第6話
それから一ヶ月間、鳴海は黄山との約束通り、城勤めの合間を縫っては城下の黄山宅へ通った。朝餉を食べ終えるとそそくさと出かけ、帰宅が夕餉時になるのも珍しくなく、大谷家の人々が大いに不審がったのは、言うまでもない。一人事情を知っている衛守だけは知らん顔をしていたが、大谷家の女性陣は、衛守が事情を知っているらしいと察すると、衛守を尋問しようとした。
「だから母上。私の口からは言えませんって」
鳴海と同じ様に、衛守も基本的には嘘がつけない性格だ。そのため、衛守も逃げ惑うので精一杯だった。
「そうは言っても、衛守。鳴海さんが頻繁に中島屋に出入りしているのは、みっともないじゃありませんか」
詰め寄る母の玲子に対し、衛守はのらりくらりと逃げ続けている。
「まさか中島屋に金子を押借りにいっているのではあるまいな」
現当主である信成の留守を預かっている信義も、眉を顰めた。もちろん、中島屋から大谷家が借金をしているのは、信義も知っている。ただし彦十郎家は、二本松藩の中でも指折りの高給取りの家柄だ。金がないとは、表向きは口が裂けても言えない。藩の上士が借金まみれと知られれば、臣民の不安を招く。もちろん、押借りが発覚すれば、大問題である。
わいわいと言い合っている屋敷の外側では、鳴海が馬を疾駆させて、逃げ惑う黄山の息子を連日追い回している。その蹄の音と鳴海の「待たんかあ」という怒鳴り声、息子の「助けてくれ」という悲鳴は、屋敷内にいても聞こえてくる。
鳴海はいつもの悪癖で理由を一切説明してくれないし、衛守も全てが終わるまでは見ぬ振りをすると決めていたから、大谷家の女性陣は、不安半分、好奇心半分で、この奇妙な追いかけっこの音に耳をそばだてながら過ごした。
やがて、約束の期限が到来した。「大谷鳴海が中島屋に出入りしている」というのが噂になっているのは、既に鳴海も承知していた。そこで鳴海は黃山に頼み込み、彦十郎家に約束の品物を持ってきてもらい、そのついでに黄山の口から、ある程度事情を説明してもらうことにしたのである。
「御免ください」
黄山を最初に出迎えたのは、偶然にも、りんだった。お嬢様育ちのりんは、黄山に会うのも初めてである。鳴海の奇妙な噂に不安になっていただろうに、そこへ怪しげな町人である黄山の訪問と来たものだ。それにも関わらず、りんはよく耐えた。
「鳴海様への御礼品を、お持ち致しました」
ご丁寧にも客間に通された黄山は、鳴海と打ち合わせていた通りの口上を、しれっと大谷家の面前で話し始めた。黄山の悪悴の評判を耳にした鳴海が、それを何とかしてやろうと黄山の同意を得て、一ヶ月間息子を鍛え直してくれたこと。おかげで、父親でさえ手こずっていた悪悴はすっかり改心し、勉学にも真面目に取り組むようになった。これで中島屋も安心して息子に商売を継がせられる。ついては、此度の御礼の品を、本日は持参した次第である、云々。
「ふうん……」
信義は、奇妙な表情で鳴海の方をちらりと見た。武芸にばかり精を出していると思っていた鳴海が、そのような振舞をするのが、余程意外だったのだろう。
だが、その口元が微かに緩んでいるのを見て、鳴海は冷や汗を掻いた。どうも、義父には全てお見通しであるらしい。それでも鳴海の体面を保つため、黙ってくれているのだ。当面、義父には頭が上がらないだろう。
「それならばそうと、鳴海さん。私達にも仰ってくださいな。水臭いじゃありませんか」
そうこぼす玲子を、「まあまあ」と宥めているのを見て、再び汗が吹き出てきた。自分のしたことの恥ずかしさが全身を駆け巡り、ついいつもの癖で、そっぽを向いてしまう。だが、恥ずかしさの正体は単なる照れくささであって、武士として本質的に恥じることなどないはずだ。
「――こちらが、御礼の品です」
黄山は、袱紗に包まれたあの品物を、大切そうに懐から取り出した。それが卓袱台の上に置かれると、好奇心に満ちた大谷家の人々の視線が注がれる。
(しまった)
鳴海は、ある可能性に気づいた。鼈甲の櫛と珊瑚の髪飾りは、よく考えたらりんとあまり年の変わらない志津らも欲しがるに違いない。なぜ、その可能性に気づかなかったのだろう。そもそも、りんにどのようにして渡すかまで、思いが及ばなかったのだ。できれば、二人きりのところでこっそり渡すのが望ましいというのに。自分の想像力の足りなさが、鳴海は情けなかった。
「鳴海さん。せっかくですもの。その包みを開けてみてはいかがです?」
何も事情を知らない義母の玲子が、明るく言った。
「そうですわ、鳴海様。私も見てみたいです」
志津も、目をきらきらと輝かせて言い添えた。中島屋は女性向けの品物を数多く扱っており、大谷家の女性たちもそれを知っている。彼女らの好奇心がそそられるのは、自然だった。その一方で、りんは静かに視線を伏せている。まるで、自分が鳴海に関心を持ってもらえないのが当たり前とでも言うように。
絶体絶命の鳴海に助け舟を出してくれたのは、やはり衛守だった。
「母上。どのような品物なのか、まずは献上された兄上が確かめるのが筋ではありませんか?皆の前で披露されては、差し障りのあるものかもしれませんし」
やや意地の悪い言い方に、鳴海は衛守を軽く睨んだ。事情を知っているくせに、その言い草はないだろう。
「あ、でも。私もどんな品物なのかは気になるんですよね。ここは義姉上が皆の代表ということで、兄上を見張ってきて下さい」
そう来たか。やや不自然だが、これも衛守なりの気遣いだ。後で、衛守にも何かしらの礼を尽くさねばならないだろう。もちろん、あの時大谷兄弟に助言をくれた上崎アサにも。鳴海は、不機嫌を装いながらも、その心中では正反対のことを考えていた。
「失礼。少し席を外してきます」
鳴海は袱紗の包みを受け取り、やおら席を立つと、衛守と黄山に感謝の視線を向けた。そして、そのまま自室へ早足で向かう。
「ちょっと、衛守兄様。やはり、何か隠しているんでしょう」
「そうです。全て白状しなさい」
背後で女性らが喧しい声で言い合っているのを聞きながら、鳴海は自室に駆け込んだ。
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