精霊つきの宝石商

藤崎珠里

始まりのティンカーベル・クォーツ

1

 ――目を開けると、おかしな景色が広がっていた。

 どう見ても日本人ではない人たちが、ファンタジーの映画でも撮影しているのか、と思うような格好で道を行き交っている。

 石畳。馬車。見慣れないものを売る露店。レンガや石造りの建物。


「……え?」


 呆然と出た声がいつもより高くて、思わず喉元に手をやる。その手も小さい……というか、そもそも目線が低い?

 パジャマにしていたワンピースの裾が、思い切り地面についていた。

 …………子どもに、なってる?


「待て、待って、私、ええっと……」


 昨日は確か、ぎりぎり終電に間に合って家に帰れて……ちゃんと自宅のベッドで寝た、はずだった。

 混乱しながら、ほっぺたをみょんとつまんでみる。普通に痛い。夢じゃない、かもしれない。


 どうしよう、なにこれ、何が起こってるの……!?


 うろうろと辺りをさまよっていると、通りがかった女性が心配そうに声をかけてきてくれた。


「どうしたの? 迷子?」


 口の動きが明らかに日本語と一致しないのに、意味が理解できる。

 心臓がばくばくと嫌な音を立て始めた。恐怖なんて感じる余裕もないほどに混乱していたのだと、遅れて気づく。

 じり、と後ずさる。小石を踏んだ裸足が痛い。目の前の人が、ただただ恐ろしかった。


「あっ、あの……だいじょうぶ、です」


 居ても立っても居られなくて、私は女性の反応も待たずに駆け出した。

 ワンピースの裾をたくし上げて、ぜいはあと息を切らして、何がしたいのかもわからないまま走り続ける。

 どうすればいいのかわからないから、とにかく痛い足を動かした。


 ……異世界転生、ってやつなの? いや、生まれてはないから、転移?

 窓に映った自分の姿がちらっと目に入ったけど、別人なわけじゃなく、子どものころの私の姿だった。なんで子どもに?

 この世界、戸籍みたいな制度とかあるのかな。孤児院、みたいなところを探せばいい? 受け入れてくれる?

 せめて大人の姿だったら仕事を探せたかもしれないけど、こんな歳じゃ生きていけるかもわからない。

 焦りと不安で思考がぐるぐるとする。吐きそうだった。


 足がもつれて、ずべっ、と思いきり転ぶ。そもそも急に小さくなった体で、ここまで走ってこられたのが奇跡だった。

 反射的に涙がにじんできて、ぐっと歯を食いしばりながら立ち上がる。

 そして、ふと気づいた。


 ――私が転んだ場所は、ジュエリーショップの前だった。


 ショーウィンドウに、ふらふらと近づく。

 中には、色とりどりの宝石が輝くジュエリーがあった。

 ダイヤモンドやルビーの指輪、エメラルドのネックレス、アクアマリンのピアス、アメシストのブローチ。

 いつもだったらそれだけで十分惹かれる。


 けれどショーウィンドウの一角には、それ以上に美しい光景があった。


「……きれい」


 自分の置かれた状況も忘れて、見入る。

 特別に見えるジュエリーは、三つ。それらにはめられた宝石は、まるで魔法のような輝きを放っていた。魔法なんて見たことがないけれど、魔法のようだと感じる。


 普通のように、光を反射して輝いているのではない。

 輝き自体がふわりと浮き出ていたり、水が流れるように動いていたり――妖精がまく魔法の粉みたいな輝きが、きらきらとスノードームのように宝石の周りを巡っていたり。


「この指輪、ティンカーベル・クォーツ……? ジュエリーショップにあるなんて珍しい……。この光なに? どうなってるの? 映写……してるわけじゃないし、宝石自体から出てる、よね」


 興奮のあまり、ぶつぶつと独り言がこぼれてしまう。


 昔から、宝石が好きだった。美しくて、世界まで美しく思えるところが好きだった。仕事が忙しくて死にそうな中でも、たまに自分へのご褒美にジュエリーや裸石ルース(ジュエリーに加工されていない石)を買っては、心の支えにしていた。


 ……社畜すぎて、ほんとに死んじゃったのかな、私。まだ二十代だったのに。

 そんなことなら、つまんないOLなんかじゃなくて、宝石に関わる仕事に就いて死ねばよかった。


 余計な思考を振り払って、ひたすらに宝石を見つめる。

 不安や恐怖は消えていた。こんなに美しいものを見れたのなら、もうなんでもよかった。


 宝石とはまた別のふわふわした黄色い光が、ショーウィンドウをすり抜けて私の周りを漂う。じゃれるような動きだった。

 不思議だったけど、それを気にするよりも宝石を見ていたかった。



 ――静かに店のドアが開く。シンプルなドレスを身にまとった女性が、私に近づいてきた。

 それに気づいて、私はまた後ずさった。

 ……けどここから逃げたら、この不思議で美しい宝石を二度と見れなくなるんじゃ?

