魂の記憶

森本 晃次

第1話 捨てられない

 世の中には、整理整頓がなかなかうまくできずに悩んでいる人も多い。整理整頓のできない人は、

――なぜ、整理整頓ができないのか?

 ということを自覚していないだろう。

 自覚しようという気持ちはあっても、その理由が様々考えられることで、どれが真相に一番近いのかということに辿り着くには、かなりの時間と労力が必要であろう。そんな苦労を重ねてまで理由を探ろうとは思わない。そこまで思えるくらいなら、子供の頃に、もう少し考えていたことだろう。

――整理整頓ができない理由は、意外と想像を遥かに超える何かが存在しているからなのかも知れない――

 そう思うことで必要以上の苦労をすることを否定する理由にしていたのだ。

 坂本由紀子は、整理整頓ができない。だが、悩んでいたのは、整理整頓ができないということよりも、その理由に対しての方が強いのだ。

――私は、モノが捨てられない――

 という理由だった。

 モノが捨てられないから、必要なものであっても、不要なものであっても、たまってしまうのだ。

「分別がつかないことが、整理整頓できないということで、その結果、モノが捨てられないという理屈も成り立つのだから、整理整頓ができない理由に、モノを捨てられないという理屈を持ってくるのは、おかしいのではないか?」

 と考えることもできる。

「それこそ、頭の中が整理できていない証拠だ」

 とも言えることで、整理整頓できない人の理由に、

――モノを捨てられない――

 と思っている人は多いことだろう。それ以外の理由がある人には、整理整頓ができないことと、その理由の因果関係を結びつけることが難しいのかも知れない。

 今年、短大を卒業し、商社のOLとなった由紀子は、モノを捨てられないという意識をなるべく持たないようにしようと思っていた。過剰に意識してしまうと、他の仕事にまで影響すると思ったからで、その認識が功を奏したのか、上司からの評価も悪いものではなかった。

 由紀子は短大時代からなぜか男性にモテた。理由についてあまり考えたことはなかったが、付き合っている人と別れることになっても、すぐに違う人から求愛されて、また新しい彼氏ができていた。

「由紀子は、いつも違う彼氏を連れている」

 という目で見られることで、

「男を手玉に取っている」

 と思われていたのだが、実際はその逆だった。

 由紀子の方から男性を振ることはなく、主導縁は絶えず男性側にあった。男性としては扱いやすい女性であるはずなのに、急に男性の方から別れを切り出されるのが、今までのパターンだった。

――どうしてなのかしら?

 急に襲ってくるものだから、予想はしていたはずなのに、疑問に感じることはいつも同じだった。

――一度、自分の方から男性を振ってみたい――

 などというう発想は生まれてこない。

――そんなもったいないこと、できるはずがない――

 と思っているからだ。いつも控えめで、一歩下がったところから男性を見ているはずなのに、どこが不満なのか分からない。

「どうして別れなければいけないの?」

 と、自分を振った男性に聞いても、相手はハッキリと答えてくれない。皆、どこか漠然としたところで、由紀子に対して不満が募っていたのかも知れない。

――あんまりたくさんありすぎるのかしら?

 と感じたが、最初に疑問に感じたことが枝葉をつけて広がっていったという発想も生まれてきた。その証拠に、相手が別れを感じ始めた時期を、別れを告げられて振り返った時に感じることができるからだ。本当はもっと前に気づいていたら、別れを止められたわけではないが、少なくとも同じパターンを繰り返すことはないだろうと感じていた。

 だが、それよりも不思議なことは、付き合っていた男性と別れてからすぐに、いつも他の男性が告白してくる。まるで別れるのを待っていたかのようだが、男性はそんなに簡単に、失恋した相手に告白などできるものなのだろうか?

――少なくとも、私が男性の立場なら、そんなことはできない――

 と感じるに違いなかった。

 由紀子に言い寄ってくる男性は、本当は由紀子の好みのタイプの男性ではない。どちらかというと、敬遠したいと思っている相手なのだが、

――せっかく勇気をもって告白してくれたんだから、失礼なことはできない――

 と戸惑いながら、告白してきた男性に対し受け答えをしていたが、それが相手には、謙虚な姿勢に見えたのだろう。いつも相手は喜んでいた。

 しかし実際には、相手のことをそれほど好きになっているわけではなく、戸惑いは、

――好きな相手に告白されたわけではなく、複雑な心境だ――

 と思ったことからのリアクションだった。

 喜んでいるわけではないのに、相手からは謙虚な姿勢だと思われて、余計に相手に好感を与えてしまった。好きな人に与える好感ならいいのだが、そうでないのだから、相手の勘違いに油を注ぐようなものだ。

 お付き合いもぎこちないものだった。それでも一生懸命に尽くしてくれようとしている相手に対し、次第に心を開いてくる。遅ればせながら、相手の誠意を感じることができるようになると、

――だんだん、この人のことを好きになれるような気がするわ――

 と感じてくる。

 そうなると、女性独特の本能からか、相手をいとおしく感じられるようになってくる。この思いが、相手に対して自分が心を開いたことになり、やっと、二人は恋愛のスタートラインに立つことができるようになったのだ。

 しかし、やっと由紀子が彼に追いついたかと思うと、今度は男性の方が冷めてくる。

 いきなりの別れ話は青天の霹靂で、

「えっ、どうしてなの?」

 という言葉しか出てこない。

 相手が先に梯子を使って屋上に昇り、

「上がっておいで」

 と、優しく手を差し伸べてくれて、戸惑いながらも、彼と同じ屋上に立つことができたと満足していると、いつの間にか相手は下に降りていて、梯子も外され、別れを告げられる。

 最初、上から見下ろしてくれた彼の優しそうな顔が、下から見上げる時は、笑みを浮かべてはいるが、その表情に優しさは感じられない。どこか戸惑いのあるような表情なのだが、一番感じられるのは、

――何を考えているのか分からない――

 という思いだった。

 その思いが一番怖いのだと気が付いた時、今と同じような表情を、告白されてすぐの由紀子はしていたのかも知れないと感じた。相手が好きでいてくれたから、相手に恐怖を直で与えることはなかったのだろうが、しばらくの間同じような表情をしていると、さすがに相手には、恐怖の二文字が蓄積されていたのだろう。

 由紀子が相手に気持ちが追いついたタイミングで、ちょうど相手に蓄積した恐怖が表に出てきたのかも知れない。タイミングの問題なのか、それとも、蓄積と由紀子の心境の変化が共存しえないことで生まれた悲劇なのか、ハッキリと分からない。由紀子が当事者である以上、由紀子にはずっと分からないものなのかも知れない。

――こういうのも失恋っていうのかしら?

 ショックではあるが、それは急に別れが襲ってきたことで、精神状態を整理することができないことでの失恋なので、さほど気持ちの上で立ち直りに時間がかかるとは思えない。しかもパターンが毎回同じだということで、ショックを和らげるすべも身についてくるというものだ。ショックがそこまで深くないのは、すぐに新しい男性が現れるからではなく、同じことを繰り返していることにある。それはそれで感慨深いものがあるが、今のパターンを崩す気持ちになるほど、由紀子には勇気を持つことができなかったのだ。

 由紀子は、男性に対してあまり深く考えていたわけではない。恋愛というのは、軽い気持ちで付き合い始めて、お互いにどのように精神状態が変わってくるかということは、実際に付き合ってみないと分からないと思っていた。しかし、実際にはそこまで行くことはない。精神状態が変わった時点で、相手から引導を渡されるのだ。そのままショックが続いて、自分なりに何か答えを見つけられればいいのだが、間髪入れずに新しい男性が目の前に現れると、どうしても、その場の雰囲気に流されてしまい、見つけなければいけない答えを見つける環境から遠ざかってしまうのだった。

 あれは、短大の一年生の頃、友達の影響で合コンに頻繁に顔を出していた頃のことだった。

 やたらと由紀子を立てようとする女の子がいて、

――本当に親切な人だわ――

 と、心の底で彼女に礼を言っていたが、その裏には、由紀子を立てることで、自分への関心を持たせたいという思いがあった。

 由紀子に対して何もしなければ、男性の関心は自然と由紀子に向いてしまう。それは由紀子自身が望もうが望むまいが関係ないこと、もし、由紀子の気持ちで状況が左右されるのであれば、対応も変わってくるが、由紀子を見ているだけでは状況は変わらない。

 ならば、由紀子をこちらから操るようにすればいいのではないかと考えた。操るといっても、由紀子に、

――操られている――

 という意識を持たせてしまってはいけない。あくまでも、由紀子を立てているという風に思わせなければいけなかった。

 由紀子がおだてに乗りやすい性格だということは、自他ともに認めるもので、おだてに乗りやすい性格を決して悪いことだとは思っていない由紀子に対して操ろうとするならば、実に扱いやすい性格であろう。

 しかも、操られていると思っていないと、相手が親切で自分のためにしてくれていると思い込み、その思いが自分への愛情だと思うようになる。そうなってしまっては、相手が善意でもない限りは、完全に手玉に取られていることだろう。

 もし相手に善意があったとしても、余計な愛情を抱いてしまうことで、相手に億劫に思われてしまう危険性もある。そう思うと、煩わしいという印象を相手に与えてしまい、余計に自分のことを悪く見せてしまうかも知れない。

「由紀子は、普通の人数合わせとは違うのよ」

 と、由紀子のいないところで、由紀子の話題になった時、そんな意見が出た。

「どういうこと? もっと利用価値があるということ?」

「利用価値というよりも、由紀子がいるだけで、まわりの人が活性化されることがあるように思うの」

「逆じゃないの?」

「そんなことはないわ。由紀子のおだてに乗りやすい性格と、男性から好かれる性格とでは、矛盾しているように見えるんだけど、その両方が同じ時間に共有できている時は、逆に由紀子という存在がその輪の中から消えてしまうことがあるのよ。まるで路傍の石のように目の前にあるのに、ほとんど意識することもないのに流れがよくなるという潤滑油のような役目を果たしていると思っているのよ」

「でも、由紀子を前面に押し出すようなことはできないように思うんだけど?」

「それは確かにその通り」

 由紀子に対して、特別な意識を持っている人もいたが、ほとんどは由紀子のことを、

――目立たない人――

 という印象でしかなかった。

 それなのに、なぜか男性から好かれる彼女を快く思っていない人は少なくない。

 しかも、由紀子はすぐに男性と別れることになっても、また次の男性が現れることに対して、快く思っている人がいるはずもないだろう。ただ、それは由紀子が望んだことでないことを果たしてどれほどの人が気づいてくれているだろう。

 少なくとも、由紀子のことを、

「ただの人数合わせではない」

 と思っている人は気づいているのではないだろうか? 由紀子に対して同情的な目で見ていて、中には、

「自分も由紀子と同じようなところがあるかも知れない」

 と感じた人もいるだろう。

 ただ、それでも男性から好かれるというタイプではないことで、そのことと性格とは別のもので、由紀子にとっては、他の人と違う特徴の一つだと言えるのではないだろうか。

 そんな由紀子にも、友達はいた。本当に友達と言える人は少ないが、由紀子の中で、自分が友達だと思っている人が本当に相手も友達だと思っている人がどれだけいるだろう?

