第8話 その秘めた想いを囁いて

「売り上げは上々ね、そろそろ工場の増設をしたいところだわ」


 長年の付き合いとなった親友、メルバがニィっと得意げな笑い皺を刻み、フランへ報告書を差し出す。

 それを受け取ったフランは、最近かけはじめた眼鏡越しに紙面へ目を通していく。

書類を渡して手ぶらになったピーチは手近なソファに座ってくつろぎ、見計らったかのようにアプリコットがお茶を淹れた。


「ありがと。……お茶の淹れ方も、まぁまぁ上手くなったわね」


「はい、皆様に教えて頂いたお蔭様です」


「イイわ。その心掛けはいつまでも大事にしなさい」


 満足そうにカップを傾けるピーチ。

 アプリコットの事を扱きまくって色々と覚えさせたのは良いけれど、姉気分ででもいるようだ。いつまでもアプリコットに尊大な態度を改めない。

 まぁ、身分的な事もあるけれども。仕方の無いことね。そうフランは苦笑する。


「フランボワーズ様、宜しければどうぞ」


 ざっと書類に目を通してから眼鏡を外した私へ、アプリコットがそっとお茶を置いてくれる。


「ありがとう。うん、良い香りね」


 嬉しそうに下がるアプリコットを見送ってピーチへ視線を向けると、くつろぎまくりでクッキーをつまんでいた。


「美味しいでしょう? 最近交易を始めたヒノモト国から輸入した、オカラという食材を加えて作ったクッキーよ。ヘルシーでほろほろと口溶ける触感も面白いわよね。まだ試作品だけれど、発案者はアプリコットなの」


「へぇ、悪くないわ。あの子もちゃんと前進しているのね、イイじゃない」


 全く、ピーチはアプリコットの前だと素直に褒められないんだから。今のピーチは、まるで娘が褒められたみたいな顔をしてるというのに。


「それで、報告書では工場の増設もだけれど、新しい味も増やしたいとあったわね?」


「ええ! 塩味とコンソメ味だけでは物足りないわ。商品だってかなり浸透してきたし、ここらでガツンと新しい味を打ち出したいの」


 意気込んで言うピーチから、報告書へと視線を落とす。


 我らがレディライク商会の主力商品【マ・ド・レーヌ】

 それは、防水加工された容器の中に乾燥した麺と少しの野菜と調味料を入れた物で、お湯を注ぐだけで温かくも美味しい食事が出来上がるという素晴らしい商品だ。


 ~まぁ!どうしてお手軽で美味しいの?レディも愛する、ヌードル~

 略して【マ・ド・レーヌ】

 メルバと共に試作品に試作品を重ねて、研究の末、ついに完成した。


 発案のきっかけはアプリコットだった。

 元々、何か事業を興したいとメルバに話を持ちかけていたが、内容はまだ検討中だった。食べる事が好きで流行り物に強いピーチを活かして、食品関係から始めようかとは思っていたけれど、具体的には思いつかないままでいた。


 そこへアプリコットが自身の事を話してくれた中で、庶民の暮らしでは一人で仕事も家事も行うのは珍しくないと、平民が一手に負う労力を改めて知ったのだ。

 それはそうだ、貴族のフランは身の回りの事を使用人がする。けれど、彼ら使用人は仕事をした後で自分の事を自分でするしかない。

 それならば、忙しい人の為の美味しく手軽な食品はどうだろうか?と考えたのだ。


 ドライフルーツなんかは馴染みもあり庶民にも人気だ。だが、疲れて帰ってきた時、お腹も心も減ってしまった時、美味しくて温まれるものがあれば嬉しい。そこに手軽さは必須だった。


