第2話 お久しぶりです、昔のお仲間。

「んまッッッ‼ みぃーつぁぁぁん‼」


 ドスドスドスドスッッッ‼


 巨漢の女性が地響きを立てながらルキに向かって突進してくる。


「ちょちょちょ! ちょっと待て!」


 ルキの制止の声も聞かずに巨漢の女性はまっすぐに彼……ではなくその抱えている胸元、愛猫あいびょうみーちゃんへ突進し、


「みーちゃん‼ ん~まっ♡」


 抱きしめた。


「……ふぅ、危なかった……みーちゃんは無事に送り届けました。マダム・コンフォート」


 間一髪。

 ルキはみーちゃんを手放し思いっきりしゃがみこんだ。おかげでコンフォート夫人のベアハッグを喰らわずに済み、飼い猫を主人の胸元へ届けることに成功した。


「あぁ……! 空いた窓と消えたみーちゃんに気づいた時にはもう会えないものかと……世界が真っ暗に染まってしまっていました! こうしてまたみーちゃんという光に出会えたのが奇跡の様です!」

「それはよかった。マダム。ボクもあなたの喜ぶ顔が見れて奇跡の様です」


 キザったらしいセリフをルキは並べたて、


「あなたのようなまるで宝石のような……本当に宝石のような……まさに宝石そのものという依頼人に出会えてよかった。何て幸運なんだと自分のことを褒めたたえたいぐらいだ」


 無理に作った笑顔を浮かべる。

 猫探しの依頼人———マダム・コンフォートの身なりはいかにも金持ちといったかんじだ。高級そうな紫のドレスに身を包んで両手にはびっしりと宝石のはまった指輪。それに真珠のネックレスとダイヤのイヤリング。


「本当に、本当に……あぁ、そう! みーちゃんを無事にあなたの元に五体満足で連れてきた報酬として……その……結構弾んでもらえれば……その……嬉しいかなって!」


 緊張しているのかルキの額には汗がにじんでいる。 

 マダム・コンフォートは「あ~……」と何かを察したように何度か頷き、


「そうですね。はい」


 女性の顔がかかれた紙幣を五枚。ルキに渡す。


「五千Mマシェリ? えっとぉ……マダム。失礼を承知で一つ、問わせていただきます……これだけですか?」

「ええ、『猫探しの依頼———三千Mマシェリで承ります』と、この事務所の前の看板にしっかりと書いてあったじゃないですか」


 マダムは極めて冷静な表情で部屋の外を指さす。

 彼らがいる場所は『ロード探偵事務所』。アルテニアの中でも比較的治安の悪いK地区にある四階建ての建物の一室。そこを間借りしてルキは探偵事務所を立ち上げたのだ。

 その表には料金表の看板が立てかけられてあり、一番上の『殺人事件調査———百万Mマシェリ(※捜査費用は別途でいただきます)』からドンドン項目の規模が小さくなっていくにつれて要求する料金、Mマシェリは下がっていって猫探しはその一番下の項目だった。


「あの~ですが……できればもう少しいただきたいなと……ほら見てくださいこの腕! その猫にバッツンバッツン引っ掻かれて血だらけなんですよ!」


 袖をまくり上げて腕を見せつけるが、


「血なんてもう出ていないじゃないですか」


 猫を捕えた時から三時間は既に立っている。既にルキの体内に流れる血が猫に負わせられた浅い傷を塞ぎ、


「それどころか、もうほぼ治りかけているじゃありませんか」


 傷はほとんど皮膚の色と一体化していた。かさぶたも既に剥がれている。


「くそっ、こういう時は異常に回復力が高い自分の身体が妬ましい!」

「健康的でいい事じゃないですか。何はともあれみーちゃんを無事に見つけ出してくれて私はたいそう満足いたしました。またみーちゃんが脱走したときはお願いいたしますね」


 くるりとマダムが背を向ける。


「ああ! マダム! ちょっと待ってくださいマダム!」


 とその背中を追いかけて行こうとすると足元に積み上げられていた書類の束につまずき転んでしまう。

 ばっさー、とルキが倒れた勢いで巻き上がった風が埃と書類を巻き上げる。

 その中の一枚がマダムの眼前へとひらひらと舞い落ち、彼女は何の気なしにそれを手に取る。

 読み上げる。


督促状とくそくじょう……きた踏蟹ふみがにの月・五の日。その期日までに滞納している家賃百万Mマシェリを納めなければ即刻退去とする。必要とあらば法的手段にも訴える準備はできている。とっとと金払えこのバカ。大家より……まぁまぁ……」


