第9話 仲間だから

 陽葵はぱっと笑顔を作り、二人を家の中へ案内した。


「さ、さ、上がって上がって! 散らかってるけど、気にしないで!」


 明るく振る舞うその声は少し上ずっていて、玄関から居間に入るまでの間に、何度も同じ言葉を繰り返す。

 畳の部屋に座布団を並べ、勢いよく腰を下ろした陽葵は両手をぱんと打ち鳴らして話題を繋げた。


「いやぁ~、久しぶりだね! 奏も元気そうで良かった! ほら、一輝さんだっけ? 頼もしい仲間を見つけて……」


 その笑顔の奥に、張り詰めた糸のような影があることに奏は気づいていた。

 明るく見せれば見せるほど、過去の痛みを思い出しているのだと。


「……陽葵」

「な、なに?」

「無理に笑わなくていいよ」


 奏の言葉に陽葵は一瞬だけ目を丸くした。

 すぐに口元を引き上げて、からりと笑う。


「何言ってるのさ。無理なんてしてないよ、いつも通りだよ?」


 そう答える陽葵の笑顔はどこか引きつっていた。

 震えている肩を奏は見過ごさなかった。


「……無理をしなくていいから、ね」


 その優しい声が、張り詰めていた心を溶かす。

 決壊したダムのように、陽葵の目から涙があふれ出した。


「……私の……私の所為なんだ……! 盗賊の私が罠を見抜けなかったから……っ! 奏も、知花も、麗華も……みんな酷い目にあった……! 私が、私さえしっかりしていれば……!」


 陽葵は両手で顔を覆い、泣き叫ぶように声を上げた。

 その姿を前に、奏もまた唇を噛み、静かに涙を零す。


「違うよ……あれは、みんなで選んだ道だった。私だって同じように罠を見抜けなかった。だから、陽葵一人の責任じゃない」

「でも……っ!」

「でもじゃないの。……あれはみんなの責任。誰か一人が背負うことじゃない」


 奏は隣に座り直し、そっと陽葵の肩を抱いた。

 二人の涙が畳に落ちて、小さな濡れ跡を作る。

 一輝はその様子を黙って見守っていた。


 やがて嗚咽が静まり、陽葵は涙に濡れた顔を袖で拭った。

 赤くなった目を伏せている彼女に、奏は柔らかく微笑む。


「ねえ、陽葵。実はね、私の手足は一輝さんに治してもらったの……」

「……え?」


 陽葵は驚いたように顔を上げる。

 奏はそっと自分の手を差し出して、指をぎゅっと握ってみせた。


「だから、陽葵もきっと大丈夫。もう一度、一緒にダンジョンに潜ろう。そう言いたいけど」


 その言葉に陽葵の肩が震えた。


「で、でも……! また私のせいで……パーティが全滅したら……! 今度は助からないかもしれない……! そんなの、耐えられない……!」


 陽葵の声は震え、恐怖がそのまま滲み出していた。

 一輝は腕を組んで眉を寄せる。

 自分が「守る」と言えば簡単だ。


 けれど、それだけじゃ彼女の傷は癒えない。

 彼女自身がトラウマを乗り越えなければ、前へは進めない。

 どう言葉をかければいいのか悩む一輝の前で、奏が再び陽葵の肩を抱いた。


「陽葵。もう一度だけ、頑張ってみようよ。ダメだったらやめればいい。死ぬわけじゃないんだから……」

「……でも」

「大丈夫。だって私たち、これからダンジョン配信者になるんだよ。妹と一緒にね」


 思わぬ言葉に陽葵は涙で濡れた瞳を丸くした。

 奏は微笑んだまま続ける。


「もし、どうしてもダンジョン探索が怖いなら……裏方で一緒に頑張ってみない? 配信の準備とか、運営とか。陽葵なら、できることがたくさんあるはず」

「裏方で……?」

「うん。それでもダメなら、無理はしなくていい。でもね、友達であることは絶対に変わらないから」


 その言葉に、陽葵の胸の奥で張り詰めていた何かが少しずつほどけていった。


 陽葵はまだ目元を赤くしながらも、少しだけ息を吐いて落ち着きを取り戻していた。

 奏はそんな友の背中を撫でながら、一輝へと視線を向ける。


「……一輝さん。お願いがあるの」

「ん?」

「陽葵の腕を……治してあげてほしい」


 一輝は一瞬だけ陽葵を見て、ゆっくりと頷いた。


「わかった。任せてくれ」


 その言葉に陽葵ははっと顔を上げる。

 揺れる瞳は不安と期待とで揺らぎながらも、やがて小さく頭を下げた。


「よ、よろしくお願いします……!」


 彼女は震える指で義手の留め具を外し、ぎこちなく机の上に置く。

 残された右腕の断面を隠すように膝の上で押さえながら深く息を吸った。


「それじゃあ、少しの間だけ目を閉じててくれ」


 柔らかな光が陽葵を包み込む。

 温かなぬくもりが肩口からじんわりと広がり、失われていたはずの腕が、再び形を取り戻していく。


「……っ!」


 陽葵は信じられないものを見るように、自分の手を見つめた。

 指を一本ずつ折り曲げ、握り、開く。

 その感触が確かにある。


「うそ……! ほんとに……元通りに……!」


 やがて彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「ありがとう……ありがとう、一輝さん、奏……! このお礼は必ず……必ずします!」


 一輝は小さく苦笑し、首を横に振った。


「いや、もう十分礼はもらってるさ」

「……え?」


 陽葵はきょとんとした顔で見返す。

 一輝は少し照れたように後頭部をかきながら言った。


「俺が今ここにいるのは、雫のおかげだ。あんたには分からない話だろうけどさ。だから礼はいらない」


 それでも、と食い下がりそうな陽葵を見て、真剣な眼差しで続けた。


「ただ、それでもお礼をしたいって言うなら雫たちを手伝ってやってくれ。それが一番の恩返しになる」


 陽葵は両手を膝の上に置き、俯いたまましばし沈黙する。

 やがて、小さな声で呟いた。


「……少しだけ考えさせて。すぐに答えは出せないから」


 奏はそんな陽葵を見て静かに頷いた。


「わかった。じゃあ今日はここまでにしましょう」


 奏は立ち上がり、涙を拭った陽葵に微笑んだ。


「また連絡するね、陽葵」

「……うん。ありがとう、奏。ありがとう、一輝さん」


 二人は軽く手を振り、家を後にする。

 しばらく歩いたところで、一輝がぽつりと呟く。


「なあ……あれで良かったのか? 放っておいて」


 奏は足を止めずに前を見据えたまま、ふっと笑った。


「うん。だって陽葵は私の仲間だから。きっと戻って来てくれるって信じてる……」


 その横顔は太陽に照らされ、強さと優しさを同時に宿していた。

 一輝は少し驚いたように見つめ、やがて口元を綻ばせる。


「……そうか。なら、信じて待つのも悪くないな」


 そう言って二人は歩を進め、次なる目的地。

 知花の家へと向かっていった。

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