第3話 無垢な瞳は時に残酷

「母様! 見てください、プラタナス学院初等部の試験で、一番を取れました!」


「ぼくも! ぼくもいちばんしたい!」


「お前にはまだ早いぞっ、兄様は毎日頑張ったから、一番を取れたんだからな」


 目の前で繰り広げられる兄と弟の戯れ合いに、周囲の目尻が下がる。

 少し年が離れているために出来る事の差が大きく、何かとお兄ちゃんが自慢しては弟が張り合ってみせる繰り返しだ。


「ふふふ、二人ともとっても頑張り屋さんね。アークはしっかり者のお兄ちゃんだし、ラタムも負けず嫌いの努力家になりそうだわ」


 そう優しく声をかけながら、私は幼い兄弟の頭を優しく撫でる。

 伯爵家の跡取りとなるべく勉学に励む兄と、それを見習い目標にして成長しようとする弟。

 仔犬のように戯れ合い成長していく様は、幸福以外の何物でも無い。

 爽やかな初夏の日差しが庭園に降り注ぎ、背の高い庭木が程良い影を落としてくれる。

 絵に描いたような幸福を噛み締めながら、私はただ穏やかに微笑むのだった。




むに。むにむにゅむににゅ。


 確かな質量。

 湯浴み後の夜着姿で鏡の前に立ち、私は己の一部を摘んで揉み解した。


 可愛い息子が二人。

 二度の出産を経て、私の体も変化していった。妖精の如き、儚く嫋やかな美しさのフランボワーズと称えられた私のおなかに、おにくが。そう、なんとも言えぬ腹肉。

 妊娠であれだけ膨れ上がった腹がここまで締まったと思えば人体の奇跡だが、この弛んだ皮と皮下脂肪。

 悲しい。


 三十代を目前にして、出産で伸びきった腹回りをなんとかしようと足掻く姿は涙ぐましいものがある。


 食事は基本サラダと鳥の胸肉のみ。

 それも決められた時間を過ぎれば食べない。


 趣味の乗馬や息子達の遊び相手をして、出来るだけ体を動かす。


 お茶会へ招かれれば、健康志向なお菓子を手土産として、新しいローカロリーな食べ物だと流行らせようとした。


 ……本当は、食べたい。

 のんびりともしたい。


 こってりした肉汁滴るステーキや、甘いあまーいチョコレート。

 夜更けまで語り明かしてつまむワインとチーズ。


 いけない、頭を振って欲望を追い出そうとする。

 これ以上腹回りにラードを付けてたまるか。


 メリィに用意してもらっているレモン水を飲んで誤魔化す。

 少しでも味がすると、空腹を紛らわせられるのだ。


 ふう、と溜息一つついて、再び鏡の中へ視線を移す。


 ……もう少し、もう少し絞ろう。


 痩せなければいけない。

 美しくあらねばいけない。

 それは、貴族女性としてだけではない。


【おかあさまは、すごくかわいいんだよ。

 だから、ぷりてぃできゅあきゅあになってほしいな!】


 幼いラタムは純粋に母が可愛いと思ってくれているのだろう。

 親の贔屓目ならぬ、息子の贔屓目だ。


 しかし、しかしである。

 もうすぐ三十になる身としては、プリティでキュアな女の子にはなれない。

 息子のキラキラした目を見ながら吐血しそうになった。


【そ、そうね、出来るだけ綺麗なお母様である様に頑張るわね】


 そう、絞り出すのがやっとだった。

 隣で笑いを堪えたメリィは、よく出来た侍女だと思うわ。


 そんな事を思い出しながら、呼吸法なるエクササイズをやってベッドへ入った。


 二男ラタムも三歳となり、流石に寝室は子どもと夫婦で分けられるようになったが、夫はどうせ深夜まで来ないから先に寝てしまおう。


 今日も一日よく頑張った私! と、すやすや夢の世界へ旅立った。


 ――むに。


 ――むに、むにゅ、むににゅ。


 何やら体に触れられる感覚があり、うっすらと意識が目覚める。


「……変わったな」


 ボソリと呟く声は、久方ぶりのバリトン。

 意識がハッキリしてくると、帰宅した夫が同じベッドにいた。どうやら久方振りに夫婦の営みでもしようかという体勢にある。


 しかし、だ。


【変わったな】


 とはなんですの!!?!?

 半分寝ていたからハッキリとは分からないが、腹か? 腹を触ったのか?? こ、この、今一番触れられたくないものを……!


「う〜ん……(ドスっ)」


 寝ぼけたフリして夫へ一撃喰らわせる。

 狙った訳ではないけれど、イイ位置はヒットしたらしく、夫は私から手を離すと暫く悶絶してから寝たようだ。


 ……ふ。

 ふふ、ふふふ。


 絶対に、息子二人は、コイツのようには育てないんだからっ!!!

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