声劇シナリオ

瑞田多理

サザナミ

ユウヤケN:サザナミ様を、かの場所に送り届ける旅路。それは予想通り生半可な道ではありませんでした。王国が誇る騎士団を従えて出発した我々ですが、その場所を目前に残ったのは、古くから仕えている私たち、つまり私ユウヤケとシラクモ。それから、サザナミ様の近衛であるタイダル様だけ。


タイダル様は今、珍しくお休みになっています。サザナミ様の、お膝の上で。


シラクモ:「ユウヤケ、見張りご苦労。何か見えたか」


ユウヤケ:「いいえ、シラクモ。この千里眼の下(もと)に、害をなすものは一つもありません。シラクモ、そちらは? 魔獣や亡者の類なら私の目に映りましょうが、悪霊や姿隠しをするような輩は少し苦手です」


シラクモ:「心配するな。この煙が一帯を覆っているのがその証だ。俺がこのパイプをふかしていられる限り、よくないものは燻し出されて形を保ってはいられない。……騎士団の連中は最後の一人まで、俺たちの力を認めてはくれなかったな」


ユウヤケ:「シラクモ、亡くなった方々のことを悪くいうのはよしましょう。サザナミ様のお体に障ります。あの方はそのような悪意の気配に、とても敏感でいらっしゃりますから」


シラクモ:「タイダル様がおそばにいらっしゃるなら平気だろう。何も見えてはいないし、聞こえてはいないだろうから」


ユウヤケ:「そうだといいのですが。この近辺、とても危うい気配に満ちています。まるで、待ち構えられているかのよう」


シラクモ:「同じことを考えていた、と思えるのは、きっと同じだけの時間を過ごしてきたからなのだろうな」


ユウヤケ:「何に対してです」


シラクモ:「お前と俺に対して、だよ」


ユウヤケ:「なんです突然、気色が悪い」


シラクモ:「気色悪い、とはつらい言葉が出たね。まぁいいや、それはそれでユウヤケらしい」


ユウヤケ:「黙って」


シラクモ:「まぁ、お前との付き合いももうすぐ終わりになってしまうから。ちょっとした感傷に浸ることくらいは」


(被せて)ユウヤケ:「黙って……!」


シラクモ:「……すまない、ぼんやりしていた。囲まれたか」


ユウヤケ:「あなただけのせいではありません。少なからず、あなたとの会話に没頭していた私にも責任があります」


シラクモ:「我々とサザナミ様の間にもいくらかいるな。分断された、か」


ユウヤケ:「ええ。ですが……、とりあえず安心そうですね」


シラクモ:「なぜだ? ユウヤケ」


ユウヤケ:「……タイダル様が、お目覚めです」


シラクモN:それと同時に、響き渡ったのはまさしく「咆哮」と呼ぶに相応しいものだった。周りのものを何もかも慄かせるその声は、頼もしかった。それは同じく、殴殺(おうさつ)される敵の断末魔でもあったし、すなわち鏖殺(みなごろし)の合図だった。


ユウヤケ:「シラクモ、こちらへ。巻き込まれます」


シラクモ:「それはおっかない。さっさと逃げるとするか」


ユウヤケ:「(被せて)早く!」


シラクモN:身を交わしたその直後だった。巨大な鐘をかたどった光の塊が、大きな音を立てて大地に叩きつけられた。高らかに鳴ったそれは断罪の晩鐘であり、巻き込んだ邪(よこしま)なるものを閃光とともに消し去った。


ユウヤケ:「お美しい音色。『鐘の従者』タイダル様の聖鐘(せいしょう)」


シラクモ:「おい、急ぐぞ。『硝子の従者』ユウヤケ」


ユウヤケ:「わかっています。彼のお方には本当に、サザナミ様しか見えていらっしゃらないのですから」


ユウヤケ:「(歯噛みする)」


シラクモ:「(何かを察する)ほら、こっちだ(ユウヤケの手を取る)」


ユウヤケ:「わっ。そんなに強く引っ張らなくても、自分で走れます」


シラクモ:「そうしてもらわなければ困る。お前が案内してくれないと、タイダル様の鐘は避けられんからな」


シラクモN:重く鳴り響く鐘の音。まるで教会にある大鐘楼のように荘厳な音色を響かせながら、タイダル様は敵を叩き潰していく。


シラクモN:同じ叩き潰すなら、ユウヤケの不安も叩き潰してもらいたいものだったが。


ユウヤケN:隠しても仕方のないことなのですが。すんでのところで飲み込んだのは、鳴り響く鐘の音(ね)に対する感嘆ではありませんでした。それは旅に出たその時に、あの方々と交わした言葉。


