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「ああ、ごめんなさい、私ったら! まだお互いのことなんて、宝石が好きなことしか知らないのに……」
慌てて私の手を離した女性は、ぽかんとする私に向かって自己紹介をしてくれた。
「私はクロエ。夫と一緒に、この宝石店の店主をしています。あなたのお名前を教えてくれる?」
「……
「エマ、急に変なことを言い出しちゃってごめんなさい」
訝しむ様子もなく、クロエさんは私の名前を呼んだ。
……外国でも通じる名前でよかった。
ほっとする私に、彼女はためらいがちに切り出した。
「あのね、エマ……その、あなたの髪って、とっても綺麗ね」
「え、っと……? ありがとうございます」
唐突な褒め言葉に戸惑うと、「お肌もすべすべで、言葉遣いだって丁寧で……」と続けられる。
そこで少しだけ眉を下げて、クロエさんは私の服と、足下に視線を滑らせた。
「……こんな質問、あなたを傷つけてしまうかもしれないけれど、あなた、帰るおうちはある? もしもおうちがなくても、一緒に暮らしてる人はいるのかしら」
気づかわしげにそっと向けられた問いに、息を詰める。
うちの子にならない? という言葉。そして、今の質問。
……いや、まさか、そんな都合のよすぎることが起こるはずない。
勝手に結論を急ぎそうになる内心をおさえ、私は正直に答えた。
「……帰る家は、ありません。一緒に暮らしてる人もいません」
クロエさんはさらに眉を下げて「そう……」とうなずいた。
こんな格好をした子どもが一人でいれば、何かしら訳ありであることは確実だ。クロエさんもそこから予測を立てたにちがいない。
サイズの合わないおかしな服に、痛々しい足。クロエさんの反応からして、きっとそれらにそぐわないほど、今の私の髪や肌は手入れされているように見えるのだろう。現代日本の子どもの姿なのだから、そう見えるのも当然かもしれないけど。
クロエさんは店の外でしてくれたようにしゃがみ込んで、私とまっすぐに目を合わせてくれた。
「私と夫の間には子どもがいないの。夫と二人だけで暮らしていくのも悪くないか、って諦めかけていたところだったんだけど……エマみたいな子が私たちの子どもになってくれたら、素敵だなって思って」
その言葉は、私の想像した流れを外れなかった。
……ほんとに? ほんとに、こんなことがあっていいのかな?
期待で心臓がどきどきしてくる。
「エマは魔力もある。魔宝石を扱うには魔力は必須で……ああでも、別に全然違うお仕事をしたくなったって、それでもいいの!」
「いえ!」
思わず強い語気で遮ってしまった。
「……宝石にかかわるお仕事がしたいって、ずっと思ってたんです」
「まあ、本当? それなら嬉しいわ」
「わ、私も……嬉しいです……!」
「ふふっ、でも、『ずっと』だなんて……まだそんなに小さいのに。本当に宝石が好きなのね!」
少しぎくりとする。けれどクロエさんはそれ以上疑問には思わなかったようで、微笑ましそうに見つめてくるだけだった。
もう大分今更かもしれないけど、発言には気をつけなきゃ……。
反省しながら、気になっていたことを追加で訊いてみる。
「私を……家族、にしてくださるのは、たぶん、魔力があるってだけが理由じゃないですよね? このふわふわの光が関係ありますか?」
「そう!」
クロエさんは大きくうなずいた。
「さっきから思っていたけど、エマってすっごく頭がいいのね! それでね、もう一つの理由なんだけど……そのふわふわは、精霊なの」
「……精霊?」
「なんていうのかしら……ええっと、不思議な力を持った……生物ではないし。でも意思はあるって聞くから、生物なのかしら?」
首をかしげつつ、彼女は言葉を続ける。
「精霊はね、精霊に愛されている人間にしか見えないの。魔力を持っている人間より、ずっと数が少ないのよ」
「私は精霊に愛されている……?」
「そういうこと。精霊は魔宝石が大好きみたいなんだけど、精霊に愛された人間が魔宝石に魔力を流すと、より強い力と輝きを持った魔宝石になるのよ」
「今よりもっときれいになるってことですか!?」
大きな声を上げて、店内の魔宝石を見回してしまう。
あれもこれも、今ですらこの世のものとは思えないほど美しいのに……! もっと美しくなる可能性を秘めてるの!?
