだった。その日、見かけた彼女を見て、勝手に妄想しているだけなのに、なぜか物語のようになっているのを見ると、
――日記のように毎日続けてみると、そのうちに一つの物語になるかも知れないな――
と思うようになったのがきっかけだった。つまり、日記をつけていながら、小説を書いているのと一緒だったのだ。
その間にいくつの妄想話が出来上がったことだろう。後で読み返すことはあったが、それは一度きりと決めていた。
――二度目、三度目と読み返すうちに、一度目に感じた内容と、変わってくるに違いない――
と、感じたからだ。
一度目に感じた内容が一番自分が妄想した時の思いと一致しているからだと思うからで、それは時間の経過だけが理由ではない。
「将棋で、一番隙のない布陣というのは、最初に並べた時のあの形なんだ。一手指すごとに、そこに隙が生まれるということさ」
という話を聞いたことがあるが、まさしくその通りである。妄想も最初に抱いたものが、自分の感情を一番序実に、そして素直に表している。その思いがあればこその日記なのである。
日記はあくまでも日記であり、小説ではない。ただ、日記を読み直すと、日記を書いたその時期に自分の意識も持って行くことができることから、本当は何度も読み直したいものなのだろうが、一度しか読み直さないと決めたことは後悔しなかった。
その代わり、それまでにはなかったことだが、以前に読んだ小説を読み直すと、その小説を読んでいた頃の自分に帰ることができるような気がした。それは、
――帰る――
という発想よりも、
――還る――
と言った方がいいかも知れない。単純に時間を遡るだけではなく、その時に至った自分の感覚までもがよみがえってくる。時間が戻るだけではなく、本当にその時の自分に戻ることができるような気がしたのだ。
そんな悟が本を読むよりも、DVDを鑑賞する時間の方が多くなってきた時期があったが、ちょうどその時、悟は自分を縛っていた禁を破ったのだ。
つけていた日記の二度目の読み返しをしてみた。
前は、一日の日記を一日ずつ遡るように、日記の期間ずつ読み返し、極端な話、三年近くかかって、読み返したのだが、今度は、一気に読み返した。
それでも数日は掛かった。一日の終わりをどこで区切ろうかというのも意識しながらだったが、日記を読み返してみると、想像以上に内容を忘れていることにビックリしたものだった。
その理由について考えてみたが、
――書く時の、それだけ集中していたということの証明ではないだろうか――
と感じたことが一番の理由だったように思う。
確かに書いている時のことを思い出すと、書いている時間がどれほど長くとも、その日の分を書き終えると、書き始める時のことがまるでたった今だったように思えてくるからだ。それだけ、日記を書いている時の自分が、別世界に入りこんでしまったかのように感じるほど集中していたのだろう。
――ひょっとすると、本当に別世界にいたのかも知れない――
と、思うほどだった。
別世界を感じていると、筆が進んでくる。悟はその頃にはすでにパソコンは持っていたが、日記だけは手で書いていた。最初はパソコンで書こうかとも思ったが、より妄想を高めるのは手書きが一番だとその時に感じた。
――今だったら、絶対にそんなことは思わないのに、どうしてあの時は手書きが一番だなんて思ったのだろう?
自分でも不思議だったが、その思いが別世界を感じさせた一番の理由だったように思えてならなかった。
日記を止める数日前までは、自分が日記を止めるなど、想像もしていなかった。止めてしまった理由はたった一つなのだが、それは、
――妄想できなくなった――
という、至極単純な理由だった。
妄想できないのだから、書けるはずもない。
もちろん、いずれは止める時が来ることは分かっていたし、妄想できなくなるからだというのも分かっていたつもりだったが、本当にそんな時が来てしまうと、
――本当だったんだ――
と、驚いている自分にビックリしていた。
――書き始めて、三年が経っていたんだな――
その期間が短かったのか長かったのか、すぐには分からない気がした。もし分かる時がくるとすれば、もう一度、日記を読み直そうと思った時なのだろう。
そして、いきなり訪れた日記を読み直そうという気持ちが湧き上がってきた時、三年を長かったのか短かったのかという結論を下す時だという思いも一緒によみがえってきた。やはり日記を読み返そうと思った時点で、気持ちは日記を書くのを止めたあの時に戻っているようだ。
日記を書き始めた時のヒロインである彼女は、いつも一人だった。一人で本を読んでいるのを見て、哀愁を感じていたが、最初はそれを、
――彼氏も友達もいないので、本を読むことで寂しさを紛らわせている。だから哀愁を感じさせるのかも知れないな――
と思っていた。
その思いがあったからこそ、
――話しかけてみたい――
と思いながらも、話しかける勇気を持てなかった。
最初はなぜ勇気が持てないのか不思議だったが、
――本当に寂しさからの哀愁だとすれば、最初に何と話しかければいいんだ――
と感じていたからだ。つまりは、最初の一言さえうまくいけば、後はスムーズなはずだった。逆に言えば、最初で滑ってしまえば、取り返しがつかないことでもあった。それが分かっているのだから、迂闊に話しかけられるはずもないというものだ。
悟は、日記を読み返して最初に感じたのは、
――本当に彼女は、まわりに誰もいなくて寂しいと思っていたのだろうか?
