▼【第三十七話】 知ってて続けていたんですか?

 ふらふらとなんとかたどり着いた僕は遥さんの部屋のチャイムを押す。

 そうすると、下着もつけていない、ただ上にシャツを羽織っただけの、あられもない姿の遥さんが僕を迎え入れてくれる。

 そんなものを見せられれば、僕でもここで何があったか、たやすく想像できる。できてしまう。

 気が狂いそうになる。

 ただただ落胆の感情が強くなる。

 嫉妬の炎で身が焼かれて燃え上がってしまいそうだ。

 遥さんは僕の服が僕の胃液で汚れていることに気づき、拭いてくれようと手を伸ばすが、それを僕は払いのける。

「なんで…… 相手がいるのならそう言ってくれれば…… 僕は…… 僕は……」

 僕はそう声を絞りだす。掠れながらも、なんとか。

 目からは絶えず涙が零れ落ち、視線をゆがませる。

 悔しさで、嫉妬で自分がどうにかなってしまいそうだ。

「とりあえず中へ」

 遥さんにそう言われ僕は言われるがまま彼女の部屋に入る。

 彼女がどんな表情をしているか、僕はわからない。あんなにもずっと見て居たかった彼女を、もう僕は見ることができない。

 僕を招き入れた遥さんはドアのカギをしめ、そして、彼女のスマホの電源を切った。

「全部話します」

「はい……」

 僕は言われるままにリビングに通されソファーに座る。

 そして、彼女は、僕の前の床にじかに正座して、そのまま頭を下げ、額を床にまでつけた。

「顔を上げてください」

 遥さんは動かない。

「お願いですから、顔を上げてください」

 彼女はやっぱり動かない。

「顔を上げてください!」

 僕が怒鳴るように声を荒げると、彼女はやっとゆっくりと顔を上げた。

「一体何が、どうしてこんな…… なにがなんだか、僕にはわかりません……」

 感情がぐちゃぐちゃだ。

 怒り、嫉妬、不安、孤独、苦しみ、負の感情がぐるぐると僕の中で煮えくり返り渦を巻いている。

「付き合ってる男性がいれば…… 僕は……」

 僕はそう声を絞り出す。

 どうしょもないやるせなさが僕の手に力を込めさせる。

 ただその力の行先はどこにもない。

 ただ手をその場でわなわなと振るわせる事しか僕には出来ない。

 全身に自然と力が篭り、それをどうしていいのか僕自身わからない。その力を、怒りを、振るう先を僕は知らない。知りたくもない。

「あの人は…… 前島は私の彼氏ではないです」

 その言葉に怒りがこみあげてくる。

 自我を失うほど強烈な怒りが僕を飲み込もうとする。

「彼氏ではない? そうか、友人ですか? では、別れ際のあれは……」

 僕は思い出してまた気分が悪くなる。

 一瞬、頭に血が上りすぎて気を失いそうになる。

「別れ際だけじゃないです。あの人に私はさっきまで抱かれていました」

 その言葉に僕はもう一度、もう吐くものも胃にはないのに、なにかがせりあがってくる。

 ただの粘液だけが口から吹き出るようにあふれ出る。だけどそんなものはどうでもいい。

 目がこれ以上ないほど見開く。

 呼吸が荒い。息苦しい。頭に血が全て上っていくかのようだ。

 涙が、鼻水が、涎が、そのすべてが訳が分からないほど垂れているがそれも気にならない。

 ただ歯を食いしばり、その場でワナワナと怒りで震えることしか僕には出来ない。

 僕はしばらく蟹のように顔を真っ赤にして泡を吹いていたのかもしれない。

「はぁはぁはぁ…… わけがわかりません。説明してください…… どうにかなってしまいそうだ」

 もう彼女ををまともに見ることもできない。

 頭が痛い、理解したくない、苦しい、息ができない。

 もうなくなってしまいたい。

「セフレ…… セックスフレンドっていうやつです……」

 その言葉に僕は彼女を不意に、正気を疑うように、見てしまう。

 彼女は真剣な表情でじっと僕を見ている。まっすぐに僕を見ている。

 ただ怒りに、嫉妬に、苦しみに囚われている僕はその視線を受け止めることができない。

 僕は視線を外してしまう。

 セフレ? セフレってなんだよ、なんでそんなことを……

 ああ、そうか、僕はからかわれていたんだ。それですべて納得できる。

「ああ、そう…… そうですか…… 僕をからかって楽しかったですか? 楽しかったですか? こ、こんな、冴えない男をからかって、笑って……」

「それは…… ち、違います…… 私は本当に……」

 彼女が何か言うのを僕が遮る。

「だからって、こんなもの…… 見せつけなくたって…… いいじゃないですか…… 酷い…… 酷すぎる…… あまりにも……」

 何も考えられない。

 頭が熱い。頭の血管がはち切れそうに蠢くのがわかる。

 頭に血が上りすぎて、何が何だか訳がわからない。

 僕はみじめだ。こんなにも怒り狂っているのに、何もできない。何もできなかった。

「あなたが、あんまりにもまっすぐで…… 真摯だから…… わ、私も考えた末に…… こうするしか…… なかったんです……」

 こうするしかない? こうするしかないってなんだ。

 なんで、こんなものを僕に見せつけたんだ。

 どうして、こんなひどい事ができるんだ。

「い、いつからこんなことを……」

「三年まえです。会社の飲み会で…… 酔わされて…… 関係を持ちました……」

「そ、それは犯罪じゃ!!」

 そうか、それで脅されて、そうか、そうだな、あいつが、あいつがぁ、あいつがぁぁぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁ!!!!!!

 僕がやっとこの耐えがたい怒りの矛先を見つけたとき、それを彼女が否定する。

「酔ってたとは言え、同意です……」

 同意? 何を言っているんだ、同意? どういってなんだ。

 何を言ってるんだ、この人は。

 わからない、わからない、わからない、理解したくない、なにも理解したくない。

「じゃ、じゃあ、あなたは、あいつのことが!?」

「あの人は既婚者です……」

 その返事に目の前が真っ暗になる。

 気が付くと目を凄い力で閉じて、歯をむき出し唸っている自分がいた。

 僕はまるで獣のようだ。

「ふ、不倫ですか…… 知ってて続けていたんですか?」

 僕が絞り出した言葉はそんな言葉だった。




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