 逆に、由紀子の方では友達だと思っていない人でも、相手の方が由紀子のことを友達だと思っている人もいたりする。

 前者は何人かいるが、後者は一人だけだった。名前は山中頼子といい、一緒に合コンに誘われることの多い女の子だった。

 頼子の方は、由紀子のように、まわりから石ころのような存在に思われているようなことはない。人数合わせというわけではなく、合コンに参加すると、必ずいつも最後には仲が良くなる男性を見つけていた。

 そんな彼女を由紀子の方では、

――その他大勢――

 という認識で見ていた。

 頼子が由紀子を友達として認識するのは、

――由紀子には自分と同じようなところがある――

 という思いがあるからだ。そんなことを頼子が思っているなど、由紀子の方では知る由もない。しかも、頼子が自分と同じところがあるという性格を、由紀子の方では分かっていない。

 要するに、由紀子の方では、頼子に対して何も感じていないということなのだ。

 実は、頼子にも同じような経験が以前にあった。自分が全然意識していないのに、自分のことを意識している人が身近にいたのだ。

 あれは、中学時代のことだっただろうか? 頼子はまったく意識していなかったのに、自分のことをよく分かっている女の子がいた。その女の子は、頼子が分かってくれないという思いを抱いたまま転校していったが、いなくなった途端、急に彼女の夢を見るようになった。しかもその夢はあまりいいものではなかった。

 二人の間に思い出など存在しない。頼子の方が意識していないのだから、それも当然だった。それなのに、夢を見たというのは、思い出ではなく、想像もしていなかった状況だった。

 頼子の目の前で、彼女が男たちから辱めを受けている様子が生々しい映像として湧き上がってきたのだ。見たくもない光景に、目を瞑ろうとしても、目を逸らそうとしても、どちらも敵わなかった。

「夢というのは、見たくない光景ほど生々しく瞼の裏に焼き付いているものなのよ」

 と聞かされたことがあったが、まさしくその通りだった。

 友達は助けを求めているが、急に目の前に広がっていることが夢であることを悟った。

――夢なら、そのうちに覚める――

 という思いであったが、なかなか覚めてくれないことに業を煮やしていると、待ってましたとばかりに、目が覚める。自分の思いが成就できないのが夢だと思っているのに、その時は簡単に成就してしまった。

――目が覚めたのだから夢であることに違いはないが、それならなぜ、思いが簡単に成就したのだろう? ひょっとして目が覚めたと思っていることも、「夢から覚める」という夢を見ていたのかも知れない――

 と感じていた。

 頼子はそんな思いを抱くようになってから、友達がいなくなった。元々、友達がいると思っていたのも、、自分の勘違いだったのだ。しかし、そのことに頼子は気づかない。感が鈍いところがあって、そのことを知らぬは自分ばかりなりだったのだ。

 頼子は、自分の妄想の深さが友達を作れないと思っていた。物事を考える時、あまり深く考えず、状況だけを素直に受け入れていると、肝心なところを見誤ることがある。それでも頼子はそれを自分の実直さだと思い、まわりの人に気を遣うことよりも、自分の実直さに素直になろうと思う方だった。

 そんな頼子に対し、一時期友達が一人もいなくなったが、中にはそんな頼子の性格を好きになった人もいる。本当はそんな相手こそが、一番頼子のことを分かってくれる親友なのだが、頼子の中で、友達にランク付けをするなどという発想はなかった。

 親友というのはランク付けでも何でもないはずであり、ランクを付けることができないから親友だという考えもあるだろう。頼子は中途半端に真面目なところがあり、それがまわりからは、

「打算的だ」

 と思われているようだ。

 今ではそんな頼子の一番の親友だと言える人は、由紀子だった。

 由紀子は頼子のことをあまり深く気にはしていないが、

――どこか気になるところがある――

 と感じていた。

 それが何かは、由紀子が頼子に自分から近づこうとしないので、分かるものではなかった。近づくことで自分の中にある自分が嫌だと思っている性格を、相手に看破されるのが嫌だったのだ。由紀子は本当に気を許すことができる人でなければ、自分のことを分かってほしいとは思っていない。それは、まるで自分の心の中に、土足で入り込まれて、気持ちを踏みにじられる気がしていたからだった。

 人の気持ちを寄せ付けないから、妄想を抱くようになったのか、妄想を抱くことで、人を寄せ付けなくなったのか、どちらにしても、最初、頼子は由紀子を寄せ付けようとはしなかった。

 最初の頃に歩み寄ろうとしたのは、むしろ由紀子の方だった。相手のことが気になったからというよりも、頼子が自分を敬遠しているのを感じたことで、対抗意識を燃やしたというのが本当のところだったが、由紀子が自分のことを気にしているのに、頼子は妄想の世界に入り込んでしまう。だから、余計に由紀子が気になるのだという堂々巡りを繰り返していたが、最初にそのことに気が付いたのは由紀子の方だった。

「バカバカしいわ」

 と思うようになり、頼子に対して抱いた思いをすべて消し去ってしまいたいくらいの感情を持っていた。そんな時の由紀子は本当に自分の気持ちを打ち消すことができるようで、後になってみれば、最初から頼子に興味など持たなかったと思い込むことができるのも由紀子の特徴の一つだった。

――捨てることができずに、整理整頓ができないくせに、なぜ一度持ったはずの興味を、一気に消し去ることができるんだろう?

 と思っていた。

 整理整頓ができないことと、一度持ったものを消し去ることでは、発想の次元が違うのかも知れないという思いを、由紀子は抱くようになっていた。

――相手がモノだったら捨てることができないが、人間だったら、捨てることができるのかも知れない――

 そう考えると、もう一つの仮説が生まれてきた。

――捨てたくなかったり忘れたくないと思っている感情が誰かに対してあるのだったら、モノだと思えば忘れたりしないんじゃないかしら?

 という思いだった。

 しかし、モノだと思えるとすれば、すでにその人に対して感情がなくなってしまった後でしかないのだったら、忘れたくないという感情は、思い出として残すか残さないかということだけにしか使えない気がしてきた。

 由紀子は、次第に頼子から離れていった。興味が失せたのだから当然のことだ。しかし、その頃になってやっと頼子は由紀子が自分を気にしていたことに気が付いた。その頃になると、なぜか最初に興味を持ったはずの由紀子の意識の中に、最初の頃の気持ちが本当に消え失せてしまっていた。つまり頼子に興味を持ったという事実すら、忘れてしまっていたのだ。

 それが由紀子の中にある。

――モノを捨てられない性格に対する反動――

 であるということを自覚していない。何しろ、意識していたという記憶がないのだから、反動も何も、その時に何を考えていたのかとうこともすべて、忘れてしまったのだ。

 由紀子が頼子に興味を持ったことを忘れてしまったのは、

――興味を持つことができたのは、頼子のことをモノだと思うようになったからなのかも知れない――

 と、感じたためであった。

 そう感じてしまったために、すぐに自分の中の意識が、忘れてしまうという本能を呼び起こし、記憶すら消してしまう作用をもたらしたのではないだろうか。由紀子自身の記憶が消えてしまっているのだから、誰も感じることのできないものであった。

 由紀子は、忘れてしまうことを、

――記憶を失うことだ――

 とは思っていない。

 記憶を失いということは、頭のどこかに記憶を封印する場所があって、そこに格納されていると思っている。しかし、由紀子が感じているのは、

――記憶を失うのではなく、記憶が消えてしまっている――

 ということだった。

 記憶が消えるということは、頭の中のどこにも残っていないということで、もし次に感じるのであれば、それは思い出したわけではなく、新しく感じることである。つまりいつまでも、

――最初に感じたことだ――

 という思いばかりを感じることで、思い出すということはないのだった。

 もちろん、中には記憶していることもある。忘れそうになりながら、何とか忘れずにいることだ。しかし、よほど印象の深いことでないと、ずっと記憶していることはできない。いずれは忘れてしまい、今度は、新しく感じることになるのだ。

 頼子も、実はなかなかモノが捨てられずに、整理整頓ができない方だった。さすがに由紀子ほどの重症ではないが、意識だけは持っていた。

 だからと言って、由紀子のように、

――記憶が消えてしまう――

 という思いはほとんどしたことはない。

――記憶とは失うものだ――

 と思っていて、忘れてしまったものも、すぐに思い出せると思っているのだった。

 同じ特徴を持っているから、惹かれ合うように、自然に二人は知り合ったのかも知れない。しかし、同じ特徴を持っていても、片方は極端な思いが頭の中にあるため、どうしてもそれ以上近づくことはできない。しかも、特徴がもたらした相手への感情が、近づいていき、重なることになっても、そのまま交差して、すれ違ったまま、どんどん離れていくのは、引き合う力があっても、お互いに交わるという意識がないために、交差した時、唯一交わることができるタイミングを分からずに、好機を逸してしまったのだ。

 由紀子は、頼子を気にしていないのに、頼子の方が自分に興味を持っていることを知って、不思議に感じていた。本当は自分の方から先に興味を持ったということを忘れているので、同じ興味を持たれるにしても、他の人とは違っていることが不思議だったのだ。

 由紀子は今まで女性から気にされたなどという意識を持ったことはない。自分が気づかないだけであったのかも知れないが、今までは、なぜか男性から気にされていたことで、嫉妬に近い視線は感じたことがあるが、興味を持たれるというのは初めてだった。普段から男性の視線しか意識したことがないので、女性の視線にどのようにリアクションを起こしていいのか分からない。そんな由紀子はその時まで、自分がどうして男性の目を惹きつけるのか、考えたこともなかった。

 下手に考えても、思いつくことは自分の都合のいいことばかりだ。異性の視線なのだから、自分に都合のいいことであっても、問題ないはずなのだが、それが思い上がりに変わってしまうことを、由紀子は懸念していた。由紀子には中途半端なところで、余計な気を遣うところがあったのだ。

 由紀子はおだてに乗りやすい性格だと、まわりから思われているようだが、それは中途半端にまわりに気を遣っているからなのかも知れない。合コンの時など、ノリがいいと初めて会う男性陣にはそう思われているのだろうが、以前から由紀子を知っている人にとっては、おだてに乗りやすいわけではなく、中途半端に気を遣っているだけだということを分かっているので、少し冷めた目で見ていることだろう。