ということだった。
結局、本人に話しかけることはできなかった。日記を書き始めたのも、その一つの理由と言っていいだろう。勝手の頭の中で暴走し、妄想を重ねていったのだから、どの面下げて、彼女に話しかければいいというのだろう。
いや、妄想が膨れ上がったことで、本当の彼女を悟る自信を身失っていた。しかも、妄想の先でしか彼女を見ることができなくなってしまったことで、彼女を見る目はすでに自分ではなくなってしまっていたのだ。
二度の日記を読み返すようになった時、悟は読書への興味が薄れてきた。
読書への興味が薄れてきたから日記を読み返す気分になったのか、それとも日記を読み返してしまったことで、読書への興味が薄れてきたのか、どちらなのか分からなかった。しかし、
――最初に日記を読み返すのは一度だけ――
という自分の中に禁を作ったのも、考えてみれば、的を得ていたことになる。その時に禁を破ることで読書への興味が薄れてしまうことを予感していたというのだろうか? もしそうだとすれば、かなりの先見の明なのだろうが、それよりも、
――読書に飽きてきた――
というストレートな考えの方が、よほどの的を得ているように思える。
読書というのは、かなりの体力を消耗するものだということに気が付いたのは、読書をしなくなってからのことだった。一度興味が薄れてしまうと、すぐにでも止めてしまう理由がそこにあったのだとすれば、自分を納得させるには十分だった。
急に読書に興味が湧かなくなってしまったことに後味の悪さを感じていたが、それは自分を納得させられなかったからだ。
日記を読み直していると、想像以上に妄想がリアルだったことに驚かせる。
――これじゃあ、小説も顔負けじゃないか――
と思ったが、それも自分が書いたものだという贔屓目も多分にあったからなのかも知れない。
贔屓目ではなくても、読み込んでいくうちに、日記の中の主人公である彼女と、本当に話をしている気がしていた。情景が浮かんでくるのはもちろんのこと、セリフの裏に隠された彼女の気持ちすら、手に取るように分かる気がしていたのだ。
一度目を読み直してからというもの、数年間も読み返していなかった。自分の中で妄想として別世界で書いていた内容のはずなのに、もちろん、すぐには思い出せたわけではないが、いきなりすべてが思い出されたような瞬間が訪れたのだ。しかも驚いたことに、思い出せる瞬間を、以前から想像していたような気がした。まったく予想もしていなかったことが起こったはずなのに、実におかしな感覚だ。
――そういえば、俺の人生にはいきなりということが結構多かったような気がするな――
離婚の時もいきなりだったが、それ以前、学生時代には特に、「いきなり」というのが多かった。
友達と喧嘩していても、いきなり相手が謝ってくることもあったし、それまで同じことをしていても何もなかったのに、急に怒られるようになったこともあったりした。
「どうして、急に怒り出したの?」
と聞くと、
「何でもいいじゃないの。あなたは悪いことをしているんだから」
と、理由に対しては曖昧だった。
相手に言わせれば、
「今まで怒らなかったんだから、ありがたく思いなさいよ」
ということなのだろうが、それを言ってしまうと、態度の一貫性のなさを自ら認めてしまうことになるので、言えないのだろう。言えないのだから、曖昧な返答に留めるために、不本意でも、相手に押し付ける後発的な言い分にしかならない。相手も苦肉の策だったに違いない。
それが親だから、始末が悪い。他の人なら、黙って聞き逃せばいいのだろうが、相手が親では、下手に逆らうこともできないし、従ってしまっては、曖昧な優柔不断さを認めることになり、今後も同じようなことが起これば、同じ方法で押し切られてしまう。つまりは既成事実を作ってしまうことになるのだ。
それでも、逆らうことができないのは、相手が親だという絶対的な立場を感じたからだった。親に対して絶対的な立場を感じてしまうのは、それだけ悟が、自分の最初に感じたことに逆らうことができない性格であることを示しているからなのかも知れない。
それなのに、時々最初に感じたことを絶対だと思いながらも、考えを変えることがある。それは、呪縛から解き放たれる時で、呪縛を解き放つカギは、
――「いきなり」ということが自分に襲ってくるからだ――
「いきなり」があることで、絶対的な最初に感じた考えを覆すことができる。逆に「いきなり」が起こった時には、最初に感じた絶対的な何かの感情を解き放つことができるチャンスなのだ。
悟が本を読むのを止めたのも、その「いきなり」が影響していたのかも知れない。ただ、その「いきなり」の正体を悟は知らない。悟の身に、一体どんな「いきなり」があったというのだろう?