「そうね、新しいフレーバーは貴女に任せるわ。とびっきりの驚きを期待しているわよ」


 いつも、びっくり箱を開けるように楽しみと驚きを届けてくれるピーチ。きっと、面白くも美味しいものに仕上げてくれるだろう。

 私の言葉に、自信満々な笑みを浮かべてピーチは退室していった。


 部屋に一人となった私は、ふと仕事机に置いた写真立てを手にした。そこには、人生で一番の贈り物、アークとラタムが映っている。

 幼い日の息子達に、知らず口元が緩んでいく。


コンコン


「はい」


 控えめなノックに返事をして写真立てを手元から机に置くと、アプリコットが少し緊張した面持ちでいた。


「失礼致します。フラン様にお客様が来られたのですが、その、お通ししても良いかと伺いに、あの……」


 歯切れ悪く言い淀むアプリコットに、笑みで答える。


「いいわ、お通しして。キュラス伯爵ね?」


「あ、は、はい。すぐにお通しします」


 慌ただしく去っていく足音に苦笑が零れた。ふふふ、思ったよりも早かったわね。アークとラタムにせっつかれたのかしら? 家出するのに息子達へは何も知らせないのもどうかと思って、手紙を出しておいたけれど……書き出すと、ついついキュラス伯爵への恨み節を多少綴ってしまったのは致し方無い。

 ごめんなさいね息子達。みんながみんなこうでは無いし、ここまで恨みを買うものでもないのよ……たぶんね。


 そんな事を思い返していると、キュラス伯爵とアプリコットが部屋へ入ってきた。


「お久しぶりですね、どうぞ、おかけになって」


 ソファを示し、私も仕事机から立ち向かいのソファへ座る。なんとも居心地悪そうにキュラス伯爵も座った所で、アプリコットはお茶セットを置いて出て行った。


 先程紅茶を頂いたところだし、私はそのまま紅茶の香りだけ楽しむ。珍しく落ち着かな気なキュラス伯爵は迂闊にもすぐにカップへ口をつけて、熱さに慌てて口を離していた。


 あらあら、こんな間抜けな事をしでかす人では無かったはずだけれど。いつだって恰好つけていたり、尊大な態度で指図していたり……結婚前までに見せていた人となりは夢幻だったと、すぐに思い知ったものだわね。


 苦々しい結婚生活を思い返して、瞳を細めた。とはいえ、まだ離縁出来たわけでも無くただの家出に過ぎない状況だけれども。


「その、君は、変わりないか?」


 ……はい?

 あーだのうーだの言っていた伯爵が口を開いた言葉は、意味が不明だった。

 変わりないか、とは? 何を思って言ったのか。

 まず、見た目的にはかなり変わっただろう。仕事に没頭している為に今までのような無駄な着飾りは捨てて、飾り気の少ない装いだ。

 今日は、多少ドレープのあるゆったりとしたシャツに細身のパンツ。クリーム色の柔らかい色合いのシャツとシックな黒のパンツは、落ち着いた雰囲気に仕事のフォーマルさも兼ねて気に入っている。長い髪はキチンと編んで後頭部でまとめ結い上げていた。


 伯爵家に居た頃は乗馬の時以外パンツ等履かなかったし、常にそれなりのドレスで着飾られていたから、今の私は伯爵の目にはお洒落も出来ずに仕事仕事と働いているように見えるんじゃないかしら?