(回想に入る) †(長めに開ける)


サザナミ:「よく、ここに残ってくれましたね。ユウヤケ。シラクモ。私の一番古いしもべ……いいえ、あえて呼ぶなら篤い友人たち」


ユウヤケN:あまりに当たり前のことを答えたので、その時の答えは忘却の彼方。あるいは、私の魂に刻まれた言葉。


サザナミ:「これから、私たちは帰り道のない旅路に赴きます。『博知(はくち)の海』へと向かう旅路へ。険しい道のりになるでしょう。父上たちは騎士団をあてがってくださったそうです。でも、たとえ幾千の騎兵がいたとしても、それが魔除けの銀色の甲冑に身を固めていたとしても。あなたたちより頼りになる、なんてことはないでしょうね。ねぇ、シラクモ。ユウヤケ。それから、タイダル」


タイダル:「……笑止」


サザナミ:「うふふ、相変わらず気難しそうに、難しい言葉を使うのね」


タイダル:「私が護る。それだけのこと」


サザナミ:「それは、みんな同じ気持ちよ。きっと」


ユウヤケN:その時初めて、サザナミ様はタイダル様の鎧兜から目を離して、私たちをご覧になったのでした。そして、春先に差す陽光のような柔らかい笑みを浮かべて、こう言われたのです。私たちの心に刻まれた、言葉を。


サザナミ:「願わくばともに沈みましょう。静かなる海の、奥底へ」


(回想終わり) †(長めに開ける)


ユウヤケ:「サザナミ様!」


シラクモ:「サザナミ様、タイダル様。お大事ございませんか」


サザナミ:「ええ。なんともありませんよ。タイダルがついてくれていますから」


タイダル:「煙を絶やすな、『燻(くすぶり)の従者』。敵が見えん」


シラクモ:「(被せ気味に)はい、旦那!」


ユウヤケ:「サザナミ様!」


サザナミ:「ユウヤケ。あなたもよく周りを見て。私たちを導いて。たとえ牛の歩みのようでも、前に進まなければ。私たちがいかなければ、この争いは終わりません」


ユウヤケ:「……え。いえ。私が、導くなどと」


サザナミ:「いまさら謙遜は良しなさい。『硝子の従者』ユウヤケ。あなたの目が、私の目です。あなたの見出した活路が、私の道です。たとえどんなに弱い光でも。たとえどんなに薄い踏み石でも。私はあなたを信じます」


シラクモ:「そういうことだ。この煙の中で先を見通せるのはお前だけだ、ユウヤケ。泣いてばかりいるな。目を開け」


ユウヤケ:「……少し感極まっただけです。みなさん、行きます! こちらへ!」


ユウヤケN:私が振るのはきらめく旗。光を透かす硝子の旗。それでも皆を導くとても大切な旗。


ユウヤケN:それを振れることは、嬉しかったです。


ユウヤケN:……けれど。


シラクモ:「ユウヤケ?」


ユウヤケ:「なんだろう、濁ってる」


シラクモ:「……今は先へ進むぞ」


ユウヤケN:シラクモの煙よりも微かに見える、赤い霞が。私たちの周りに集まっているかのようでした。それが一体なんなのか、その瞬間はわかりませんでした。




†(長めに開ける)




シラクモ:「ユウヤケ、どうした。足をとめるな」


ユウヤケ:「シラクモ……」


シラクモ:「不安げな声を出すな。鐘の音に負けてしまう」


ユウヤケ:「これまでになく激しい戦いですね。鐘の音が何重にも重なって、まるで音色で頬を叩かれているかのよう」


シラクモ:「そうじゃないだろう、お前が言いたいのは。俺の鼻だって節穴じゃない。その気配にはとっくに気づいていた」


ユウヤケ:「赤色の、あれ」


シラクモ:「赤色に見えるのか。俺の鼻には、昔嗅ぎ慣れた匂いに感じる。つまり血の匂いだ。鉄臭くて、生臭い」


ユウヤケ:「今までの敵はただ冷たく、暗いものでした。今度のそれは様子が違いますね」


シラクモ:「敵と決まったわけではないが。……ああ、頭に響くな、この鐘の音は。いかに極上の音色でも、こう続くとくらくらしてくる」


ユウヤケ:「目指す海岸はすぐそこです。もう一踏ん張りですよ、シラクモ」


(ちょっと開ける)