悟は本を読むのを止めたきっかけの一つに、日記を読み直すということがあったのは分かっていたつもりだった。
日記を一気に読み直してみると、前に読み直した時に感じた思いとは、結構かけ離れていることを感じ、驚かされた。ただ、以前に読み直した時のことがよみがえってきたわけでもない。日記を読み直している間は、自分の中で、最初に書いた時と同じような別世界を頭の中に抱いていたことは分かっていたからだ。
日記を読み直していると、
――おや?
と感じたことがあった。
半分くらい読み直した時に感じたことで、それがどこから来るものなのか分からなかった。もし、その時に違和感を感じなければ、本を読むことを止めなかったかも知れないと思えるほどの違和感だった。
――もう一人の自分がいるような気がする――
それは第三者の立場から見るもう一人の自分で、その思いを感じるのは、実はその時が初めてではなかった。二回目とかいうレベルではなく、何度も何度も感じたことに思えてくるのだった。
もう一人の自分はあくまでも客観的な目しか持っていない。
――待てよ――
そこまで思うと、今までに何度も感じたことのある感覚に似ていることに気が付いた。そこまで気が付いてくると、その正体が何なのか、すぐに分かった。分かったからこそ、その目が客観的であることを、間接的に証明できたような気がしたのだ。
――まるで夢の世界だ――
夢の世界では何度も、
――もう一人の自分――
という存在を意識している。もう一人の自分の存在は、あらゆるところで出現し、その時に感じた疑問の解決に対して不可欠な存在であることをさし示していた。
日記を読んでいるうちに、喫茶店で気になっていた女性のことを思い出してきた。元々人の顔を覚えるのが苦手な悟は、一回だけしか見たことのない人は、かなり話しこんでいたとしても、数日経つと、顔を忘れてしまっている。
話しこむということは、人の顔を覚えることではなく、相手と会話をすることに集中しなければできないことだ。一つのことに集中すると、他のことがついつい疎かになってしまう悟としては、当然のことだった。
喫茶店では何度も顔を見ていたはずなのに、思い出そうとすると思い出せないのは、いつも横顔しか見ていなかったからだろう。
しかし、日記を読み返すと、横顔であっても、思い出すことができる。やはり昔見たことは、その時代に意識が戻って見てしまうのだろう。それが先に昔に戻るのか、顔を思い出したことで昔に記憶が戻るのか、最初は、
――前者であって当然だ――
と思っていたが、最近ではどうもそうではないような気がしてきた。
――過去の記憶なんて、自分が忘れてしまうものだと思うから覚えていないように感じているだけで、本当は覚えているのかも知れない――
と思うようになった。
その理由は、もう一人の自分の存在を意識しているからではないだろうか。もう一人の自分というのは、今ここでこうやって考えている自分とは正反対のものであり、だからこそ、よほどのことがない限り、もう一人の自分を意識することはない。
――もう一人の自分の存在を知らずに死んでいく人もかなりいることだろう――
と思ったが、若い頃の、頭が柔軟な時期にもう一人の自分の存在を意識していないと、頭が固くなってからは、その存在を意識できる機会に恵まれたとしても、固くなった頭がその存在を認めようとしない。自分が納得できなければ信じられないという感覚は、年を重ねるほど序実に感じるようになるのだ。
喫茶店で気になっていた女性とは、結局話をすることはなかった。今から思えば、最後の方は、彼女の方も痺れを切らせていたのかも知れない。もちろん、悟が話しかけてきそうで来ない素振りには気付いていたのだろう。それを悟は彼女が気付いていないと思いこんでいたので、余計に話しかけにくかった。中途半端に気を遣っていたのだが、中途半端な気を回すということが、却って相手に余計な気遣いをさせてしまうことに、気付いていなかった。
