第7話 家出までの道のり

「こちら私の友人でピーチ・メルバ伯爵夫人よ。

 ピーチ、彼女はアプリコット・ジャム男爵令嬢よ。

 私が紹介するまでもなく、お二人ともお茶会や夜会で顔を見知ってはいるわね」


 あの男爵令嬢を助けた夜会から少し後、私はキュラス伯爵家の庭園で親友と彼女を引き合わせていた。

 甘い顔立ちを仏頂面にして「不本意よ」と全身で表現している親友と、真正面から拒否されながらも笑顔を絶やさないアプリコット男爵令嬢。


 全く……事前に説明しておいたというのに、ピーチは人の好き嫌いがハッキリしているから仕方ないのかしら。でも是非今日のお茶会でアプリコットの本質を見て欲しいわ。

 軽い挨拶を交わして他愛もない話しをするも、全てぶった切る友人に嘆息する。


「ねぇ、ピーチ。この前お話しした事業の事だけれど」


 一段声を落として話す私に、ピーチとアプリコットの表情が変わる。


「ちょっと! このコの前で仕事の話?」


 嫌そうに眉を顰めるピーチ、ここまで健気にも笑顔を絶やさなかったアプリコットの口角が僅かにグッと結ばれる。

 もう、お互いにイイ歳なんだから若い子には寛容な心を持ってほしいわ。


「ええ、そうよ。アプリコットの事だけど手紙で知らせた通り、理由があって殿方から援助して頂いていたのですって」


 ここまで話して、チラリとアプリコットに視線をやると、笑顔を消して真剣な表情で頷く。イイ子ね。

 本当に信頼して欲しい人には、腹の内を晒さないと。隠し事なんかしてはダメよ。


「アプリコットはね、十五歳で男爵家へ引き取られるまでは平民だったのはご存知よね?」


 何を今更、といった感じで頷くピーチに私は続ける。


「体を壊してしまわれたお母様に代わって、幼い頃から色々と手伝いをしては生活費を稼いでいたそうよ。十歳にもなれば、酒場なんかで働いていたんですって。そうして男爵家の跡継ぎがいないからと引き取られた後は、大体貴女も知ってる通りよ」


 淡々と語られる自分の過去に、アプリコットは体を固くする。


 やっぱり、知られるのは怖い。それも、自分の事を嫌っている人だと分かっていれば尚の事。

 先程までの、ピーチがアプリコットを見つめる冷たい瞳が、俯いた目の奥に焼き付いているようだ。いつもなら、周りの女性から憎しみや軽蔑の眼差しを向けられても、平気だった。心が痛む事はあっても、蓋して見ないふりが出来た。

 だけど、今は、フランに理解してもらえてからは、フランの仲の良い人には嫌われるのが怖くなった。フランには失望されたくないから。

 誰かに受け入れられるというのは、こうも弱くなるものか。失うモノが出来たと錯覚してしまうと、どんなに微かな繋がりであっても、失いたくないと思ってしまう。


 俯いて泣きそうなアプリコットの手に、テーブルの下でフランが手を重ねる。

 小さな膝の上でキツく握られた手は、ぬくもりに恐々開かれていく。

 少しだけ気まずそうなピーチに、フランは何でも無いように言葉を続ける。


「それでね、彼女がお金を必要としていたのは、お母様の為だったんですって。男爵のお手付きとして身籠った所を市井へ放り出されてから、一人必死にアプリコットを育てて……無理がたたったのね、体を壊してしまわれたの。

 それを、男爵の跡継ぎが正妻との間に出来なかったからと、都合よく呼び戻された上に人質のようにお母様を盾に貴族との結婚を強いられたんだそうよ。拒否も出来ずに、ひとりぼっちで必死に考えた彼女は、お母様を連れて遠くへ逃げられるだけのお金を貢がせて逃げようと決めたんですって。

 だけど、貢がせた物が男爵の正妻に見つかると取り上げられたりして、中々上手く貯められなかったらしいわ」


「……まぁ、そうでしょうね。所詮市井で育った小娘だもの。下心ある男を多少利用は出来ても、昔から貴族社会で揉まれてきた大人の女の相手をそうそう上手くは出来ないでしょうよ」


 そう返すピーチの声音は、先ほどよりも冷たさが消えていた。視線もちらちらと気づかわし気にアプリコットを見ている。


「そうね、残念だけど、そういう意地の悪い事やかすめ取るような事は、お得意な方みたいだわ」


 片手を頬にあてて、困ったと溜息をついて見せる。


「それでね、アノ事業の話に、彼女も加えたいと思うの」


 にっこり笑って言う私に、苦虫を噛み潰したような顔で口元を歪める。

 ふふふ、まるで嫌いな食べ物を前にしたようだわ。


「その……その子の事情は分かったわよ。多少、可哀そうだな……て、思わなくもないわ」


 ピーチの言葉に、アプリコットの肩が揺れる。


「ふふふ、貴女なら、きっとそう言うと思ったわ」


「なっ、なによっ、別に……今までその子が上手く立ち回れなかったのが悪いのよ! もっと、ちゃんと女性との付き合いも……って、そうね、何の教育も無しに放り込まれて、やっていける世界では無いわね」


 ピーチの声も瞳にも優しさを含んだものとなり、アプリコットは俯いていた顔を上げた。


「いいわ。やる気があるなら、私がみっちり教えてあげましょう」


「あ、ありがとう、ございます」


 すっかり借りてきた猫のようになってしまったアプリコットは、深く頭を下げたのだった。





「お母様、最近メルバ夫人とお忙しくされているようですが、お顔の色が優れませんよ。いつも周りに気を配って下さるのはお母様の美徳の一つですが、ご自身のお体もご自愛下さい」


 学院の寮から長期休暇で戻ったアークが、少し疲れた顔をしていた私に紅茶を持って来てくれた。

 私室で書類を前に疲れた目をほぐす。


「ありがとう、ふふ、アークは良く気が付く優しい子ね。素敵な人に育ってくれて、お母様は幸せ者だわ」


「僕は何も特別な事は……お母様がこんなにお疲れなのに、お父様は何をしてらっしゃるのか。どこか保養地へ体を休めに連れて行って差し上げれば良いのに」


「ふふふ、いいのよ。(あの馬鹿タレには期待していないし、今は来るべき家出の為の準備で忙しく楽しい充実した日々だし)」


 微笑んで紅茶を飲む私に、今は私と並ぶほど背が伸びたアークは憂いの表情を見せる。


「お母様、いつも僕達には愛情を注いで下さるばかりで……もっとお母様はご自分のなさりたい事をお父様へ要求しても良いと思います」


「まぁ、私の事を心配してくれて嬉しいわ。でも大丈夫よ、貴方は自分の事を考えてくれたらいいの。子どもの時間はあっという間に過ぎてしまうものなの。それに、子どもの幸せは親の幸せなのだから」


 そう言って、書き物机に紅茶のカップを置くと手招きしてアークの頭を優しく撫でる。

 椅子に座る私の前に跪いて頭を撫でられるアークは、少し照れた表情ながらもどこか嬉しそうでもある。


 あぁ、この天使の笑顔を見せてくれるのも今年で最後かしら?

 もうそろそろ、こうして頭を撫でる事もさせてくれなくなるわよね。いえ、私の方が子離れしなければ。


 そう思いつつも、短い子どもの時間を愛でていられる今この瞬間に感謝して、柔らかく愛おしい手触りを堪能した。

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