宿命
森本 晃次
第1話 生き直す
栗田俊三は、夢を見ていた。いや、夢を見ていると思っていたと言った方が正解であろうか? 今年四十歳をすでに超えていた俊三は、夢の中では子供の頃に戻っていた。
だが、それが本当に自分の子供の頃の夢なのかということを、最初から疑っていたわけではない。しかし、夢を見ていると感じたのは、最初からだと思っていたが、どうやら、途中からのように思えてならない。夢が時系列で並んでいないという意識があればこそ、夢の途中だという意識が生まれたに違いない……。また、人生というものを、
――子供の頃から人生をやり直したい――
というわけでもない。だが、今の人生は自分が望んでいた人生であるわけがないのは分かっていた。四十歳を過ぎても独身。離婚を経験したわけでもない。結婚していないだけのことだった。
会社でも肩書があるわけではない。普通の平社員をそのまま進んできただけだ。同期入社の連中は、課長になったり、責任者の肩書を持っていたりする。
別に羨ましいわけではない。肩書きがついたばっかりに、責任ばかり負わされて、上からと下からの板挟みに精神的に追いつめられるのが分かっているからだ。そんな状況に自分が耐えられないのは分かっている。会社側もそんな自分のことを分かっていて、責任者にさせられないのだろう。それはそれでありがたいことだった。少々給料が上がっても、そのせいで、毎日生きた心地もない、追いまくられるような人生はまっぴらごめんだからである。
ただ、寂しい心境はどうすることもできない。
今までに彼女がいなかったわけではない。二十代の頃には、それなりに恋愛も経験した。
「あいつにはもったいない」
と噂されるほどの彼女がいた時期もあったが、結婚まで行きつくことはなかった。
――付き合う女性と、結婚を考える女性は別だ――
という意識があったのは事実だが、それだけではなかった。根本的に考え方が違ったのだろう。
「あなたの考えていることが分からない」
と言われて、別れてしまったことも少なくはなかった。
いきなり言われてもビックリするだけだった。どうしていいのか分からず、未練たっぷりだったのを覚えているのだが、なぜかその時に感じたはずの孤独感に対して俊三は、
――俺は一人が似合っているのかも知れないな――
と、本音とは裏腹の考えがよぎったのを思い出した。まるで自分に対して言い訳をしているようである。
しかし、それは言い訳ではなかった。本心でもないのに、本心と正反対の考えが頭に浮かぶというのは、
――逆も真なり――
という言葉の通り、簡単に打ち消すことのできないことだった。
しかし、それでもその発想を持ち続けるということはなかった。もっと覚えていてもいいはずなのに、すぐに意識から消えてしまった。ただ、何かが燻っているという感覚はその後も残ったが、それが、この思いであることに気付くことになるまでに、かなりの時間を要することになる。
「今までの人生でいつが一番輝いていたのか?」
と聞かれたとすれば、その答えを見つけることはできないだろう。
「その答えが見つかる時は、俺の人生が終わる時なのかも知れないな」
キザな言い方だが、口にしないだけで、その思いは頭の中にあった。ただ、その言葉を口にするかしないかで、その人の人生が大きく変わることもあり、元々の性格がそのどちらを選択するかによって、自覚できることになるのだが、その時の俊三に分かるはずもなかった。
結婚しなかったのは、
「自分の、結婚したいと思った人が現れなかったから」
と言っても言い訳にしかならないが、少なくとも今まではそう思うことで自分の中で納得できていた。
――俺は人生を諦めているのだろうか?
四十歳を過ぎて、急に考えるようになった。十代、二十代、三十代と、同じ十年でも、その時間の長さはまったく違っていた。年齢を重ねるごとにどんどん短くなってきている。それは間違いないことだった。しかし、
――十代の頃の方があっという間だったような気がする――
と、感じるのだが、それが錯覚であることに気付いたのはごく最近になってからのことだった。四十歳になってから、少し前まで、あっという間だったという感覚を持っていたのだ。
近くであれば、長さの感覚は正確に感じることができるが、離れていくにしたがって曖昧になり、見た目は長さが短く感じられてしまうのは、目で見ているからなのだ。つまりは、
――過去を見た目で見ているか、それとも感じながら見ているか――
という違いなのだ。
逆に言うと、過去を見る目が、四十代になって、見た目で見ている証拠だということになる。
そんな俊三だからこそなのだろうか、最近は子供の頃の夢をよく見るようになった。
――子供の頃に戻りたい――
などという発想があるわけでもないのは前述の通りだが、子供の頃が懐かしいという感覚があるわけでもない。それなのになぜ子供の頃のことが夢に出てくるのかということを考えてみると、
――何か、子供の頃の記憶で、大切なことを忘れてしまっていて、それを思い出そうとしているからなのではないだろうか?
と考えているに違いないと思っている。
ただ、それを思い出してどうなるというのか自分でも分からない。それが自分にとって思い出してもいいことなのかが問題だ。忘れているということは、思い出したくない、あるいは思い出してはいけないという意識があるから、記憶の奥に封印している可能性が一番高い。それを今さら引っ張り出す必要が、どこにあるというのだろうか?
ただ、最近の俊三は夢をよく見るからなのかも知れないが、なぜか子供の頃の記憶が重複していたり、ありえない相関関係を感じることがあったりする。その答えをずっと考えてきたが、一つの結論を得ようとしていた。
――本当は最初から気付いていたことなのかも知れない――
と思うことであったが、それを認めることは俊三にはできなかった。しかし、いくら考えても同じところに戻ってくるのであれば、それを闇雲に無視し続けることもできないであろう。
その考えというのは、
――自分の子供の頃の記憶が二つ存在している――
というものだった。
現象から考えればそれしかありえないのだが、それを認めることなど、そう簡単にできるはずもない。自分の過去が二つあったなんて、そんな発想を誰ができるというものだろうか。
最近の俊三が見る夢は、いつもそんな夢だった。似たような夢を見るのだが、最後はいつも曖昧で、気が付けば目が覚めている。覚えていること自体が不思議な気がするのに、最後のところが曖昧だというのも、却って何かそこに意図でもあるのかと考えされられてしまう。
俊三にとって、最近見ている夢は確かに同じような夢だったが、どこか微妙に違っているのを感じた。
――ひょっとして同じ夢を見ていると思っているけど、本当は継続している夢なのかも知れない――
と感じるようになっていた。だからこそ、最後が曖昧なのであって、その理由は、夢を見ている自分に、夢が継続しているという意識を持たせないようにしているからではないかと思っていた。
しかし、それであるならば、目が覚めてから、夢を覚えていないように、すべてを夢の中でのこととして、記憶の奥に封印してしまえばいいのだろう。しかしそれができないということは、何か夢のメカニズムがそういうことになっているのかも知れない。
夢を夢だけで完結させるには、目が覚めてから、夢の内容が現実世界から、
――思い出してはいけないこと――
という意識がなければいけない。その例としては、現実に起こったことそのままを夢に見たとすれば、目が覚めてから、記憶の中の昔に起こった出来事と、夢で見たことが混乱してしまわないような作用が働いている。だから、夢から覚めてから、忘れてしまい、覚えていないと感じるに違いない。そう考えると、納得ができ、夢と現実の狭間には大きな壁があるように思えてくるのだった。
俊三は子供の頃と今とでは、かなり違っているように感じていた。どこかに人生の分岐点があったのだろうが、気付かずにスルーしたと思っているのだ。思い返してもそんなものが見つかるはずもない。見つからないものをわざわざ追いかけて探し出そうというのも、愚の骨頂のように思えたのだ。
ただ、俊三が子供の頃の重複した意識を夢で何度か感じている。夢の中ではそれなりに違和感もあるのだろうが、実際に目が覚めて、重複したという意識があっても、それを引きづることはない。
――夢だということで、自分を納得させているからだ――
と考えると、夢に見るのはわざと見させるような力がどこかで働いているからである。
つまりは、子供の頃の二つの意識は本当に俊三の中に存在するのだろう。
もし、それを俊三が認めてしまうと、理不尽な感覚がずっと消えないでいることになる。そのことを考えあぐねている間、
――本当に決断してしまわなければならない事象が発生した時、冷静な判断ができるであろうか?
