第10話 状況、開始
「ポイントデルタより入電。レーダに感あり、所属不明機です」
「数・戦力」
「不明ですが、確認されているのは一機のみです。現在
「分かった。ミサイルや対空砲の交戦距離か」
「は。センサーの感は微弱ながらあるので、有翼種のうみうさぎではありません。少なくともどこかの企業の航空戦力か輸送機です」
「地上攻撃か偵察か・・・・・・ふむ、ピンポイント爆撃も可能だろうが。白兵戦を主軸にした電撃戦もありうるな。降下前に撃ち落とせなければ、迎撃にはバンダースナッチに出てもらうのが正解だな。投入シーケンス開始。各所守備隊にはそれまでの時間を稼がせろ。状況、開始」
「は」
うたた寝をしていた。ここは昼なのか夜なのかも判然としない。薄くぼんやりとした白い光に包まれていて、あらゆる刺激が存在しない溶液の中だ。気を抜くと体組織が体外に溶け出していく錯覚を覚えるほどの、母親の胎内のような安穏とした退屈が、自分の日常だ。
長時間
何かが、いや誰かが来たようだ。今は少し寂しい場所になってしまったが、昔ここは、結晶質の怪獣の巣窟を睨み据える最前線基地だったのだ。一時は確かに穏やかな日常があり、最終的にそれは悲鳴と怒号と流血とで以て、跡形もなく消失してしまった。
この騒ぎ。十中八九、あの男の差し金だろう。
ここの光はあいつと走ったあの日を思い出させる。確かにあのとき、自分とあいつは心を一つにすることができた。しかし今は違う。あいつも自分も道を違えてしまった。
溶液の水位が下がってきた。金属製の床に足がつく。汚い黄色をした液体がざばざばと波を立てて排水溝に吸い込まれ、全身の皮膚を伝いその残滓が滴り落ちる。目覚めの時だ。
「
「……」
言葉が出ない。声の出し方を忘れている。胸の中央を叩き、口腔から鼻腔、気道、肺を満たしていた溶液を追い出して床に吐き捨てる。
「……外の会話は把握している。承知した」
伸び放題の前髪が邪魔だ。右手でかき上げる。長い髪がたっぷり含んでいた溶液が滴り足元の水溜まりに波紋を生み出す。
両手足を曲げてみる。腰を捻り、背中を伸ばす。久方ぶりの出撃に際し、肉体は少し鈍っているが、まあ許容の範囲内と思えた。迎撃程度なら、戦闘行動にも支障ないだろう。
「基地の外にあるダーターは出せるか」
「はっ。閣下の待機中、いつでもご使用になれるよう専用ドックにて完璧に整備して参りました。各機即時出撃可能であります」
「了解した。では、三分の一を残して哨戒に放出しろ。状況把握は自分がやる。防衛隊の連中には十分な火力支援をしてやって、『基本は受け身で戦え』と前線指揮官を通して伝えろ。雑に動いて楽に死のうとするなと釘を刺すように」
「はっ。承知しました」
左手を拳銃のようにこめかみに当てる。指先に仕込まれた極小の針が、頭皮下の血管に突き刺さる。
「『
吸気ダクトや通路を飛翔し、調整槽内に入り込んできた無数のダーター。それらが蛇のごとくのたくりながらよじ登り、自分の裸の身体を覆っていく。足先から顎の下まですっぽりと、冷たい炎を思わせる矛盾した感触が全身を包む。
さて。眼を閉じる。基地各所から放出され、空中を飛び交う
全身を冷炎で炙られるような感覚が、体表を覆った無数のドローンから伝わってくる。忙しく動き回る守備隊員の緊張と疲労、高揚感の波。海中の魚群のごとく呼応し渦巻きさざめくそれらに交じって、黒く澄んだ鳥の視座がこの地を見下ろしている。
基地直上、上空千二百メートルの空域。全翼の高高度無人偵察機に懸架された人間がいる。まだ若い。自分と同じ、女だ。
女が偵察機から切り離された。速度を落とさず飛行を続ける機体から、さながら爆弾のように投下され、無数の腕を蠢かせ飛翔翼のように展開しながら徐々に高度を下げていく。フォーマイトが仕込まれた金属の翼。となると、こいつはIDORA遣いか。
単独戦力で敵対基地への降下作戦。どれだけ強い兵士だったとしても、いくらなんでも無謀に思える。だが現状把握できている投入戦力はこいつだけだ。そんな無茶ができる人間は、自分の知る限り未だかつて一人しかいないし、そいつはもういない。
たった一人の敵対戦力。基地から肉眼で見上げただけでは、太陽の中心にある点のようにしか見えないだろう。しかしダーターを通して観測する自分には、奴の背から延びた黒い翼まではっきりと見えている。さながら太陽の鳥、
こちらの対空設備が動き出した。有視界誘導小型ミサイルが一斉に幾条もの火線を伸ばす。一般的にミサイルというのは航続距離が長く足が速く、その上賢い兵器で、直接当たらなくても、目標にある程度まで接近したら感知して自爆するように作られている。馬鹿正直にまっすぐしか飛ばない、アナクロなロケット砲などとは装備がまるで違う。
しかし、鳥を思わせる女は追従するそのミサイルとその爆発を全て回避している。迎撃するのではなく、避けている。花火のように空中で展開する爆風を紙一重で避けるたびに、翼から小規模な衝撃波を出しているようだ。あの急制動と方向転換。奴の翼は、明らかに単なる安定翼やパラシュート装置ではない。