ユウヤケ:「ようやく、御身(おんみ)の重しから解放されるのですね。サザナミさま」


シラクモ:「お前、知っているのか。サザナミ様が何ゆえ海を目指されるのか」


ユウヤケ:「本当なら、知りたくはありませんでした。ですがいみじくもこの『硝子』の瞳が、目に見えるものごとならば全てを見通してしまうのです」


シラクモ:「……サザナミ様のことばかり見ているからだ」


ユウヤケ:「知りたいですか。サザナミ様がどうして海を目指されるのか」


シラクモ:「(被せ気味に)いや、いい」


ユウヤケ:「もう少し、殊勝であろうとするのかと思っていました」


シラクモ:「それを知ろうが知るまいが、サザナミ様を守り切るだけだろう。余計なことは考えたくないんだ、俺は」


ユウヤケ:「そうですか。──(声を荒げようと息をつく)」




タイダル:「(罫線に被せて)ユウヤケ、見えるか」


シラクモ:「タイダル様」


タイダル:「見失った。サザナミ様を」


ユウヤケ:「タイダル様、ご冗談を」


タイダル:「急いでくれ。鐘の加護から彼女が離れる前に」


シラクモN:タイダル様の声音はいつもと全く変わらない、無機質で淡々としたものだった。しかしその裏にある強い焦りと自責の念が、近い境遇にある俺たちにははっきりとわかる。俺たちはサザナミ様の側仕えとして育てられ、それ以外の景色を知らない。ユウヤケはそのきらいが強い。タイダル様はそれに輪をかけて、サザナミ様とサザナミ様が見てきたことしか知らない。お二人は二人で一つ……、そういうものらしい。


ユウヤケ:「……なんですこの赤の霧は。私の眼が通りません」


タイダル:「赤の霧」


シラクモ:「あるいは血生臭い匂い。海に近づくにつれて強まっていました」


タイダル:「どちらが濃い、ユウヤケ! シラクモ!」


ユウヤケ:「っ! 3時の方角です。海に張り出した岬がある方。旅の目的地です……、タイダル様、まさかこの霧は!」


シラクモ:「まて、旦那! 置いていかないでくれ! くそっ、全身甲冑で固めてんのに、なんであんな速さで走れんだ……! ユウヤケ、行くぞ!(手を取るための間を取る) また泣いてる場合か!」


ユウヤケ:「……ええ、そうですね。ここで泣いていては、見届けられません」


シラクモ:「何のことだかわからんが、後で聞く。今は足を動かせ!」


(ちょっと開ける)


シラクモN:俺だけが蚊帳の外なんだという感覚は、正直あった。けれど拗ねてる場合ではないのもわかっていた。俺にできることは、より一層激しさを増す鐘の音の中からタイダル様の匂いを逃さないこと。そして、その後をユウヤケの手を引いて走ることだけだった。







サザナミ:「ここに辿り着くまで、本当にいろんなことが……」


(ちょっと開ける)


サザナミ:「思えば、そんなにいろんなことはなかったかしらね。教会の奥庭に押し込められて、出会う相手はただ祈りだけ捧げて帰っていく。それが聖女サザナミの務めでしたから、恨み言を言う気は……」


(ちょっと開ける)


サザナミ:「ない、とは言い切れないのでしょうね。そのために私はここに立っているのですから。私と、タイダルの無知が断罪されたことを、ここで禊ぐために」


(ちょっと開ける)


サザナミ:「ですが、海の力と言うのも、どうやら信心からくるもののようですね。こうして海の上に立ってみても、私から溢れる雫はとどまることを知らず。波の上を渡ってみても、私の心は晴れず。きっと嵐と共に踊っても、何も変わりはしないでしょう」


(わずかに開ける)


サザナミ:「ごめんなさい、私のしもべたち。辛いところを押し付けてしまうわね。


  ………


  ごめんなさい、タイダル。大事なことはいつも貴方任せね」


(ちょっとあける)


タイダル・ユウヤケ:「サザナミ様!」


シラクモ:「水渡り……。なんだと、人の身で……?」


タイダル:「サザナミ様、お戻りください」


サザナミ:「いいえ、タイダル。それは、できないわ」


タイダル:「お戻りください、さもなくば」


サザナミ:「ええ、そうして。手間をかけるわね、タイダル。私は、せめて……こうなったらせめて、貴方の鐘の音と共に、眠りたいの」


タイダル:「……貴公、既に」


ユウヤケ:「ああ、まさか、まさか! あれほど魔を忌み嫌っていた、あなた様がまさか、そんな!」


シラクモ:「よせユウヤケ。あの方は、もう」


サザナミ:「ええ。シラクモ、ユウヤケ。そしてタイダル。わたくしのために鐘を鳴らし続けてくれてありがとう。弔い続けてくれて、ありがとう。わたくしのまみえなかった可哀想な子のために、弔いの鐘を鳴らし続けてくれて、ありがとう。わたくしの涙を拭いてくれて、どうもありがとう。でも、もうダメよ。私の涙はもう止まらない。この真紅の苦しみはもう止まらない。地を洗い生を流し、この世の命を全て飲み込んで一つにするまで」