という思いがないわけでもない。
俊三の中に、
――夢を覚えているというのは、それなりに覚えているだけの理由が存在しているからなのかも知れない――
という思いが次第に大きくなっていった。夢というものが、何か自分の中の思いを遂げさせてくれる力になってくれるという考えであった。
その思いは、実は三十歳代の頃にも持っていた。
ただ、その頃に見る夢は、未来のことばかりで、過去のことを思い出すことはなかった。未来のことと言っても、目の前の未来のことである。実に小規模な夢で、それくらいなら、夢が思いを叶えてくれても、別に不思議のないことだった。
いや、夢が叶えてくれるわけではなく、実際に叶うことになる夢を見るだけのことだった。
さすがに、「予知夢」というほど大げさなものではない。少し考えれば、実現できる夢かどうか分かるからだ。
――実現できる夢だから寝ていて夢に見るのかも知れない――
要するに、三十歳の頃の夢は、
――都合のいいことを夢に見ていただけ――
ということになるのではないだろうか。
その心がどこにあるのかというと、
――自己満足を得たいだけ――
ということだった。目の前のことが実現したことで、それ以降の人生を繋いでいけるという、
――綱渡りの人生――
を、正当化したかっただけなのだ。
それだけ、自分の先の未来についてなど、考えたくもないという思いがあるのかも知れない。考えることの怖さを、三十歳になって感じている。
俊三は、二十代と三十歳になってからの自分とで一番の大きな違いは、
――人と関わりたくないと思うようになった――
ということだった。
別に人見知りだというわけではない。逆に二十代までも人と普通に付き合っていたが、人懐っこかったわけでもない。相手が誰であろうと、普通に接していればよかった二十代までと違い、三十歳になれば、まわりの状況によって、自分の考えを曲げてでも合わさなければいけないということに、ようやく気付いたのだ。
本当はもっと前から気付いていなければいけなかったのだが、気付かなくても何とかやってこれたことで、気付こうという姿勢がなかったのだ。
三十代前半は、何とか合わせようとして、自分の中でかなりの無理をしていたようだ。
しかし、無理もある程度まで我慢してくると、そこから先は、
――いつ開き直るか――
ということで、その後の態度が変わってくる。
開き直りにも二種類あって、この場合は、
――長いものには巻かれろ――
と考えるか、それともあくまで自分の生き方を貫くかということのどちらかということになるであろう。
俊三は後者を選んだ。
――長いものに巻かれるなんて人生は自分の人生ではない――
という思いの元、それが自分の今後の考え方の基準になった。まわりの人から、
「あいつは、急に人付き合いが悪くなった」
と言われるようになったようだが、以前からも人付き合いがよかったわけではなく、人と一緒にいることで、何となく安心感が得られていたという感覚があったからだ。
確かに安心感はあったに違いないが、その分、同じようにストレスも溜めていた。そのストレスの原因が分からなかったことで、三十歳になってから、急に鬱状態が襲ってくるようになったのだが、鬱状態の自分が最初は嫌いで仕方がなかった。しかし、ストレスが安心感と引き換えに襲ってくるものであることに気が付くと、鬱状態の自分が、
――本当の自分なんじゃないだろうか?
と思うようになった。
人と関わることがなくなってから、誰かが近寄ってくると、ついつい避けるようになった。仕事も営業ではなく、デスクワークだったので、本当は人との関わりも大切なのだろうが、
「あの人はとっつきにくい」
と言われても、それで仕事が滞ることや、それほど困ることはなかった。そんな環境が三十歳以降の俊三を増長させたと言っても過言ではないだろう。
そんな俊三は、人と関わることで起こるストレスは自分の目に見えていたが、人と関わらないことでもストレスを感じていることには気付かなかった。
まわりに人が本当にいなければ、感じることのないストレスである。ちなみに、まわりに人が誰もいなくても、ストレスというのは感じるのだろうが、結局は人と関わることでストレスを感じるのであれば、どんな立ち位置に立っていても、違った意味でのストレスは感じることになるのだ。
俊三はそのことに気付かなかった。だが、まわりに誰もいなくて感じるストレスが形になって現れたのが、鬱状態だった。鬱状態は自己嫌悪から起こったものだと思っている。だから、そこにストレスという考えが入りこむ余地はなかった。少し考えれば、自己嫌悪がストレスから生まれたものであるということはすぐに分かったのだろうが、ストレスの存在を頭から消していた俊三にはありえない考えだった。
ストレスの存在を認めるということは、自分が人と関わらないという選択をしたことが間違いだったと認めなければいけない。
――同じストレスを感じるなら、どうして人と関わらない道を選んだりしたんだ。それではまるで逃げただけではないか――
自分の決心を今さら否定して何になるというのだ。それだけはできないと思う俊三だった。
俊三の見る夢が、それまで未来ばかりを見ていたはずなのに、未来をまったく見なくなったのはいつ頃からだったのだろうか?
俊三はそれを、
――俺自身が、人生の半分を過ぎたということを自覚してしまった証拠なのではないだろうか?
