第006話 すんなりあげると思った?

 こちらの世界に来てから、あっという間に七か月が過ぎた。


 最初の二か月は、おジイちゃん、ことオーディン様のお宅に居候いそうろうさせてもらってたけど、マンションが完成してからは四階のいちばん端の部屋に住んでいる。


 自分がまさかもう一度コンビニの店員になるとは思ってもみなかったけど、何の因果か高校時代からの七年間のバイト経験が、ほどよく今の私を支えてくれている。


 きょうは週休二日の初日。

 来週からはシフトが替わって、午前六時のスタートになる。


 そういったわけで、きょうは一日ゆったりまったりと過ごして、明日は早めのご就寝だ。私たちの仕事のシフトは、二週間ごとに入れ替わることになっている。


 午前中に掃除と洗濯を終わらせ、今はマンションのLDKで、ソファにもたれて小説を読んでるところ。

 今朝けさ起きてからネットで注文した商品は、もうすぐ届く予定になっている。


 南に面した大きな窓から外を見やると、朝から降りはじめた雨がさらに勢いを増していた。

 これはもう、とうぶん止みそうにないわね。


 洗濯モノは、換気扇を回しつつ除湿機をかけた洗面所に干してるんだけど、ホントは、カラッと晴れた日にベランダで天日てんぴ干しにしたい気分。



 六月の下旬。梅雨つゆに入って二週間め。

 不思議でしょ?



 なんでもコンビニを建てるときに東日本の気候に合わせたそうで、異世界だけど梅雨があるのよ。おジイちゃんのウチからここに引っ越してきたときには、薄っすらだけど雪が積もっていたわ。


 異世界なんだけど、どこに存在しているのかわからない不思議な空間。それがここ。


 晴れた日に遠くの景色を眺めてみても、霧のような雲の壁に遮断されていて見ることができない。けれど、朝も昼も夜もちゃんと来るし、夜空には星だって見える。なんなら、お月様だって浮かんでる。


 そんな空間に、私たちは住んでいる。



「さてと……」


 キリのいいところまで読んだところで、私はソファから立ちあがってキッチンに足を運んだ。


「ねえ、アナタも何か飲む?」


 冷蔵庫を開けながらふりかえって、流し台ごしに声をかける。

 リビングのソファには、いつものように黒猫が丸まっていた。


「にゃー」


 ん、わかった。ミルクでいいよね?


 私は、冷蔵庫から取り出した成猫用のミルクをコップに入れ、お湯をはったボウルにちゃぽんとけた。その間に自分用のペットボトルも取り出し、食器棚から小さなお皿をひっぱり出す。


 そろそろ温まったかな。


 人肌に温めたミルクと小皿をもってリビングにいき、ガラステーブルの上に置いた小皿にミルクを注いだ。


「はい、どうぞ」

「にゃぃっ」


 飛びおきたエロ猫が、ガラステーブルの上に乗ってぴちゃぴちゃとミルクをめはじめた。


「ホントにねえ、なんで私がウチにいるときにはいつも遊びに来るのかしら……」


 ソファに背中を預けて、黒猫に視線をあわせる。


 この黒猫がオーナーの飼い猫だということは、こちらの世界に来たときにフレイヤさんから聞いている。にもかかわらず、いつもウチに入りびたっている。


 仕事を終えて帰宅すると、三〇分もしないうちに遊びに来る。しかもご丁寧に玄関のチャイムまで鳴らして。


 そのうち、いつもいつも玄関まで出迎えて鍵を開けるのが面倒くさくなったので、


「もう、アナタ専用のドアを作っちゃいなさいよ」


 と冗談まじりに言ったら、次の日には、玄関ドアの真ん中に黒猫専用の小さなドアがくっついていた。二五センチメートル角の、とっても可愛いキャットドア。


 ……何これ、不用心じゃないの?


 と思ってそのドアを押してみたけど、中からも外からも、私の力ではびくともしなかった。


 どうやらオーナー――知恵の神様の魔法がかかっているらしい。


 その結果、私のウチの冷蔵庫には、成猫用の液体ミルクが常備されることになった。

 猫を飼った経験がないので、牛乳でもいいか、と最初は軽く考えていたんだけど、いちおうネットで調べてみると、どうやら猫に牛乳はご法度らしい。調べてみてよかったわ。


「にゃー」


 ミルクを飲み終えた黒猫が、私に何かをうったえてくる。

 わかってる。わかってるから、もうちょっと待っていなさい。もうすぐ届くハズだから。


 そうこうしているウチに、玄関ドアの横にある宅配ボックスに荷物が届く音がした。



 知恵の神様がネット上に作った従業員専用のショッピングモール『プロゾン』に商品を注文すると、半日ほどで荷物が届く。

 しかも、各住戸じゅうこの玄関内に設置した宅配ボックスに直接届くことになっている。便利だ。


 配達員が持ってくるわけでもなく直接魔法で届けられるので、不在のときも安心だ。あんまり大きな荷物はボックスに入らないから、そのときはエントランスホールまで取りにいくしかないんだけどね。