タイダル:「……身勝手な」


サザナミ:「そうでしょうね」


タイダル:「身勝手な。あまりに……自分勝手な。ともに誓ったではないか。『ともに沈もう』と。『博知の海の奥底へ』と。そのための我が鐘。そのための我が鎧。そのための我が体。──そのための我が命だ。それを今更、貴公は、お前は」


サザナミ:「ええ。ごめんなさい。だから」


タイダル:「やめろ。やめろ! わかっている。お前の口からそれを聞いてしまったら」


サザナミ:「(被せ気味に)タイダル!」


タイダル:「わかった! わかったから!(叫びのあまり血反吐。演技としては咳き込む)」


サザナミ:「貴方の鐘の音で、私を止めてください」


タイダル:「任せておけ。任せておけ! 鐘の従者が必ずや」


サザナミ:「私が、私でいられるうちに」


シラクモ:「旦那……」


ユウヤケ:「サザナミ様!」


タイダル:「お前を、沈めてみせよう」


シラクモN:直後、今までになく巨大な鐘の音が鳴った。今までなんの得物も持っていなかったタイダル様の手には、今や巨大な槌が握られていた。その先端に巨大な鐘を備えた、およそ常人では扱えない重さの槌。それをタイダル様はまるで枝切れでも振るかのように振り回す。その度にあの晩鐘が、これまでになく悲しく響く。


ユウヤケN:なんと悲壮な行軍でしたでしょうか。晩鐘が鳴るたびに、その聖なる力を避けるかのように真っ赤に染まった海が割れます。タイダル様はその光の上を迷いなく、サザナミ様に向かって走っていかれます。サザナミ様はその様子を、血の涙を流しながら、しかし微笑みながら見守っていらっしゃるのでした。


サザナミ:「タイダル、私のただ一人の近侍」


タイダル:「ああ、そうだ」


サザナミ:「タイダル、いついかなる時も共にいてくれたひと」


タイダル:「ああ、そうだ!」


サザナミ:「タイダル、ただ一人の……私が愛したひと」


タイダル:「(「愛した」に被せて」ああそうだ。それがお前をこうまで苦しめた。海に救いを求めなければならないほどに……深い底へ逃げ出したいと思うほどに」


シラクモN:二人が何を言い合っているのか、もはや岸にいる俺たちには聞こえない。ただ、直感だけがあった。旅はここで終わりだ。二人はもう、戻ってこない。ユウヤケも同じ気持ちのようだった。もはや涙を隠そうともしない。


タイダル:「だから、ここに来たぞ。お前のもう一歩前まで、私の鐘は迫っているぞ。逃げろ、逃げてくれ、サザナミ。そうすればいつまでも、私たちはこうしていられる」


サザナミ:「……とても素敵。だけど、夢からは醒めなければ。その目覚ましは、願わくば貴方の鐘の音で」


タイダル:「サザナミ」


サザナミ:「目覚めを、そして安らぎを」


タイダル:「う、うおおおおおおお(短くて良い)」


サザナミ:「(被せて)……最後までわがままで、ごめんね」


シラクモN:その様子なんて、誰も見たくなかったに違いないし、二人も見られたくなかったに違いない。だから俺は精一杯、煙をしっかり焚いた。


シラクモN:だけど、彼女は見ただろう。その『硝子の瞳』がそうさせるから、はっきりと。あの憧れた人の、最期を。美しいひとの、最期を。唇を噛みきって有り余るほどに。


ユウヤケN:晩鐘が、鳴った。


シラクモN:それはこれまでのどれよりも力強く、岬に響き渡った。煙を晴らし、魔を退け、闇を祓った目覚めの鐘。それが起こした大波が、俺たちの頬を叩いた。タイダル様は一度も振り向かなかった。足下の聖鐘が輝きを失うにつれて、沈んでいく。我らの主人と共に、何の迷いもなく。


程なくして、俺たちには何もなくなった。


戦う相手も、理由も。


それは全て、足元にたゆたう漣のためだったのだから。


凪いだ海に寄せては返す、優しい、漣のため。


END

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