と感じるようになっていた。
実は、三十代中盤からその意識は持っていた。
――夢が過去ばかりを見て、未来を見なくなる時期がきっとやってくる――
というものだったが、その考えは自分に不吉な思いしか抱かせなかった。
それは最悪、死というものが近づいた証拠なのかも知れないと感じたからだ。
動物は自分の死期を悟るという。特に野生の動物は、自分の死が近づくと、自分に関わった人から離れて、決して自分の死ぬところを見せようとはしないと聞いたことがあった。もちろん、本能がそうさせるのだろうが、本能といえど、説明ができて、納得のできる答えがあることに違いない。人間の感覚と動物の本能とでは、決して交わることのない平行線を描いていて。その間には越えることのできない結界が存在しているのだろうと思っている。
俊三はそこまで深刻に考えたわけではないが、人生の折り返し点に立つことになることは感じていた。
――じゃあ、人生を折り返したという意識を感じる瞬間が、本当に訪れるのだろうか?
と考えてみた。
実際には、そんな時期を感じるはずもない。いつ死ぬか分からないから人生なのだ。そう簡単に人生の折り返し地点が分かって溜まるものではないはずだ。
そう感じた時、
――夢が動物でいう本能と同じ効果を感じさせるものなのかも知れない――
と思った。
あくまでも感じさせるものであって、本能とは違うものだという考えだ。なぜなら、人間の潜在意識と、本能とでは違っているからだ。動物には本能はあっても、潜在意識というのがあるのだろうか? 犬や猫も夢を見ると聞いたことがあるが、人間のように潜在意識が見せるものだと言えるのだろうか? 動物の態度を見る限りでは、急に態度が変わるということはない。彼らは感情を人間に対して隠しているのかも知れない。感情らしく見えることも、本能から来るものだとすれば、
――動物と人間の一番の違いは、動物には潜在意識というものが存在しない――
ということではないだろうか。
俊三は子供の頃に家で飼っていた犬を思い出した。
従順な犬で、家の中で一番気にしていて、一番可愛がっていたのは俊三だった。だが、誰に一番媚を売っていたかというと、それは母親だった。子供心に嫉妬したものだが、エサをくれる母親に一番媚を売るのは当たり前のことで、分かっていたはずなのに、そのことを認めたくないと思う自分がいたのだった。
――嫉妬というのは、自分が嫉妬しているのが分かっているからこそ、止められないのではないか?
と思っている。
意地になってしまっているのだろうが、
――ここまで来て止められない――
という思いが強い。人と関わりたくないという思いとも密接に結びついていて、
――ひょっとすると、俺の人と関わりたくないという感情は、今に始まったことではなく、子供の頃から燻っていたものなのかも知れないな――
と感じることもあった。
子供の頃の記憶が二つ存在しているように思っているので、どっちの記憶なのかハッキリとしないところもあるが、その根本には意地を張っていた自分がいたことは分かるような気がしていた。
あれは夢だったのだろうか?
俊三は自分の人生を振り返って、失敗したと思うところからやり直したいと申し出ていた。
教会のような場所で、自分は跪いている。目の前にはキリストが磔になっていて、その向こうのステンドグラスから、光が漏れていていた。
レインボーのその光は、眩しさというよりも、夕焼けのようなどんよりとした明るさに思えた。
見上げていると、そこに一人の神父が立っていた。逆光で顔は見えない。後光が差しているように見えるので、本当の大きさは分からなかったが、思ったよりも小さく感じられた。
神父と思ったのは、思い過ごしかも知れない。その人は何も言わず、俊三を見下ろしていた。
「俺は、ある地点からでいいので、人生をやり直したいんだ」
と告げた。
「それは無理だ」
神父と思しき男が告げた。目の前にいるにも関わらず声がどこから聞こえてくるのか分からいくらいだったので、それだけ建物全体に声が響いたのだろう。しかし、最初に発した自分の言葉は建物に響いた感じはしなかった。不思議な空間を味わっているのだと感じた。
「なぜ、無理だと?」
「君が望んでいる地点から人生をやり直すと、それまで平和に暮らしていた人の人生を狂わせることになる。だから、それはできない」
そんなことは言われなくても分かっていた。それなのに、どうして人生をやり直したいなどと告げたのだろう? ダメだと思っていても、口に出してしまわないと我慢ができなかったからだろうか? もしそうであるなら、この世界が夢の世界だと最初から自覚しての言葉だったに違いない。
――夢の中なので、何でもありだ――
と思ったのだろうか?
それとも、夢の中だということを自分の中で証明したいとでも思ったのだろうか?
どちらにしても、夢の中だという意識があったのは間違いのないことで、普通に教会の中で神父に懺悔をしているような妄想であればいいはずなのに、どこか普通の教会とは違う雰囲気を感じていたのは、夢を見ているという意識の表れではないかと思っている。
大体、神父が相手のことを呼ぶのに、「あなた」ではなく、「君」という表現を使うのもおかしなものではないだろうか。同じ夢でも普段とは違う夢を見ていると思うのは、
――現実であってほしい――
という思いもあるからだ。
だが、俊三は本当にどこまで遡って、自分の人生をやり直したいと思っているのだろう?
最初、神父にお願いした時は、おぼろげであったが、大体の場所は見当がついていた。しかし、神父に無理だと言われた瞬間に、それがどこだったのか忘れてしまった。そんなに中途半端な意識しかないのに、本当にやり直したいと自分で思っているのかということも疑問に感じられるほどだった。
そういう意味では断られて安心している。人生をやり直すなどできるはずもなく、本気で望んでいるわけでもないからだ。
やり直せるのだとしても、自分がやり直したいと思っている時点からやり直して、もっと悲惨な人生が待っていたら、後悔してもしたりないだろう。
そんなことを考えていると、
「人生を途中からやり直すことはできないが、別の人生を途中から歩むことはできる」
神父は不思議なことを言い出した。
「どういうことですか?」
「今の記憶を持ちながら、別の人生を進めることができるということなんだが、君はパラレルワールドという言葉を知っているかね?」
神父に似つかわしくもない、科学者のような言葉が飛び出した。
「知っていますが、それが何か関わってくるんですか?」
「別の人生という言葉は、言い換えればパラレルワールドということになるんだよ。私に限らず、今この現在を、生きている世界とは別に、他にも世界が広がっているのではないかと思っている人はたくさんいると思うんだよ。口に出さないだけでね」
「でも、どうして皆口に出さないのかな?」
「いろいろな理由があると思うけど、他の人からバカにされたくないと思っている人、信じているが人に話すことで、せっかく頭の中で広がった世界が、意識から消えてしまうのではないかと思っている人、それぞれだけど、言えることとすれば、誰もが信じているということなのだと思うんだよ」
「じゃあ、信じていない人ほど、口に出すのかな?」
「絶対的に信じている人は、自分の中に論理が出来上がっているので、口に出しても問題ないけど、信じていない人の場合は、重大さという意味においては、まったく意識のない人なんだと思う。言い方は悪いが、無責任だと言えるだろうね」
「私も、パラレルワールドのことは信じているつもりですが、心の底で、誰かに否定的な意見として論理的に説明してほしいと思っているのも事実なんですよ」
