第11話:溝鼠みたいに

 学校に向かって、人通りのまばらな住宅街を歩く。


 御伽の国にでも迷い込んだのかと思った。道行く人々が皆ケモノ人間になっている。

 とは言え、豚人間いもうと猿人間あねのような醜悪な手合いは今のところ一人もいない。獣の耳や尻尾がついている程度で、ほとんど人間だ。


「おはようございまーす!」

「おー、おはよう。今日も元気だな」


 ランドセルを背負ったポニーテールの少女が、通りすがりに挨拶しながらポニーの尻尾を揺らして駆けていく。挨拶を返しながら、良太は愛らしさに目を細めてしまう。翔子あね洋子いもうとも、あれくらい人間に近付けるだろうか。


 ……そんなことを考えていた良太の前に、横合いの家の門から行手を塞ぐように人影が飛び出してきた。


「あんた! 昨日は途中で放り出したまま勝手に帰って、どういうつもりよ!」


 宍野ししの依緒いお。良太の幼馴染。


大鼠ラット…… 嵐が来ると真っ先に逃げ出す、卑怯で臆病な裏切者、だったか」


 鼠は生き延びるのに必死なだけ。ひどい風評被害だと思う。

 それでも、目の前に現れた醜悪なネズミ人間を前に、良太はそんなスラングを思い起こさずにはいられなかった。


「………………は?」


 卑怯で臆病な裏切り者。

 そのフレーズを耳にした瞬間、依緒の顔が泣きそうに歪んだ。


「お?」


 食害と疫病の化身のようなおぞましい奇獣の姿がぐわんと歪み、愛らしい小動物がせつに震える姿が現れた。

 ……ような気がした。


「何が裏切り者だぁぁぁぁ!!!」


 次の瞬間、前歯を剥き出しにした醜い鼠怪人ラットシングスが、拳を振り上げて襲い掛かって来た。


「……ダメか」


 大袈裟に拳を振り上げた依緒は、良太の顔面に向かってジャブを放つ。ほぼ同時に、力任せに股座またぐらを蹴り上げて来た。

 フェイントを交えての金的。殺す気としか思えないようなコンビネーション。

 今日は金玉を体に揉み込んでふんどしを締め直してある。当たっても致命打にはならないだろう。が、


 ベキィッ!!


「あ"っ!?」


 セロリを束ねてねじり折ったような音。

 良太は股間目掛けて跳ね上がってきた依緒の足に拳を打ち下ろしていた。本物の砂袋で鍛えたわけでもない、布袋サンドバッグに甘やかされた脛骨けいこつはひとたまりもなく砕け、腓骨ひこつまでし折れて脹脛ふくらはぎを突き破る。


 開放骨折。


「あ、あ、あ、あ? あ、あぁ!? あ、ああぁぁあっ!!!」


 依緒が絶叫を上げて道路に転がった。


「んだよ。足ぐれーでピーピー喚くんじゃねーよ」


 良太は依緒の頭を掴み上げる。

 ……眼窩がんかに親指を掛けて。




金的キンテキ狙って来たってことは、目突メツキも覚悟してるってことだろーが」




 依緒は震え上がった。

 必死で良太の腕を外そうとする。が、ビクともしない。


「あ、ちょ、あ、いや、や、ちが、ごめ」


 頭蓋にかかる異様な圧力。右目を襲う激痛。


 何これ? 現実?


 さっきまで血が昇っていた依緒の頭から、血の気が失せていく。激しく混乱する。

 意味が分からない。どういうこと? なんでこんなことになってるの?


 ああ、きっとこれは夢だ。


 いきなりの良太の暴言。理解不能で脈絡の無い展開。

 凄く痛いけど、これは夢なんだ。だって、良くんがあんなこと言うはずがない。こんなひどいことをするはずがない。


 きっと、入ったばかりの中学校で怖い連中に囲まれて、良くんが散々に殴られて、それでも先生たちは何もしてくれなくて…… あの時から、わたしは悪い夢の中にいるんだ。



「りょう…… くん?」



 溝鼠ドブネズミ人間が臭い息を吐いた。


 良太が親指をえぐり込ませると、朝の住宅街に絶叫が上がった。

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