彼女にしても、いつまで経っても話しかけてこない相手二そうは気を遣ってもいられない。最初は気にされて嬉しくない女性などいるはずもないという御多分に漏れることもなく、彼女も早く話しかけてほしいと思っていたはずだ。
いや、本当に最初は、話し掛けられるか掛けられないかという微妙なタイミングを楽しんでいたのかも知れないが、なかなか話しかけてこない相手に対し、
――この人は純情なんだわ――
と、子供を癒すような気持ちで見ていたのだろう。彼を意識しながら、なかなか話しかけてこないという二人以外のまわりにピリピリした空気を与えて、中には、
「俺は、男性はそのまま声を掛けずに終わる方に賭ける」
などと、賭け事の対象にしていた人もいたに違いない。
もちろん、当事者である二人はそんなことを知るはずもない。もし、彼女が知っていたとしても、そんなことを口にするはずもないし、きっとそれでも気付かない悟に対して、業を煮やしていたはずである。
そんな彼女が急に来なくなった。
最初は焦っていた悟だったが、一か月も経てば、急速に気持ちが冷めてきたのが分かっていた。
――俺が彼女のことで気持ちが冷めるわけはない――
と思い、ショックが半年でも一年でも続いてしまうのではないかと思ったほどだった。
高校時代にプラトニックな恋愛をしたことがあり、その時、悟はフラれることになったのだが、悟は本当に一年間苦しんだ。今から思えば子供じみた思いだったのだが、その時真剣だった気持ちは忘れていない。本当なら滑稽で笑えてくるのだろうが、自分で笑うなどできっこない。もし、他の人がそれを知るときっと笑うに決まっているが、そんな連中も許すことはできない。要するに、その時の自分を笑うことができるのは、誰もいないということだった。
そんな悟が、いきなり五十歳になってから、その時の彼女を思い出すようになった。
最初のきっかけは、もちろん日記を読み返したからだろう。だが、それもとどのつまりが、
――彼女のことを思い出すことが分かっていたので、日記を読み返すことになったのではないだろうか?
と感じたのだ。
読み返した日記の中で、一つ共通して思い出したことがあることに、すぐには気付かなかった。
――彼女が見せていた笑顔には、それ以前に知っている人の顔だったような気がする――
ということだった。
最初は、元嫁ではなかったかと思ったが、すぐに打ち消した。彼女の笑顔を思い出すたびに、元嫁の笑顔も思い出していたが、その笑顔の幼さに、今ではわざとらしさが感じられた。
わざとらしさというよりも、相手に媚を売っている笑顔だと言った方が正解かも知れない。それまでは、まっすぐに向けられた顔に、他意のないあどけなさを感じたことで、何ら疑う余地もなかったが、いざ離婚してしまって後から思い出すのは、冷徹なイメージだけだった。
冷徹というよりも、人間の血が通っていないようなイメージだ。そこには相手に対しての思いやりもない。あどけなかったあの頃を彷彿させるものは、もうどこにも残っていなかったのだ。
そんな元嫁の結婚前と結婚後の両極端さは、今でも悟の気持ちを混乱させている。離婚した後、
――もう、結婚なんかしたくない――
というところまで感じたことで、それ以降の人生で、極端な思い入れをしなくなったのがその頃だったのを思い出させる。結婚だけが確かに幸せではないのだが、離婚するまでは、そんなことを考えたこともなかった。
だから、今では結婚していた時期のことは、別世界のような感覚だった。
――俺には、いくつ別世界が存在するんだ?
という思いがある。
もちろん、離婚してから意識した女性がいなかったわけではない。
――この人となら、やり直せるかも知れない――
と感じた人がいたのも事実で、実際に軽く付き合ったこともあった。本人だけが付き合ったと思えるような軽い付き合いで、まわりから見ていると、二人が付き合っているということを察知できている人はいないだろう。
――では一体誰だったのか?