ダーターはまだ届かない。感知範囲には入っているが、直接ぶつけるには遠すぎる。
第一陣のミサイルを全ていなした女が、身に纏うように背の翼を畳み、降下速度を上げる。まるで獲物を捉えたハヤブサやカワセミのようだ。速い。この速度ではミサイルも対空砲も追いつけまい。しかし、自分のダーターなら予測して追跡できる。奴の翼か、本人に直接取りつかせてやる。
む。これは。
「将軍。所属不明機より降下中の戦闘員が接近しております。着地まで残り三百」
「先刻承知だ。最悪の場合、司令部は自分が守ろう」
奴が降下しながら高速で
空中にいる間に直接干渉するのは無理だ。自分は早々にそう結論づけた。奴の回転が止まる瞬間――着地か、その寸前まで引きつけるしかない。
会戦中ならいざ知らず、炸薬を抱えた人間爆弾による特攻など論外のはずだ。だが一応衝撃には警戒して、生身の兵士には掩体を取るよう司令部から指示を出すべきだろう。
現状から推測するに、あの鳥女の最初の狙いは司令部を直接叩くことだったはず。戦略的にもそれは正しい。先手を取って指示を出す頭を最初に叩いてしまえば、手足は連携して動けなくなるからだ。実際、この基地の対空戦力では仕留めることはおろか、奴への着弾すらままならなかった。
しかし、鳥女の誤算は自分が迎撃に当たったことだ。基地の要の司令部上空にはダーターをまとまった数飛ばしているのでいざというときはダーターそのものを編んでピンポイントの
着陸は許してしまうにせよ、司令部とは離れた位置に降りてくることになりそうだ。そうなれば、こちらの兵士たちや自分の攻撃でも食らいつける。
「よし。各員への指示。『
「はっ」
黒い彗星のごとく、女が落ちてくる。ひときわ眩く輝く異形の翼。
着弾の爆音とともにコンテナが吹き飛び、作業員が数人、おびただしい建材の破片と塵埃とともに宙を舞った。自分は近くに飛ばしていたダーターを制御し、吹き飛んだ同胞を空中で捕まえて後方に移動させる。
カーキとブルーグレーとを混合した埃色に着色された装甲化兵たちが、足裏に仕込んだホバーローラの駆動音を鳴らしながら、侵入者の降下ポイントへ速やかに展開していく。着弾による衝撃波や飛んできた建材の破片など屁でもない。装甲内部に動力機構を内蔵したせいで肥大したシルエット。頭部を覆う全天式ヘルメットアセンブリは肩から胴体に埋まり込むように一体化しており、まるでクラシックな潜水服、あるいは不細工なテディベアのようだ。
彼らが着ているのは
しかし解せない。自分の読み通りこの襲撃があの男の差し金なら、高速機による縦列爆撃なりで鳥女の進路を確保するくらいはしてくるはず。ただでさえ火力が集中する接敵時に援護すら一切ないというのは、女の実力によっぽど自信があるのか、それともただの捨て石なのか。あるいは自分が、あの男の意図を読み間違えているのか。
爆心地の中央で、黒衣の女が立ち上がる。
基地の床材に深く突き立った得物を変形させながら引き抜く女。彼女の右手から延び肩に預けられた突撃槍は、おびただしい腕を放射状に広げたフルメタルの蝙蝠傘だ。
女の装備を見て確信する。やはり奴の正体はTP社の『グリッチ』隊員。精鋭中の精鋭だ。
瞬間、こちらの兵が動く。ポイントマンの接敵の合図と同時、群狼のように群がり展開した装甲化兵が一斉に得物を構える。
すなわち、悪魔の殻を被った者同士の戦い。攻撃の志向性が、外部破壊から拘束と内部破壊とへ変化したのだ。
敵対勢力の戦術行動を停止させるためには、相手の戦力を喪失させることが確実だ。従来は対象を速やかに殺傷してしまうことがその最善手であったものが、その殻を傷つけることが極端に難しくなったことで、殻の外から力を加えて中身を壊す方向へシフトした。
そう言うとずいぶんテクニカルな話に聞こえるが、何のことはない。
肉を切らせて骨を断つもとい、肉が切れねば骨を折る。そういうやり方だ。
古い時代、鎧兜の発展によって、切り裂き突き刺す、軽く鋭利な剣や槍の優位性が失われ、甲冑の上からへし折り叩き潰す、重くアナクロニズムな棍棒や
会敵し、
しかしそれほどの威力を以てしても、うみうさぎやIDORA遣いには傷一つつかない。せいぜいが複数人で囲んだ上、制圧射撃で直撃させ続ければ、ノックバックで動きを止めることができるかも、というくらいの効果しか期待できない。
鍵となるのは、後列の兵士たちの得物だ。大音叉棍という
うみうさぎやIDORA遣いを相手にするときの定石。定石ではあるが、手堅い戦法ということでもある。これで時間稼ぎをする。刃を交えるのは後詰だ。
独りごちる。
「まずは前哨戦。さてどう出る、ドーマウス」
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