実話怪談シリーズ

山岸マロニィ

農道の顔

 知人の体験談です。

 彼は、兄の友人であり、仮にAさんとしておきます。


 兄と同級生のAさんは、小中学校とも同じで、よく同じグループで遊んでいました。

 平成初期の男友達のグループで「遊ぶ」と言えば、誰かの家に集まってテレビゲームをするか、自転車でゲームセンターに行くか、見知らぬ場所に探検に行くか、そんなものです。


 そんなAさんには、少し変わったところがありました。

 それは、「霊感が強い」というものです。

 探検に向かった廃屋で「これ以上行ってはいけない」と、青い顔でみんなを引き留める事もあったとか。

 その場では理由を言わなかったそうなんですが、一番仲の良い兄が「どうしたんだよ」と帰り道に聞くと、Aさんはこう答えたそうです。


「二階の窓から、凄い顔でこっちを睨んでる婆さんがいた」


 後で兄が、地域の事に詳しい伯母に聞いたところ、以前、あの廃屋に住んでいた一人暮らしのお婆さんが、二階で首を吊っており、それ以来空き家となり、荒れ果てていたそうで……。


 その事があってから、兄はAさんの霊感を信じていたようです。



 ***



 時は流れ、兄もAさんも地元の高校、地元の大学へと進み、成人式を迎えました。

 それぞれがそれぞれの道に進み、集まる事もすっかりなくなった遊び友達グループが、久しぶりに顔を合わせ、同窓会で話に花を咲かせていた時。

 年頃の若者にとっての一番の話題は、やはり「恋人ができたのか」というところです。

 生憎あいにく、兄に恋人はいなかったのですが、Aさんには彼女がいたようでした。

 兄が冷やかすと、しかしAさんは顔色を変えて目を伏せました。


「彼女、去年死んだんだ」


 申し訳ない思いで言葉を切る兄でしたが、Aさんは酔っていたのか、心に抱えきれないものを吐き出すように、語りだしました。



 ***



 Aさんの彼女とは、大学のサークルで知り合いました。

 そして、付き合うきっかけになったのは、「お互いに霊感が強い」ところからでした。

 それを知ったのは、やはりサークル仲間と行った廃墟探索で、Aさんと彼女が同じ場所で足を止めたから。

「……見えるの?」

 Aさんが聞くと、彼女は血の気を失った顔でうなずきました。


 お互いに、理解してもらえない境遇だったからでしょう。

 それに、真面目なタイプのAさんに対し、彼女が大人しい性格というのもあったでしょう。

 意気投合し、それから二人で出掛るようになりました。

 二人は決して、人気ひとけのない廃墟や心霊スポットになどは行きません。「見える」人にとって、それがどれほど冒涜的な行為であるのか、知っていたからです。

 ですので、映画やテーマパークに行ったり、街中をブラブラしたりするデートなのですが、それでも彼女は、Aさんよりももっと霊感が強いようで、時折ときおり気分が悪くなるようでした。


