第32話:松本さんの長い放課後

 鳩、か。


 良太の目に映った松本さやかのヴィジョンは、背中に羽の生えた人間だった。人間の姿に動物の一部が付いているという、最も目にする一般人のヴィジョン。

 ギンバトの白い翼を背中から広げた彼女は、まるで天使のようにも見えたことだろう…… 今は羽根も羽毛も引き千切られて、無惨な姿を晒しているが。


 井上陽水はるゆきは、鷹。こちらは背中の羽だけでなく、手に鉤爪も生えている。どちらもし折れていて見るからに痛々しい。もう飛べないことが一目で分かる。


 これを姉がやったのかと思うと、さすがに気分が悪い。弱肉強食と弱いもの虐めを混同する奴は、福祉社会で生きる資格はないと良太は思う。

 いっそ本当の弱肉強食の世界に放り出してやろうか。ライオンも老いてはシマウマに蹴り殺され、ゾウといえども怪我や病気で隙を見せればライオンに喰い殺される、正真正銘の弱肉強食の世界に。

 良太は平伏している翔子を不機嫌な目で睨み付けた。


「あの、俺たちは…… どうすればいいんでしょうか。すみません、急なことで状況が飲み込めなくて……」


 おずおずと、井上が尋ねてくる。背中に松本を庇いながら。

 恐怖が隠せない声色と表情に、良太は苦笑した。そりゃ怖いだろう。いくら憎い仇に対してとはいえ、知らない人が暴力的な犯罪行為をしているのを目の当たりにすれば危険も感じる。

 この愚姉がもっと人間に近けりゃ、こんな強引なことはせずに済んだのにな、と、良太は忌々しげにオウム怪人を見下ろす。兎に角さっさと話を進めてしまおう。


「さっき言った通り、ずは写真を撮ってコイツの弱みを握ってくれ。撮るだけなら犯罪じゃないから大丈夫…… 悪用して人を傷つけたら別だけどな」


 ひうっ、と翔子が嗚咽混じりの悲鳴を上げる。


「こんな奴が相手じゃ、何の手札も無しに話し合いなんて出来ないだろ? ああ、写真は信用できる人に送るなりして、簡単に消されないようにな」

「き、気遣い、ありがとう」


 井上はそう言って、素直に大人しくスマホを取り出し、土下座している翔子にカメラを向けた。


「それじゃ顔が写らないぞ?」

「そっ、そうだな。すまん!」


 言うことが細かい。そこがまた妙に怖い。


 良太が翔子の髪を掴んで、グイっと顔を上げさせる。

 井上は震える手で、スマホの画面に翔子を捕らえた。

 画面越しに見下ろす翔子の顔が、井上と松本を睨み付けて屈辱と怒りに歪み……


「チンパン人に戻ってんじゃねぇ!」


 ガァン! と恐ろしい音を立てて、翔子の頭が床に叩きつけられた。


「見ての通り、何の反省もしてねーよ。何をするにも遠慮は要らねーぜ。ほら」


 良太がまた、翔子の顔を上げさせる。

 血塗れになった翔子の泣き顔。井上は、ざまぁ見ろ、ざまぁ見ろ、と、自分に言い聞かせながら、シャッターをタップした。


「準備ができたら、どっか野次馬の来ないところで話そう。場所はそっちで選んでいい。有料のとこならコイツが金を出す」


 撮影が終わって、翔子に布を掛けながら良太は言った。


 松本と井上が何とか思い付くことが出来た人気ひとけのない場所は、翔子たちに暴力を振るわれてきた視聴覚室だった。




******




 コンピュータ室に取って代わられて以来、放置されている視聴覚室。

 日辻川翔子にとってはアジトのような場所だ。どこにいたって思うがままに振る舞って来た翔子たちにも、仲間との思い出が詰まった居心地のいい場所というものはる。


 今、そこに仲間たちはいない。

 救愛キュアは指を千切られた。木村きむらは腕を千切られた。林条りんじょうなんて親もろとも首をじ切られて殺された……弟の手で仲間の頭がクルクルと回り、よじれた首が伸びてくびれて切れていく冗談みたいな光景に、翔子は何度も嘔吐した。

 みんな、良太の手で二度と笑い合えない体にされてしまった。

 今、この場所で一緒にいるのは、底辺で負け犬で奴隷だった松本さやかと井上陽水はるゆき。そして、弟の良太…… いや、食日じきじつとかいう、『うわ、コレもうダメなヤツだ』の一言でいきなり人を殺す恐ろしい怪物。

