こぼれた笑み

『仕方がないとはいえ、醜い殿下がいらっしゃる夜会というのはどうもな……』

『全員参加である以上、毎年この日だけは諦めるしかないだろう?』

『王族だからといって特別扱いしないというのは、こういう時に限っては考えものだな』

『まったくだ』


 だからといって、聞こえてくる声を許容できるものではありませんけれど。

 それに今は夜会中。その言葉がどなたのお耳に入るかも分からない状況で、よくそんなことが口にできるものだと、もはや呆れるしかありませんね。

 ほらまた、あちらでも。


『正直、わたくしは第三王子殿下よりも……』

『えぇ、分かりますわ。あの地味な色合いの無能一家など、ねぇ?』


 あら。こちらはわたくしのことのようでした。正確には我が家の、ですが。

 ただお父様もお兄様も、家のことをこのように悪し様に言われるのは気になさっておられないようですけれど。

 むしろ有事の際に何の警戒心も抱かれず堂々と行動できると、いっそ手放しで喜んでいらっしゃるみたいですし。


(もしかしなくても、我が家は変わり者ばかりなのかもしれませんね)


 とはいえ。

 こういった声に黙っていられないのは、王家の皆様にこそ多く見受けられまして……。


(あぁ……)


 そっと窺い見れば、目元は見えませんが明らかに悪い顔をして笑っていらっしゃるのであろうホーエスト様。

 そして少しだけ視線をずらして遠くを見れば、玉座に腰かけながら大変いい作り笑顔を浮かべられている両陛下。


(胃が痛くなりそう……)


 穏やかに優しく微笑まれるのが常の両陛下があのような笑顔を作られた際は、総じて腹に据えかねる状況であることを幼い頃より身に染みてよく知っている私としては、どうか穏便にと願うしかないのですけれど。

 少なくとも今回に限っては、あちらの令嬢方は直接的に我が家の家名を口に出すことはしておりませんでしたから、まだいいとして……。


(ホーエスト様を悪し様に言うような令息方が、両陛下にどう映るのかなど……火を見るよりも明らかとは、まさにこのことですね)


 王家の皆様は、ホーエスト様のことをそれはもう大切にされておりますもの。ついでにその婚約者である私も、なぜかとても可愛がっていただいておりますけれど。

 なので、ある意味ホーエスト様に対する態度そのものが、王家の皆様に対するそれだと判断されている節があるような気がしてならないのですが。私の気のせいでしょうか?


「まぁ、いいか」

「!?」


 ホーエスト様!? それは一体、何に対する諦めの言葉ですか!?

 ホーエスト様を悪し様に言っていた、あちらの令息方ですか!? それとも我が家を侮辱するようなことを口にしていた、そちらの令嬢方ですか!? どちらですか!?


(なんて、恐ろしくて聞けません……!)


 知らないほうが幸せなこともあるのですから、私はただ聞かなかったことにするのが一番なのです。

 そう、たとえ彼らを今後見かけることがなくなったとしても。

 平和、大事。


「じゃあそろそろ、僕たちも踊ろうか」

「あ……」


 先ほどまで聞こえてきていた曲が、別のワルツになったタイミングを見計らったのか。ホーエスト様がすっと右足を引き右手を体の前に添え、左手は周囲から注目を浴びないようにするためなのか、体の後ろに添えられて。


「僕と踊ってくれますか? 素敵なお嬢さん」


 そう言ってホーエスト様は、見事なボウ・アンド・スクレープを披露してくださったのです。

 淑女たるもの、これにしっかりと応えられなければ、胸を張ってホーエスト様のお隣に立つことなどできません。


「はい、喜んで」


 私もプリンセスラインのスカートをつまんでそっと右足を引き、左足の膝裏に右膝を入れて体をかがめました。

 背筋はしっかりと伸ばし、ホーエスト様と対になれる見事なカーテシーになるようにと、指先にまで細心の注意を払って。


「お手をどうぞ、マイ・レディ」

「はい」


 差し出された手にそっと自分の手を重ね合わせて、ほんの少しだけ低いホーエスト様の体温を感じるこの瞬間は、いつになっても胸が高鳴るのです。

 ただ同時に、以前と変わらないホーエスト様の手のひらの乾燥が気になってしまって。

 もしかしたら、最近またお痩せになられたのは食がさらに細くなっているからなのではないかと、いらぬ心配をしてしまうのです。


「ホーエスト様……」

「大丈夫だよ、リィス。逆に今は食事量が増えてきているから」


 それならばどうして、お痩せになってしまわれたのですか?

 そう問いかけたいのをグッとこらえて、ダンスのために顔を上げた瞬間。痛んだバターブロンドの髪のカーテンの隙間から、輝くブルーグレーの瞳が見えて。


「体力づくりのために、徐々に運動も始めているからね」

「!!」


 透き通るようなその色に気を取られた一瞬の隙に、密着するほど強く腰を引かれて耳元で囁かれた言葉。

 正直なことを申しますと、言葉以上にそのお声に……私は腰が砕けてしまいそうな感覚を覚えてしまったのです。

 普段よりも潜められたその声色は、少しだけ低く若干の色気を含んでいるようで。わずかに耳元にかかった吐息に思わず体が震えてしまいそうになりながらも、同時に胸の奥底から湧き上がってくる幸福感。


(私、ダメですね……)


 最近のホーエスト様は、今まで以上に素敵すぎて。この婚約が完全なる政略的なものだということを、時折忘れてしまいそうになる。

 そして今度はそのたびに沈みそうになる心を奮い立たせて、しっかり前を向かなければと毎度決意を新たにするのです。



 けれど、今だけはどうか……。



「久しぶりのワルツだけど、やっぱりリィスと踊ってる時が一番しっくりくるな」

「どなたか別の方と踊ってらっしゃったんですか?」

「さすがに練習ではね。これでも今日の夜会のために、久々に練習してきたんだよ?」

「まぁ。ホーエスト様ったら」


 二人顔を見合わせて、ふふっと笑う。

 私たちは、夜会で他の方の手を取ることは基本的にはありません。婚約者でありパートナーであるということもありますが、それ以前にホールの端で小さく隠れるように踊っているからというのもあります。

 そうでなくても、身内以外に私たちに声をかけてくださるような方はいらっしゃらないのですけれど。


「リィスはそうやって笑ってて? 僕はリィスの笑顔が、一番好きだから」

「っ……!ホーエスト様……」


 そう言って、はにかんだように笑うホーエスト様。


(あぁ、きっと)


 私が一人で色々と考え込んで表情が硬くなっていたのを、この方は見抜いていらっしゃった。それをほぐそうと、こうしてダンスに誘ってくださったのね。


(本当に、お優しいお方)


 この広く煌びやかなダンスホールの片隅で、私たちはワルツを踊る。

 向かい合ってこぼれた笑みは、二人だけのもの。



 だからどうか、今だけは。


 この一時だけでいいから。



 ホーエスト様の優しさに溺れて、この関係が政略的なものだということを忘れさせて欲しい。





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