Losers’ Heaven

闇夜ロクジ

第1話「砂漠の嵐」

ここは白砂漠。ごうごうと唸る風の音。歩くのもままならない砂嵐の中、男はその場にとどまるのが精いっぱいであった。男の風貌はと言えば、民族衣装を簡易的に大量生産したような、真っ白の布を重ね重ねまとっているよう。目や耳の穴はふさげているものの、細かな砂塵は布の隙間から入り込み、男の肌へ細かな傷をつける。白い砂は視界を奪い、砂が風を舞うノイズは耳を使い物にならなくした。足元の重い砂を持ち上げ一歩踏み出すも、踏み下ろされた足はずぶずぶと砂に埋まっていく。


「…他の隊員は生きているのだろうか」


彼は不明瞭な砂の世界から、仲間の影を探し出そうとした。仲間とは、彼の同郷の者達である。しかし彼の瞳に移るのは真っ白な風の波及だけであった。嵐は男がこの白砂漠を訪れてからずっと続いていた訳ではない。雲のない真っ新な空であったはずなのに、気づけば嵐に覆われていた。突風が吹き荒れ、恐らく吹き飛ばされたであろう人間の雄叫びが響いて初めて嵐が来たのだと知ったのだ。その叫びももう鳴りやんで風の音しか聞こえなくなったのは、生ける者が彼一人だけになってまったのを示唆していた。彼は孤独であった。そして必死であった。この砂漠へ訪れたのは紛れもなく彼自身の生活のためであり、彼の多すぎる兄弟達を養うためでもあった。彼は貧しい。故に、危険な仕事にも飛びついたのだ。白砂漠の探索・調査の任務。学者でも研究員でもないただの貧民の彼が何の事前知識もなく放り込まれた時点で、彼の雇い主はこの仕事の危険性について理解していたのかもしれない。疑いや悔しさ、自分の思慮の浅さを恨んでも時すでに遅しであることは、学のない彼でも理解しうることであった。彼はただ、筋肉質な全身に力を入れることしかできなかった。早く風が収まり、砂漠の御心が穏やかになったその時、自分の心臓が依然として鼓動を奏でていることを祈るしかなかった。


「……さい」


男は、額をピクつかせる。今、何者かの声が彼の鼓膜を揺らしたのである。乾燥してくっついてしまった喉の奥から、彼は懸命に声を出そうとした。


「だ……誰かいるのか」


目を細め、砂の中に潜む誰かの姿を探す。ズルズルと風に押され男は後退した。突風が正面からビュンと吹き、彼の顔を覆う布を引っ張った。その時。


「うるさい」


まるで砂嵐など一切なかったかのように、風のない空間に男は包まれた。風の壁で出来た、無風の部屋。男は風に押されまいと前方向に力を入れていたため、やや前によろける。そこに居たのは、この世のものとは思えない異形の獣であった。


「……!」


上半身は人間の子ども。真っ白な肌は、白い砂に磨かれたように艶めいている。下半身は毛におおわれ、関節の形から草食動物の何かであることは判別がついた。恐らく、鹿などと似た生き物だろう。そして、幼い顔立ちの頭部から天に伸びている角はトナカイのそれに酷く似ていた。その姿はまるで、半獣であった。その子供は力強く男を睨みつけている。その瞳には、恐怖と混乱が現れていた。男がその姿を網膜に焼き付けた時、その異形の獣は口をパクつかせた。何かを言ったのだ。異形の獣が言葉を放った瞬間、硬い岩塩をも砕きそうな突風が、再び男を押し上げようと吹き荒れた。ごうという地鳴りのような風の音は、男の体から精神を引きはがす。彼は全身の力が抜けていき、両足の裏が地面から離れるのを感じた。一時の滑空は、彼の意識を暗闇へと遠のかせた。


***


 目が覚めると、そこは依然として白砂漠であった。彼の下半身は砂に埋まりかけていた。しかし腰から上が地面から出ていたのは運が良い。両腕に力を入れ、感覚のなくなりかけた足を引き抜こうと動かしたが、空腹で全く力が入らない。他の同胞達が砂に埋まって死んでいやしないかと不安が頭をよぎる。不安を頭から引きはがすように、脚を引っ張った。ずぼッと鈍い音がして、彼の脚は無事に砂から解放される。彼の脚が居た空間は、元々何事もなかったかのようにあっという間に砂が崩れて緩やかな凹みになってしまう。疲れ果てた体を休めようと、砂漠に大の字で寝転がった。


「はぁ、はぁ」


「これからどうすべきか…」


彼はどこまでも続く空を見上げる。真っ暗な空に星の瞬きが輝いていた。その塵が散らばったような点々だけが灯りであった。

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