と俊三がいうと、神父の方も、
「私だって、全面的に信じているわけではない。しかし、考えれば考えるほど、パラレルワールドを肯定する結論に至ってしまうんですよ。私は考えることが好きなので、いつでも何かを考えているんです。だから、君が考えていることくらいはお見通しなんだよ」
「どういうことなんですか?」
「人生をやり直したいと思ってはいるけど、どの時点に戻ればいいか分からない。でも、大方の見当はついているので、とりあえずそこまで戻りたいと思っているわけでしょう?」
「そうだけど……」
「でも、人生をやり直すと言っても、完全に時間も、自分もその頃に戻ってしまっては、また同じことを繰り返すかも知れない。先を知らなければ、きっと同じことを繰り返すに違いないと思う。だから、自分の今の記憶を持ったまま、時間だけ遡りたいという都合のいいことを考えている」
図星を言われてドキッとした。しかし、考えてみれば、人生をやり直すということはそういうことだ。
――どこかで自分の人生が狂ってしまった――
と思うから、人生をやり直すのだ。また同じことを繰り返したのでは、人生をやり直す意味はまったくないではないか。都合のいいことを思って何が悪いというのだ。それこそ、人間らしいと言えるのではないだろうか。
まあ、人生をやり直すなど、そんなことが叶うはずはないことくらい分かっている。もしそれができるのだとすれば、
――人生をやり直す――
というのではなく、
――生き直す――
というべきだろう。
別の人間になって、人生を最初からやり直すのであれば、自分の人生を途中からやり直すのと違って理屈嬢は不可能ではないような気がしていた。
ただ、もちろん、まったく違う人間として生き直すのだから、本人の意識や記憶は完全にリセットされているはずである。
――しかし、それなら生き直すという言葉もおかしいな――
新しく生まれた人間と、今の自分とのどこに相関関係があるというのだろう? 自分は死んで、まったく違う人が生まれるということになるわけだから、生き直すという言葉もおかしい。たとえば、殺されたり不慮の事故に遭って死んでしまった人間が、未練を残したままこの世を去った場合、生まれ変われる権利があるのだとすれば分からなくもない。しかし、その場合でもまったく違った人間であり、意識も記憶もまったくなく、さらには似ても似つかぬ性格の持ち主になっているかも知れない。魂だけは同じであっても、それでは再生ではなく、
――魂の使いまわしではないか――
と、夢も希望もない結論に至ってしまう。
そこまで考えてきて、さらに神父から図星を言われてしまっては、もはや人生をやり直したいなどと考えることもなかった。
しかし、その時神父は面白いことを言った。いや、言ったというよりも、呟いたと言った方が正解かも知れない。ボソッと呟いたので、ハッキリと聞こえなかったが、確かに神父は言ったのだ。
「人生をやり直すことができないわけではないぞ」
「どういうことですか?」
「君が行くことで、完成される人生というものがあるとすれば、逆に君がそこに行くことが運命づけられているということになる。私はそこに君を誘いたいと思う」
「もし、私が拒否すれば?」
「それはできない。元々は君が望んでここに来たんだよ。ここは望んだ者だけが見ることができる世界。しかも、望みは必ず叶う。しかし、その望みが必ずしも、本人の意図したものであるとは限らない。自分の意図している通りに、望みが叶うとは限らないということさ」
「一体、どうして?」
「それは、私が君自身だからさ」
と言って、男の薄気味悪い笑いが、館内にこだましている。
その瞬間、ステンドグラスから木漏れ日のように入り込んできた光は遮断された。一瞬、真っ暗になったかと思うと、部屋の中の明かりがついた。先ほどまでの幻想的な光と違って、まるで蛍光灯の明かりのように、リアルな世界を思わせた。
部屋も天井の高い教会だったはずなのに、どこかプレハブの部屋のようなところのようだ。
――どこかの倉庫かな?
と思わせるような荷物のが積んであるのが分かったが、なぜそこにいるのか、まったく分からなかった。
しかし、次第に部屋の中がムシムシしてくるのを感じると、表からはセミの声が聞こえてくるのを感じた。
――それにしてもさっきの男――
神父の格好をしていたその男の姿を見た時、それが普段、一番見ることができない顔であり、見た瞬間、
――見てはいけないものを見てしまった――
と感じたような気がした。
その男の顔、それは俊三そのものだった……。
夢の中の出来事なのは理解できたが、夢の中というのは、目が覚めるきっかけになる瞬間をいくつも持っているものだと俊三は思っていた。
夢というものに対して、俊三は自分なりの考えをいくつも持っている。同じ内容でも種類の違う解釈を持っているところが、きっと他の人と違うところなのかも知れない。
――重複した考え――
俊三には、そんな感覚は微塵もなかった。何しろ、
――俺は一つのことを考えている時、他のことは考えられない性格だ――
と思っているからだ。
しかも、それは自分だけに限らず、他の人もほとんどそうだと思っている。中には一つのことを考えていても、他のことを考えられる人もいるが、それこそ、人より秀でたその人の力なのだと思っていた。
ただ、夢というものに対しては、同じような考えの中に、いくつもの意見があった。一つのことを理論づけてしまうと、他の理論は考えられないと思っている俊三がであった。その中でも、
「夢は一瞬でしか見ることができないものだ」
という意見があるにも関わらず、
「夢から覚めるきっかけは複数存在している」
と、それぞれに矛盾している考えが一つの夢という言葉の理論として存在しているのだった。
俊三は、その発展形として、
「夢から覚めるきっかけのうち、間違った選択をしてしまうと、夢から覚めるどころか、違う世界に入りこんでしまう可能性だってありうる」
と思っている。
その世界というのも、実は夢であり、ひょっとすると、それは自分の夢ではなく他人の夢に入り込んでいるのかも知れないというものだった。もちろん、そんな夢を覚えているはずもない。忘れてしまうことは、人の夢に入り込んだ瞬間から決まっていることなのだ。しかし、夢から覚めて、夢を覚えていなかったり、忘れてしまったと思うような作用は、表からの力によるものではない。あくまでも自分の力によるものだ。
「夢とは、自分の中だけで、完全決着するものだ」
という考えも、俊三の夢に対しての考え方の大きな特徴でもあった。
セミの声が聞こえてきているのだから、季節は夏なのだろう。ただ、このムシムシした感覚は、まだ梅雨も終わりきっていない時期なのかも知れないと感じた。梅雨が終わっていなくても、セミの鳴き声は聞こえてくる。季節的には微妙な時期なのかも知れない。
まだ、頭の中はボーっとしている。暑さのせいなのか、それとも夢から覚めてきた証拠なのか、ボーっとしている中で痛みも感じているので、夢から覚めてきた証拠だと思えてきた。
倉庫の中は、異臭が漂っていた。ただ、懐かしさを感じる臭いでもあり、思ったよりも嫌ではなかった。木造の倉庫の中で、油引きの臭いがしてくる。小学校の頃の床を思い出していた。
――だから、懐かしく感じるのか――
そう思うと、目が覚めてきていると思ったが、まだ夢の続きを見ているのかも知れない。過去からやり直したいと言った自分に対して、生き直すことを半ば強制させられたところで目が覚めたはずだった。
まったく記憶にない場所ではあるが、懐かしさを感じる。
――俺は、目覚め方を間違えたのだろうか?
