第005話 こういうのも神様権限だから

 レジの前に立って一時間ほどが過ぎた。


 今週の私の勤務時間は、午後二時から午後一〇までの八時間。その間に一五分の休憩と四五分の夕食の時間があるので、実働は七時間ということになる。時給は、元の世界のコンビニに比べると割といいほうだ。


 週休二日制なので、一か月の労働時間はだいたい一五〇時間くらいになるのかな。

 だから、毎月の給料は、元の世界にいたころよりは安い。かなり安い。ざっと三分の一だ。


 それでも、家賃や水道光熱費、それにくわえて通信費といった「住」に関する費用は、自分たちの都合で連れてきたという負い目からか、すべて神様の負担ということになっている。なので、ひとりで暮らす程度なら、あまり節約しなくても生活はできる。


 もっとも、その「住」に関する費用が本当に発生しているのかについては疑わしいところだけどね。たぶんおそらくきっと、魔法か何かで水や電気を作りだしていると思うのよ。


 だって、何もない空間に、皇居ほどの広さの土地がポツンと浮いてるだけだもの。この土地のむこうに何があるのか、興味はあるけど探検したことはない。


 そういった特殊な土地のせいなのか異世界だからなのか、元の世界のように税金がかかることもない。それに、お医者さんが必要になるほどの病気や怪我をすれば、女神エイル様が無償で面倒をみてくれることになっている。


 そんなこんなで、だから私たちは、実質的には元の世界とあんまり変わらない生活を送れている。


 不自由が何もないといえばうそになるけど、それはもうあきらめるしかない。望んだことではないにしろ、異世界に来てしまったんだからね。無人島や秘境に転移するよりははるかにマシだ。


 さて、午後三時も過ぎたので、休憩をとるために同僚に声をかけようとした時、入口のガラス扉を乱暴に開けて転生者おきゃくさまが入ってきた。



「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ!」


 そう私が声をかけてからたっぷり三〇秒ほどが経過して、光の玉はカウンターの前にやってきた。


 それまで、にらむような目つきで店内を見回していたのだ。


 もちろん、光の玉には両手があるだけで、目なんかついていない。だけど、れてくると、光のゆれ具合や動作などで、だいたいどんな表情をしているのかがわかるようになってくる。


『――ほらよ、さっさとしてくれ』


 光の玉は、思ったとおり乱暴にカードを渡してきた。


 ……さっさとしてほしいなら、さっさとここに来なさいよ。

 そう思ったけれど、ここで態度を変えてはいけない。


 どんなお客さまにも、とりあえずは公平に接するのが私たち従業員の基本だ。

 度をすぎたお客さまには神罰がくだることになっているので、私たちは安心してお客さまに対応する。神様たち、どこかからちゃんと見守っててくれてるわよね?


「お預かりいたします」


 私はカードを受け取って、レジ脇のリーダーに通した。


《――四部よぶ鳥人とりひと、三六歳。無職。同棲相手にみつがせたお金で浮気をしていた最中さいちゅうに相手の旦那に踏みこまれて全裸で逃走するも、途中でトラックにかれ死亡。所有ポイント七万点……》


 おやおや。女性の敵ってわけね。無職ってことは、ヒモみたいな生活を送っていたのかしら。


 それで浮気って……でもまあ、あまり珍しくもない話ではある。


 それにしても。


 事故にったのはご愁傷さまだけど、転生者に選ばれる基準って何かあるのかしら。

 こんどおジイちゃんにいてみよう。


「では、さっそく手続きを進めてまいりますね」

『おう、はやくしてくれ』

「ヨブさま、次の世界ではどんな人になりたいですか?」


 マニュアルにしたがって、いつもどおりの質問をする。多くの人は、ここでまず悩む。だってそうよね。自分が死んだことをそんなに早く受け入れられるわけが――。


『――権力者』


 即答だった。なので思わず訊き返してしまった。


『だから権力者だよ。領主とか国王とか、そういうヤツな』

「はあ……」

『相手の旦那に見つかって逃げまわるのはもうゴメンだから、権力を使って自由に女を選べる立場になりてえんだよ』


 なるほどね。そうきましたか。


「つまりはハーレムをお作りになりたいと?」

『おう、それだ、それ。姉ちゃん、よくわかってるじゃねえか』


 よくわかっているというか何というか……異世界モノにハーレム展開はツキモノなのよ。一夫多妻制だったかな。思春期男子に、夢と希望を与えているのかもしれないけどね。


『前の世界じゃちーとばかしみっともねえ死に方をしちまったからよ。こんどはいろんな女をはべらせて、チヤホヤされながら幸せの絶頂で死にてえんだよ。そういうスキル、あるかい?』