 仲間でもなんでもない、忌々しい連中だけだ。


「コイツはまともな人間じゃない。反省なんかしてないけど、形だけでも改めて謝罪させようか?」

「えぇと…… とりあえず、これまでの経緯いきさつを聞かせて欲しいです。私たちが、彼女に暴行や恐喝を受けていたのはご存じなんですね?」


 暴行とか、恐喝とか、大げさに言うのは止めろ、と翔子は歯噛みしながら松本を睨み…… 慌てて良太の顔色を窺う。

 ああクソっ! アクション映画の主人公が雑魚を蹴散らすのを見て、暴力だとか傷害だとか一々イチイチ突っ込むのかよ、お前らは?


「ああ、あんたらがひどい目に合わされたことは全部知ってる。悪いけど俺は警察でも弁護士でもないし、正義の味方でもない。単に身内の不始末を片付けに来ただけなんだ。あんたらを助けることにはなると思うけど、被害者の気持ちに寄り添って手厚い対処を、って訳にはいかない。そういうのは改めて専門の人に頼んで欲しい」

「え、ええまぁ、それは、分かります……」


 どう見ても、警察でも、弁護士でも、正義の味方でもない。

 いや、ひょっとしたら正義の味方かもしれない。仮面や覆面で正体を隠して、非合法な潜入や私刑をやっていてもおかしくない。


「とりあえず、慰謝料は受け取って貰えるか? 心も体も元通りにしてやれなくて心苦しいけど、やられただけ丸損なんて流石に馬鹿らしいだろ? せめて金銭面くらいはプラスで終わらせて欲しいんだ」

「それは…… はい、分かりました」


 慰謝料、と耳にするたび、翔子は暗澹たる気持ちになる。

 父親の将人まさとを黙らせた良太は、叔父の解治かいじに連絡を取った。祖父母の葬式以来久々に会った叔父と叔父嫁おば、そして従兄妹いとこ達は、うやうやしくも陽気に良太を迎え、怪物の覚醒を喜び合っていた。

 その日のうちに、翔子は高校を退学させられ、どこぞの孤島の何かの施設を住み込みで管理させられることが決まった。

 スマホの電波も届かず、特殊な無線が本土の基地に繋がっているだけの場所を掃除させられるのだ。慰謝料やら賠償金やらを稼ぎ終わるまで、そこに幽閉されるのだ。何年も、何十年でも。

 定期便で、読みたい本くらいは注文できるそうだけど。




 死んだ方がマシなんじゃね?




「後は、再発防止だな」


 がらん、と。


「こんな愚姉だけど、ましらの如くにゃつえぇからな。ったらかしにするのは不安だろ」


 重い音を立てて、良太はハンマーと鉈を具墨くすんだ机の上に置いた。


「反撃に反撃を許してたんじゃ、キリがないからな。二度と乱暴が働けないように、物理的にあんたらより弱くしてやんな」

「えっ……」


 松本は思わず上げた声を詰まらせた。井上は声を出すのも忘れて工具きょうきを見ている。翔子は目を見開いてカタカタ震えはじめた。


「積もった恨みを込めて、存分にやってくれ。加減を間違って殺しても、文句は言わないよ。まぁ、その時は慰謝料取れないけど……」

「良ちゃんっっっっ!!」


 翔子が絶叫した。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! お姉ちゃんが悪かったの! 本当に反省してるの! だから、だからお願い! こんな、こんな無茶苦茶はやめてぇぇッ!!」

「謝る相手が違うだろ?」


 逃げ出そうとしたところを、床に捻じ伏せられる。

 喧嘩の時は相手の動きがなんとなく分かってしまう翔子なのに、良太の動きは全然分からない。何も分からないうちに、いつの間にか好き放題されているのだ。

 今も、気が付いたら背中にとんでもない圧力がかかっていた。まるで生き埋めにでもされたかのように、手足まで動かせない。


「心配すんな。少々のことじゃ死なせやしねーから」




 ウソでしょ?

 だって、だって、ハンマーってお前、ナタってお前。

 やめろよ、やめろよお前ら。

 アタシらだってそこまではしてないっしょ?




 翔子の目の前で、


 井上が、ゆっくりと、ハンマーに右手を伸ばしていく。


 あの日・・・から上手く動かなくなった指が、不器用に震えて、ハンマーを取り落とした。


 井上の手から落ちたハンマーを、


 松本が、ゆっくりと拾って…… 強く握り締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る