それは、ずっと忘れていたが、本当はもっと前に思い出すべき人だったのだ。それは別れた元嫁と知り合う前に付き合ったことのある女性で、結婚に対して意識が強かったと思えるごくわずかな時間を過ごしている時のことだった。悟自身にはそれほど強い意識はなかったが、彼女にはかなりの結婚願望があった。悟に対して必要以上に感情を剥き出しにしていたのは、彼女がその時のそんな気持ちを抱いている悟のことを、笑顔ではいても、自分の中で納得いかずに、我慢できない存在の一人であったからだ。
つまりは、悟は彼女から逃げていたことになる。
もちろん、悟はそんなことを認めたくはないが、認めなければ、彼女の存在を自分の中で納得させることができない。彼女の存在を納得させられないと、今の自分も納得できない気がするからだ。
――やっぱり、俺は逃げていたんだ――
そう自分を納得させることができるようになったのは、離婚してから後だというのも皮肉なことだ。悟にとって、離婚したことよりも、彼女のことで自分を納得させることの方がきつかった。
それは、辛かったというのとは少し違っている。
彼女とは結果的に、向こうから別れを切り出したことになっている。煮え切らない悟に業を煮やし、
「あなたのようにハッキリしない男性とは付き合っていけないわ」
と、愛想をつかされたのだ。
男性としては情けない別れ方だが、自分から別れを切り出すよりも、ずっと気が楽だった。それまでも、自分から付き合っていた女性に別れを切り出したことはない。すべて相手からだった。いや、自分から別れを切り出すなど、後にも先にもなかったことだ。
最初は別れを切り出される方が辛いと思っていたが、実際には逆だった。それは、自分が初めて女性から逃げていることを意識しながらでも、自分が煮え切らずに、結果的に相手から別れを切り出させることになったからだ。今までの中で一番辛い別れになったが、それも今では、高校時代のプラトニックな恋愛と並んで、一つの思い出として、頭の中に残っているだけだった。
今までの恋愛にランクをつけるつもりはサラサラなかったが、五十歳になった今は、恋愛にランクをつけてみたいと感じている。
――もうこんな年になったしな――
恋愛に年齢は関係ないと思ってはいるが、そろそろ恋愛を卒業する年齢だと思っていた。本人の中で、とっくに恋愛を卒業したと思っていても、人を好きになることもあった。
――何度目の恋愛卒業の機会になるんだろうか?
今までに何度も感じた恋愛卒業の感覚、人を好きになることが億劫になりかかったこの時期なら、できるかも知れないと思っている。
しかし、逆にそんな今だからこそ、
――誰かを好きになるのを新鮮に感じることができるかも知れない――
と感じた。
四十歳も後半を過ぎると、本を読むだけではなく、また映像に興味が出てきた。恋愛を卒業できたと思いながらも、そのうちに誰かまた好きになってしまった時のことを考え、映画やドラマでの恋愛シーンを自分と重ねてみることで、また恋愛に走ってしまいそうな自分を諫めることができるような気がしたからだった。
なるべく映像化されたものを本で読んだり、逆に本で読んだものを映像としてみないようにしていた。それぞれでイメージしたものが、違った形で表現されるように感じてしまうからで、先に感じた方がウソのように思えてしまうことが、嫌でたまらなかった。
もし、後に感じた方がウソのように思えるのであれば、そこまで嫌な気はしなかったが、どうしても最初に感じた方がイメージとして強く残っているので、その思いをウソのように感じたくなかったのだ。
特に先に本を読んでから映像を見ると、完全に映像の方が見劣りしてしまう。
――それだけ人間の想像力というのは素晴らしいものだ――
と感じていた。
つまりは、映像で見るよりも想像の方がいいということを示している。しかも、後から見た映像の方が印象深いはずなのに、最初のイメージが残っているということは、それだけ想像力が映像で創作されたものよりも強いということだ。
元々は、映画化されたものは、映像を見るよりも、本を読んでいる方が絶対に面白いと思っていた。確かに想像力という意味では、本に勝ることはできないだろう。しかし、自分が演じてほしいと思っている俳優に演じられた時の映像は、本で想像するよりも、数段素晴らしい。完全に自分のイメージに嵌ったというところであろう。なかなかそういう映画には巡り合えないが、一度頭の中でドンピシャのイメージが浮かんでしまうと、今まで本を読む方が多かったものが、一気に映像へと傾斜していく自分を感じていた。
あれは四十七歳になった頃のことだっただろうか。部屋にいて、本を読む時間とDVDを見る時間とが、ほぼ同じくらいになった頃だった。それまで本ばかり読んでいたので意識していなかったが、自分の部屋がかなり殺風景であることに気が付いた。
同じ照明なのに、本を読んでいた頃の方が明るかった気がした。本の面に当たって目に入ってくる明かりの方が、漠然として部屋の中を見渡すよりも、かなり明るく感じるからだった。
だが、それよりも映像を写した時に感じた部屋の暗さが印象的だったのは、まるで映画館で予告編が流れている時のような中途半端な明るさに思えたからだ。もっと暗くすれば、まるで映画館でスクリーンを見ているような醍醐味を感じることができるが、逆に醍醐味というのは、大きなスクリーンだからこそ感じられるもので、限られた狭い自分の部屋で感じられるものではないからだ。
部屋の明るさもさることながら、映像を見ていると、浮かび上がってくる影を感じることができた。それはテレビ画面の中にある影ではなく、テレビの外の影だった。ちょっとした置物が壁に写し出されて大きく感じられることがあるが、まさにその光景だった。
――幽霊が見えているようだ――
と感じたとすれば、余計部屋の中をシーンとした静寂の中に置くわけにはいかなかったのだ。
あれは何という映画だったのだろう?