「この踏切で、小さい男の子が死んでる」

「ここ、昔火事があって、何人か焼け死んだのよ」


 それは、Aさんも知らない事でした。

 彼女は別の地方から来ており、そんな事を知るはずもないのです。

 しかし後で調べてみると、全て彼女の言う通りで、霊感のあるAさんですら、気味が悪いと思うほどでした。


 それ以上に、Aさんが彼女を不気味に思う事がありました。

 街中を歩いている時、時折、通りすがりの人を見て、彼女が立ち竦むように足を止める事があるのです。

「どうしたの?」

 その度に、Aさんは彼女を心配しますが、青ざめた顔で誰かの背を目で追っていた彼女は、我に返って首を横に振るのです。

「何でもないわ」

 その顔色は、何でもないはずがありまりません。Aさんはもしやと、

「悪霊が取り憑いてる人でもいたの?」

 と聞いてみましたが、彼女は怒ったように、

「何でもないって言ってるでしょ」

 と、答えるだけでした。


 そんな事が重なり、Aさんは彼女に不信感を募らせていきました。

 そして、決定的な出来事が起こります。


 当時はまだ、スマートフォンというものは存在せず、携帯電話が主流でした。

 SNSも普及しておらず、Eメールでのやりとりが当たり前でした。

 Aさんは自宅住みのため、彼女とはやはりEメールで連絡を取り合う事が多かったようです。


 バイトで疲れた平日のある日。

 深夜零時を回った頃。

 布団で横になっていると、彼女からメールが届きました。


『Aくん、起きてる?』


 ウトウトとしていたAさんは、着信音で目を覚ましました。

 恋人とはいえ、深夜の連絡は非常識だと思ったし、翌日は一限目からの講義で朝が早く、Aさんは寝たふりをする事にしました。


 すると、再び携帯電話が鳴りました。

 また彼女からのメールでした。


『知ってるよ、起きてるの』


 これには、Aさんは目を丸くしました。

 そして苛立ちを覚えました。こちらの都合も考えてくれと。

 なので、Aさんは無視をする事にしました。


 ところが、携帯電話はまた着信を告げました。


『聞いてほしい事があるの』


 以前から、そういう傾向がある彼女でした。

 今で言うヤンデレ気味なところがあり、Aさんを振り回す事がしばしばあったのです。

 この時もそんな事だろうと、腹に据えかねたAさんは、携帯電話の電源を切ったのです。


 ――翌日。

 目覚めたAさんは、携帯電話の電源を入れて固まりました。

 彼女から、メールが数百件来ていたのです。

 そのいくつかに目を通したAさんは青ざめました。


『死にたくない』

『死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない』

『一緒に死のう』


 慌ててAさんは彼女に電話をしました。

 ところが、彼女は寝起きの声でこう答えたのです。


「夜中にメール? してないわよ」

「嘘だ! 履歴を見ればすぐに分かるのに、なんでそんな嘘をくんだ」

「本当よ! メールなんてしてないわよ! 信じてくれないの?」


 その夜、彼女と会ったAさんですが、彼女の携帯電話を見せられて、疑心暗鬼になりました。

 その履歴には、昨夜のメールが一切残されていなかったのです。


 しかし、履歴を消去するのは簡単な事です。

 それに、Aさんの携帯電話にはちゃんと記録が残っているのです。


 疑いを晴らせなかったAさんは、それ以降彼女とうまくいかなくなり、別れたのでした。


 ……それから間もなく。

 冬休みの事でした。

 彼女の母親から、Aさんに電話がありました。


「娘が、亡くなりました」


 Aさんは凍り付きました。もしかして、自分のせいで彼女は自殺したのでは?


 しかし、彼女の母の言葉は違うものでした。

「病死です。急死したんです」


 ……冬休みのため、彼女は帰省していました。

 そして朝、起きてこないので部屋を見に行ってみると、ベッドの中で眠るように死んでいたと。

 持病もなく、事故か自殺か、それとも事件かと、警察による捜査も受けたそうですが、外傷はなく、部屋にも異常はなかったため、突然の心臓発作、という事になったようです。


 通夜の夜。

 彼女の実家に行ったAさんは、彼の両親から、彼女の事を聞かされました。


 ――幼い頃から不思議なところがあり、「死んだ人が見える」とか「人の死を予言できる」能力がある事を、両親は気付いていました。

「あのおばさん、もうすぐ死ぬよ」

 と、無邪気に言う彼女を両親はおそれ、誰にも言ってはいけないと、強く言い聞かせました。

 彼女の言葉は、その通りになってしまうから。


 そのため彼女は、幼い頃から引っ込み思案な性格でした。

 それが大学へ進学し、恋人ができたというから、両親は喜んでいたようです。

 事あるごとに実家へ電話をして、楽しそうにAさんの事を話していました。


 ……ところが。

 パタリと電話が来なくなり、彼女の母は気になって、彼女に電話をしたのです。

 すると――


「……彼、もうすぐ死んじゃう」


 慟哭どうこくしながら、彼女はそう言いました。

「どういう事? 詳しく聞かせて」

 母が言うと、彼女は答えました。

「分かるの。彼の寿命、もうすぐなくなるの」


 そんな話を聞かされたAさんは動揺しました。当然です。人の死が分かる彼女が、彼自身の死を予言しているのですから。

 それでも、何とか姿勢を保って、Aさんは彼女の両親に尋ねました。

「それは、いつ頃の事ですか?」


 彼らの答えは、まさしく、彼女から不気味なメールが届いた、その頃だったのです。


 そして、記念にと、彼女の携帯電話を渡されたAさんは、葬儀が終わり、帰宅してから、それをよく調べました。

 すると、インターネットの検索履歴に行き当たりました。

 当時のインターネットは、まだ黎明期で情報も少なく、不確かなものも多かったです。

 それでも彼女は、ある事を必死に調べていたのが分かりました。

 それは……


『誰かの身代わりに死ぬ方法』


 彼女が見た情報が正しいものなのか、Aさんには分かりません。

 しかし、彼女が彼の代わりに死のうとしていた事は、十分に伝わりました。

 ――それも、「死にたくない」と叫びながら。


 今思えば、別れた彼氏に命を捧げるとは、不可解でもあります。

 もしかしたら、別れた後も、彼女はAさんを愛し続けていたのかもしれないし、もしかしたら、生まれ持った自分の能力を悲観して、恐怖に怯えながらも、自らどこかで、死を望んでいたのかもしれません。