夢から覚めるきっかけは意識しなければ、普通に目が覚めるはずだった。しかし、夢の中での神父の言葉が頭の中にあることで、目覚めるきっかけを意識してしまったような気がしていた。選択の余地などあるはずもないのに、選択させられた記憶があるが、そのせいで、違う世界に入りこんでしまったのかも知れない。
――まさか、本当に生き直すことになるのだろうか?
すでにどこからが夢で、どこまでが夢だったのか、分からなくなっている。
――夢に対して考える力がマヒしてしまったのだろうか?
俊三は、しばらく様子を見てみるしかないことを悟った。
最初は何も聞こえず、耳鳴りだけだった。
そのうちに、ムシムシしているのを感じてくると、外からセミの声が聞こえてきた。そして、季節が梅雨の終わりか、夏なのかと思うようになってくると、お腹が空いてきたのを感じると、どこからか、ハンバーグの焼ける匂いがしてきた。
――異臭を感じていたはずなのに――
と思うと、先ほどの異臭が、カビ臭さであることに気付いた。ハンバーグの匂いは、カビ臭さに気付いた後、空腹感が襲ってきたことで、まるで条件反射のように感じたのだったが、ハンバーグの匂いを感じると同時に、身体に纏わりつく汗とともに、気だるさが感じられると、その時間帯が夕方であることに気付いていた。
――この感覚は子供の頃のようだ――
母親がよく作ってくれたハンバーグ。そして、そのハンバーグの匂いを彷彿させるかのように表で遊んで帰る時に感じたどこからともなく感じた匂い。
――俺は、子供の頃に戻ったのだろうか?
しかし、神父の姿をしたもう一人の自分は、
「君の意図した通りに叶うとは限らない」
と言った言葉を思い出した。
――限らない――
ということは、意図した通りではないということになる。ただ、まったく意図していない人生が待っているわけでもないと思うと、生き直すであろう人生のどこかに、かつての記憶が潜んでいても不思議ではない。そう思うと、今感じている懐かしさは、これから始まる、「生き直し」の序章であることを感じていた。
だが、これがまだ夢の続きだという思いもまったくないわけではない。どちらにしても、今は身体を動かすことができない。意識としては、
――夢の続きだ――
と思いながら進む方がいいような気がしていた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか? 表がうるさいのが気になっていた。暗闇にも慣れてきたのに反して、表が暗くなってくるのを感じていた。
――日が暮れてきたんだ――
完全に日が暮れるまで、ここまで来ると時間の問題だった。風が止んでいる時間である「夕凪」の時間の訪れを感じていたが、なぜか、最初よりも吹き込んでくる風が強くなっているのを感じた。風には生暖かな空気が混じっていて、先ほどのハンバーグの匂いとは打って変わって、洗濯物の生乾きのような、嘔吐を催しそうな臭いだった。最初に感じた異臭とも似ていて、さっきまでの食欲が萎えてきたのを感じていた。
――子供ではなくなったような気がする――
急に、閉じ込められているという意識が頭を擡げ、恐怖心が襲ってくるのを感じた。
――俺は暗所恐怖症でも、閉所恐怖症でもなかったはずだが――
と、これが本当に自分の頭の中なのか、疑問に感じられた。
確かに襲ってきた恐怖は、暗所、閉所によるものだった。そんなことを感じていると、子供の頃の忘れていた記憶が一つ思い出された。
よく親から怒られては、押し入れの中に閉じ込められたものだった。小学生でも、まだ低学年の頃、あまり自分の考えというものを意識する前のことだった。叱られても、何が悪いのか、押し入れに閉じ込められても、
「悪いことをしたから閉じ込めた」
と言われても、何が悪いことなのかの判断もつかない年頃、そんないたいけな子供に対して押し入れに閉じ込めるのは、今から思えば躾けという言葉に名を借りた、折檻でしかないことは分かっている。
――俺はあんな親には絶対にならないぞ――
母親は優しかったのに、父親はなぜか厳しかった。しかし、いくら優しいと言っても、自分を助けようとしない母親に対しては、憎しみすら覚えたのを思い出した。
その気持ちが自分の中のギャップに繋がり、自分を理解できないことへのジレンマとなることで、自分の心が幾分か屈折していた。子供の頃に漠然と感じていた嫌な思いを、今なら分析できるような気がした。
――やっぱり、元々の記憶を持ったまま、生き直しているのだろうか?
と思えてきたが、身動きが取れない以上、今の自分が何者なのか、判断のしようがなかった。
押し入れにくらべれば、かなり広い倉庫の中だったが、いくら暗闇に慣れてきたと言っても、表が暗くなってしまい、明かりらしきものがまったくなければ、待っているものは、暗黒の世界でしかない。ジメジメとした空気の中、身体に纏わりついた汗が、身体の至るところを痒くしていく。
掻きたくても身動きもできない。身体を動かそうとしても、同じこと。痒みが取れるわけでもない。余計に汗を掻き、もがき続けるだけである。
――そういえば、子供の頃に遊んでいて、土管の中で寝てしまったことがあったな――
その時は、気が付けば夜になっていて、土管を縦にしたところで寝ていたことで、上を見上げれば、微かに星が見えたのを思い出した。
本当はそんな呑気なことを言っていられる場合ではなく、俊三少年がいなくなったということで、近くの派出所を巻き込んでの大騒ぎになっていたようだ。もうしばらく探して見つからなければ、捜索願を出して、本格的に捜索に当たる予定だったという。
「誘拐されたんじゃないかしら?」
とまで囁かれ、まさか土管で寝ていて、そのまま夜になっていたなど、親とすれば想像もしていなかったようだ。
今から思えば、誘拐しても身代金を要求できるような裕福な家庭ではなかったのだから、誘拐よりおよほど土管で寝ていた可能性の方が高かったはずなのに、それでも誘拐を考えたということは、それほど最悪を頭に思い描いていたということであり、そこに人間の心裏が潜んでいることに後になって気が付いた。数年も経てば笑い話になっているのだろうが、母親だけはそれでも笑い話では済まされないと思っていたようだ。
父親が迂闊にも母親の前で笑い話のように当時のことを話すと、ヒステリックに怒り出した。普段の両親とは、完全に立場が逆転する瞬間だった。
俊三が中学を卒業するまでは、子供の頃と同じで、厳格な父親と、それに逆らうことのできない母親という構図が、そのまま残っていた。だが、こと俊三に何かがあった時だけ、両親の立場は逆転する。ヒステリックになりかかる母親を宥めるのが父親の役目だったのだ。
しかし、俊三が高校生になってからは、父親は何も言わなくなった。どうやら、大人に近づいたことを、それなりに評価しているようだった。
「もう、義務教育じゃないんだからな」
と言っていたのが印象的だった。
俊三は、「義務」という言葉は嫌いだった。何かに縛られているようで、身動きが取れないわけではないのに、義務という言葉がついただけで、息苦しさや、纏わりついてくる気持ち悪さを感じた。
しかし、反発心を持つことで、その気持ちを中和することができる。反発心は、そういう意味では、俊三にとっての気付剤のような作用があるのだった。
ただ、高校生になって持つ反発心を、父親は何も言わなかった。何かを言おうとする母親を制するくらいで、
――なぜ、ここまで変われるんだろう?