 女は飾りみたいに思っている節があったわよね、この人。

そんな事を思いながら、ニコリと微笑んで見せた。


「変わりないか、と聞かれれば変わりましたわ。それは今貴方が目の当たりにされているでしょう?」


「む、そ、そうだ、な。うん」


 なんとも視線を彷徨わせながらも言葉を濁す。

 ……なんなのかしら、気持ち悪いわ。こんな、思春期の少年のようなもじもじした態度は、四十も過ぎた大人の男がするにはどうかと思う。

 いや、好意を抱いている相手ならそれも愛らしく映るだろうが、既に愛の華を枯れさせた相手には気持ち悪いとしか思えなかった。


 暫し、伯爵の咳払いやら私がクッキーを齧る音が静かな部屋に響いた。が、意を決したように伯爵は私を真っすぐに見て、口を開く。


「すまなかった」


 ぽつりと吐き出された言葉は、言ってしまえば気が楽になったのか肩の力が抜けたように見えた。

 少しだけ落ち着いた様子で私を見る瞳は、いつの間にか消えていたかつての眼差しと似ているようだ。


「君から色々と話を聞いて、どれだけ傷付けてきたのかよく分かった。その、今までの事に釈明もあるが、まずは……すまなかった」


 ほう、言い訳したい事もあると言いながらも、取り合えずごめんなさいが出来るとは思わなかったわね。

 年と共に自尊心は高まってしまいがちだもの。

 ふと、無邪気にごめんねとありがとうを言ってくれた幼いアークとラタムの笑顔が一瞬よぎった。

 悔しい事に、その天使達は目の前の男とよく似た面差しをしている。親子だから当然なのだが。


「そうですか」


 で? と言わんばかりに、短く告げる。伯爵は一瞬グッと息を呑んで再び口を開く。


「話をしたい。色々な事、その一つ一つ。君がこうして離れてしまうに至った事も。君に伝えられずいた想いも」


 一言一言、こちらの様子を伺うようにゆっくりと確かめながら話す伯爵。


「ですから、ここでこうして今お話ししていますわ」


「ああ、だが足りない。いや、足りなかったのは私だった。私の言葉や素直さ思いやりが足りず、君の時間をたくさん消費させてしまったんだな」


 そう言って、伯爵は自嘲気味に笑う。


「こうして思い切ってみると、案外簡単に話せそうな気がするものだ」


 私の顔を懐かしむように思い出を探すかのように、目尻を下げて見つめる。

 何を今更ぬかしてくれてるのかしら? 今まで二十年近くも猶予があったというのに。

 思わず眉を顰めてしまった私に、今度は少し吹っ切れたように苦笑する伯爵。ソファから立ち上がると、机を横切って私の斜め前に跪いた。

 え、なに、なんなのこの人。プライドの高いこの人が私に跪く? 口説き落とそうとした若かりし頃だってそこまではしなかったわ。

 動揺する私をよそに、伯爵は私の手をそっと取る。大きくて固い、少しだけ節くれだってきた手。

 真っ直ぐに私を見上げて、静かにバリトンが響く。


「フランボワーズ、どうか、もう一度私を選んでほしい。貴女と共に生きると神に誓ったのだ。叶うのならば、私の生涯をかけてこれまでと変わらず貴女だけを愛しぬこう」


 実務的な私のオフィスで、共に過ごした歳月の分だけお互いに皺も余計なものも増えた伯爵様が、大切に慈しむような手付きで私の手に口付ける。


 机に置かれた紅茶からは、あの夜を思い出させるような甘く深みのある香りが漂って、私達は二人だけで静かに見つめ合った。


「……よく、覚えていたわね」


 あの夜の台詞。少しだけ変えられているけれど。


「勿論。私は、もっと素直に君と話し合うべきだった。君に話せず勝手に推量で決めつけたり、この程度皆しているから良いかなんて浅はかだったと、今は後悔している」


 少しだけ、手に力が込められた。お願いだ、一緒に帰ってほしい。そう、手が伝えてくる気がした。

 黙って見下ろす伯爵は、なんだかとても小さく見えて――私より背丈も筋肉も随分とある逞しい身体の筈なのに、叱られた大型犬のように見える彼に、笑いが零れてしまった。


「ふふふ、仕方のない人だこと」


 途端に表情を輝かせる伯爵。あら、こんな簡単に許されたと思ってしまうの? いくら何でも浅慮過ぎないかしら?


