第3話:変わってしまった幼馴染

「ちょっと」


 家までもう少し、というところで、横合いの家の門から人影が飛び出して行手を塞いだ。


「うち、片付けて行きなさいよ。夕飯作らせてあげるからさ」


 いじっていたスマホをしまいながら傲然と言い放ったのは、宍野ししの依緒いお

 良太の幼馴染で、恋人だった少女。

 宍野家は父子家庭だ。小父おじさんの帰りを待ちながら依緒の家事を手伝って、彼女達と共に食卓を囲むのは、実の家族に冷遇される良太にとって、心も腹の虫も安まる大切な時間だった。


「断る。普通に自分でやれ」


 短く答えて、良太は依緒の横を素通りしようとした。

 見下すようにニヤニヤ笑っていた依緒は一転、苛立たしげに目を吊り上げて良太の足を蹴った。


 「ぐっ……」


 実戦空手仕込みのローキックは加減も容赦もなかった。さすがにビール瓶で叩いてすねを鍛えているわけではないが、キレも体重の乗り方も素人のそれではない。

 ふくらはぎに・・・・・・蹴りを・・・受けた・・・良太は、顔をしかめて足を止めた。


「家片付けて飯作れって言ってんの。分かんないの? バカなの? アンタみたいなお洒落なお店の一つも知らないような能無しに出来るのは飯炊きくらいのもんでしょ。それも辞めたら何が残るの?」


 去年、絢梧の取り巻きに囲まれた時は、子猫のように震えていたというのに。割って入った良太の背中に、涙目ですがりついてきたというのに。


 ただでさえ家事が得意とは言えない依緒のことだ。こんな調子では、家の中の様子もお察しだろう。

 仕事で疲れて帰ってきた小父さんに後始末をさせるのも忍びない。良太は溜息をいて、宍野家の玄関へ向かった。


「あははっ、しょーもな。最初からそーしてりゃいいのに、無駄に反抗的なんだから。だからイジめられんのよ」

「本気で言ってんのかよ。単に立場が弱い奴に面白半分で犯罪してるだけじゃねーか。証拠があったら警察に捕まってんぞ」

「……そーゆーとこだって言ってんのよ!」


 腹への前蹴り。もちろん靴を履いたままだ。また良太の顔が歪む。


「立場が弱いって分かってんならそれなりの態度があるでしょ? なーにが警察よ、自分じゃなんにも出来ないクセに!」

「そうか。じゃあ、お前は自分で自分の家のことくらい出来るようになれ」

「このっ……!」


 力任せに、顔を殴られる。

 見えるところに跡を付けても、どうせ何も言えないと分かった上での一撃。

 拳骨げんこつと頬肉が当たる音が頬骨を通して頭蓋に響く。


「何かってゆーとすぐ厭味イヤミ! コミュりょく死んでんじゃないの!? だから手ぇ出されんのよ!」


 私も猛獣や密猟者と戦う! などと、いとけなくも健気な約束をして習い始めた空手だったのに。

 一緒の学校に行こうね、と一緒に勉強したのに。難関で知られる学園の一般入試を突破した時は、涙を流して喜び合ったのに。

 少しでもお父さんの助けになれるように、天国のお母さんが安心できるように、と、苦手な家事を頑張って手伝い始めた愛おしい少女は、どこに行ってしまったのだろう。

 今では嬉々として絢梧達に媚びを売り、高価なアクセで身を飾り、たちの悪いやからつるんで良からぬ遊びをしている。


 護りきれなかった良太が悪いのか?

 特待生の資格をかなぐり捨て、爺ちゃん婆ちゃんの言い付けを破り、少年院に送られてでも。

 あいつらを全員、徹底的に叩きのめして、二度と依緒に声をかけられないようにしておけば良かったのか?


 玄関を開けると、モラクセラ菌臭なまがわきのにおいやら焦げくさにおいやらが漂ってきた。

 ……小学生の頃はもう少しマシだった。依緒の家事は下手で雑になっていく一方だ。

 良太はまた溜め息を吐いて、制服の袖を捲った。



******



 依緒に罵倒されながら、よごれた台所を片付け、洗濯物を洗い直し、冷蔵庫の中身を整理して、なんとか夕飯を作り上げる。

 仏壇の小母おばさんに手を合わせていたら、後ろから蹴り倒された。


「やること為すことジジ臭いわね。キモいって言うか気持ち悪いわ」

「……お世話になった人に挨拶しただけだろ。なんで過敏に反応するんだ。小母さんに顔向けしづらい自覚があるのか?」

「はぁぁぁ!? っっざけんじゃないわよっ!!」


 依緒が怒声を上げて、良太の分の夕食が乗った皿を投げつけてきた。

 慌てて身をかわす。続けて茶碗が飛んでくる。


 こうなったら、もう何を言っても無駄だ。さすがに亡き母に触れたのは無神経だったか。


 帰ってきた小父さんがこの仏間を見たらと思うと胸が痛むが……

 仕方なく、玄関から逃げ出した。


 依緒が力任せに扉を閉める音が、暗くなった住宅街に響いた。

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