 そう思うと、足はそれ以上動かなかった。


「小さなお嬢さん」


 そっと優しい声で呼びかけてきたその人は、しゃがみこんでにこりと微笑んだ。


「中に入ってみる? ここにある綺麗なものと同じくらいきらきら綺麗なのが、もっといっぱいあるわ」


 それはとても魅力的なお誘いだった。

 無意識にうなずいてしまいそうになったのを、はっと我慢する。


「でも……私、こどもです」

「なにか心配なことがあるの?」

「他のおきゃくさまの迷惑、とか……宝石、こわしちゃったり、とか」

「大丈夫よ。今はお客様がいなくて、私も退屈していたの。それに宝石は、壊れたり汚れたりしないように魔法をかけてあるから」


 魔法。


「……このきらきらも、魔法?」


 体に引きずられてか、言葉が拙くなってしまうのが少し恥ずかしい。

 特別に見える宝石たちを指差せば、彼女は「あら」と目を丸くした。


「特別なきらきらが見えるのね? じゃあやっぱり、中にいらっしゃい!」


 優しく私の手を取って、店の中へと導いてくれる。抵抗する気にはいっさいならなかった。

 お客さんは確かにいなかったけど、店員さんはもう一人いた。男性か女性かよくわからない綺麗な人で、こちらを少し見やったきり、自分の仕事に戻っていた。


 店内を見回すと、眩暈がしそうなくらいの輝きが溢れている場所があって、自然とそこに惹かれてしまった。


「綺麗でしょう?」

「……はい」

「ふふ、お嬢さんはどの宝石が一番好き?」

「い、いちばん……? ええっと……」


 今までの人生で一番難しい問いかけだった。

 どの宝石にもそれぞれ違った魅力がある。一番なんて決められない。

 それでも、こんなに美しいものを見せてくれた人に、適当な返事はしたくなかった。


「……全部好き、です。でも、今までで一番きれいだと思った宝石は、あれです。あれって、ティンカーベル・クォーツですか?」


 またショーウィンドウに並ぶジュエリーを指差す。

 女性は「よく知ってるわね」と頭をなでてくれた。当たってた……! 嬉しくてにこにこしてしまう。


 ティンカーベル・クォーツは、内包物――インクルージョンが魅力的な水晶クォーツだ。ピンクファイヤー・クォーツって名前でも呼ばれてたような……。

 どちらにしても、名前から受けるイメージにぴったりな宝石だった。


 中のインクルージョンは、光を受けるとピンク色の魔法の粉みたいに美しく輝くのだ。

 これが本当にうっとりするくらい美しくて……前世(?)ではルースで買ったけど、その輝きを堪能するために一緒に宝石用のペンライトも買ったくらいだ。


「でも私が知ってるティンカーベル・クォーツより綺麗です……! なんであんなにきらきらなんですか!?」

「魔宝石を初めて見たらびっくりするわよねぇ」


 頬に手を当てて、女性はうふふと笑う。


「普通の宝石と違って、魔力が中に入ってるの。魔法は見たことがあるでしょう? それを使うための力。その輝きが見えるってことは、あなたも魔力があるのね」


 ……ここってやっぱり、異世界なんだ。

 頭の隅でそう思う。だけど、もうどうしようもないことを考えたって仕方ない。それよりも今は、この人と話がしたかった。


「ふわふわした光も飛んでますけど……これも、魔力ですか?」


 片手を受け皿のようにして、まだ私の周りを飛んでいた光を手の上にのせようとする。光にはさわれなかったけど、手の上に留まってはくれた。

 ふっと、女性の表情が変わる。


「……ふわふわした光? そこにあるの?」

「え、えっと、こことか……こことか、そことか。さっきは黄色い光だったんですけど、今は薄いピンク色っていうか……あ、また黄色になりました」


『そこにあるの?』とは、どういうことだろう。魔宝石、とやらの輝きは同じように見えているのに、これは見えないんだろうか。

 不思議に思いつつ、またティンカーベル・クォーツに目を向ける――と、がしっと両手を握られた。



「あなた、うちの子にならない!?」

「………………はい?」





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