「由紀子はコウモリなのかも知れないね」

 と言っている人もいるが、その人は一番由紀子のことを理解しているのかも知れない。

 コウモリという動物は、ケモノと鳥が争う中で、そのどちらにもいい顔をするという話がある。由紀子にも同じようなところがあり、一種の、

――生きていく上での知恵――

 のようなものだと思っていたが、その結果、どちらからも嫌われるというイソップの童話の話を知らないのだろうか。

 どちらにもいい顔をするというのは、逃げ癖がついてしまうことでもあり、逃げ癖がついてしまうと、感覚がマヒしてしまう。うまく行っていると思ってみても、それは自分がそう感じているだけで、まわりが見えていない証拠でもある。

 童話の世界でも、最後はどちらからも嫌われるものであり、最初から策があってこそ成り立つコウモリのような日和見的な行動は、えてして、自分を見誤らせることに繋がるのである。

 由紀子のまわりとの付き合い方はまさしくその通りだった。まるでコウモリのようにまわりと接し、差し障りのない付き合いに終始する。

――人とさりげなく付き合っていく――

 というための知恵のようなものだと自分では思っている。

 最初、男性からモテるのは、そんな差し障りのない付き合いが、相手に余計な気を遣わせないことで、気楽さを相手に感じさせるのではないかと思っていた。

 勘違いも甚だしいのであろうが、由紀子のように同性の友達が少ないと、異性に対してそんな目で見てしまうのも無理のないことなのかも知れない。

 由紀子が同性で唯一友達だったといえるのではないかと思っているのが頼子だが、頼子との付き合いも、

――同じ女性だから――

 という思いで接していると、すぐに亀裂が走ったかも知れない。しかし、由紀子だけではなく頼子の方でも、同性として見ているよりも、同じ人間としてという広い範囲から狭めて見ていくことで、由紀子を見ていこうとしていた。すれ違いもあるのだが、お互いに他に同性の友達がいるというわけではないので、気づかずに通り過ぎていたようだ。

 頼子は、中学時代に自分のことを気にしてくれていたであろう女の子のことを、由紀子と知り合って思い出すようになったが、

――失っていた記憶を思い出した――

 と、ハッキリ感じた最初のことだったのだ。

 由紀子の方は、男性からモテてはいたが、特定の彼氏がいるわけではなかった。男性からモテているにも関わらず、正直由紀子は、男性が怖かった。それは、頼子が昔妄想してしまった男性から襲われるシーンと同じだったが、頼子も同じようなことを、しかも、思春期の入り口くらいで感じたなどと、想像もしていなかった。

 由紀子は、以前から被害妄想なところがあった。自分ではいつからそんな被害妄想になった分からなかった。だから、まわりとは差し障りのない付き合い方をしようと思っているし、本人は気を遣いたくないと思っていた。

 人に気を遣うというのは、相手にも同じように気を遣わせることである。こちらが意識して気を遣っているということは、言葉に出さないだけで、

「私がこれだけ気を遣っているんだから、あなたも私に気を遣いなさいよ」

 と言わんばかりではないだろうか。

 よく喫茶店などのレジで見かける光景として、おばさん連中が「午後のティタイム」として洒落込んでいる時のこと、誰がお金を払うかでもめていることがある。

「ここは私が出しますわ」

「いいえ、私にお任せください」

 と、どうでもいいような会話を目にして、ウンザリすることもあった。

――「今日は私が払うから、次回はお願いね」などということが言えないのかしら?

 という思いをいつも抱いている。

 相手に精一杯気を遣っているのは分かるが、これでは完全に空気が読めていないと思われても仕方がない。自分たちだけのことしか見えていないので、もし、その後に会計を待っている人がいても、目に入っていないだろう。

 実に情けない光景に見えてきる。自分たちだけの池の中で鳴いているだけのカエルは、絶対に大海など知るわけもないのだ。

 時代の違いと言えばそれまでだが、いまだにそんなことで時間を費やしている人がいると思っただけで、ムカムカしてくるのは由紀子だけではないだろう。

 そういう会話だけが人に気を遣っていることになると思っている人を見てしまうと、人に気を遣うということが、あまりいいことではないという印象を受けてしまう。

――そんなに輪の中で自分が中心にいたいと思っているのかしら?

 と、考えると、人に気を遣っているように見えていることは、たたのポーズでしかないことの証明のようだった。

――人に気を遣うなど、自分にはありえない――

 と、中学時代までは思っていたが、高校生になった頃から、自分が人に気を遣っているのを感じるようになると、次第に自己嫌悪に陥るようになっていた。しかも、気の使い方が中途半端なのだ。

 自己嫌悪になる時というのは、周期的に訪れていた。一度自己嫌悪に入ってしまうと、しばらくは抜けない。入り込んでしまった時には、

――このまま永遠に自己嫌悪から抜けられないかも知れない――

 という不安が募っていたりするものだ。しかし、一度入り込んでしまうと、状況には慣れてくるもので、そのうちに、

――抜けられないトンネルなどありえない――

 と思うようになった。

 トンネルの中は黄色くて、色はすべてが黄色かかっているために、同じ黄色でも濃い部分と薄い部分が存在しているだけの、モノクロでしかなかった。

 そのために見えているのは、光と影しか感じられない。もしここで影の部分を意識することができなければ、それは平面の世界でしかないという発想だった。

 由紀子は、時々異次元の世界を頭に抱く時がある。四次元がほとんどなのだが、たまに二次元という平面の世界を想像することがあったが、その時に感じるのが、

――影のない世界――

 であった。

 普通は考えられない世界であるが、厳密に言えば、

――影がないという発想ではなく、影が光によって打ち消されている――

 というものだった。

 そもそも光と影のコントラストは、色によって形づけられている。つまりカラーであれば大きさや奥行きを正確に感じることができるが、単色やモノクロであれば、大きさは想像できても、奥行きを想像することができない。

 ということは、モノクロの世界では、立体というよりも平面を意味づけているということであり、平面を想像するということは、その前提には、モノクロという世界が広がっていなければいけないのだった。

 異次元の世界の中で、四次元よりも二次元の方が想像しにくい。

――人間の想像の域を超えているのではないか?

 とさえ思えてくる。

 平面ということは、他のものとダブって存在することもあり得るということで、これほど息苦しいものはないと思われる。どんなに科学が進歩して、四次元の世界を覗くことができたとしても、二次元へ行くことは不可能に思えた。なぜならその理由に、

――二次元の世界こそ、人それぞれの感情の中に潜んでいるものなのかも知れない――

 と思うようになったからだ。

 その根拠が黄色いトンネルを想像した時であり、この世界への入り口が、人の精神状態の変化からしか入り込めない。

 つまりは、科学によって二次元の世界が想像されるものではなく、人の精神状態としてしか想像できないのであれば、想像することは誰にでもできるが、そこに人の意志や目論見は存在していないということになるのだ。

――二次元の世界を構成しているのは、人間の感情の中にある「鬱状態」なのではないだろうか?

 と考えるようになったのは、自分が、

――躁鬱症ではないんだろうか?

 と思うようになった高校時代からであった。

 それまで漠然としてしか考えたことのなかったことが、鬱状態になると、いろいろ分かってくる。まるで違う人間になったかのようであり、そのくせ自分で自分を操縦することが不可能な世界であったのだ。

 自己嫌悪から鬱状態に陥るなどという発想は、普通であればすぐに思いつきそうな気がしていたが、なぜかその時の由紀子には気が付かなかった。黄色いトンネルを二次元の窮屈な世界として先に発想してしまったことで、この結びつきに気が付かなかったのではないかということが、後になってくると結論として受け止めていい発想に思えてきたのだ。

 後になって鬱状態を頭の中で想像するなら、黄色いトンネルが一番妥当なのであったということに気が付いたのだが、その時は、黄色いトンネルだけを意識していると、鬱状態という発想に行きつかない何かがあったように思えた。それが異次元への発想だけではないと思えたのも、後になってからのことだった。

 二次元の世界を最初に想像していたら、自分の身体もぺったんこになってしまい、絵の中に封じ込められていたことだろう。絵の中に対しての思いは、

――絶対に動くことができない――

 という発想だった。

 絵に描かれたものが動くなど、想像もつかないことだ。まず、

――絵に描いたものは動かない――

 という大前提があって、すべての発想が生まれるのだ。

 逆に絵に描いたものは動かすことができないのだから、何かを封じ込めたいことがあるのであれば、この世界へ封じ込めることができれば、これ以上の隠し場所はない。もし表から見えていたとしても、動かすことができないものだとして絵を見ていると、目の前にあっても、決して気づかないだろう。それはまるで道端に落ちている石のごとくである。

 そんな思い出したくもないことが自分の身に起きた時、無意識に鬱状態に陥る。それは思い出したくない恐ろしいことから逃げたいという意味ではなく、目の前にあっても、誰にも気づかれないという鉄壁の隠し場所を求めることで、無意識にでも鬱状態に入り込王とするのかも知れない。まわりから見て鬱状態というのは悲惨なことがあった時のただの逃げ場所のように感じ入られるだろうが、本当は、自分の気持ちを人に知られたない時に入り込むことで、隠し通せることを確信しているからだった。

 由紀子は妄想する時、自分の身に悪いことが起こるという妄想が多かった。誰かに襲われたり、幽霊を見たりなどの発想が多かった。たまにはロマンスだったり、恋愛だったりの妄想をすることもあったが、妄想してしまうことで恐怖が湧いてくるような気がして、楽しい妄想は、まるで逆夢を見てしまったように思えるのだった。

 そのあたりが、自分のことを被害妄想だと感じる要素なのかも知れない。しかし、被害妄想というのは自分だけではなく誰もが持つものだ。そうでなければ、「被害妄想」などという正式な言葉が生まれるはずはない。そんな簡単なことが、妄想を繰り返している状態の時の由紀子に分かるはずもなかった。逆に妄想を繰り返している時でなければ、被害妄想などという発想も生まれてこない。実に皮肉なものだといってもいいだろう。

 しかし、被害妄想を持つことは誰にでもあることだとしても、それが鬱状態に結びつくというのはどうであろうか? 被害妄想になる人のすべてが鬱状態に結びついているわけではないという発想は思い浮かぶとしても、逆に鬱状態の人すべてが被害妄想と結びついているという発想も危険な気がしていた。

 由紀子が鬱状態に入り込んだ時に見た夢は、その日、珍しく人に気を遣ったと感じさせた時だった。それも相手が親だったことで、自分の中でどうしても許すことのできない思いの葛藤があったのだ。

 その日に見た夢は、男性に襲われる夢だった。

 数人の男性が自分に覆いかぶさってくる。顔を見ようにも逆光になっていて、真っ黒い影しか浮かんでこない。しかし、顔は浮かんでこなくても、真っ白い歯だけが見えていた。その表情には淫靡な笑みが浮かんでいて。ある意味、表情が分からないのは不幸中の幸いなのかも知れないが、表情が分からないにも関わらず笑みだけを感じてしまうというのは、相手が本当に人間なのかを疑いたくなる気持ちにさせられた。

――そんな思いも夢の中ならではのことに違いないわ――

 と感じされられたが、夢の世界であるということは、最初から分かっていたような気がする。

 なぜなら、その世界ではまったく何も聞こえなかった。相手の息遣い、自分の悲鳴、さらには風の音すら感じられない。顔には風が当たっているにも関わらず、すべての音はどこかに吸収されているかのようだった。

――夢なら早く覚めてほしい――

 という思いを、ここまで強く感じたのは初めてだった。最初から夢だと分かっているのだから当たり前のことなのだろうが、逆に音すべてが吸収されているのを感じると、

――この夢、本当に覚めるのかしら?