と感じるほどだった。
「お前は、俺の高校生の頃に似てきた」
というのが、父親の変わった理由のようだが、高校時代になると、家庭に対してあまり考えないようになったのも事実だった。
だからと言って、友達のことが気になるわけでもない。一人でいることが安心感に繋がり、いつも何かを考えている高校生だった。
いつも何かを考えていると言っても、同じことをずっと考えているわけではなく、結論が出るわけでもなく、考えが途中で途切れて、すぐに違うことを考え始める。
元々、何を考えても結論など出るはずないと思っていたのだ。
――結論が出なくても、考えることに意義がある――
と思っていたわけだが、それは言い訳では決してなかった。
――結論のない考えを頭に描くことの正当性を自分なりに得たかったのだ――
ということになるんだろうが、中学時代までも何も考えていなかったわけではない。ただ、
――無駄なことを続けたくはない――
という思いからか、考え始めても、すぐに止めてしまっていたのだ。
――ある一点を乗り越えれば楽になれる。行きつくまでが大変なんだ――
と、自分に言い聞かせられるようになったのは、やはり高校生になってからで、父親が一目置くようになった理由もそこにあるのだろうと、自分なりに解釈していた。
その考えは、当たらずとも遠からじであり、高校生になってから父親を見ていると、無駄と思えることでも、止めようとしないところがあった。気が付けば、すっかり様になっていて、やはり、ある時から人が変わったように一生懸命にたずさわっている姿が、まわりの共感を呼ぶほどになるまでになっていることに気が付いた。
俊三は、高校時代にまで思いを馳せていたが、気が付けば、まだ小屋の中に佇んでいた。真っ暗な中に、星空が見えている。子供の頃に土管から見えた微々たる星の数ではない。数えきれないほどの星の数に、俊三はしばし見とれていた。
いきなり高校時代を思い出していたが、考えてみればおかしな話であった。過去を振り返る時というのは、今までのパターンとして、次第に時代を遡っていくものだというのが自分の常識だと思っていたが、いきなり子供の頃に戻った記憶から、逆に記憶が現代に近づいていき、何かを探しているのに気が付いたからだ。
――人生の分岐点でも探しているのかな?
とも思ったが、どうも違うようだ。
神父の姿をした自分を思い出した時、今の記憶を持ちながら、人生をやり直すというような話をしていたのを思い出した。
――そんなこと、できるはずはない――
と、俊三は思った。
それができるのであれば、それに越したことはないと思っていたが、今の記憶を持ったまま人生をやり直すということは、未来が分かっているということである。
――そんな人生、楽しいはずがないではないか?
もし、自分の記憶している人生とは違う人生を歩めるとしても、今までの記憶がある以上、余計な考えが袋小路を作り出し、堂々巡りを繰り返すかも知れない。
――必要以上の考えは、まさしく「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉に置き換えられるのではないだろうか?
と感じさせた。
ただ、一度子供の頃に記憶が戻ったのであれば、そこから、もう一度新しい人生を組み直すと考えれば、やはり必要以上の記憶は、邪魔になるだけではないだろうか。それでも神父の姿をした自分が記憶を消さずに子供の頃に自分を送ったのだとすれば、何か病んでいるところがあり、それを治療するのに、ショック療法が必要だと感じたのではないだろうか。
小屋から抜けられない間にいろいろなことを考えていると、遠くから名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「この小屋を探してみよう」
男の声が聞こえてきた。
「ここは、昼すぎに兄さんが探して誰もいなかったんだよ?」
「でも、僕はここに誰かがいるような気がするんだ」
と言って、小屋の扉が開いた。
「助けて」
それまで声を出すことのできなかった俊三は何とか声を出すことができ、探していた人たちは歓喜の声を挙げた。
「晃」
「えっ?」
晃と呼ばれて、思わず声が出なくなった俊三だったが、縛られている少年を発見した人たちは、またしても、
「晃」
と叫び、俊三を助けた。この世界では、俊三は晃という名前の子供になってしまったようだ。
それにしても、縛られているというのは尋常なことではない。子供の遊びにしては度が過ぎているが、そのことに関しては誰も晃には何も言わなかった。
晃と呼ばれる少年が連れて行かれたのは、豪華な屋敷だった。屋敷に着くと、心配そうに駆け寄るおじさん、おばさんがいた。その後ろから遠慮がちに近寄ってくる老人の姿が痛々しく感じられたのが印象的だった。
「晃ちゃん、よかったわ。無事だったのね?」
と、おばさんがいうと、
「晃、どこも痛いところはないか?」
と言っていたわってくれたのはおじさんだった。
「坊ちゃま、爺は心配しておりましたよ」
と言って、老人は涙を流している。よほど心配を掛けたのだろう。
「心配かけてごめんね」
と、晃になった俊三は、それだけしか言葉にできなかった。目の前にいる人が誰だか分からない以上、余計なことは言えない。ただ、心配してくれているのが分かっただけでも、心配を掛けたことを詫びなければいけないと思ったのだ。
屋敷の様子や、三人のいで立ちから考えると、おじさんとおばさんは、晃少年の両親なのだろう。そして遠慮がちの老人は執事とでも言えばいいのか、坊ちゃまと呼ばれた瞬間は、ドキッとしたものを感じた。
この屋敷に来て、目の前の三人を見た時、自分の中の記憶が刺激されたのを感じた。まったく知らない人ではないということは分かったのだが、誰なのかというところまでは分からない。
――ひょっとすると、おいおい分かってくるのだろうか?
そう思っていると、自分が子供のくせに妙に落ち着いているのを感じた。
両親は、晃少年を屋敷の中に招き入れて、少しだけ様子を伺っていると、すぐに冷めた様子で、自分のことをし始めた。この変わりようは、子供心に親に対して冷めた目で見る感情を植え付けるには十分だった。
――さっきのは一体何だったんだろう?
