第12話:幼馴染の走馬灯

 これ以上、良太が殴られるのを見ていられなかった。

 問題が大きくなって、良太の特待生資格が取り消されたらと思うと、佐藤院さどういんの言うことを聞くしかなかった。


 良太のために、仕方なく…… と、思っていられたのは最初だけだった。


 家事や勉強をサボって遊ぶらくさとたのしさ。

 良太が愛する、不便と手間を楽しむかのような自然とはまるで違う、即物的で享楽的な街。

 強要罪しパシらせたり恐喝罪カツアゲしたりすれば、もう小遣いのりなんか気にしなくていい。

 何より、カースト上位から冴えない連中を見下し、思うようにあしらう気持ちよさと優越感。


 対照的に、日々の着替えや風呂、洗濯にも苦労する良太は、どんどん薄汚うすよごれて小汚こぎたなくなっていく。

 堕ちるまでに時間はかからなかった。




「ああああぁああ! があぁぁぁぁあああ!!」




 まぁ、依緒にそんなことを思い出している余裕は、全くなかったのだが。

 ほこり一粒でも入れば藻掻もがき苦しむほど敏感な部分に、無遠慮に指を突っ込まれた激痛は半端ではない。

 痛い。それ以外に何も考えられない。


「眼球は眼窩より大きいからな。えぐり出すには眼窩を割るか、眼球を潰すしかないんだよな」


 良太が何か言っているのも、全然頭に入ってこない。


「時間がかかるし、やめとくか。どうせ、すぐ真人間に戻るワケじゃなし、遅刻してまで試すことでもないしな」


 そう言うと、良太は藻掻き苦しむ依緒を、彼女がさっき飛び出してきた玄関へと放り込む。


「じゃ、落ち着いたら救急車でも呼んどけよ。スマホ持ってんだろ? あー、スマホ便利だよなぁ、やっぱ……」


 宍野家の玄関をピシャリと閉めると、良太は空を見上げて日の傾きから遅刻までの猶予を測る。


「……りょ、良太くん? 何か、凄い悲鳴が聞こえたと思ったんだけど……」


 近所の小母さんが、恐る恐る家の戸を開けて話しかけて来た。


「あ、すみません。なんかネズミみたいなのがいたもんで」

「ネズミ…… そ、そう」


 小母さんは道路に散らばった赤黒い跡から目を逸らしながら、引き攣った愛想笑いを浮かべ、行ってらっしゃい、と付け足すように言うと、また戸の中へ引っ込んでいった。

行ってきます、と元気よく返事をして、良太はまた学校へ歩き出した。




******




 ああ、命拾いしたか……

 激痛の中、ようやく頭の片隅に思考が浮かんでくる。痛みに慣れて来たのか、脳内物質でも効いてきたのか。

 依緒は、右目を抑えたまま右足を投げ出して、上がりかまちの前に横たわる。体は勝手に痙攣して、全く自由にならない。

 玄関を血塗れにしながら、依緒は朧気に思う。


 その気になった良くんに勝てるわけがない。鹿を素手で捕まえてシメるような人なのだ。

 あの怪物みたちからを人間に、してや幼馴染わたしに向けることなんて無いと思ってた。お祖父さんお祖母さんとの約束を、破るわけがないと思っていた。

 つまりは、それほどまでに怒らせたのだ。とうとう本気で嫌われたのだ。

 仕方ない。考えてみれば当然だ。むしろ、今までよく我慢してくれたと思う。今後は彼の機嫌を損なわないように、大人しくひっそりと生きていくしかない。

 仕方ないけれど、どうせキレるなら最初に絡まれたあの時にキレてくれればいいのに。せめて、わたしを制裁するより先に、アイツらを断罪するとこを見せて欲しかった。

 まぁ、これでアイツらも終わりだ。まだ小学生だった良太が、大きな鹿を手際よくサバいていく姿を思い出す。

 良太は生き物を愛する優しい人だが、峻厳な大自然のごとき非情で残酷な一面も持っていることを、依緒は知っていた。




 アイツら、全員塩漬けにされて、燻製にされてしまえ。




「うそっ!? だ、大丈夫、依緒ちゃん!?」


 近所の小母さんの声が聞こえる。思ったより早く救急車にありつけそうだ。

 さて、怪我のことを聞かれたら、なんて答えよう。


 良くんをわずらわせるようなマネをすれば、今度こそ熊の餌にでもされるだろう。

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