 という最悪の思いも頭をよぎった。

――今まで感じた夢とはまったく違っている――

 最初から夢だと感じたことから、普段とはまったく違う。普段は、夢だと感じた瞬間に目が覚めるか、あるいは、夢だとは思わないまま目を覚ますかのどちらかである。普通なら夢だと思わないまま目を覚ますことがほとんどで、夢だと感じた瞬間に目を覚ます時というのは、覚めてほしくない夢を見ている時しかないのだ。

 覚めてほしくない夢というのは、楽しい夢に限られる。それ以外は、夢だと思わないまま目を覚ます時だった。しかし、今度のように極端に怖い夢を見ているからだろうか、最初から夢だと分かっている。夢を感じているともう一つの思いが浮かんできた。

――この夢、本当に夢なのかしら?

 と思うほど、リアルに感じられたのだ。

 そのリアルさを感じることを自分から拒否したいがために、最初から夢だということを感じさせたのではないだろうか? そう思うと、何となくではあるが、辻褄は合っているような気がしてきた。

 夢の世界では声はおろか、音もまったくなかった。それなのに、湿気だけは不思議と感じられ、風が通っているのも、肌で感じられるかのようだった。

――襲われていて、恐怖で声も出ないくせに、湿気や風が吹いていることを感じるというのはどういう感覚なんだろう?

 由紀子は夢の中で、冷静な分析をしていた。最初は自分が襲われていたはずなのに、いつの間にか自分は表に出ていて、誰かが襲われているのを、表から冷静に見ていたのだ。

 そんな自分を由紀子は恐ろしく感じていた。目の前で襲われているのを見るというのも、本当はこれ以上恐ろしいことはないと思っていた。それなのに、冷静に見つめているのは、やはり最初から夢だと思っているからであろうか。

――いや、そうではない――

 夢だと最初から感じていたのであれば、早く目を覚ましたいと思うはずなのに、目の前で繰り広げられている悪夢を、自分なりに理解しようと一生懸命になっていた。いくら客観的に見ているとはいえ、ここまでショッキングなことであれば、目を覆いたくなる状況のはずなのに、冷静になれる自分は、すでに感覚がマヒしていたに違いない。

 感覚がマヒしていた理由を、夢だとして片づけるわけにはいかなかった。

――夢というのは、潜在意識のなせる業――

 と思っていた由紀子にとって、夢だと分かった瞬間、そこから逃れることはできないのだと自覚したも同然だった。

 由紀子は自分が見ている夢が怖い夢であり、覚めても忘れないことを自覚していた。怖い夢ほど忘れないという皮肉は、

――夢ならではのことだ――

 と思っていたのだ。

 しかし、同じ夢を他の人が見ているとは思ってもみなかった。しかも同じ日にである。それは言わずと知れた頼子のことであり、リアルさは頼子の方が激しかった。頼子の場合は、冷静になって自分を見るという夢独特の世界に入ることができず、夢の中で余裕もなかった。それだけに、目が覚めてからは、

――夢でよかった――

 と思った。目が覚めてから思い出すのは、そこまでリアルな夢を見たわけではないと自分の中で感じたかったためだったのかも知れない。それだけ夢を見ている時に自分に余裕はなかった。そのことは夢の中での自分が一番よく分かっていたはずだ。そこが同じ夢を見たのだとしても、由紀子とは違うところだった。

 頼子の夢は、本当に危なくなる寸前で目が覚めた。それは怖い夢を見た時の常套であった。楽しい夢であっても怖い夢であっても、目が覚める瞬間というのは、本当にちょうどいいタイミングなのだ。それを怖い夢の時は、夢でよかったと感じ、楽しい夢の時は、目が覚めてしまったことを悔やむという夢としてはノーマルな夢しか、頼子は見たことがなかった。

 ノーマルな夢以外を見るという意味では、由紀子は今までに何度もあったような気がする。そのせいか、他の人と違う夢に対しての感覚を持っている。もっとも、夢について必要以上な会話をすることがなかっただけに、自分が考えていることがノーマルではないとは思ったことがなかったのだ。

 頼子は、夢について他の人と話すことがなかったわけではない。ただ、それは怖い夢であったり、不思議な夢を見た時ではなかった。ふいに何か思いついたように話をするのだ。最初のきっかけは、頼子の方から話をするのだが、途中から相手に主導権が移っている。

 最初乗り気だった相手が、主導権が自分に移った時点で、急に冷めてくると、主導権を握った方はどのように思うだろう?

――この人は人に話題を振っておいて、先に自分から冷めてしまうなんて、自分勝手な人なんだ――

 と思われることだろう。

 頼子は他のことに関しては、こんなことがないので、別に人から嫌われることはなかったが、夢のことになると、自分だけ最初に盛り上がって、後は相手を置き去りにしてしまう逃げの姿勢を取ってしまっていた。

 しかも、頼子はそのことに悪びれる様子はなかった。

――仕方のないことだ――

 とでも思っているのか、冷めてしまってからは、急に態度が横柄になってしまうことが多かった。

 そんな時は、相手も、

――仕方ない――

 と諦めがつくようだ。相手を必要以上に怒らせないところも、頼子の性格なのかも知れない。役得と言ってもいいだろう。

 由紀子の場合は、逆だった。

 自分から夢のことについて話し始めることはなく、最初は相手の話をただ冷静に見ているだけだったが、自分の意見と同じ話が出てくると、俄然饒舌になってくる。主導権は完全に由紀子に移り、今度はまわりが冷静に由紀子の話を聞いている。

 由紀子は夢の話以外でも、ほとんど同じパターンだった。だから他の人も別に嫌な思いをすることはない。むしろ由紀子のパターンが普通の会話のパターンに当てはまる気がする。つまりは、由紀子だけではなく他の人も同じことである。

 ただ、パターンが違うといっても、頼子も共通点はあった。

――他の人が話をしている時は、自分は静かにしている。そして、他の人が話をしていない時に、自分の意見をいう――

 という意味であ、頼子も同じだった。お互いに、

――仕方がない――

 と感じるのも、当然のことなのかも知れない。

 由紀子と頼子の二人も同じだった。お互いを凸凹と考えるなら、二人の関係は、相手に足りないところを自分が補うという意味で、うまく行っているのだ。

 由紀子は時々、自分が陥ってしまう躁鬱症のことを気に病んでいた。普段から必ず、鬱状態なのか、躁状態のどちらなのかというわけではなく、躁鬱を繰り返す周期に入るタイミングがあり、抜けるまでの間、躁状態と鬱状態を繰り返していた。その期間がどれくらいなのか、高校を卒業するくらいまでは漠然としてしか分からなかったが、卒業してしまうと、

――ちょうど、半年周期なのかしら?

 と思うようになった。

 一年を半分に割ると、半年間は躁鬱状態が自分の中にあることなど信じられないと思うほど平常心でいられる。しかし、躁鬱状態の波が襲ってくると、半年の間に躁鬱の状態を繰り返す。その間には平常心はなく、この間には、

――私は本当に平常心の状態に戻ることができるのかしら?

 と思うようになっていた。

 由紀子が躁鬱状態に陥る時、必ず最初は鬱状態から入り込む。黄色いライトがついたトンネルのイメージが頭に浮かんできて、気が付けばトンネルから抜けられない。しかし、頭の中では、

――二週間ほどで、鬱状態を抜けることができる――

 という確信めいたものがあった。

 なぜ、確信めいたものを抱くことができるのかというと、由紀子の持病に原因があった。持病といっても、病院に通院するものではなく、大したことはないのだが、その二週間いうのは、口内炎に見舞われるのだった。

――何を食べてもおいしくない――

 口の中にできてしまった口内炎は、子供の頃からの持病だと自分で思っていた。一度できてしまうと、さらにまわりに転移することもあり、場合によっては、一か月近く口内炎に悩まされることも少なくなかった。

 由紀子が感じるようになった鬱状態の時、必ず口内炎ができる。

――口内炎ができるから、鬱状態に陥るんじゃないかしら?

 と感じていたが、それもある意味、当たらずも遠からじであった。

 口内炎というのは、口の中で次第に育っていく。数日の間に育って、痛くて痛くてたまらない時期がまた数日続く。そして、痛みに慣れてきた頃に、少しずつ痛みが引いてくるのを感じると、本当に治ってくるのを自覚できるのだ。

 鬱状態も同じだった。

 最初に鬱状態のピークが来るまで数日かかり、ピークの間が数日ある。そして、トンネルの出口が見えかかる時を自覚することができた。黄色いだけの色に、他の色がまじりあってくるのを感じるからだ。

 その時、ちょうど口内炎も治りかかっている時だ。口内炎の場合は、本当に痛みと、傷口という比較対象があるのだから、治ってくるのが分かっても当然だが、精神的な病いである鬱病は、あくまでも漠然としたものでしかない。それでも、黄色い色のライトがついたトンネルとイメージすることで、鬱状態を抜ける予感を感じることができる。それが由紀子の鬱状態の特徴だった。

 鬱状態から抜けると、今度は何をやっていても楽しい時期が訪れる。この世に蔓延る不安や恐怖などまったく感じられない時期、それは感覚がマヒしてしまっていて、恐怖や不安から、

――逃げている――

 と言われても仕方のないことだ。

 由紀子は、逃げているつもりなど毛頭ない。どちらかというと、

――今まで鬱状態を苦しんできたんだから、躁状態を楽しむ権利くらいあるんだ――

 と感じていた。

 そういう意味で、躁鬱状態の入り口が必ず鬱状態だというのも分かる気がする。最初に躁状態から入ってしまうと、

――逃げている――

 という感覚が頭の中に充満し、せっかくの躁状態の中で、自己嫌悪が生まれるという矛盾した精神状態に陥ってしまう。

 もし、そんな精神状態になったらどうなるというのだろう?