今までにも見たことがある女優だったはずなのだが、それまでは、あまり意識したことがなかった。
今までは、確かエキストラの演技ばかりだったが、その中でも意識してしまう存在だった。そうでもなければ、今度の映画でちゃんとした役を貰えたのが最初だったとしても、
――以前にも見たことがあったような――
という意識は持てなかったはずだ。
彼女の今回の役は、ナースだった。悟はコスプレには少し興味を持っていて、セーラー服やナース、ミニスカポリスなどは意識してしまう。
だからと言って、オタクだったわけではない。映像で見てドキドキするくらいのものだった。その思いは思春期の頃が一番強く、それまで付き合っていた女の子に飽きてしまったことがあったが、それは彼女を見ていて、コスプレにふさわしくないと感じたからだった。
実際にコスプレに走ることはなかったが、女性を見る目が、どうしてもコスプレを意識させるものであり、いかにもコスプレには似合いそうもない女性に対しては、最初から意識しないようになっていた。
「こんなに似合うとは思わなかったな」
ちょうど一週間前に健康診断があり、会社の近くの病院で検診を受けた。最近は病院に行くような病気をしたこともなく、病院というと一年に一度の健康診断だけだったので、久しぶりの病院だったはずなのに、まるで数日前にも来たような気がしてしまうほどであった。
――病院に来ると、どこも悪くなくても、悪いところがあるような気がしてくるみたいだ――
と思っていた。
もちろん、本当に病気になるようなことはないが、熱っぽかったり、身体のダルさがまるで風邪を引いた時のような感覚だった。
風邪というと、身体が敏感になり、震えや寒気を感じさせる。感じた寒気が指先を痺れさせたりすることもあるが、そこまで来るとさすがに病院に行く。
「風邪ですね」
診断はほぼ風邪と言われるだけだ。風邪と言われてホッとする自分を感じるのは、きっと年を取ってしまったからだろう。若い頃のように単純に信じられないのは、三十歳後半で、風邪をこじらせて、肺炎になったことがあったからだ。
最初はそれほどのことはなかった。少し寒気がする程度で、いつものように、
――ただの風邪なんだろうな――
と思っていたが、一気に悪くはならないわりに、快方にも向かわない。
もう一度病院に行くと、
「それでは、精密検査をしてみましょう」
と言われた。精密検査が終わってから診察室に呼ばれると、
「どうやら、肺炎をこじらしているようですね。少し入院して、点滴治療しましょう」
と言われ、二日間ほど、ずっと点滴を打たれていた。
病室で寝ていると、見えてくるのは天井だけで、天井から目を逸らすと、点滴のビンに自然と目が行く。下から見ていると見えてくる部分はいつまで経っても、液が減ってこないような錯覚に陥る。
時間的には一本に大体二時間が掛かるというが、一時間経っても、ほとんど減っていないのを感じると、時間の感覚がマヒしていることを感じた。
――なるべく、点滴のビンから目を逸らしていよう――
と思うと、見えてくるのは必然的に天井だけだった。
――天井が落ちてくるかも知れない――
そんなバカなことがあるはずもないのに、そんなことを考えるのは、何かに不安を感じているからではないかと思った。
そういえば、完全に体調が悪かったわけでもないのに、なかなか治らない膠着状態にあった時、何を感じたかというと、
――何かがおかしい――
と思いながらも、ハッキリとした病状が現れるわけではなく、不安だけを煽られる状態になったからだった。
落ちてくると思っている天井を見つめていると、次第に天井が遠くなってくるのを感じた。指先を動かそうとしたが、まるで二の腕から先が別の生き物のように、動かすことができても、自分で動かしているという意識はなかった。
「痛くないですか?」
そう言って、手首を優しく触ってくれたナースが、次の瞬間には、点滴のビンを見つめていて、その表情が一生懸命に思えて、声を掛けられなかった。点滴の調整を終えた彼女は、再度悟を見て、
「痛くないですか?」
と聞いてきた。
「ええ、大丈夫です」
と、答えると、満足そうに微笑むと、その場から去って行った。
悟はその後、急に襲ってきた睡魔に襲われると、気持ちよさに誘われるように、そのまま眠ってしまったようだ。目が覚めると、結構な汗を掻いていて、点滴も終わっていた。腕から針はとっくに抜かれていて、
「はい、終わりましたよ。お疲れ様でした」
と、今度はベテランナースが覆いかぶさるように、悟を覗き込んだ。さっきの控えめな雰囲気のナースに比べていかにも高圧的な態度に少し腹も立っていたが、中途半端な睡眠が影響してか、目覚めはあまり気持ちのいいものではなかった。それでも点滴を打ってもらったという安心感がるからか、頭痛も次第に引いてきた。
