第21話:鈴木小路家、落日

 少女は窓の無い部屋に閉じ込められ、一人涙にれていた。


 小さな農園を営む両親が友人から借りたはずの金は、いつの間にか鈴木小路系列店リンリンファイナンスから借りたことになっていた。親の借金を子供が返す必要はないとは言え、債権を闇金に売ると言われては見捨てることなど出来ようはずもない。


 児ポ法は未成年の価値を跳ね上げた。今夜にも体験入店させられるそうだ。


 恋人とは、泣く泣く別れた。事情も話さず、一方的にフった。

 正義感の強い彼のことだ。もしも話を聞いたなら泣き寝入りはしてくれないだろう。殴り込みをかけるほどバカな人じゃないけど、警察や弁護士、マスコミなんかを頼ろうとして有漏有漏うろうろしてる間に、目をつけられて襲われたらと思うと、どうしても事情は話せなかった。

 急変した幼馴染の冷たい態度に傷付けられた顔を思い出すと死にたくなるが、悪党に屈して恋人を助けられなかった絶望と無力感を味わうよりはマシなはずだ。貴方を慕う子は他にもいるから、どうか『長年の信頼を裏切ったクソ女』のことなんて忘れて、幸せになって欲しい。


 神も仏もこの世・・・にはいない。どんなに祈っても、悪党が地獄に落ちるのはあの世・・・に逝った後で、生きている間に天罰が当たることなど無い。善人が生きている間に報われることも無く、死んでから天国に連れて行ってもらえるだけだ。


 だったら神様、せめて死んだら……

 異世界に転生させてくれますか? 彼と夢見たあの世界で、冒険させてくれますか?


 幼い頃に二人で読んだ物語を思い出し、涙に濡れた顔に儚い微笑みを浮かべて、少女は役立たずの神様に益体やくたいもない願いを懸けると、ヒロインが主人公の背中を護って悪魔を打ち倒した思い出の呪文を口ずさむ。


 詠唱が終わった、その刹那、




 轟音と爆音がして、少女の視界に鮮やかな青空が広がった。




「………………え?」


 呆然とする間もなく、肌に感じる焦げ臭い熱波。慌てて、訳も分からないまま壊れた壁から外へ飛び出す。


 ゴォン! ドォン!


 唸りを上げて風を引き裂いた何かが、忌まわしい豪邸に次々と突き刺さる。

 隕石? ミサイル?

 見たこともないような火柱が上がり、屋敷が見る見るうちに燃え落ちていく。


 よく無事だったものだ。

 ちょうど壁が壊れて、自分は五体満足。そうでなければ、瓦礫に潰されるか火に巻かれるかして死んでいただろう。幸運なのか、助かるように狙って撃ち込んでくれたのか……

 恐々と火の手を見上げる少女の耳に聞こえてくる、男たちの野太い悲鳴と怒号。




 今時のヤクザの抗争って、こんな凄いの?




 冷汗を拭いながら、少女は逃げ出した。逃げてどうなるかは分からないが、このまま修羅場にいるよりはマシだろう。




******




「なんじゃこりゃああ!?」


 鈴木小路汰卦流たけるは絶叫した。

 60を過ぎてなおも筋骨隆々にして眼光鋭い彼は、息子に跡目を譲った後も大親父と呼ばれながら一線に身を置く、鈴木小路一家の実質的なかしらだ。


 暴対法の強化と日辻川家の横槍に苦しめられながらも、佐藤院家の援助を受けてその懐刀となり代紋を護って来た。NPO法人だか有識者会議だか知らないが、佐藤院家の資金調達力には恐れ入る。


 あの忌々しい日辻川善聴ぜんちょうくたばって、やっと彼奴等きゃつらに隙が生じた。善聴と友誼ゆうぎを結んでいた古強者どもは、善聴の跡取り・解治かいじのお手並み拝見と静観に回り、出来損ないの分家となった解治の兄・将人まさとは、せっせと半グレに金をばら撒いて本家の足を引っ張ってくれている。


 パワーバランスが崩れ緊張が高まる中、丹精込めて育てていた水津流ウチのまごが、完成間近にして分家筋の小童ぜんちょうのまご良太りょうたに壊されたのだ。事も有ろうに腕一本引き千切って。

 明らかにガキの喧嘩の範疇ではない。どう考えても宣戦布告。これで退いたらおとこすたる。


 何が日辻川家だ、成り上がりの猟師風情が! 元士族たる鈴木小路一族の歴史と格を教えてくれる!


