第31話:姉ちゃん謝りに行く

 松本さやかの高校生活は地獄だった。


 教室で煙草を吸うような頭のおかしい人間に関わったのが間違いだと言えばそれまでだが…… 級友が怪しい薬物を売り付けられそうになっては、流石に黙っていられなかった。

 その級友はさっさと転校してしまった。薄情だなんて思っていない、と言えば嘘になるが、とても責める気にはなれない。自分と同じような目に合う前に逃げられて良かった。


 ハルくん……恋人の陽水はるゆきには、本当に申し訳無いことをした。私の写真をバラ撒くと脅されて、歯を軋ませながら連日バイトをさせられている。あの日壊された右手はまだ上手く力が入らないままで、まともに拳も握れないのに。

 あの女に叩きのめされた屈辱、恋人を守れなかった悔恨、ボクシングに懸けた青春と夢を奪われた絶望……どれほど傷ついたのだろう。慰める言葉も浮かばない。


 あの写真が有る限り、誰にも頼れない。いつまでこんなことが続くんだろう。いっそ世界中に裸の写真をバラ撒かれても、警察に駆け込んだ方が今よりはマシなんじゃないか……




 ハルくんがいなければ、っくに自らの命をっていたことだろう。




 今日もお金を取られ、腹を蹴られるのか。明日こそはアイツらが紹介する怪しい店で援助交際ばいしゅんをさせられる羽目になるのだろうか…… と、虚ろな目で窓の外に広がる青空を眺めていたある朝のことだった。


 日辻川ひつじかわ翔子しょうこが学校に来なくなった。

 何だろう。普段からサボり歩くなんて珍しくも無い翔子だが、学校たまりばに何日も顔を見せないなんてことは今までなかった。


 気味悪く思っていると、山口やまぐち救愛キュア木村きむら芸都ゲイツ林条りんじょう静華ジョーカーといった翔子の取り巻き達も学校に来なくなった。

 数ヶ月振りに訪れた、罵声と暴力と略奪の無い日々。


 知らないところで何かが起きているのだろうか。形だけは平穏な生活に不安ばかりが募る。否応なく嵐の前の静けさを感じさせられながらも、日付は進み……




 それは、未だ晴れない気分で帰宅しようとした、とある放課後のことだった。


 彼氏さんと一緒に、教室で待っていて下さい。とのメッセージが、スマホに届いた。

 差出人は、あの忌まわしい日辻川翔子。

 嫌な予感が当たったと、さやかは運命を嘆く。どういう風の吹き回しなのか丁寧語でつづられた文章が、只管ひたすらに不気味だった。


 逆らえるはずもなく、さやか陽水はるゆきは皆が帰った後の教室にたたずみ、血のように赤い西日の中で、死刑囚のように翔子を待った。

 そして、




 嵐は来た。




「ま、松本、さやか、さん。井上…… はるゆき、さん」


 日辻川翔子が教室に入ってきた。




 全裸で。




「ごめんなさい! 今まで、本当に申し訳ありませんでした!」


 あまりに唐突で非現実的な光景に凍り付くさやか陽水はるゆきの前で、翔子は教室の床に手をついて土下座した。

 これが、可愛い制服にはまるでそぐわない高額なアクセをジャラジャラさせて、誰彼構わず見下すような視線でめ回していた、下品で傲慢な女と同一人物なのか? 


 正直、何が何だか分からなかった。


「初めまして、松本さん、井上さん。俺は日辻川良太。このオウム怪人の…… チンパンジー人間の方が分かり易いか? とにかく、コイツの弟だよ」


 そう言って、藤玉輪学院中等部の制服を来た少年が、翔子の服を抱えて教室に入って来た。


「取り敢えず、好きなだけ写真なり動画なり撮っておいてくれ。松本さんの写真は、コイツの仲間が持ってた分も全部消させたから、何も心配することは無いぞ」

「えっ…… あ、あの……」

「まぁ、無いことを証明することはできないからな…… だから、代わりにコイツの写真を撮って、抑止力にしていいよ。ある程度は気が楽になるだろ。それが終わったら、コイツは離島の観測所に住み込みで働かせて、慰謝料や賠償金を稼がせるつもりだけど……」




 慰謝料なんか要らないって言われて、この場で殺されても、文句言えないよなぁ。




 と、当たり前のように、その少年は言った。


「ごめんなさい! ごめんなさい! 殺さないでください! お金は払うから! 償いはしますから! 殺すのは止めてください! どうか、どうか命だけは……!」


 全裸で震えながら、翔子は泣き叫んで床に頭突きを繰り返した。


 さやか陽水はるゆきと顔を見合わせて、現状について自分なりに必死に頭を巡らせてみた。




 多分…… ヤクザのケジメみたいなものじゃないか?


 日辻川翔子はヘタを打ったのだ。今までヤクザだか半グレだかのケツ持ちで好き放題してきたが、そこが面倒見切れなくなった。

 これから組織で内々うちうちに始末されるのだろう。


 さやかたちに話を持ってきたのは、翔子のことは被害も含めて警察にチクるなという念押しではないか?

 恨みは晴らさせてやるから、非合法な私刑に一枚噛んで共犯者になれ…… と、いうことじゃないだろうか。




 そうだとすると…… 自分たちはどうすればいいのか? どう答えれば下手を打たずに済むのか?


 ごく一般的な家庭で育ったさやか陽水はるゆきは、知らない世界の裏事情を懸命に想像して、冷や汗を垂らすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る