頭痛が引いてくるにしたがって、さっきまでのことが次第に記憶から消えていく。さっきの優しいナースの顔も思い出せなくなっていた。
――夢だったんだ――
夢から覚める時、夢の内容を忘れていくのと同じ感覚に、彼女のことが夢であることの信憑性の高さを感じた悟は、
――思い出せないなら、それも仕方ないか――
と、簡単に諦められる自分が不思議だった。
――ここで下手に意識しない方が、後になって思い出せそうな気がする――
と、自分の中で勝手な「オカルト」を作っていた。
記憶がなくなってくるにしたがって、逆に忘れないような気がした。その理由は、さっきの控えめなナースのイメージが、頭の中から消えないからだと思った。何かを言いたそうにしていたと感じたのは、気のせいなのかも知れないが、一緒に感じた天井が落ちてくるかも知れないというイメージが、一緒に頭の中にこびりついているからだった。
その時の思いがよみがえってきたのが、DVDに出ている女優を見た時だった。
――彼女とはどこかで一緒だったような気がする――
と感じたからで、以前に付き合った女性の中にいないタイプだった。付き合った中にいないタイプだったからこそ、余計に意識したのかも知れない。新鮮さという意味もあったが、それよりも、映像を見ていて、まるで自分が看護されているような錯覚に陥るほど、親近感が湧いたからだった。
ストーリーは、主人公である彼女は、役名は如月充希といい、ナースになって三年目だった。ナースになりたての頃のように、仕事に燃えることがなくなっていた。もちろん、看護に手を抜いているわけではないが、どこか物足りないものがあった。それがやりがいであることに気が付いたのは、病院内で気になる男性が現れてからだった。
その男性は、医者ではなく、薬剤師だった。近すぎる関係ではなく、距離が微妙であることで、新鮮な気持ちにさせたのか、次第に彼女は薬剤師の男性を意識していく。
男性は名前を柏木俊哉といい、充希より年上だったが、病院の在籍歴は充希の方が長かった。それでも、充希は俊哉のことを兄のように慕っていて、頼りにしていた。俊哉の方も悪い気はしておらず、まわりから見れば、
――仲睦まじい二人――
だったのだ。
俊哉は誰に対しても分け隔てのない性格で、人間性を表していた。どんなことも平均的にこなす、上司からすれば、
――使い勝手のある部下――
ということになるだろう。
ただ、それが器用貧乏になるということを俊哉には分らなかった。
さらには俊哉の性格として、勘が鈍いというのか、まわりから見ていて気を遣っている様子が伺えないことから、誤解を受けやすいタイプであった。
人から誤解を受けやすいことを俊哉は気づかなかった。気づいていても、どうすることもできないのだろうが、そんな俊哉に対して、
――捨てる神あれば拾う神あり――
まさしく、充希は、
――拾う神――
だったのだ。
充希は、まわりのナースそつなく接しているようだったが、実際には孤独を感じていた。いつも寂しさが充希の中でくすぶっていたのだが、そのことを誰も気づいていない。ただ一人気づいた人がいたとすれば、普段は勘が鈍いと思われていた俊哉だった。
自分でもハッキリと気づかなかった寂しさに気づいてくれたのが、普段から勘が鈍いと目されていた俊哉であることに充希はビックリしていた。もちろん、俊哉の口からストレートに、
「君には寂しさを感じる」
などということを言われたわけではないが、彼の素振りから分かってきたのだ。
――勘が鈍いくせに、人に彼の考えていることをまわりに悟らせる才能が、彼には備わっているんだわ――
さりげなさの中に、自分の意思を表す人がいるという。今までにほとんど出会ったことのない人だったが、出会ってみたいと常々思っていた。それが、案外自分の身近に現れたというのは驚きだったが、彼を感じるうちに、
――これもさりげなさだわ。心地よく感じる――
と思うようになっていた。その思いが彼に対して慕いたいという思いを駆り立てることに次第に気づいていくのだった。
ある日、一つの事件が起こる。彼が調合した薬で、患者の一人の病状が急変したのだ。大事には至らなかったが、彼は責任を取らされることになった。病院を辞めさせられるところだったが、彼の上司の嘆願で、退職の危機だけは免れた。
だが、しばらくの間、彼は茫然自失状態で、仕事にならなかった。
「少しの間、休暇を取ったらどうだ?」
と上司から打診を受け、二週間ほど仕事を休んでいた。ノイローゼになりかかっていたようで、まわりからは、
「あそこまで撃たれ弱いとは思わなかった」
と噂されていた。
だが、充希としては、