 まずは分不相応な屋敷を焼き払って開戦の狼煙のろしを上げ、その焼け跡に口火を切った狼藉者の首級くびを晒してやろうと、二つの部隊に出撃命令を下したのは、ほんの20分ほど前。


 その矢先に、この攻撃。

 さしもの大親分も仰天した。


 いくらなんでも迅速、いくらなんでも苛烈。見誤った。まさかこれ程の軍備を整えていようとは……!


 と言うか、何を持ち出して攻撃してきたんだ。ミサイル? ロケットランチャー? 爆弾を積んだドローンか?


 孫の腕を飛ばしたことといい、やることが過激すぎんか? 警察になんて言う気なん?




「ハイエナのバケモンのリーダーなのに、メスじゃないんだな。ま、ハイエナのバケモンであってハイエナじゃ無いしな…… ハイエナはお前らみたいな卑劣な生き物じゃない」


 唐突に、背後から聞き慣れない声。声変わりしたばかりの、少年のもの。

 振り向いた汰卦流の目に、何より先に飛び込んできたのは、蒼白い光放つ一対の眉毛。


 夢にまで見た、その色合い。

 祖父じいさんが祖父じいさんの祖父じいさんから聞いたと言う、天上天下無敵の侠客。

 御伽噺の中だけの存在ではなかったのか。


「じ……『食日じきじつ』……?」

「へぇ、他所よその家にも知ってる人がいるんだな。日辻川家の御先祖様のこと」


 この鉄火場に護衛も連れず、少年はしれっと一人で立っている。

 ヤクザの大親分に向かって、初孫よりも無遠慮な口を利いてくる。

 汰卦流の背中に、どっと汗が流れる。


「……学校の警備員共は、歯応えあったかの? 銀髪の小娘は見なんだか?」

「歯応え? あんなもん食うかよ。気持ちわりいこと言うな」


 気持ち悪い返答に、海千山千の老兵は二の句が継げぬ。


 あの女とり合ったんちゃうんか? もっと他に言うことは無いんか? その身ひとつで軍艦を沈め戦闘ヘリを墜とすバケモンを相手にしたんじゃろ? なんか…… なんかもうちょっとこう、あるじゃろ!?


「手が三本あるし、●●ポが異常にデカいし、かなりキモいけど一応ハイエナがモデルってことは分かるな。これくらいなら、殺さなくてもいいか」


 日辻川良太は気持ち悪い発言を続ける。誰の手が三本だって?


「こいつらはダメだったけどな。死んで腐った生き物とか、壊れて錆びた機械とかで出来てる奴はダメだ。心が腐ってたり壊れてたりするんだろうな。どれだけ他人ひとに迷惑掛けてきたんだか。お前、どんな教育したんだ?」


 ぽしゃり。ごろり。かつん。


 顔見知りの生首を投げつけられて、腰を抜かすどころか悲鳴一つ上げなかったのは、さすが大親分と言ったところか。


 弟の頭、息子の頭、娘の頭、義兄弟の頭、情婦の頭……

 じ切られた人間の頭が、恐怖と絶望の形相で永遠に固まったまま、無造作にお互いの髪で数珠繋ぎにされた、地獄のオブジェ。




 このガキ、相手がヤクザなら何してもええと思っとるんか? ヤクザは無限湧きするゲームの敵キャラじゃないんよ? ヤクザだって1人1人が生きとる人間なんよ?




 五十年連れ添ったニューナンブと、先祖伝来の無銘正宗を地面に落とし、鈴木小路家最後の男は両手を上げた。


「儂らの負けじゃ…… 敗者の分際はわきまえるゆえ、どうか話し合いの席を設けて頂きたい」

「へぇ? 本気で言ってるんだな。じゃあ、手足をいどく必要もないか」


 危なかった。人の子が虫で遊ぶように、『食日』の子は人で遊ぶのかもしれない。


「なぁ、鈴木小路の爺さんよ。鈴木小路……あー、水津流みつるが俺に一寸掻ちょっかい掛けてたのは、お前の差し金か?」

「……直接、指示した事は有り申さぬ。れど、日辻川への恨みごとい含めて育てたのは事実。我が不徳の致すところ、誠に申し訳なく」

「そうか。もう悪いことすんなよ。これ以上変なことしたら、さすがに殺すぞ」

「承知致した」

「あと、消防士さん達が来たら、ねぎらってあげてくれ」

「……承知致した」


 老人の返答にうなずくと、少年は帰っていった。

 一人、徒歩で。

 燃え落ちる屋敷と、そこから這々ほうほうていで逃げだしてきた人々が庭に両手を突いて途方に暮れている姿を、平然と後にして。


 深い、深い、五十年分の息をくと、大親父として最後の仕事をするために、鈴木小路汰卦流は盃を分けた家族たちの元へと歩いていく。






 あぁ、古き言い伝えはまことであったか。

 長生きはしてみるもんじゃのう。

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