或る加害者の母の視点

小狸

短編

 *


 娘が同級生をいじめていて、その子が不登校になったらしい。


 2022年6月22日水曜日、梅雨に入ってしばらく経った、雨の日のことであった。


 学年主任からの電話で、私はその話を聞いた。


 *


 娘の通う中学校は、小学校からのエスカレーター方式で、どこかから新しく人が合流するということもない。つまり、それまでの人間関係が維持されたままで中学校に上がるということだ。


 女子同士のグループは、確固として存在していなくとも、うっすらと形成し始める時期である。そして、その中での序列も、だ。一位二位と表記されていなくとも、そういう仲良しグループの格というのは、女子の中でひそかに決まる。


 誰々がいるから、誰々が苦手だから、誰々が嫌いだから。


 私自身、そういう環境の中で、何となく流されて生きることができてしまった子だった。


 そして娘も、多少ツンケンした所はあれども、私と同じように生きているとばかり思っていた。


 私はその話を聞いた時、まず受け止めることができなかった。


 何度も先生に確認をしてしまった――自分の娘が、いじめを? 


 最初に私の中に表れた感情は「そんなはずはない」だった。


 うちの娘は、いじめをするような子ではない。誰かを陥れ、尚且つ学校に来たくないと思わせるほどに追い詰めるような子ではない――思わず、そう口から出そうになるのを、慌てて止めた。


 それこそ、モンスターペアレントの常套句ではないか。


 学年主任の先生は、何度確認しても、落ち着いた口調で「本当です」「事実です」と、述べた。


 どうして担任ではなく学年主任からの電話なのか、そして、具体的にどのようないじめが行われていたのかを、教えてくれた。


 担任は新任の男性教師であり――快活な雰囲気の良い先生だと思っていた――このいじめに関しては、ほとんど知らなかったらしい。


 クラスの目先の問題に解決することに必死になり過ぎ、現在精神を病んで休職していると聞いた。


 まさかそこまでとは思っておらず、驚いたが、先生は続けた。


 主ないじめは「無視」と「ばい菌呼ばわり」であったらしい。


 無視は、最も簡単であり、尚且つ相手の心を抉ることのできる方法である。自分の存在をいないものとして扱われるのだ――忌み嫌われるより、ひどいものである。


 個人情報もあるので名前は伏せるけれど、その同級生の女の子の名前に「○○菌」と付けて、クラスで付けるのが流行っていたのだそうだ。そしてそのいじめの主犯格が、うちの娘だという。


 実際に被害が出て、しかも相手の子は、不登校になっている。


 今後三者面談や、不登校の生徒の保護者の方も合わせて面談をする可能性がありますので――ご承知おきください、という、落ち着いた学年主任の言葉が、私の喉に冷たく刺さった。


 電話を切って、私は、頭を抱えた。いや、比喩ではなくマジで。


 不思議な感覚であった。


 何かキンキンに冷えたドライアイスに熱した鉄球を投入した時のような――全てが台無しになっていくような、そんな感覚である。身体中の毛が逆立ち、汗が変な風に出た。


 どうしよう――ではない。


 娘に、聞いてみなければならない。


 娘は女子バスケットボール部で、いつも遅くに部活から帰って来る。


 もうすぐだろう――今日くらいは、もう少し遅くなってくれないかと心の中で願っていたが、案の定こういう時に限って、娘は早くに帰宅した。


「ただいま~」


 と言って、靴を脱いでリビングを通り過ぎ、洗面所で手を洗う娘を、私はキッチンから見ていた。


 この子が、いじめを?


 信じられない。というか、信じたくない。


 少なくとも、腹を痛めて産んだ私の子が、そんなことを。


 本当、なのだろうか。


 聞かなくてはならない。


 私は、そっと、聞いた。


「ねえ、あゆみ。聞きたいことがあるんだけど」


「何~?」


 できるだけ平静を装って、生真面目な雰囲気を作ることなく、続けた。


「歩って、クラスの〇〇ちゃんのこと、いじめていたの?」


「…………それ、誰から聞いた?」


 途端、娘の声色が変わったのが分かった。


 ぞわりと、背中の汗腺を一縷いちるに知覚するような心地がした。


「学年主任の先生から。さっき電話が入って。それで。聞いたの。ねえ、歩、本当なの」


「…………」


 しばらくだんまりを決め込んでいたけれど、娘は「はぁ」と溜息を吐いて、リビングのソファに座った。


 溜息?