――彼のような立場になれば、誰だって大なり小なり、ノイローゼになるわよ。撃たれ弱いなんて言っている人は、彼のような立場に陥ったことのない人たちなんだわ――
と感じていた。
彼から癒されたと思っている充希は、俊哉への恩返しのつもりで、彼が帰ってきてから、必死で慰めようと思っていた。
しかし、帰ってきてからの俊哉は人が変わったようになっていた。顔色は心なしか青白く、休暇前の彼とは別人のようだった。何かを思い詰めている様子だけしか見ていないとすれば、彼のどこが変わったのか分からないかも知れない。
――まるで能面のようだわ――
と感じた充希は、うかつに彼に話しかけられないと思うのだった。
しかし、仕事上での彼は、完璧主義になっていた。元々神経質なところがあったが、それほど目立たなかったのは、勘が鈍いところがあったからだ。最初は上司も、
「一皮剥けたかな?」
と、一目を置いていたが、次第に完璧主義がまわりに対してあまりいい影響を及ぼさないことに気づくと、複雑な思いに至っていた。
充希も戸惑っていた。しかし、こんな時こそ、自分がしっかりしなければと思うようになり、まずは自分を顧みることから始めるようになっていた。
ここまでが、ストーリーの前半だった。充希と俊哉の感情は、まわりから見れば恋愛関係なのだろうが、そのことに気づいている人はいない。しかし、二人だけを見つめていると、恋愛とは少し違っていた。そのことに気づいている人はいないわけではなかったが、その人が感じることとして、
――何とも皮肉なことだ――
と思うようになった。それが後半で登場してくる入院患者である坂上史郎という青年だった。彼は、薬の事故が起きる前からの入院患者で、入院生活としてはまだ二か月だったが、ここ数年入退院を繰り返していて、
――彼は治らないもの――
として、まわりも覚悟しての治療だった。
もちろん、本人に告知などしているはずもない。誰もが彼は治るものだということで対応していた。
しかし、ふとしたことから、充希は史郎に自分が不治の病であることを悟られてしまう。充希自身、彼に悟られていることを意識できないでいた。他の人には、
「如月さんの態度から、彼に分かってしまったんだわ」
と分かっているのに、知らぬは本人ばかりなりであった。
そんな充希に追い打ちを掛けるのが、俊哉の存在だった。
充希がなぜそんな初歩的なミスを犯したのか、誰にも分かるはずもない。充希自身が分かっていないのだから、他の人に分かるはずもない。ただ、充希の中では、
――何か余計なことを考えていたんだわ――
と思うようになっていた。
充希は、いつも何かを考えていることが多く、そのたびに集中力の低下を招くことがあった。そのため、仕事中には余計なことを考えないようにしていたはずなのに、どうして史郎に対しての時だけ、余計なことを考えてしまったというのだろう?
余計なことを考えてしまったという思いに駆られてしまったことが、今後の史郎に対しての自分の態度にどんな影響を与えるかということは、その時には分らなかった。いや、この時からすでに充希は史郎に対してのあらゆることで後手に回ってしまうことに気づいていなかったのだ。後手に回われば回るほど、頭の中が空回りしてしまい、どうしていいのか分からなくなってしまうのだった。
そんな充希のことなど、誰もかまってはくれない。自分のことは自分で解決できないと誰もが自分のことだけで精一杯だった。充希もそれくらいのことは分かっているつもりだった。しかし、そんな充希の気持ちを分かる人がいた。他ならぬ俊哉だった。彼は充希の頭が混乱していることも、混乱がまとまらないとロクなことを考えないということも分かっていた。
ビデオを見ていると、テロップが流れてきた。内容は、充希と俊哉はその後病院を辞め、行方不明になったという。史郎がどうなったのかということも、ビデオの中では一切明かされていない。明らかに中途半端な終わり方だった。
いか様にもストーリーの展開を判断できるが、どうにも見ていて煮え切らない思いが残り、消化不良は否めなかった。
――こんなビデオ見なければよかったな――
と、その日は見たことを損したと思いながら、ふてくされた気分え眠りに着いた。翌朝目を覚ませば、前の日に感じた消化不良は消えているはずだったのに、あまり目覚めはいいものではなく、その理由が昨夜の消化不良にあることを、すぐには分からなかった。
ただ、その日の目覚めは普段と違っていて、何か複雑な思いが絡み合っているかのように思えてきたのだ。
――消化不良だけではなく、何かワクワクしたものを感じる――
それが、出会いに対してのワクワクした気分であることに、その時はまだ気づいていなかった悟だった……。
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