秋天に輝く春暁
藤原くう
第1話
今年の秋天は何かが違う。
競馬ファンの中でそう囁かれていたのは知っていたが、それが形となったのは十月三十日の朝だ。
多くの人間が詰めかけた東京競馬場の空には、綺麗な秋晴れがどこまで広がっている。だというのに、バックストレッチの木々は桃色に染まっている。
宙を舞う花びらが馬券を持つ手に乗る。
馬券には、第666回天皇賞(秋)の文字。その隣には、四角に囲まれた18とともにハルノアカツキと書かれている。
さらにその下にはいくつかの点があって、次が数字となっている。1の後に0が七つ。
一千万円。
僕はハルノアカツキという馬に一千万円を賭けた。別に、僕はギャンブル狂いというわけでも、一世一代の賭けをしているわけでも、ましてや金持ちの道楽ってわけでもない。
ただ単に、賭けてみたくなっただけだ。
僕はギャンブルとは無縁の生活を送ってきた。だから、最期にそういったことをやってみてもいいんじゃないかって、思っただけのこと。
周囲にいる、競馬新聞に目を凝らしているおじさんや、汗をかいた馬体に歓声を上げる女性たちとは違って、競馬を楽しみに来たわけではない。彼らを見ていると、自分が場違いな存在なように感じられた。
実際、場違いだろう。彼らと僕とでは、発散するエネルギーが根本から違うような気がしてならない。ありあまる精力を振りまいているって感じ。寿命わずかな僕と比べたら、雲泥の差だ。
季節がいくら移り変わろうと、人工芝の上にはパドックからやってきた馬が続々と直前のダッシュを繰り返している。その中には、ハルノアカツキの姿もある。彼女と鞍上の寺山颯斗騎手にかけられる観客からの言葉はそれほど多くはない。実績がそれほどないということもさることながら、18枠というのが原因だ。賭ける前に軽く調べたんだけども、秋天は内側が圧倒的に有利なのだそう。1枠が一番内側なので、18枠は一番外側。その分距離が増えるために、人気がないというわけだ。
だからこそ、僕は選んだ。
単勝20倍というのもあるし、18頭の中で一番勝ちにくいという点が気に入った。
彼女が勝ったら僕は死なないのかもしれない――。
ふと、近くで怒号が起きた。そちらの方を見れば、おじさんがガラの悪い若者に絡まれているようだ。首根っこを掴まれたおじさんは、頭をふらふらと動かし、口は小さく動き続けている。だいぶ、酔ってるように見えた。大方、肩でもぶつけてしまったんだろう。どっちが悪いとかは、僕にはわからないけれども、あそこまで言わなくてもいいではないか。
周りの人間は、それを遠巻きに眺めて、我関せずといった風。
僕はため息をついて立ち上がる。
「どっちが悪いか知りませんけど、そのくらいでいいんじゃないですか」
僕がそう言うと、サングラス越しに睨まれた。めちゃくちゃ怖い。
「アンタ、こいつの連れか」
「違いますけど、ほら、警備員が来てますから」
僕はあらぬ方向を指さす。適当に指さしたつもりだし、その先には警備員の姿はなかったけれども、若者は舌打ちし、おじさんの胸倉から手を離した。そして、罵詈雑言を発しながら、どこかへと歩いて行った。
ふう、と息をつく。
おじさんを見れば、勢いそのままに倒れこんでいた。どこか怪我したんじゃないかと心配になったが、寝息を立てているだけであった。心配して損した。
見知らぬおじさんの窮地を助けたわけで、これ以上一緒にいる理由はない。
だけども。
赤ら顔に浮かんでいる表情には暗くてどろどろしたものがあって、それが僕の興味を惹いた。
僕は飲み物で買ってくることにする。もちろん、お酒ではなく、酔いがさめるようなスポドリだ。
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