 自分で分からないことであっても、心のどこかでは理解できているはずの自分の精神状態。さすがに躁状態と自己嫌悪の共存はありえないとしか思えない。それなら精神状態の移り変わりを科学的に解明し、それが納得できることであれば、そこにあるのは、「真実」でしかないのだろう。

 由紀子は口内炎を患うのは、子供の頃からだった。しかし、鬱状態に気づき始めたのは、中学生くらいになってからだったのを思うと、口内炎で苦しんでいる時の方が長かったのだ。

 しかし、口内炎で苦しんでいる間が、鬱状態の準備段階だったと言えないだろうか? もしそうだとすれば、鬱状態には潜伏期間があったといえる。

――鬱状態は、躁状態があってこその鬱状態で、躁状態も鬱状態があってこその躁状態――

 なのだとすれば、鬱状態の準備段階があったのであれば、躁状態の準備段階もあったのかも知れない。まったく意識していなかった中で鬱状態と躁状態が無意識に繰り返されていたのだとすれば、

――この二つは、潜在意識の中で蠢いていたのではないだろうか?

 と思えた。

 さらに、潜在意識というのは、夢を彷彿させるものであり、無意識というのは、本能を彷彿させるものだ。そう考えていくと、夢と本能は相関関係にあり、切っても切り離せないものではないかと思えてきた。

 子供の頃から口内炎を患っている時、確かに怖い夢を見ることが多かった。痛くてなかなか寝付かれない状態で、何とか寝付いた時は、本当に眠たい時だったに違いない。そんな時に見た怖い夢は、ある意味、自分の中の潜在意識というよりも、本能が見せたものだとも言えるのではないかと思うと、子供の頃に感じた口内炎と、大人になってから、躁鬱に関係があると思えている口内炎とでは、自分に与える意識という意味で、かなり違った意味を持ったものであることには違いないだろう。

 由紀子は、躁鬱症になるというのは、自分だけではないと思っていた。

――人と同じでは嫌だ――

 といつも思っているが、それは精神的なものだけであって、他のことは、自分は標準だと思っていた。

 同じように、躁鬱症にかかると、一年の間に、躁鬱症と躁鬱でない時が繰り返され、二週間サイクルで、躁鬱が入れ替わる。それも個人差はあるだろうが、あくまでも誤差の範囲で誰もが同じだと思っている。

 しかも、最初に訪れるのは鬱病であって、そのことが躁状態と自己嫌悪の共存がありえないということで自分を納得させることができ、何かの持病が影響しているところまで同じではないかと思っていた。

 しかし、冷静に考えると、そんな考えがまかり通るほど、人間の精神状態は単純ではない。

 一人一人の考えには様々なものがあり、

――人の数だけ、性格の数もある――

 と言えるのではないだろうか。

 それが個性というものであり、個性がなければ、この世の中の何が面白いというのだろうか?

 ただ、人の性格が人の数だけあるというのは、さすがに大げさな気がしていた。性格にはいくつかのパターンがあり、どんな人であっても、その中のパターンに属しているということになる。

 それらすべてのパターンを総合して、全体を埋め尽くすことができるかというとそうでもない。パターンの中には例外もあり、例外が一人一人違っているかのようで、まるで統計の少数派のようなものだ。標準とも言えるいくつかのパターンのどこにも属さない性格は、単純に個性として片づけていいものなのか疑問であった。

 由紀子も頼子も、二人ともどちらかのパターンに属する性格をしていた。普段から、

「私たちって、変わり者よね」

 と言い合っていたが、お互いに、

――相手は変わり者じゃなくて、自分が変わっているだけなんだわ――

 と思っていた。

 普通なら自分が変わっていなくて、相手が変わっていると思いたいものなのだが、ここだけを見ると、確かに自分が変わっているに違いないように思うのだが、考えてみれば、他の人と同じでは嫌だと思っているのだから、この考え方の方が、自分らしいと言えるのではないだろうか。

 こんなことを、ほぼ毎日考えている。

――気が付けば、いつも何かを考えている――

 と感じていた由紀子は、頼子も同じなのだろうと思っていた。由紀子の考えに間違いはなかったが、由紀子が考えているような理論的なものではなかった。

 由紀子は、

――何とか自分を納得させたい――

 という思いがあった。

 つまりは納得させられないと自分が信じられないということの裏返しでもあった。だから、余計に自分が他の人と同じでは嫌だと思いながらも、自分の考えていることは、他の人も考えていることだと思うのだ。そこで他の人との違いは、

――どれだけ理論的に自分を納得させられるか?

 ということに終始していたのだ。

 頼子の場合は、そこまで理論的に考えているわけではなかった。自分を納得させる必要もない。漠然とした考えを持っているというのは、それだけまわりを意識していないということでもあった。

 頼子も確かにいつも何かを考えていた。ただ、答えを求めていたわけではない。考えることで、時間をいかに無駄なく使うことができるかどうかということの方が、頼子には大切なことだったのだ。

――私は、由紀子とは違う――

 由紀子がまわりの人との違いを意識しているのだとすれば、頼子の方は、目の前にいる由紀子との違いだけを考えていた。全体に対しての思いと、特定の個人相手に対しての思いと、どちらが濃いものなのかと言えば、特定の個人相手の方が濃いのだということは、火を見るよりも明らかであろう。

 由紀子はあまり友達がいなかったが、親友になれば、結構ずっと親友でいられると思っていた。実際に、中学時代からの親友だと思っている友達とは、ずっと交流を深めている。特に高校を卒業するまで一緒だった友達とは、今でも時々連絡を取り合っていた。

 ただ、その友達は短大を卒業後、東京に出て行ったので、なかなか会うことがなくなった。彼女の方も東京での生活が忙しいらしく、帰省もしてこない。どうやら、彼氏ができたようだということは、男性に対してあまり慣れていない由紀子にも想像がついた。

――友情よりも、愛情なのね――

 距離が離れていることもさることながら、彼氏ができたのであれば、それも仕方のないことだと思っていた。

 頼子は自分の躁鬱症について自分で意識していたが、由紀子の場合は自分で意識していなかった。頼子の中で、

――躁鬱症というのは、誰もが潜在的に持っているもので、それが表に出てくるか出てこないかで、まわりは判断をしない――

 と思っていた。

 もちろん、まわりは目に見えていること以外、他人のことを理解できない。そんなことは分かりきっていることだが、自分にあるものをまわりの人が皆持っているなどという考えは、普通なら突飛なことだと思うだろう。

 頼子も子供の頃はそうだった。

――自分は他の人とは違う――

 と思っていたからで、そう思えば思うほど、自分が孤立してくるのを感じていた。

 孤立が嫌いだというわけではない。確かに孤立してしまうとまわりから置いていかれて、自分の居場所を確保することが難しくなる。そうなってしまえば、いくら他の人とは違うという信念を持っていても、不安に打ち勝てるだけの自信が自分になければ、結局は自らを潰してしまうことになるだろう。

 頼子は、思い込むとそれを自信だと思うことがしばしばあった。それがいい方に転がれば悪いことではない。むしろ自分に対しての自信になるのだから、大いにいいことであるに違いない。しかし、思い込みはえてして自分のまわりの人を惑わすことにも繋がりかねない。そのことを頼子は理解していなかったし、頼子のまわりにいる人も彼女の思い込みに気づかぬまま、惑わされてしまうことも少なくなかった。由紀子も類に漏れず、大いに頼子に影響されてしまっていたようだ。

 元々、人からの影響を受けやすいのが由紀子の性格だった。由紀子はそのことを自覚している。しかも、それを悪いことだとは思っていないので、違和感がないのも当然であった。

 由紀子が人から影響を受けるのは今に始まったことではない。ひょっとすると、モノを捨てられない性格になったのも、人の影響を色濃く受けたからだった。ただ、小学生の低学年の頃からモノを捨てられない性格になってしまったのだ。その原因について由紀子には思い当たるふしはある。親の教育方針というべきであろうか。

 小学生の頃は、本当にモノを捨てられない性格がひどかったが、中学に入り、一時期、いろいろなものを捨ててしまう性格に一時期変わっていた。しかし、一年もしないうちに、今度は前のようにモノを捨てられなくなってしまった。いや、前のようにというよりも、さらにその性格は強固なものに変わっていたのだ。

 元々、モノを捨てられない性格になった理由は、子供の頃から忘れっぽい性格だった由紀子は、よく学校に忘れ物をしてきていた。

 ノートや教科書など忘れてくることも多く、そんな時はよく親から、

「学校まで行って、取っていなさい」

 と言われたものだ。

 もちろん、何度も取りに行かされた。涙を流しながら取りに行ったものだ。

 いくら親でも涙を流せば許してくれるだろうという思いが、小学低学年の由紀子にはあったが、親は妥協を許さなかった。今から思えば、

――小さい頃に癖をつけておく必要がある――

 と思ったのだと思えば、百歩譲れば許せるかも知れないが、それにしても、そこまで徹底するのは、子供心に、

――お母さんは私が憎いんだわ――

 と思うようになっても当然のことであろう。

 だが、そんな思いを子供が抱いていようがどうしようが親には関係なかった。物忘れというのは、その頃の由紀子はどんどん激しくなっていった。最初はノートや教科書だけだったのに、筆箱や、シャーペンやボールペンまで忘れるようになった。

 普通ならそんな細かいところまで親もチェックはしないのだろうが、由紀子の親も異常だった。シャーペン一本忘れただけで、

「取ってきなさい」

 と言われたものだ。

 子供心に、母親が般若の面をつけているように思えてきた。それこそ親のことを、

――鬼だ――

 と思うようになり、ここまでくると、自分の惨めさを痛感させられるほどになった。

 親とすれば、最初は教科書やノートだけだったものが、今度はシャーペン一本の単位になることは、

――この娘は親をナメている――

 とでも思うようになったのかも知れない。そう思われてしまうと、後は女性特有のヒステリックな思いが頭をもたげ、特に相手が自分の娘であれば、余計に苛立ちも激しくなるというものだろう。

 悲しいかな、娘であるがゆえに、子供であっても、何となく親が考えていることが分かってくる。それが情けなくて屈辱で、学校に取りに行かされる時に流した涙の理由はそこにあるのだった。

 その頃から、親に対する反動の気持ちが激しくなったと同時に、モノに対しての気持ちも捻くれてくるようになった。

「何よ。たかがシャーペン一本じゃないの」

 と、たったそれだけのことで、どうして親子で憎しみ合わなければならないのかと思うと、親がいうようなモノに対する執着をしないようにしようと心に誓った。

 一時期、いろいろなモノを片っ端から捨てるようになったのはそのせいだ。小学生の低学年の頃に感じた親への反動が、なぜ中学になってから現れたのか、それは由紀子の中で意識していることを整理するまでに時間がかかったからというよりも、いろいろなことを考えていると、時系列がバラバラになってしまうという性格があるからだ。