「後悔先に立たず、という言葉はご存知かしら?」


さっとまた表情を曇らせる、ふふふ、本当に仔犬のようだこと。

 こんな人だったのかしら? いえ、今まではもしかしたら一生懸命恰好つけていたのかもしれないわね。

 この人にも、内に秘めて言えない想いはあったのでしょう。勿論、だからといって私が憤慨した事を全て許すという訳でもないけれど。


「でも、そうね。ふふ……貴方は私を失って、後悔したのね」


 そう言って、私は呼び鈴を鳴らして部屋の外に待機していたアプリコットを呼ぶと、今日の帰宅先を告げて支度を頼んだ。

 その様子を見守っていた伯爵は、用事を言いつけられたアプリコットが見えなくなると、背後から私を包み込むように抱きしめてきた。

 少しだけ、肩が震えているようだから、私を抱く腕を優しく撫でた。本当に、仕方のない人だこと。貴方も私も。


 失敗も後悔も、全力で生きた証だ。

 全力でやったからどうなっても悔いはない後悔なんてしない、と言う人もいるだろう。


 私は、少し違うと思う。

 本当に全力で必死にやってきて、一つも失敗をせずにいられる人なんていない。


 全力で自分の限界を超えようと懸命に足掻くからこそ、失敗もさけては通れない。そんな失敗を悔しく思えば後悔だってする、それは恥ずかしい事では無いんじゃないのかと。

 食物を摂取すれば排泄するように、成功も失敗も後悔も、みな自然な事だと思うのだ。


 だって、二度とは戻らない今この命を生きているんだもの。後悔をした事も無い人生だなんて、寂しいものだわ。


「フラン、これからの時間も共に生きて欲しい。君が良い、君でないとだめなんだ。必ず、もう一度、君を振り向かせてみせる」


 ふふふ、掠れ気味な涙声で言っても恰好つきません事よ?


 伯爵の腕の中で、くるりと体を回して向かい合う。今度は私が下から見上げているが、これはもうすっかり体に馴染んだ距離だったわね。

 そっと少女のように微笑んで、少しだけ昔のように甘える口調で言ってみる


「これからの人生の時間を使って、もう一度私を振り向かせて下さるというのね?」


 思えば、伯爵がこんな風に心の内を曝け出しているのは、初めて見たかもしれないわ。

 いえ、私だってそうね、はっきり思っている事を言ったのは、家出の時だった。それまでは遠回しに言ったり、察してくれと言わんばかりだったかもしれない。

 だけど、そうね、彼だってただのどうしようもない人なんだもの。

 はっきり言わずに気付いてくれるような都合の良い相手だなんて、御伽噺の王子様くらいかしら。


 少しだけ、伯爵ばかり責め立てていた自分の事も恥ずかしくなった。

 私だって完璧じゃなかったのだ、彼だけを全て責め立てるのはズルいわよね。だけどここは甘えさせてもらいましょう。

 だって、彼だっていけないところがあったんだもの。我ながら子どもじみていると思いながらも、たまにはイイわよね、と甘えることにした。


「ああ、フラン、愛している」


 昔のように、熱い眼差しで私の顎を上向けると、優しく重ねてきた。彼から与えられる熱に身を任せようかと、瞳を閉じかけた時。


「んっ、んんっ!」


 わざとらしく咳払いをして、ピーチが部屋の前に立っていた。


「やあ、メルバ夫人。久しいな」


 何事もなかったかのように、いつもの自信に溢れたバリトンが頭上から響く。まったく、変わり身の早い事。


「そうですわね、お久し振り。残念だけど、フランのプチ家出は終わりみたい。でも、次は無くてよ?」


「肝に銘じておく」


「さ、フラン、支度は出来ているわ。伯爵が来た時から支度を始めていたから、もうすぐにでも帰れるわよ。あ、明日の始業までにはちゃんと来てね」


 そう言って、ウィンクして出て行った。

 私も、仕事机の上に出ていた書類を簡単にまとめると、伯爵に腕を引かれて部屋を後にする。

 馬車の中では、ずっと彼の思い出話を聞かされていた。

 曰く、いついつのあれはどうこうだったとか、アプリコットの事も、ただ周りで勝手に話しているのを放っていたが、女性貴族に陰湿なイジメをされたり男爵夫人から虐げられていると知って、少しばかりの援助をしたのだとか。

 でもそれを私に話すと誤解を招きそうだから黙っていたとか。話が尽きないうちに、馬車は住み慣れた我が屋敷へと到着した。


 伯爵に手を引かれ、馬車を降りて屋敷の門をくぐる。薔薇のアーチを通り過ぎる時に、自分のプチ家出が滑稽に見えて自分で自分がおかしくなってきた。

 もっと早くに――何かあった時、思った時、その時々にちゃんと話し合っていれば良かったわね。アークとラタムにも心配をかけてしまったわ。

 そう思い、立ち止まって薔薇を見ながら笑んでいると、伯爵がどうしたのかと覗き込んできた。


「ふふふ、なんでもありません。さ、貴方のお手並み拝見させて頂きますわ」


 そうして、優雅に歩みを進める為に、貴婦人は笑顔で背を向けた。

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