Cornflowerblue:終わりのはじまり

『よくやったな』


 翔さんの言葉だった。たったその一言だったけど、俺は凄く嬉しかった。これで何もかも元通りの生活になるはずだ。


『明日は早い。後で店の酒を搬入するから、部屋で待っててくれ。和馬も喜んでるぞ』

大陸あーすさん! やりましたね。よかった…うぅ…』


 おいおい泣くな、と電話の向こう側で翔さんがなだめている。二人のやり取りが目に浮かぶようだ。


 こういう時は泣けばいいんだっけ? 俺は悩みつつ、自然と口角が上がってる自分に気付く。どうしたんだ俺?


 明日は京香さんに会える。

 俺はクリスタルを手に入れた。あいつの要望はかなえたのだ。俺は潰されない、絶対に。


 俺は昔読んだ童話を思い出していた。それは、いばらの城に閉じ込められているお姫様を救い出す物語。


 まさか物語はハッピーエンドではなく続きがあることを、この時の俺は想像すらしていなかった。


 期待をすれば裏切られる。そうだった…そうだったのに、俺は完全に油断していたんだ。



* * *


 イベント開催まで数時間。俺たちはクリスタルを手に入れた喜びもつかの間、セットアップにあたふたしていた。

 こんなことなら、店でやればいいんじゃないか? と思わざるをおえない。


 玄関から入った先にあるリビングにシャンパンタワーを築き、カウンターには色々な酒と彩り豊かなピンチョスたち、反対側の壁にも軽食が並んでいる。


 さっきからひっきりなしに花が届き、部屋の中を華やかに彩っている。

 スタッフのキックオフイベントと聞いていたが、この華やかさは、ちょっとしたオープン記念パーティーだ。


「おー。翔! いい感じだな」

JINジンさん。お待ちしていました」


 JINジンご一行の到着に部屋の中のスタッフに緊張が走った。相変わらずキザな格好をし、oceanオーシャンのママと思われる綺麗な女性と腕を組んで入ってきた。

 部屋の中ではサングラスくらいとれや! 俺は顔に満面の笑みをたたえ、そんなことを想いながら拍手で彼らを迎えた。


 その後ろから着物姿の京香さんが、何人かの女性たちと入ってくる。

 どの女性も綺麗でキラキラしていたけど、京香さんの美しさにはかなわない。京香さんは前を向き凛として誰よりも輝いていた。


「みんな! 今日は無礼講だ! 好きな酒をたらふく飲んでくて」

「キャー素敵~」


 女性たちが歓喜の声をあげる。


 それをきっかけに参加者に、まずはシャンパンが手渡される。俺も和馬も、Rebootリブートのスタッフが細やかに対応する。今夜はoceanオーシャンのスタッフのためのイベントなのだから。


 乾杯の音頭がとられ、部屋の中はあいつのハーレムか? と言う感じになってきた。酒も入っていい気分なのだろう。

 京香さんも周りのスタッフを気遣っている。


大陸あーす!」


 いきなりあいつの大声が響き、俺に注目が集まった。キャー可愛い~、なんて声も聞こえてくるから俺は居心地が悪くなった。


「クリスタル、用意できてるか?」


 きたっ。俺はクリスタルを抱えクソ野郎に歩み寄る。これは鞍さんの大事な想い出でもある。こいつは鞍さんのことを少しでも思い出すことがあるのだろうか?


「はい。準備できました」

「…」


 信じられない。と言う顔を一瞬俺に見せる。京香さんも驚きの顔で俺を見つめているのがわかった。


「開けましょうか?」

「あぁ、頼む」


 翔さんが丁寧にクリスタルをグラスに注ぎ、JINジンに渡すと、香りが部屋中にふんわりと広がった。


 周りの女性たちも次に何が起きるのか声も出さずに見つめている。

 みんなの注目を浴びて、ゆっくりとクソ野郎はクリスタルを口に含んだ。


「う~ん。これだよ。これ」


 満足そうに目を閉じ、香りを楽しんだ後クソ野郎は俺の肩を引き寄せ、クリスタルの香りがする息を吐きながらニヤつく。


大陸あーす! よくやったな」


 そう言うと、奴は俺の額にキスをした。な、何だ!? 俺は戸惑いながらも笑顔が張り付いていた。


「よしみんな! これがクリスタルだ! あまり店でも飲めない代物だ。今夜はみなで飲もうじゃないか!」


 割れんばかりの喚声と共に、スタッフがクリスタルをグラスに注ぐ。




大陸あーす、これどこで手に入れたの?」

「京香さん…」


 キッチンでグラスを片付けている俺のところに新たなグラスをもって、京香さんが声をかけてきた。

 リビングではいい気分になったあいつが、女性たちに金をばらまいている。やっぱりクソはどこまでいってもクソだ。


「片付けは俺たちでやりますから、ここには来ない方が…」

「質問の答えになってないわ」

「あ…」


 京香さんは少し怒っているのか? と思うほどにピリピリしていた。そりゃ…俺と言うペットと暮らす部屋に旦那がいて、その旦那が女といちゃついてるんだから、平常心でいられるわけもないか。


「それは…錦糸町のシガーバーで…」

「鞍さんに会ったの?」

「え、えぇ…。まぁ…」


「そぉ」


 知り合いですよね? そう京香さんに聞こうと思った時、あいつの大きな声が聞こえた。


「みんな! 聞いてくれ。話しておきたいことがある」


 さっきまでのざわつきがウソのように静まる。


 あいつはoceanオーシャンのママになる女性の腰を抱き寄せ、よたっと立ち上がる。あれは絶対にできてる。そんな二人の空気感だった。


 京香さんの顔が悲しく曇る。


 京香さん…。俺がいるから。悲しまないで。

 思わずそんな言葉を口にしてしまいそうな自分がいた。

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