「しょ、少々お待ちください」


 私は、カウンター脇の本棚から、分厚いスキルカタログを取り出す。


 この仕事についてまだ四か月なので、すべてのスキルが頭に入っているわけではないのだ。

 もちろん、このカタログは社外秘なのでお客さまには見せるわけにいかない。


「……『幸福度上昇』『金銭運上昇』『恋愛運向上』『無限回復』『絶倫』『魅了』といったものがございますね」

『『無限回復』に『絶倫』か、いいねえ。あ、『恋愛運向上』は要らないからはずしてくれ。そういうメンドくさいのは全部抜きにして、手っ取り早くヤりてえんだ』


 無類の好色家というより、もはや性嗜好しこう障害――セックス依存症のたぐいかも。


『『金銭運上昇』も必要ない気がするなあ……』

「ですが、ヨブさま。貧乏な領主よりお金持ちの領主のほうが、臣民が集まりやすいですよ」

『なるほど。人が増えれば、それだけ多く女も集まるってことだな。よし、じゃあつけておこう。で、ここまでで何ポイントだ、姉ちゃん?』


 おい、その姉ちゃんはやめい。私には桐苳きりつれいという名前があるんだ! と、面とむかって言えたらどんなに幸せだろう。客商売のツライ現実よね。


 レジを使ってポイントを計算していくと、


「あ、ちょうど七万ポイントですね」

『ふむ。あと七〇〇〇ポイントは使えるんだろ?』

「はい」

『じゃあさ、幸せの絶頂で死ねるようなオプションはねえか? ヤってる最中にポックリきてえんだよ。いわゆる腹上死ふくじょうしってヤツだな、腹上死』


 ……こっちが恥ずかしくなるから、あんまりくり返さないでよね。


 でも、そういう設定ってあったっけ?

 左手をあごに当てて考えていると、頭のなかに突然女性の声が響いた。


《――レイちゃん、『幸福度上昇』と『無限回復』を組み合わせると設定できるわよ》


 え?


 あたりを見回すと、スイーツコーナーにいたフレイヤさんが、微笑みながら小さく手を振っていた。ありがとうございます、女神様。



『――で、最後に質問なんだがな、姉ちゃん』

「はい、なんでしょうか?」

『転生ってヤツは、やっぱりあれか。赤ん坊から人生をやり直さなきゃダメなのか?』

「ええ、そうなりますね。転移とは別物ですから、二〇歳の人間が突然その世界に現れるというわけにはいきません」


 私のような転移者だと、そのままの容姿と年齢で異世界生活がはじまるけど、転生者は文字通り人生ゼロからのスタートよ。


『……それってメンドーだよなあ。何とかして幸せの絶頂期からポンとはじめることはできねーのか?』

「ああ、それでしたら、転生前の記憶が戻る瞬間を設定できますよ」


 例えば五歳に設定しておくと、それまでは元の世界の記憶がないまま異世界で成長する。転生者からしてみれば、いきなり五歳からスタートする感覚になるわけだ。言ってみれば、そこまでの期間は新しい身体のなかで眠って過ごしているに等しい。


『おお、いいじゃねえか、それ。その設定には何ポイントが必要なんだ?』

「基本項目の二万ポイントに含まれていますので、問題ありませんよ」


 私は、お客さまにむかってにこりと笑った。



「――お疲れさま、レイちゃん。大変だったわねえ」


 店から出ていくヨブさまをレジ前で見送ったあと、フレイヤさんが声をかけてくれた。


「いえいえ、これもお仕事ですから……」


 私は苦笑する。世の中にはいろんなお客さまがいるものだ。


「それより、さっきはご助言ありがとうございました」

「気にしないでいいわよ、そんなこと。それにしてもまさか腹上死とはねえ……。あ、そうだ、レイちゃん」


 フレイヤさんは、何か思いついたような表情を私にむけ、


「さっきの人のスキルと設定、ちょっといじるわね」


 そうしてレジの前にやってきたフレイヤさんは、いくつかのボタンを操作してヨブさまの設定を変更した。


 え、え? いいんですか、そんなコトして。


「いいのよ。こういうのも神様権限だから」


 フレイヤさんは、意地悪そうにうふふと笑った。




 こうして、幸せの絶頂で死にたいと言った四部よぶ鳥人とりひとさまが異世界に旅立っていった。


 彼は異世界で領主となり、大勢の妻や側室に囲まれて幸せな生活を送るだろう。

 女性の私に彼の考えはわからないけど、おそらくは魅力的なハーレム生活を満喫まんきつするハズだ。


 そして九六歳になったある日。彼は臥榻ベッドの上で全裸の女性たちに見守られながら、幸福の絶頂で腹上死することになるのだ。


 そう、すべては彼の希望のとおりよ。




 ――四部よぶ鳥人とりひととしての記憶が、たとえ腹上死の五秒前によみがるのだとしても。

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