「だから、あなたがうちの子になってくれたらとっても嬉しいわ。こんなに可愛くて賢くて、宝石が大好きで、おまけに精霊に愛されている子なんて! 神様はこのために、私たちの間に子どもを授けてくださらなかったのかもしれないわ」
そう言って、クロエさんは悪戯っぽく笑った。
つられて笑い返してから、大事なことに思い当たった。
「……私も、クロエさんの養子? にしていただけるのなら、すごくうれしいんですが……旦那さんと話したりしなくて大丈夫なんですか?」
「うっ、そうね……先走っちゃったわ。まず間違いなく大丈夫だと思うけど、ちょっと待ってね、今話してくるから!」
お店の奥とかにいるのなら私もご挨拶を……と思ったのだが、クロエさんが取り出したのはスマホくらいの大きさをした板のようなものだった。
半円の形をした透明度の高い無色の宝石がはまっている。輝きからして、魔宝石のようだった。
クロエさんがそこにふれると輝きの流れが変わった。じじじ、と乱れた輝きが、しばらくすると元どおり美しい輝きになった。
「あ、ジャスパー? 実は養子にしたい子がいて……ふふ、そうね、いきなりでごめんなさい」
……まあ、魔法があるのなら、電話の代替道具ぐらいはある、のか?
原理がわからないけど、美しいだけじゃなくってこんなことにも使える魔宝石、すごい。
「その子ね、精霊に愛された子なの。……ね、すごいでしょ! 帰るうちがないらしくて……うーん、誘拐とか家出とかではなさそうなのよ」
窺うようにこちらに視線を向けてくるので、肯定の意味を込めてうんうんうなずいておく。
「やっぱり違うみたい! 詳しくは聞いてないけど……ええ、そうよね。それで、宝石がすっごく好きみたいだから、うちの子にしちゃうのはどうかしらって。……たぶんまだ五歳くらいなんだけど……ちょっと待ってね。エマ! あなた、今いくつ?」
「ごめんなさい、わからなくて……。クロエさんの言うように、五歳くらいかなとは思います」
「そう……ありがとう。ジャスパー、正確な年齢はわからないけど、やっぱり五歳くらいみたいだわ。……ね、可愛い盛りよね。たぶんこれから先もずっと可愛いけれど。……ええ、そのほうがいいわね、待ってるわ」
それじゃあまた後で、とクロエさんは通話を切った。
そして私と目線を合わせて、楽し気に笑う。
「夕方には帰ってこられるみたい。それまでに怪我の手当てをして、お洋服を買いにいきましょう。というより、ここまで放置しちゃってごめんなさいね……あなたがあんまりにも宝石のことが大好き! って顔してるから、ついついそっちを優先しちゃって」
「い、いえ、けがは全然大丈夫ですが、お店はいいんですか……!?」
「予約のお客様はいらっしゃらないし……任せていいかしら、ノエル?」
ずっと無言だったもう一人の店員さんが、「かしこまりました」とうなずく。声も中性的で、名前でも性別の判断はつかなかった。
クロエさんはノエルさんに向けて満足そうにお礼を言って、私を外に連れ出した。
* * *
サイズがぴったりとしたワンピースと靴を身に着けるだけで、心もとなさが緩和した。クロエさんは私が何を試着しても可愛い可愛いと喜んで、全部買おうとするものだから慌てて止めることになった。
そして夕方。
お店のほうはノエルさんが締め作業をしてくださるようで、私は買いものからそのままクロエさん宅へと向かった。
「君がエマか」
帰ってきたジャスパーさんは、クロエさんと同じようにしゃがみこんで視線を合わせてくれた。
体が大きくて目つきも鋭かったけれど、その行動だけで、優しい人なんだとわかった。
「ジャスパーだ。よろしく」
「エ、エマです。よろしくお願いします!」
私たちのやりとりを、クロエさんが微笑ましそうに見守っている。
ジャスパーさんは、荷物の中から小さなケースを取り出した。それをそっと私に差し出す。
「……私にくださるんですか?」
「ああ。開けてみてくれ」
開けると、そこにはあのティンカーベル・クォーツの指輪が入っていた。
目を見開く私に、ジャスパーさんが小さく微笑む。
「君が一番興味を持ったと聞いて、店に寄って持ってきたんだ」
「そんな……! わ、私魔宝石のねだんとか知らないんですが、私がもらっていいものじゃないのはわかります!」
「大丈夫だ。俺たちの前に現れてくれたことの記念として受け取ってくれ」
「……ありがとうございます」
真摯に言われると、固辞することはできなかった。
指輪を見つめる。相変わらず、美しいピンク色の光が舞っていた。
「魔力の使い方はわかるか?」
首を振ると、ジャスパーさんは手袋をくれた。
この手袋をすると、体内の魔力を一定量まで自動的に、少量ずつ外に出してくれるらしい。子どもが魔力の扱いを学ぶときに使う道具なのだとか。
慎重に手袋をすると、確かに自分の中の『何か』が外に出ていく感覚があった。
その『何か』を指輪に向けると――ピンクの光が鮮やかさを増し、私の体の周りをくるくると回り始めた。
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