 くるりとマダムは振り返り、


「あと三日ですわね」

「え、えへへへ……」

「百万Mマシェリは用意できているんですか?」

「三千Mマシェリならたった今なんとか……そのお金をくれた人からの好意で、これを百万Mマシェリに増やしていただけたら……すっごく助かる……なぁ~って」


 愛想笑いを浮かべて小首をかしげるルキ。


「なぁ~……ですか?」

「助かる……なぁ~って。ほら、また今後みゃーちゃんが脱走したとき、俺ならすぐに見つけられ」


 バタン。


「あっ⁉ マッテ‼ マダム! ちょっと待ってくださいよォ! マダムゥ!」


 マダム・コンフォートはルキの言葉を待たずして、事務所を出て行ってしまった。


「あぁ~……あぁ……くっそ、ケチ! あんないかにもな金持ちなんだからもっとはずんでくれてもいいじゃん……はぁ……」


 こげ茶色のどっしりとした大机、ルキが事務所を立ち上げる時にそこそこ無理して買った所長机に尻を乗せる。すると机の上に隙間なく置かれた書類の束を、当たり前だが尻で押してしまいドミノ倒しの様に崩れ、再び部屋に埃と紙が舞い満ちる。

 自らの不注意さに目を回しつつも、もはや回収するきも起きずルキは「はぁ……」とため息を一つ、その後がっくりと首を落とした。


「何やってんだろうな……俺」


 俺、俺は……、


「世界を救ったのに、英雄だったのに……いつのまにかこんな場所でしがない探偵業……いや探偵というのもおこがましい……まともな探偵業はもっとしっかりした探索魔法の使い手が経営している事務所がやってるし、そんな魔法習得してない俺なんかに回ってくるのは猫探しだけ……それで百万の滞納してる家賃どうやって納めろっていうんだよ……」


 指折り数える。マダムの猫をひたすら探し続け、マダムが二千Mの上乗せ料金を払ってくれるとそこそこ都合よく、そこそこ現実的で、恐ろしく非現実的な計算を始める。


「200回……最低でもそんだけみーちゃんを捕獲しなければ百万マシェリなんてのは溜まらないのか……気の遠くなる回数だ。絶対無理……はぁ……探偵ってメチャクチャ儲からねぇなぁ……ああぁ~‼」 


 ガシガシと頭を掻きむしる。

 段々と後悔の念が強く、強く膨れ上がってきた。


「あ~あ! こんなことになるんなら自分探しの旅なんて出ずに普通に就職してればよかった!」


 あいつらみたいに!

 十年前に俺と一緒に世界を救ったあいつらみたいに!


「ハハッ♡」

「———⁉」


 そとから、笑い声が漏れ聞こえた。

 誰か、入り口の傍にいる。

 全く気付かず、大きな声で独り言を言っていた自分を恥じ入る。


「だっ……! ゴホン、どちら様ですか?」


 ここは探偵事務所だ。

 そこの入り口の前にいるとすれば、依頼人だろう。絶対に依頼人だ。同じ階にある他の部屋に用事がある通りすがりなんかじゃない。解決してほしい難事件を抱えた、後先がない依頼人だろう。そう決めた。そう決めないと恥ずかしいい独り言を聞かれた後悔で全身を掻きむしりたくなってしまう。

 ガチャリと扉が開かれる。

 そしてニヤニヤ笑みを浮かべた軍服のような恰好をした蒼い髪の女性が姿を現す。

 その顔を見た瞬間———ルキの目は驚愕に見開かれた。


「お前ッッッ⁉」

「ハッハッハッハ‼ 相変わらず変わってなくて安心したよルキ。相変らずのダメ人間っぷりで」


 にんまりと笑みを浮かべてルキを見つめる、その女性は———、


「何しに来やがった! ラフィ!」

「何しに来やがった? 昔の仲間の顔を見に来るのに理由はいるかい?」


 相変らずの皮肉屋の彼女は、ラフィエル・チルサトは、指で自らとルキを交互に指さし、


「———一緒に魔神の脅威から世界を救った仲じゃないか」


 自分も英雄の一人であると告げた。

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