「別に、いじめようと思って、いじめてたわけじゃないよ。ただ、あいつ、ムカつくんだよ。先生に露骨にこび売って、成績上げようとしててさ。私だけじゃなく、皆そう思ってたよ。そして、皆、やってたんだよ」


「いじめて、いたのね?」


 急に饒舌じょうぜつになる娘を制して、私は続けた。


「…………」


 娘は、黙った。


「〇〇ちゃん、もう学校に行きたくないって言ってるんだって。それは歩たちのせいだって。学年主任の××先生が、教えてくれたの。そうなのね、本当、なのね」


 私は何度も、念押しして確認した。


 すると娘は、こう言った。


「……それは別に、いじめられるあいつにも責任が――」


 気が付いたら、私は娘の頬を叩いていた。


 ドラマや漫画のように、叩いてそのまま直立不動とはいかない。大人が、子供の頬を叩くのだ。


 勢いのまま娘は横に吹っ飛び、ソファに激突していた。


「い――痛、ま――ママ、何するの」


「何するの、はこっちの台詞よ」


 沸騰しそうになる頭を何とか抑えようと、努力した。


 叩いた手が、じいんと発熱しているのが分かった。


 家庭内暴力だと訴えられればそれまでだが、ただ、私はどうしても許せなかった。


 娘が、そんな「いじめられる側にも責任がある」なんて台詞を吐くことが。


 落ち着け。


 言葉で、言葉で伝えなければ。


 そうしなければ、分からないし、伝わらない。


 娘に激昂げきこうしたのは、いつぶりだっただろうか――幼稚園の時、泥だらけで帰って来た日以来か?


「ま――ママ?」


 私はあまり子を叱らない親だった。


 いや――だからこそ、こんな娘が育ってしまったのかもしれない。


 娘をこうしたのは、私だ。


 だから責任を、取らないといけない。


 娘は、そもそも私が怒っていること自体に、驚いているようだった。


「あなたこそ、何をしたか、分かっているの? クラスメイトが一人、あなたのせいで、学校に来たくないって言ってるのよ。この意味が分かる? いじめられる側に責任なんてものはありません。悪いのは、いじめたあなたたちなのよ。クラスで『無視』を広めたあなたたち。『○○菌』の付け合いをしたあなたたち。今日はこれから学校に行って、先生方と話をするから。詳しい話を、聞かせてもらうから。あなたも一緒に付いてきなさい」


「――っ」


 項垂うなだれる娘の手を取って、無理矢理引っ張って、私は車を出し、学校へと向かった。

 


 *



 結局、○○ちゃんはその後、不登校のままで、三年に上がる時に、別の地区に転校したということが分かった。


 教師数名と両保護者で話もしたけれど、〇〇ちゃんママは怒髪どはつかんむりく勢いで、私達に思いつく限りの罵倒の言葉を浴びせた。


 私はそれに耐えるしかなかった。


 それは、浴びるべきものだと思ったから。


 仕方のないことだと思ったから。


 娘をいじめをするような子に育てた責任が、私にもあると思ったから。


 娘は、最初こそ否定していたものの、途中からは非を認めて、とにかく謝るようになった。


 ○○ちゃんパパに胸倉を掴まれ、激しく非難されたのである。


 それは流石に教頭先生や他の先生方が止めて下さったけれど、そのことを契機に、娘はいじめを認めた。


 ○○ちゃんの精神状態は芳しくなかったようで、結局「歩ちゃんがいるから学校には行きたくない」をずっと言い続け、転校することになったそうだ。


 そして、今日。


 三年生に上がったので、部活も無くなった。


 何の行事もないどこにでもあるような日である。


 娘は、洗面所で歯を磨いている最中であった。


 まるで当たり前のように、いじめなんてなかったことのように生活している。


 最近は早めに学校に行って勉強するのだ、と張り切っていた。私はそれを応援する反面、○○ちゃんは、勉強すらままならなくなってしまったのに、という気持ちに囚われる。


 ただ、謝罪して、ごめんなさいして、娘は許されたのだ。


 私たち家族は誠心誠意謝罪をしたけれど、「謝ってどうこうなる問題か!」と、〇〇ちゃんパパからの叱責しっせきに、うなずかざるを得ない。


 人一人ひとりの人生を、どうしようもないほどにゆがませておいて。


 この子は、当然のように存在している。


 そんなことを、許して良いのだろうか。


 


 どろり。


 と。


「あ」


 私は、ふと、自覚した。


 あの時。


 学年主任の先生から電話を受けた時の、感情。


 溶けた私の黒い灰の中から、感情の一滴が波紋を立てるのが分かった。


 一つの雫で――透明な水は、またたく間に黒く染まる。


 気が付いたら。


 私は。


 娘の首を、絞めていた。


 

 *


 黒塚くろづか沙穂さほが、娘の黒塚歩を絞殺したと、近くの交番に自首を申し出たのは、2023年6月15日木曜日の、雨の日のことである。

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