まるで誰かに見せつけるようなパフォーマンスではないか。その時にいたのは、両親と執事の三人、そして、メイドさんが二、三人いただけだった。二人が見せつける相手として考えられるのは、それぞれの相手、つまりは、母親は父親に対して、そして父親は母親に対してのパフォーマンスだったように思えてならなかった。
たった数十分ほどしか経っていないのに、先ほどの感動的なシーンがまるでウソだったかのように、冷めてしまった両親を見て、子供心が傷つかないわけはない。そんな分かりきったことを感じていたはずなのに、すでに自分も冷めきった気持ちになっているのは、遺伝によるものなのか、それとも、生まれてからこれまでの育った環境によるものなのか、子供がそこまで思うようになるには、よほどの力が働いているに違いない。
唯一の救いと言えば、執事が優しいことだった。いつも両親(と思しき人たち)の後ろに隠れていて、目立たないようにしてはいるが、一番晃少年のことを考えている。
――痒いところに手が届く――
そんな執事は、晃少年の教育係でもあった。
実際に勉強を教えられるほどの専門的な知識はない。いくら晃の教育係とは言え、それだけの仕事をしているわけではないので、ある意味、中途半端な存在ではあった。だが、晃少年の表となり裏となり、まるで黒子のような存在だった執事は、晃少年がいなくなった時のことを翌日話してくれた。
「あれは、昼前くらいのことでしたでしょうか? 私が電話を取ったんですが、坊ちゃんを誘拐したという脅迫電話でした。さすがの私もビックリして、うろたえてしまい、ご主人様と奥様へすぐに連絡し、警察へ連絡しようとしたのですが、止められました。脅迫電話でも、警察に連絡するなと言われておりましたから」
執事は、落ち着き払って話していた。
「僕を誘拐?」
「ええ、そうです。でも私は最初こそうろたえておりましたが、次第に落ち着いてくると、何か誘拐がウソっぽい気がしてきたんです。すると、もう一度掛かってきた脅迫電話に私が出ることになったんですが、その声を聞いて、それが坊ちゃんだって気が付いたんです。どうして坊ちゃんがこんなことをするのか分からなかったんですが、そこから先は私は落ち着いていました」
「僕がどうしてそんなことをしたのか、聞かないのかい?」
「ええ、ご無事に戻ってこられればそれでよかったんです。それに……」
「それに?」
執事は少し呼吸を整えるようにして、深呼吸をしてから、
「今の坊ちゃまにその理由を聞いてもお答えいただけないと思っています」
「どうして?」
「たぶん、坊ちゃま本人にもどうしてそんなことをしたのか、理由が分かっておいででないと思っています」
俊三は、自分が晃少年ではないので、その時の晃少年の考えなど分かるはずもなかったが、そのことをまるで見透かしたように話す執事を見ていると、
――ひょっとすると、俺が晃少年ではないことまで、すでに見透かしているのではないか?
と感じるほどだった。
しかし、さすがにそこまでは気付いていないようだった。本心から、晃少年が無事に帰ってきたことを喜んでいる。両親のように大げさではないが、最初に見せた涙の表情は、喜びというよりも、安堵の方が強かったからである。
晃少年になって一晩を過ごすと、朝の目覚めが今までの自分よりも、結構きついのに気が付いた。確かに子供の頃は、大人になってからよりも朝は苦手だったような気がする。しかも、こんな豪邸のベッドに寝るなどなかなかないこと、目が覚めて目の前にある光景に、さほど違和感を感じないのも不思議な気がしていた。
――本当に俺は他の人の人生を生き直しているんだろうか?
と思ったが、そう思うと同時に、
――晃少年は、本当にどこに行ってしまったのだろう? 俺が晃少年を追い出したようになっているけど、本当は一人の人間の中に、俺と晃少年の二人が存在していることになるのではないだろうか?
神父が言っていた、
――生き直す――
というのがどういうことなのか分からない。
俊三は、新しい命になって生まれてくると思っていたのだが、別人の人生の中に入りこんでいる。これがどういうことなのか、ハッキリとは分からない。
俊三にとって晃少年の人生が見えているような気がする。
――この少年、あまり長生きできないような気がする――
もし、そうなった時、自分の魂はまた彷徨うことになるのだろうが、そのまま死んでしまうことになるのだろうか? それなら人生を生き直す意味もないような気がする。
目が覚めて、その日一日を過ごしている間に少しずついろいろ分かってきた。
晃少年は病気を患っていて、そのために本宅から別荘に静養に来ていたようだ。
執事と数人のメイドを連れて、海と山が近くにある空気のきれいな街の別荘である。
両親は、翌日には本宅に戻って行った。母親は優しい言葉を掛けてくれたが、父親は忙しいのか、母親とは別行動で、朝早く別荘からいなくなっていた。大人の世界を知っている俊三なので、それも仕方がないのは分かるが、晃少年の気持ちになってみれば、複雑な心境だった。
誘拐事件があったことなどまるでウソのように、誰も何も触れようとはしない。言葉も極端に少なく、メイドも何も話そうとはしない。まるでロボットのように見えるくらいだ。
晃少年は、ずっとこんな環境にいたのだと思うと、俊三が晃少年の中に入りこんだことで、自分が元からそこにいたとしても、表に出てこようとしない性格であったのだとしたら、無理もないことだと思えた。
どんなに明るい性格を貫いたとしても、一生の中に、何度かは自分を表に出さない性格が潜んでいる時期を経験するものだと俊三は考えていた。一生をずっと明るく、自分を表に向けたまま生き抜くことはできないと思っていたのだ。
「出る杭は打たれる」
というが、まさしくその通りだ。明るい性格は見ていて悪い気はしないが、人によっては、煩わしく見えてきて、排除しないと自分が我慢できなくなってしまう人も少なくない。そんな性格を損だと思うかどうかは、その人次第なのだろうが、俊三には、とても耐えられないと思っていた。
――そういう意味でも、俺の人生は、いつも後手に回る人生だったな――
人生をやり直したいと思った最大の理由はそこにあったのだが、生まれ変わったからと言って、また同じことを繰り返さないと言いきれない。いや、同じことを繰り返すだろう。だが、一度は経験していれば、少しは違った人生を歩むことができるかも知れない。人生をやり直すには、一縷の望みというのは、虫が良すぎるのだろう。人生をやり直すわけではなく生き直すというのは一縷の望みを掛けるには、ちょうどいいのかも知れない。
俊三は、晃少年が今までどんな人生を歩んでいたのか、そして、何を考えていたのか、まったく分からない。ただ、晃少年の気配を感じることはできる。生き直してみると、本当に晃少年のことを知る必要はあるのかどうか、疑問だった。
――もし、自分の地を出して生きていこうと思うことが一番いいのだとすれば、ここから先は本当の晃少年の人生なのかも知れない。
ただ、一つ気になるのは、晃少年の命に限りがあるということだ。
俊三は、医薬品会社に勤めていたことがかつてあった。そのこともあって、病気や医学に関しては結構詳しいと自負している。晃少年の病名を聞くと、平成になって少ししてから、新薬が開発され、この時代では、
――不治の病――
と言われている病気も、決して治せない病気ではなくなることが分かった。
この時代は、昭和で言えば、五十年代の中盤だという。つまり、あと十年もしないうちに平成になるのだ。晃少年が成人する頃には、不治の病ではなくなっているのである。
医学界でもこの病気が、すでに新薬開発が時間の問題であることは公然だった。ただ、臨床実験や副作用などの問題、解決しなければならない問題は山積していた。しかも晃少年は、まだ小学生であるにも関わらず、頭の方は優秀にできていて、医学の本を読んでも、少しくらいは分かるようだった。今、俊三が入りこんだことで、医学書を読むと、鉄板と言えるくらい、十分な知識を得ることができるだろう。
俊三は晃少年の部屋にある医学書をずっと読んでみたが、
――この時代でも結構医学は進んでいるんだ――
と思える内容に、半ばビックリさせられ、半ばあきれている自分を感じていた。かつて晃少年も、穴が空くほどこの本を読んだのかも知れない。ページによって、綺麗なところとボロボロになっているところがハッキリしている。
晃少年は自分が不治の病に罹っていることに気付いていた。それは、医学書のボロボロになっている部分を見れば一目瞭然だった。
――まわりの人は皆晃少年の病気を知っているだろうが、晃少年が気付いているということを知っている人っているんだろうか?
