第30話 後編13 信太朗⑮
「じゃあ明日、東京に戻るから作戦決行だ。準備しておくんだよ。」
「わかりました。弘子お姉さまもお気をつけて。」
敦ちゃんは、スマホに映る姉ちゃんに手をふると、通話を切った。彼女はすっかりスマホの使い方に慣れていた。
夕飯をいつものように済ますと、交代で風呂に入った。
「お休みなさい、信太郎様。」
「ああ、お休み……。」
いつも二人で視る習慣になっていた、9時のニュースも今日は視るのをやめて、早めに休むことにした。
敦ちゃんはドアを開けて部屋に戻る。
俺は自分の部屋に戻った。
明日は、大事な決戦の日。早く寝て明日に備えなくてはいけない。
といっても、作戦はほぼ決まっていて、今更俺のやれることはほとんどないが……。
ジャージに着替えてベッドに横になった。
「……」
眠れない。
作戦は上手くいくだろうか?
敦ちゃんを元の世界に無事に戻し、源義経を倒し、歴史を変える。
あいつらは戦で死んだりしないだろうか。
せっかく用意した、与一用の薬は無駄にならなけれがいいけど。
すると、隣の部屋から、かすかに笛の音が聴こえてきた。
敦ちゃんも眠れないのだろうか。
無理もない。一歩間違えたら、彼女の命はないのだ。
しかし、成功すれば、彼女の願いは叶えられ、平家は滅亡しなくなる。彼女は一族の危機を救えるのだ。
そして、俺は元の平穏な生活に戻る。
「元の……生活……」
そう、安全で清潔で、アンダーソン少佐から学んだ戦闘知識を使うこともない。
そしてとても退屈で……。
敦ちゃんがいない生活。
彼女の声も、笑顔も、怒った顔も、お団子も食べてる幸せそうな顔も。
そして涙も。もう、見れないんだ……。
笛の音はまだ聞こえてくる。
清らかな、そしてどこか寂しげな調べだ。
(そうだ、この笛の音も。)
(もう……二度と聴けないんだ……。)
(もう二度と……。)
その時、笛の音が、唐突に止んだ。
一瞬の静寂。
次の瞬間、俺は、勢いよくドアを開けて廊下に飛び出していた。
同時に、敦ちゃんがドアを開けて飛び出してきた。
「敦ちゃん……」
「信太郎様?」
俺を見て驚いた敦ちゃんの大きな目からは、涙がポロポロと流れて落ちていた。
気づくと俺も同じように涙を流していた。
俺は敦ちゃんに近づいた。
敦ちゃんも俺に近づいてくる。
「敦ちゃん。俺は……君と離れたくない。離れて暮らすなんて考えられない」
「信太朗様……」
「責任をとるとかそういうのじゃなくて。俺はただ……」
「……」
「君と、一生……一緒にいたいんだ」
敦ちゃんは俺の腕の中に飛び込んできた。
彼女の心臓の音が聞こえる。
少女は、男の胸から顔を離すと、彼の目をじっと見つめた。
「信太朗様、私、まだ秘密にしていたことがあるのです」
「……秘密?」
「わたし、あの時。直実殿に首を取られそうになって、死を覚悟した時に。私、思っちゃったんです」
敦ちゃんは目をつむっている。
「今まで思ってもいなかった願い、いえ、私のの意識の中で今まで無意識にひた隠しにしてきた願い」
「願い……」
「一度でいい、おなごとして扱われてみたかった。恋というものをしてみたかった。私をどんな時でも支え、励まし、味方をしてくれる。そんな素敵なお方と出会いたかった、って」
「……」
「そして、気づいたら、貴方がずっと目の前にいました。私の夢、かなっちゃいました。信太朗様」
敦盛は少し笑った。
「私、貴方にもう一つお伝えしていないことがあります」
「えっ!」
「あの時、お香の匂いで記憶を取り戻した時に、母上の記憶も蘇りました。私自身も忘れていた、とても幼い時の思い出」
「思い出……」
「私が女(おなご)ではなく男(おのこ)として育てられることに、母上は反対していました。父の意志が固いことを知ると、せめてもと、母上は私に、秘密の贈り物をしてくださったのです」
「敦ちゃん……」
「信太朗様、私の本当の名前は敦盛でも敦ちゃんでもありません。私の御名は【青葉(あおは)】。母上が、私に、秘密でつけてくださった名前です」
彼女の頬を涙が一筋流れた。
「青葉……あ・お・は」
俺は宝物を扱うように丁寧に、その名前を呼んだ。
「そうです。私の名前はあおはです」
「あおは……あっちゃん。ははは、これまでと同じだね。あっちゃん」
「本当だ。そうですね」
「俺はあっちゃんを愛してます!」
「信太郎さま……。嬉しいです。私も貴方とずっと添い遂げたいです」
燃えるような緋色の目が、涙で更に赤くなっている。
二人はどちらからともなく顔を近付けて、唇を合わせた。
唇を通じて、彼女の体温と想いが伝わってくる。
彼女の吐息が温かい。
愛おしさで胸が張り裂けそうになる。
「信太郎さま、お願い、私を……」
「あっちゃん……」
俺はもう一度、彼女を強く抱きしめた。
もう言葉はいらなかった。
二人がいる東京が、運命の明日に日付を変えるには、まだもう少し時間があった。
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