 そんな由紀子だったが、まわりはそのことにあまり意識しなかった。なぜなら、由紀子の思いはちょうど成長期の中の反抗期に当たるもので、まわりからは、

「仕方がないわね。時間が経てば落ち着いてくるわよ」

 と思われていた。

 本人としてはそんなつもりはないのに、どうして今頃なのかと疑問に思った。そして行き着いたのが、

――反抗期という時期には逆らえないんだわ――

 という思いだった。

 それまでにいつ反抗期に考えることが培われたとしても、結局は表に出るのは反抗期と呼ばれる時期しかない。

――成長というのは、因果なものだわ――

 と思うことで、ちょうど成長期に当たるこの時期を、由紀子は自分の中での、

――暗黒の時代――

 と思うことで、因果な時期を納得させようとしていた。

 確かに中学時代には、モノをたくさん捨てることに終始した時期があった。

――モノを捨てるって、結構気持ちのいいものだわ――

 使えるものであっても、どんどん捨てていった。中には、思い出のものも含まれていたことだろう。どんどん捨てている時は快感に身も震えるほどになっていたが、本来であれば、それは子供の頃の反動でしかなく、本当の自分の気持ちではないことを、理解していたはずである。

 そのことに気づいたからなのか、急に半年経って、ハッとした。

――今まで捨てたものの中に、本当に取っておきたかったものもたくさんあったかも知れない――

 と感じたからだ。

 思い込みの激しさが半端ではない由紀子には、一瞬でもそう感じてしまうと、その思いから逃れられなくなった。

――捨ててしまったものはもう戻ってこない――

 この、どうすることもできない思いは、由紀子の中でトラウマにまでなっていた。後悔してもどうにもならないという思いを生まれて初めて感じたのだ。

 それからの由紀子は本当に何も捨てられなくなった。捨てる時にでも、何度もゴミ箱の中身を確認してごみ袋に捨てる徹底さだった。

 ひどい時には、生ごみまで確認したほどだ。今から思えば、精神に異常をきたしていたとみてもいいかも知れないくらいだった。

 さすがにそこまでのひどさは一時期のものだったが、それも、

――最初が肝心だ――

 という考えのもとで、最初から楽をしてしまうと、ロクなことがないという思いがあったのも事実だった。一つ一つ考えながら自分を納得させること、それが由紀子には必要だったのだ。

 それはなぜかというと、問題といえるのは、子供の頃からあった、

――忘れっぽい性格――

 が原点となっているからだ。

 由紀子がなぜそんなに忘れっぽい性格なのかということを、考えたことがないわけではなかった。本人はあまり考えていないように思っているが、自分が一人で何かを考えている時、

――私は忘れっぽい性格なんだ――

 という意識が、考えの底辺で蠢いていることをウスウスながらに感じていた。その思いがなければ、いつどんな時も考え事を続けられるわけはないと思っていたからだ。しかも、根本にある性格が、ある意味致命的だということを意識していることが、親に対して反発できるだけの自信を自分が持っているということになるのかも知れない。

 モノをどんどん捨ててしまった時期がどんなに短くても、少しでもそんな時期を経験したことが由紀子の中で、

――モノを捨てられない性格――

 と強固なものにしたのだ。

 もし、その時期がなければ、まわりにもモノをなかなか捨てられないという人がいたとしても、その人たちと変わらない自分しかいないだろう。しかし、自分はそんな人たちとは違い、徹底していると思っている。

 そうやってまわりのモノを捨てられない人を見ると、

――なんて、中途半端な人たちなんだろう?

 と思うようになっていた。

 再度モノを捨てられなくなった時、以前と比べてさらに強い思いに変わっていったのにはさらに理由があった。

――自分のお金を出して買ったものは、格別の思いがある――

 ということであった。

 それが自分が稼いだものである必要はない。お小遣いとしてもらったお金を貯めておいて、そこから使ったものも、

――自分で稼いだお金――

 と同じ感覚だったのだ。

 実際に高校生になってアルバイトでお金を初めて稼いだ時に感じた思いは、その時の比ではないと思うことになるのだがが、その時に感じた「稼いだ」という思いは、実際にお金を手にした感動というよりも、新鮮な気持ちが強かったことで、格別の思いになったに違いなかった。

 由紀子が時系列を意識しなかった時期があったとすれば、中学生の時が最初だったに違いない。

 時系列についての意識は、普段から意識していないつもりでも、何かを考える時に底辺で、必ず意識しているのもだったと思っている。

 中学時代には、その意識がなかった。それは、

――思春期だったからだ――

 と思っていた。ただ、思春期だったからだという意識は厳密にいうと違っていた。

 思春期というよりも成長期と言った方が正確であろう。

 思春期と成長期というのは、厳密には違うものだ。似たような時期にあることなので、混同してしまうのだろう。由紀子の中では、

――思春期の中に、成長期が存在している――

 と思っている。

 成長期の中に、思春期が存在していると思っている人もいるだろう。どちらが本当なのか、由紀子は調べたことはなかった。

――調べてみよう――

 と思った時期もあったが、忘れっぽい性格が災いしてなのか、思ってから実行するまでに忘れてしまっていることがほとんどだった。

――別に急いで調べる必要もない――

 と思っていたが、それも何度も同じことを思い立つことで、

――そのうちに、また思い出すわ――

 と考えるようになり、そのうちに調べてみようという思いすら、感覚的にマヒしてしまっていくようだった。

 由紀子は、

――私と同じように、時系列に対して不思議な感覚を抱いている人もいるんだろうな――

 と思うようになっていた。

 ただ、そのことを本人が意識している人と意識しない人とでは、意識していない人の方が圧倒的に多い気がした。

――意識している人と出会ってみたい――

 と思うようになったのも、意識している人が少ないという思いに駆られてのことだった。

 だが、本当に出会うということは、出会ってみたいということを、ある程度しっかり思わないと実現しないことだった。中途半端に感じることは、中途半端な結果しか生まないものだ。そんな意識をいつの頃からか、由紀子が抱くようになっていた。少なくとも、高校時代までにはなかったことだった。環境の変化が自分の考えに影響を及ぼすというよりも、

――今まで気づかなかったことを気づかせてくれる――

 という思いが強いからに違いないのだった。

 由紀子は、自分が男性からモテることを意識していたが、それはどちらかというと、女性からモテない男性が多かった。それは見た目というよりも、雰囲気がいかにも女性に好かれるタイプではなかった。

――自分というものをしっかりと持っている人にモテるのならいいんだけど、皆、どこか自信なさげな人が多いわ――

 由紀子は、なぜか中学時代から自分がモテていたことを意識していたが、まわりはそのことに気づいていないようだった。やはり、皆から好かれるような男性が好きになってくれるのであれば、まわりも意識するというものだ。もっともその中には嫉妬心が渦巻いているもので、

――まわりから意識されるというのも善し悪しだわ――

 と考えていた。

 由紀子にとって、

「昔から好きな人には好かれないし、好きだと思った人は恋人がいる」

 という、どこかで聞いたことがあるような歌詞の一部分を思い起こさせた。

 では、由紀子はどんな人が好きなのかと言われると漠然としてしか思えなかった。ただ一つ言えることは、

「私を好きになってくれる人たちがタイプではないことには違いないわね」

 という思いがあることだった。

 由紀子は自分の表情に、ある意味、男性から好かれることのないような致命的な癖があることに気づいたのは、高校になってからだった。

――どうして今まで気づかなかったんだろう?

 と思うほどで、しかも、

――どうして自分が好きな人以外からこんなにモテるのかしら?

 という本当にモテない人の前では言えないことだが、そんなことを考えている時にふと気づいたのだ。

「あんたは贅沢よ」

 と、モテない人から言われるに違いないと思っていた時、ふいに気が付いたのだ。もし、そんな風に思うことがなければ、あるいは、他の人から指摘でもされなければ、永遠に気づかなかったかも知れない。

――私は、いつも口を半開きにしているんだわ――

 最初はどうして口を半開きにしているのかが分からなかった。確かに口を半開きにしていては、

――締まりのない顔――

 といううことで、誰からもモテないように思える。

 男性からというよりも、女性からの視線にはかなりキツイものがあった。

――まるで親の仇を見るような眼をしているわ――

 と思われることがあった。

 それはクラスメイトの中でも、ほとんど話をしたことのないような人たちからはもちろんのこと、時々話をする人でも、由紀子の顔を見る時、まるで苦虫を噛み潰したような複雑な表情に見えることがある。それはいつもではなく、時々あるのだ。その表情に対しては、

「本当は憎たらしいのだけど、友達のよしみ、あまり露骨に嫌な顔もできないわ」

 という心の声が聞こえてきそうだった。

 由紀子は、そんな女性陣に対しては、心の中では、

「申し訳ない」

 と言いながらも、気持ちの上では、

「どうして、そんなことを思われなければいけない謂れがあるのかしら?」

 と、憎らしいくらいだった。

 しかし、彼女たちの身になって鏡に自分に顔を写すと、

――これじゃあ、仕方がないわ――

 と納得せざるおえないのだった。

 ただ、最近の由紀子はなぜ口を半開きにしているのか分かる気がした。

――口内炎の影響なんだわ――

 鬱状態に陥った時、由紀子は口内炎を患っていた。それこそ、

――泣きっ面にハチ――

 とはまさにこのことで、痛い思いをしながら、精神状態が最悪な状態を迎えているというのだから、たまったものではない。

 だが、考えてみれば、

――口内炎で苦しんでいることで、精神的に鬱状態の気持ちを散らすことができているのかも知れない――

 という思いも浮かんできた。

 確かにその思いも考えようによっては違っているようにも思えない。精神的にキツイ時代を、いかに自分なりに解釈するかというのも考えてみれば難しいものである。

 口内炎ができる時というのは、一か所だけに納まるということは珍しい。一か所が痛み始めると、すぐに違う場所に転移しているようで、本当に辛い時は、五か所も六か所もできてしまって、本当に口を閉じているのが辛いのだ。なぜなら口内炎ができた時、痛みを和らげようとする本能からか、唾液の量が半端ではなかった。確かに唾液が出なければ口の中が張ってしまいそうで、苦しさは半端ではないだろう。しかし、唾液の分泌だけでは口を開けていなければ、歯が当たったりして、さらに痛みを増幅させる。痛みを何とか和らげる一番の方法は、

――口を半開きにして、少しでも空気に充てること――

 が重要だった。

 さらには、水分を欠かさずにいることも必要で、唾液の痛みを和らげることができるからであった。

――それにしても、煩わしいと思っていた口内炎のせいで締まりのない口になってしまった。そのおかげで男性からモテるようになったというのも皮肉なものだわ――

 と感じていた。

 いい悪いは別にして、男性からモテていると思い始めてからの自分の性格が少し不安定になってきた。年齢的に不安定な時期なのでそれは仕方のないことなのかも知れないが、由紀子には一般的なことを考える余裕がその時にはなかったのだ。

 落ち着いてくると、一般的なことを考えるようにもなってきた。

 自分が躁鬱症であることを思い知らされたことで、鬱状態の時には、どうしても余計なことを考えると悪い方にしか考えられなくなるので、必要以上のことを考えないようにしていた。ただでさえ鬱状態の時は、頭の中はフル回転、自分で望んでもいないのに、考えがあっちこっちに飛んでしまい、一定してこない。それが悪い方に悪い方に考えてしまう要因なのかも知れない。