これからの立ち回りにも関係しているが、それによって、自分の立場が微妙になってくるのが分かるからだ。
――自分が晃少年ではないということに気付いた人がいれば、何と思うだろう?
などと考えたりしてみた。
最初の数日は何事もなく進んでいたが、メイドさんたちの性格が分かってくると、相手の態度が変わってくるのに気が付いた。
――ひょっとして、何を考えているか分からないと思って避けていたけど、本当は晃少年の方が避けていたので、彼女たちはそっけない態度だったのかも知れない――
自分が入りこむ前の晃少年がどんな子供だったのか分からないが、どこかぶっきらぼうだったのではないかと思わせた。まさか、メイドさんたちを見ていてそのことに気付かされるなど思ってもみなかったので、子供の目から大人を見るという、忘れてしまった感覚も、悪くない気がしてきたのだった。
メイドさんを見る目も、最初は大人の目だったのかも知れない。いくら年を取っていたとしても、男であることに変わりはないので、厭らしい視線を彼女たちが感じていたとすれば、そっけない態度も分からなくもない。しかし、実際に晃少年の中に入ってみると、自分が大人の目ではなく、子供の目線で見ていることに気が付いた。
やはり、それは目の高さが大きな理由なのかも知れない。まだ子供の晃少年は、背も低く、相手が女性でも、全員見上げる形になる。今までの上から見ていたのとは、当然違っている。
確かに上から目線ではなかったが、子供の頃から成長していく中で、いつの間にか追い越してしまった背丈だったが、見る目も、いつの間にか変わってしまっていた。それも無意識にだったが、今度は逆に小さくなったのだ。しかもいきなりである。違和感が十分な状態なのだから、見る目を意識していたとしても、気持ちが分かったことに変わりはないのだ。
俊三の子供の頃は、
――早く大人になりたい――
という思いがあったのも事実だったが、目線が相手よりも高くなることを嫌っていたような気がする。ひょっとすると、目線が相手よりも高くなると、甘えられなくなるという思いが強かったのかも知れない。
人とあまり関わりたくないという思いもあった反面、どこか甘えられる相手をいつも探していたような気がする。親に求めるようなことを、他の人に求めていた少年時代、そんな自分が本当は嫌だった。だから、逆に、
――人と関わりたくない――
という思いが次第に根づいて行ったのかも知れない。
――甘えていいのかな?
と思うと、自分が甘え下手だったことを思い出していた。大人に対して、信用してはいけないという思いもあった。ただ、信用してはいけないのは大人ではなく、友達だった。
「ずっと、友達だからな」
という言葉に信憑性は感じられない。その感覚は、ずっと昔、俊三の子供の頃の記憶に基づくものだが、ごく最近もそのことを思い知ったような気がした。
執事は、晃少年が狂言誘拐を企てたと思っている。そして、晃少年自体、自分でどうしてそんなことをしたのかも分かっていないと言っていた。
考えてみれば、それ以前に狂言誘拐のような大それたことを、子供一人でできるものだろうか?
誰か大人が関わっていなければできないことなのに、執事はそのことについて何も語ろうとはしない。何もかも分かっていたような口ぶりだったが、肝心なことは何も言わなかった。
甘えたいと思っても、誰に甘えればいいのだろう?
両親は、さっさと帰ってしまった。執事は何でも知っているようで、頼りにはなるのだろうが、心を許せる相手ではない。メイドはいつも優しいが、どこか冷たさを感じる。まるで誰かに命令された通りにしか動けないロボットのようだ。
不治の病に罹っているはずの晃少年だが、そんな素振りは誰にも示していないようだった。晃少年の中に入ってみれば、彼が自分の死を予感していたことが分かってきた。
――死が怖くない人間なんているはずもないのに――
と感じていた。
しかし、物心ついた時から、死というものを意識させられていたらどうだろう?
死というものは怖くないのだという風に頭に叩き込まれていたとすれば、それはそれで自分の人生に疑いを持っていないのかも知れない。洗脳されたというべきなのだろうが、そのためには、外部との接触は絶対にダメなはずだった。
確かに晃少年は、数人の友達はいても、大人との接触は、この別荘でしかない。学校にも行っていないし、外部では医者以外とは接触をしていなかった。
他の人が見れば、可哀そうだと思うかも知れないが、それが正しいことであろうが間違っていることであろうが、徹底した孤立が守られているのであれば、それも一つの人生なのかも知れない。
俊三は今、一つの仮説を持っていた。
――狂言誘拐を企んだのは晃少年だが、それを実行に移す計画を立て、シナリオを書いたのは執事ではないか?
と、しかし、執事の今取っている晃少年に対しての態度の裏は、
――晃少年の中に誰か違う人が入りこんでいるおを知っているのかも知れない――
ということだった。
だが、さすがの執事もそれ以上のことは分からない。様子を見るしかないと思っているのだろう。もし、晃少年の中に誰もいないのであれば、晃少年が豹変した執事に対してどんな態度を取るのかということを知りつくしていることで、執事には分かっていることをある程度確かめることができる。それだけに、分からないことがあれば、それ以上身動きすることが危険であることも分かっているのだろう。晃少年の中にいる俊三にとって執事は、一番の敵ではあるが、やりようによっては、一番の味方になってくれるような気がするのは、気のせいではないように思えてならなかった……。
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