 そうではありますが、Aさんはそれからずっと、彼女に対する後悔と恐怖の塊を、ズシリと重い鉛のように、心に抱えて生きる事になるのでした。


 それからしばらくしての事。

 Aさんは車の免許を取ったのを機に、隣町の飲食店にバイトを移りました。

 彼女の事があり、長期休暇を取ってからというもの、店長の態度が冷たくなったためです。


 そしてある日。

 遅番を終え、閉店作業を済ませたAさんが帰途についたのは、深夜十一時過ぎでした。

 住んでいる地域は、ある程度町中とはいえ、隣町との間には、広い田園地帯が広がっています。

 その中の一本道の農道を、中古で安く買った軽自動車で走っていた時の事です。


 ……ゾクッと、嫌な感じが背筋を撫でるのを、Aさんは感じました。

 Aさんには分かりました。


 彼の霊感が、何かを感じ取っている事を。


 彼女が亡くなってからしばらくそういう事がなかったので、すっかり安心していたAさんは、久しぶりの感覚に身の毛がよだちました。

 しかし、初めての経験ではありません。対処法はある程度心得ていました。


 相手をしてはいけない。

 存在を認めてはいけない。

 無視をする。


 そのためAさんは、汗ばむ手でハンドルをしっかりと握って、まっすぐ前だけを見て運転をしていました。


 ところが。

 のっぴきならない事態に、Aさんは気付いてしまったのです。


 ――嫌な感覚は、この車内にある。

 運転席のすぐ後ろ。後部座席の辺り。


 バックミラーを見れば、それは一目で分かるでしょう。

 しかし、それをすれば、相手の存在を認めてしまう事になります。


 Aさんは、額に浮かぶ汗を拭うのも忘れ、ただまっすぐ、車を走らせます。


 一本道の農道のため、信号もありません。

 対向車もありません。

 歩行者もいません。

 民家もなく、街灯もなく、ただ一人、田んぼの中にポツンと、その場所にはAさんだけしかいませんでした。

 逃げる事もできません。

 助けを呼ぶ事もできません。


 ただただ、ひたすらまっすぐに、車を走らせるしかないのです。


 すると、声が聞こえてきました。

 ボソボソと呟く低い声。

 何を言っているのか、男か女かも分かりません。


 安い中古車に、カーステレオはありません。

 それは、聞こえるはずのない声でした。


 滝のような汗が、シャツを濡らしていきます。

 手をじっとりと濡らす汗にハンドルを取られないよう、Aさんは必死でハンドルを握ります。


「……い……」


 やがて、言葉が断片的に聞こえるようになりました。

 そこでAさんは気付きました。


 ――ソレが、前に進んできている。


 呼吸が止まる思いでした。

 震える視線をヘッドライトの中の路面に固定し、Aさんはただただアクセルを踏み続けます。


「……ない……」

 ボソボソという声と同時に、耳元に息が掛かるのが分かりました。


 何も考えてはいけない。

 何も考えてはいけない。

 何も考えてはいけない。


 心を無にして、Aさんは前だけを見ます。


 ――ところが。

 呟き声の言っている言葉が、はっきりと聞こえてしまったのです。



「死にたくない」



 Aさんの脳裏に浮かんだのは、彼女のあのメールでした。


 ――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない――


 その文面と、今聞こえている低い声がリンクした瞬間、Aさんの目は、バックミラーを見ていました。



 Aさんの肩の上にあったのは、亡き彼女の、青白い顔でした。



 ***



 話を聞いていた兄は、思わず

「ヒイッ!」

 と声を上げてしまいました。

 それから、

「ぶ、無事だったのか?」

 と身を案ずる兄に、Aさんは笑って見せました。

「どうやって帰ったか覚えてないけど、事故らなかったし、それからは何もないよ」


 その時は、ホッと安心した兄でしたが、間もなく……


 それは、成人式から三ヶ月ほどした時の事でした。

 Aさんが亡くなったとの知らせが、同窓会の幹事をしていた人から来たのです。

 交通事故でした。



 ***



『一緒に死のう』


 あのメールの言葉通り、Aさんを彼女が連れて行ったのか。それとも、彼女はAさんを守ったけれど、力が及ばなかったのか。

 何のために彼女はAさんの車に姿を現したのか。

 それは私にも兄にも分かりません。

 霊感と縁のない私たちには、知る由もない事です。


 しかし、それからしばらくしたある日。

 兄が四十九日のお参りに、友人たちとAさんの家を訪れた時に、もうひとつ事件がありました。


 彼の両親が、不思議そうな顔をして、兄たちにAさんの携帯電話を見せてきたのです。


「未送信のメールがあるようなんだけど、私たちはこういうのにうとくて」


 そこで、未送信フォルダを見た兄たちは、息を呑んで凍りつきました。


 そこには、画面いっぱいにギッシリと、文字の羅列が入力してありました。




 ――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない――

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