 躁状態の時は、本当ならあまり考えたくないと思っている。躁状態の時であれば、悪いことを考えたとしても、いい方に向いてくるのは分かっているのだが、せっかく楽しいことばかりが思い浮かんでいるのに、それを潰したくないという思いが強い。この後訪れるであろう鬱状態では、嫌でも頭を回転させなければいけないのだ。

 回転させなければどうなるというわけではないが、少なくとも、後悔させられるだろうことは想像していた。何をどのように後悔させられるのか分からないが、分からないだけに自分の予感を無視することができなかった。

 だが、躁状態の時に何も考えていないわけではない。差し障りのないことを考えようと思うようになっていた。それが自分の中に対しての思いではなく、一般的なことと自分とを重ねるという他の人が普通にしていることをするだけのことだった。

――それができるというのは、余裕を気持ちの上で持っていないとできないことなんだわ――

 と感じるようになっていた。

 気持ちの中に余裕がなければ、まず考えることは、

――自分のことも分からないのに、まわりのことを考える余裕なんてないわ――

 と思うものだ。

 自分の気持ちを、まわりからの目で見るというのは、簡単なようで難しいと思うからなのだが、実はその逆で、気持ちに余裕が出てくると、

――難しいようで、実は簡単なことなんだ――

 と感じることができた。

 由紀子は自分がそんなことを考えられるようになったことで、今までモテてはいたが、特定の男性とお付き合いすることのなかった自分にも、好きになれそうな相手が現れるような予感があったのだ。

――そう遠くない将来、その人は現れる――

 と思い始めたのが、短大に入った頃、

 短大時代に付き合った男性はいるにはいたが、相手から声を掛けてくるような人はいなかった。

「由紀子は相変わらずモテるわね」

 という皮肉を友達からは言われたが、付き合った男性は皆、誰かの紹介だったり、合コンで隣り合わせて、そのまま成り行きでの付き合いに発展したかのどちらかだった。

 ただ、別れるのも早かった。

「由紀子さんを僕は誤解していたのかも知れない」

 あるいは、

「由紀子さんを見ていると、このまま自分が耐えていけるかどうか分からない」

 という理由だった。

 由紀子の方から振るなどという

――もったいないこと――

 はできなかった。

 相手から別れ話を告げられて理由を聞くと、ほとんどがこの二つ。しかも、言いにくいことをいとも簡単に相手の男性が言ってのけるように見えたのだ。

「本当は、皆精一杯に考えての結論なのよ」

 と、女友達に言われるが、由紀子自身はどうしても、その言葉を信じることができなかった。

――ズバリと本音を言われて、ハッとしてしまう――

 そんな状況に、一体どう対処すればいいというのだろう?

――好きだったと思っていたけど、本当は元々嫌いだったんだ――

 ということを相手に対して考えると、同じ思いを自分もしていないと我慢できなかった。

――私だって好きだと思っていたのに、本当は好きでも何でもない相手だったんだわ――

 という思いが、

「昔から好きな人には好かれないし、好きだと思った人は恋人がいる」

 という言葉になって言い表せることになるのだろう。何とも皮肉なことだった。

 そんな時代が短大時代だったのだと思うと、少なくとも男性とのお付き合いに関しては、暗黒の時代だったといえるのではないだろうか。

 就職してみると、最初は誰もが新入社員。同じスタートラインだと思うと、俄然ファイルが湧いてくる。進学のたびに、

「新たな気持ちで」

 と自分に言い聞かせていたが、実際には途中経過にしか過ぎないことを感じていることから、完全に新鮮な気持ちにも、スタートラインに立ったという思いにも至らなかった。本当は社会人になったといっても、それまでの学歴や、入社試験などで、厳密にはすでに差がついているのだろうが、ただ、気持ち的にはスタートラインという新鮮な気持ちにマジで立つことができると思っていたのだ。

 ただ一つ言えば、

「自分の好きなタイプが変わったのかも知れない」

 と感じたことだった。

 社会人になって初めて声を掛けてきた男性が、今までになく、

――自分の好みの男性――

 と感じたのは、心がときめいたからだった。

――果たして学生時代なら、この人に心ときめいたかしら?

 と感じ、マジマジと声を掛けてきた時にその人の顔を見たが、その時に少し照れくさそうに微笑んだ彼の顔に、心がときめいたのだ。

 学生時代までも、声を掛けてきた人の顔をマジマジと見たことがあった。そんな時、相手は確かに照れ笑いをしたが、その表情は、本当に戸惑っていた。由紀子から見れば、

――まるで声を掛けたこと自体、間違っていたと言わんばかりに見える――

 と感じさせた。つまりは、心ときめく前に、心が萎えてしまったのだ。そんな相手を自分が好きになるわけはなく、自分の気持ちと向き合って、お互いに頷いて、相手を拒否することに賛同していた。

 しかし、社会人になって声を掛けてきた相手も、同じように戸惑いを見せたが、その表情を見ても、学生時代に感じていた気持ちが自分の心の奥のどこを探してもないことに気が付いた。

 それは、相手がどうのというよりも自分の心の中が変わってしまったことを意味していた。そしてその答えを考えると、

――好きなタイプの男性が自分の中で変わってしまった――

 という結論にしか、どう考えても至らなかった。

 そう思うと、学生時代に声を掛けてくれた男性たちに詫びの気持ちを感じながら、今目の前に現れた男性が、今まで声を掛けてくれた人の代表のような気がして、

――大切にしなければいけないんだ――

 と感じた。

 それと同時に、

――こんな私のどこがいいのかしら?

 と今までのことも含めて、

――自分の中の何が男性を引き寄せるのか、考える時が来たのではないか――

 と思うようになっていた。

 それには、社会人になって話しかけてきた最初の人を簡単に無視することはできないだろうと思った。

 今まで、なるべく無視するように心がけていたが、

――自分の好みではないからだ――

 と思っていたせいだと自分に言い聞かせてきたが、実はそうではなく、男性に対して免疫を持っていなかったことが、相手を遠ざける一番の理由だったのかも知れない。

「男って怖いもの」

 という発想が中学時代からあった。

「男はけだものよ」

 と言っているクラスメイトがいて、彼女自身は何かがあったわけではないらしいのだが、彼女の友達が、男性にひどい目に遭わされたことがあったと聞かされた。

 もちろん、どんなことをされたのか聞いたことがあったわけではないので、彼女がけだものだというほどの理由があったのかどうか怪しいものなのだが、由紀子自身、思春期の男の子を見るのが気持ち悪かった。

 顔にはニキビや吹き出物が溢れている。学生服もキチンと着ていればそれなりに恰好いいものなのかも知れないが、だらしなく着ているのを見ると、

――身体も考え方も、まだまだ子供なんだわ――

 と感じていた。

 男の子同士で集まって何かを見ている時、横目で見たことがあったが、皆気持ち悪いほどに厭らしい表情をしていた。実際に見ていたのは成人雑誌であり、見ている人のほとんどが、恥じらいの欠片もない表情をしている。

――あんな顔をした連中に襲われでもしたら、身体を動かすことができないほど、恐ろしさにゾッとしてしまうことだろう――

 と思っていた。

 それからしばらく、由紀子は自分の好みの男性が分からなくなった。

 いや、好みの男性がどんな男性なのかということを、それまでに考えたことのなかったことに気づかされたのだ。

――どうしてそのことにそれまで気づかなかったんだろう?

 と感じたが、やはり男性というのはまったく違った人種であり、同じ日本人でも種別の違う人間だという意識があったのだ。

 それからというもの、しばらくは、

――自分が男性を好きになることはない――

 と思うようになったが、急にその思いが変わってしまった瞬間があった。

 それがいつのことだったのかというのは意識があったが、その時の心境を図り知ることはできなかった。

 最初から覚えていなかったのか、それとも、その瞬間のことを思い出した瞬間、忘れてしまったのか、そのどちらかだろうと由紀子は考えていた。

 ただ、一つ分かっていることは、「羨ましい」という感情が自分の中にあったことである。きっと、友達やクラスメイトが男性とイチャイチャしているのを見て、羨ましく感じられたからに違いない。もし、イチャイチャしていた女性が自分の知らない人なら、こんな思いはしないだろう。自分と仲良くしてくれている人はもちろんのこと、少しでも知っている人のイチャイチャを見てしまうと、羨ましいという気持ちになったに違いない。

 その時に見た彼女たちの楽しそうな笑顔、それが羨ましく感じられるのだ。相手の男性は、由紀子が今まで感じていたように、気持ち悪いもので、男性という人種はあくまでも厭らしさに包まれていると思っているにも関わらず、女性の表情から、次第に自分が何を考えているのか、先が見えてこなくなっていた。

――ひょっとして鬱状態への入り口に、その時の先が見えなくなったという思いが影響しているのではないだろうか?

 と感じられるようになった。

 鬱状態を感じるようになったのは、意識としてはもっとずっと先だったような気がしたが、自分の意識の中に、

――遠い記憶になればなるほど、時系列がハッキリしない――

 という当たり前のことを再認識しようと思う時があるが、その影響なのかも知れないと思うようになっていた。

――遠い記憶と、近くの記憶――

 時系列という言葉を気にするようになったのは、いつ頃だっただろう?

 同じことを考えている人はいるだろうとは思っていたが、ニアミスをずっと犯していて、そばにいるのに気づかなかったというのは、何かの運命なのかも知れない。その人と出会うことで自分の運命も変わってしまう。そんな予感を感じさせる出会いの前に、まず自分に声を掛けてきた男性に何を感じるかということが肝心だった。

 その日は、仕事がいつもより早く終わり、由紀子以外の皆もほとんど同時くらいに一段落をつけていた。普段から残業も余儀なくされてきた仕事で、皆が同じように早く終わるのは珍しかった。

「どこか飲みにでも行きましょうよ」

 と、隣の机に座っている一年先輩の人から声を掛けられたが、由紀子はこんな日ほど早く一人になりたかった。

「ごめんなさい。今日はちょっと用事が」

 と言って、申し訳なさそうな顔をしてやんわりと断ったが、相手はどう思っただろう?

「しょうがないわね。じゃあ、今度誘った時は絶対ね」

 と、それほど怒っている風ではなかったし、次回のことを言われるのは、もう二度と誘われないわけではないので、嫌われたわけではないということで、一安心だった。

「ええ、本当にすみません」

 と一礼をして、頭を上げた時、すでに彼女は踵を返して、反対の方に向かって歩いていっていた。

 彼女のあっけらかんとしたところは、課員全員の印象であり、悪いイメージではない。そう思えば、しこりが残ることはないだろう。

 由紀子は、少しだけ後ろ髪を引かれる思いもあったが、会社を一歩出ると、後ろめたさはなくなっていた。普段から会社を一歩出ると仕事のことを忘れるようにしていたので、それが功を奏したというところであろうか。

 駅で電車を待っている時、後ろから声を掛けられた。

「由紀子さん」

 そこにいたのは、どこかで見たことがあるような気がしていたが、すぐに思い出せそうもないと感じた男性だった。

 最初に感じたのは、

――どうして、この人、私の名前を知っているのだろう?