 ソファから腰をあげ、廊下を通って玄関まで歩いていく。

 黒猫も一緒についてくる。お目当ての品物が、荷物の中に入っているからだ。


 シューズボックスに並んで造り付けられた宅配ボックスを開けると、六〇センチサイズの段ボール箱がひとつ入っていた。


 ちなみに、玄関ホールに置いてある洗面器とタオルは、エロ猫が自分の足をキレイにするために使っている。

 以前、いちどだけ汚い足のまんま入ってきて廊下やリビングの床を泥だらけにしたので、玄関ホールのタイル床に戻らせて、コンコンと三〇分ほど説教した。そのかいあってか、今では洗面器に入った水で器用に足を洗って、タオルで拭いてからリビングにやってくる。


 知恵の神様の飼い猫だけあって、とても頭はいいようだった。

 エロ猫なんだけどね。


 重い段ボール箱を抱えて、再びリビングに戻ってくる。


 あ、ちょうどいい機会だから説明しておくと、私の設計した従業員用の住戸は、いわゆる2LDKというタイプになっている。一二帖ほどの広さがあるLDKと、六帖の洋室がふたつ。それに加えて、トイレと洗面所と浴室がある。


 LDKは三分の一がキッチンになっているので、リビングとして使えるのは八帖ほど。その隣に、寝室として使っている六帖の洋室がある。どちらの部屋も南に面していて、奥行き二メートルほどのベランダに出ていくことができる。


 もうひとつの洋室は北側の外部廊下に面しているので、日当たりはあんまりよくない。

 なので私はその部屋を、ウォーキングクロゼット・兼・書庫として使っているの。


 リビングには食事用の小さなテーブルセットと、三人掛けのソファ、それに長めのガラステーブルを置いている。壁際にはゆったりサイズのTVローボードとキャビネット、それに七〇インチの液晶TVがある。


 液晶TVはLANケーブルでインターネットと繋がっているから、元の世界の番組もリアルタイムで観ることができる。もちろん、映像ストリーミングサービスにも対応しているわ。支払いがどういう仕組しくみになっているのかは、私も知らないんだけどね。


 あ、ローボードと流し台の間にあるトレイは見なかったことにしておいてね。黒猫が恥ずかしがるから。


 ガラステーブルの上に段ボール箱を置き、ガムテープをがして中身を取り出す。

 エロ猫が待ちに待っていた商品が、最初に箱から顔を出した。


「にゃー、にゃー」


 待ちなさい。商品を全部取り出してからよ。


 次に、大きさの違う銀色の箱がふたつ。今回、私が注文した本命の商品だ。


 最後に箱から出てきたのは、四リットル入りの猫砂と脱臭シート。こちらもエロ猫用だ。

 なんだ、アナタのもののほうが多いじゃない。


「にゃー、にゃー!」


 黒猫が、いまにも飛びかからんばかりに催促してくる。


 ホントはすぐにでも銀色の箱を開けたいんだけどな……。


 まあ、いいか。わかったわよ。


 私は、最初に取り出した商品の封を開け、中から小袋を一本取り出す。

 猫を飼っている人にはおなじみの商品だ。


 商品名は、言わなくてもわかるよね。そう、おしりのほうをぎゅっと押すと、中からちゅ~るって感じで出てくるアレ。私が買ったのは、透明な袋に入っているピュアなほう。


 いちど試しにあげてみたら、黒猫はおやつに必ずこれを要求するようになってしまった。


 だから、いつもキッチンに常備していたんだけど……今回はうっかり切らしちゃったのよ。それであわてて今朝注文して、ついでに以前まえから私が欲しかった商品をその場の勢いでポチッちゃって、いま、この状態になっているというわけ。


「はいはい、お待たせ。こっちにおいで」


 ソファの、ガラステーブルからはずれた位置に坐りなおすと、私は黒猫を呼んだ。


 ちなみにこの猫、名前はあるようなんだけど、おジイちゃんもフレイヤさんも教えてくれない。


 飼い主であるオーナーとは、この世界に来てからまだ会ったことがない。

 不思議よね。

 出かけるときには、黒猫をお返しするために必ず上階にあるオーナーのお宅に行くんだけど、いつもきまってお留守なのよ。いったいどうなっているのかしらね。


「ンにゃぁ!」


 私の膝を前足の爪でつっついて、黒猫がおやつを催促する。


 いたっ。

 何するのよ、もう! すんなりあげると思った?


 いつもやっているからわかってるでしょ? 今回もちゃんとやらなきゃあげないわよ。


「はい、おすわり」

「……にゃー」



「よし、お手」



 黒猫は、私の手のひらにちょこんと肉球をのせた。


 私が注文した商品は、明日の朝にでも開封するとしよう。残念。

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