 ということで、苗字なら分かるが名前の方で呼ばれると、自分が相手のことをすぐに分からないことが失礼に感じられた。失礼ついでというのもおかしいが、まずは確かめないことには仕方がない。

「あの、どなたでしたっけ?」

 今思い出せないのなら、一人で考えていても、ずっと思い出せないと思った由紀子は、そう聞くしかなかった。相手が何と答えるかが興味深いところだったが、その名前を聞いて、本当にピンと来るかどうかを思うと、由紀子の中では、かなり胸がドキドキしていたのだ。

「僕は森田と言います。森田啓介、以前学生時代に合コンでご一緒したことがあったんですよ」

 彼の表情は最初から安堵の表情が感じられた。どこにも棘があるような感じがするわけではなく、特徴がどこにあるというわけでもない。どこにでもいるような平凡な顔で、

――どこかで見たような気がする――

 という思いを抱いたこと自体、不思議に感じるほど、特徴らしいものはどこにもなかった。

 ただ、森田という苗字にはどこか意識があったような気がする。

「ああ、何となく思い出しました」

 正直に言うと、さらに彼はホッとしたような表情になり、

――この人のホッとしたような安堵を思わせる表情には、限りがないように思えてきたわ――

 と感じさせられた。

 森田というのは、短大時代に自分が慕っていた女性の苗字だったのを思い出した。

――目力が強く、頼りがいのある人だった――

 という印象が強かった。

「合コンの時、少しだけお話をさせていただいたんですが、覚えておられませんか?」

 と言われても、正直、由紀子には記憶がなかった。戸惑っている由紀子の表情をニコニコしながら見ている森田は、落ち着いているのだが、余裕を持っているように思えないのはなぜだろう? 余裕を持っていれば持っているで、その奥にある心の底を探ってみようと思うのだろうが、余裕があまり感じられないことで、彼の奥を見てみようという気持ちにはさせられなかった。

 ただ、余裕が感じられないといっても、焦っているわけではない。落ち着きは感じられるのだが、その落ち着きの正体が余裕ではないということだ。

――私のことを上から見ているのかしら?

 上から目線という言葉があるが、彼にはそんな視線は感じられない。その理由は、彼の中に失礼だという意識がまったく感じられないからだ。

 彼の態度すべてが自然であり、まるで由紀子が考えていることが不自然に感じるほどだった。

――あまり深入りしてはいけないということかしら?

 という思いも抱かせるほど、彼の落ち着きがどこから来るのか分からないことが、由紀子の中で精神的に引っかかっていたのだ。

「正直、あまり覚えていないんですよ。ごめんなさい。でも、私はあなたのことだけではなく、あまり合コンの時のことを覚えてはいないんですよ」

「そうなんですか? 別に酔っぱらっているようにも見えなかったので、覚えていないということは、合コン自体、あまり好きではないということでしょうか?」

「ええ、そうですね。人数合わせで呼ばれたようなものですから、あまり乗り気ではなかったということですね」

 それが正直な気持ちだった。

 彼に対して、別に嘘をつく必要もないし、逆にウソをついても、すぐに看破されてしまうような気がしていた。

「でも、僕はあなたにあの時、何か安心感のようなものを感じたんです。何かに包まれる安心感というか」

 と言って、遠くを見る目を感じた。彼の虚空に浮かぶ視線の先には、何が見えていたのだろう?

 由紀子は彼のいう安心感という言葉で、学生時代を思い出した。自分が慕っていた森田恵という女性を思い出したからである。

――あの時の私は、さぞやうっとりとした目をしていたことだろう?

 相手は女性であるにも関わらず、男性を慕うような意識があった。別にボーイッシュな雰囲気だったわけではなく、むしろ可愛い雰囲気のある女性だった。

――きっと、目力の強さに圧倒されていたのかも知れないわ――

 後から思えば、すぐにその思いに至るのに、その時は目力の強さを感じながら、自分が慕っている気持ちとは別の感情だと思っていたために、この二つを結びつけることはなかった。

――もし結びつけていたら、あれほど彼女を慕う気持ちになったかどうか、分からないわ――

 と感じていた。

 その気持ちは、社会人になってからも続いていた。一つ年上の恵が、先に社会人になった時は別れを感じることは一切なかったが、由紀子自身が社会人になると、恵との別れを急に感じるようになり、次第に連絡を取ることもなくなった。それまでも恵から連絡をくれることはなかったので、由紀子から連絡を入れなければ、二人の仲はそこで終わってしまうことを意味していた。

 頼子は、由紀子が思っているよりも自分の方が強く由紀子を友達だと思っている人だったが、逆に相手がさほどではなかったのに、由紀子の方が慕っていたことで相手に意識させた相手だった。最後まで片想いで終わった人は多かったが、自分の強い思いを受け止めてくれた人は、恵だけだったのだ。

 それだけに、恵を想う気持ちもひとしおだった。

 恵を想っているにも関わらず、恵は由紀子の視線に関しては上の空なことが多かった。元々恵は目力は強いのだが、時々、虚空を見つめているのを、よく人に見られていた。

「森田さんは、目力は強いのに、いつもボーっとしているように見えるわね」

 という話を聞いていたが、他の人は誰も恵の視線を上の空だという人はいなかった。面と向かって話をしている時、急に上の空になるのは、相手が由紀子の時だけだったのだ。

 森田啓介に、安心感を感じている時、なぜか恵の虚空を見つめている表情を思い出した。

――あの目は、誰かを慕っている目に見えるんだけど……

 と感じていた。

 恵と一緒にいる時は、彼女の虚空を見つめる目に安心感を覚えていたはずなのに、後になって思い出すと、そこには安心感とは異なる違う感情があった。

 不安な感覚ではないが、どこか不安定さが感じられた。本来なら、虚空を見つめている目にこそ、不安定さを感じるのが当たり前なのだろうが、最初に安心感を感じてしまったことで、不安定さがどこから来るものなのか、自分でも分からなかった。虚空を見つめる目にはやはり曖昧な感情が見え隠れしていて、その方向や距離感がまったくつかめないのではないかと感じさせるほどだったのだ。

 その思いは時が経つほど曖昧になっていき、もし、このまま思い出さなければ、いずれは自然消滅していただろう。だが、思い出したということは、消滅させてはいけない何かが目に見えないところで蠢いているような気がして、森田啓介に感じた安心感が、急に薄れてくることがあるとすれば、その後ろに恵を感じているからなのかも知れない。

「僕は、坂本由紀子さんを、本当はずっと前から知っていたんですよ。由紀子さんは忘れているかも知れませんが」

「えっ、そうなんですか? それはいつ頃のことですか?」

「小学生の頃のことですね。僕は途中から引っ越していったので、由紀子さんはあまり意識がないかも知れないんですけど、たまにお話をすることもあったんですよ」

「どんなお話しですか?」

「妖怪のお話をした記憶があります。あなたは、『妖怪を信じない人も多いけど、本当にいるのよ』と言っていました。僕が『どうして?』と聞くとあなたは、『信じる人にだけ見えるのが妖怪なのよ。妖怪というのは、見えようが見えまいが、必ずその人のそばにいるのよ』って言っていたのが、印象的ですね」

「ああ」

 そういえば、小学生の頃、それも低学年くらいの頃だったか、お化けや妖怪を本当に信じていた時があった。その時、クラスメイトの男の子で、やたらと妖怪に詳しい子がいて、いつも話をしてもらっていたのを思い出した。

「あの時、いろいろ教えてくれたんだよね。あなたは、本当に妖怪に詳しかったわ」

 というと、彼は照れくさそうに、

「本当は全然知らなかったんだけど、君が妖怪に興味があるのを知って、時間があれば、図書館でいろいろ調べていたんだ。君は分からなかったみたいだけど、僕はカンニングペーパーを用意していたんだよ」

 と、言って微笑んでいた。

 妖怪が話題で仲良くなるというのもおかしなものだが、子供なのだから、許されることだと思っていた。

 ただ、もう一つ思い出したのは、その時の少年が、慌ただしく東京に引っ越していったのが印象的だった。

「まるで逃げるようにいなくなったわ」

 という大人の言葉に対し、子供心に、

――なんか、可哀そう――

 と思ったことを覚えている。

 普通なら、まるで夜逃げ同然に逃げ出す人に対し、悪口を言っている人に対し、同調するくらいの気持ちである由紀子なのに、なぜそんなに同情的だったのか、すぐには思い出せなかった。

 ただ、その時、近所でちょっとした事故があったのを思い出した。

「納屋に閉じ込められている子供が発見されたんだって」

 ちょうどその時、同じ学校の誰かがいなくなったということで、学校総出で捜索していた。警察にも届けて、本格的な捜索を始めようとした矢先に、

「納屋で見つかった」

 という話を聞かされた。

 由紀子は、

――よかった――

 と思った反面、納屋と聞かされて恐ろしい思いがよぎった。

 実は前の日に、どこかのカギを見つけ、どこのカギか分からないまま、そのまま捨ててしまったのだった。納屋で見つかった友達が、

「入ったんだけど、カギがかかってしまって、出られなくなった」

 と言っているという。

「あそこの納屋は中からも開けられるように、カギは戸棚にあったはずなのに、あの子も知っていたはずだよ」

「どうやら、そのカギがなかったみたいよ」

 という話が聞き漏れてきた。

「カギがなかったから、子供が閉じ込められたということ?」

「そういうことなんでしょうね? 伝え聞いただけだから何とも言えないけど」

 由紀子は、最初そこまでその会話を意識していなかったが、一人になると急に怖くなった。

 そして、由紀子が、

――モノを捨てられない性格――

 になってしまったのは、その前後だった。

――あの時、もっとしっかり確かめておけばよかったのかしら?

 嫌な予感の確認をしないまま、自分の中でトラウマとなってしまい、時間が経つにつれて、それ以上の確認をする勇気はなくなってしまった。そんな思いを抱いたまま、今に至っているのだ。

――繋がっていなかった線が、繋がりつつあるような気がする――

 と思い始めていたのだ。

 あの時から由紀子の中で、

――捨てられない――

 ということがトラウマとなり、トラウマではあるが、無意識のうちに自分の性格に変わりつつあった。

 それは自分から、

――トラウマだという思いを抱きたくない――

 という、トラウマという言葉に対してトラウマを感じたからなのかも知れない。

――捨てられない――

 というこの感覚は、由紀子の中で次第に奥深いものになっていって、気が付かないうちにまわりを巻き込んでいたことに気づいていなかったのだ……。

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