▼【第三十一話】 ただ嘘偽りなく。
「田沼さん、引退する気なんですか?」
翌日、会社で平坂さんにそう聞かれた。
そう言われた僕は少し焦る。僕的には引退したつもりはない。
引退する、っていうことは、まるで考えてなかった。しばらく休止するくらいのつもりだった。
いや、別に引退してもいい。未練がないわけじゃないけども、遥さんに比べればゲームなど僕の中で些細なことでしかないのだから。
それとは別に、どちらにせよしばらくはログインするつもりもない。けど、お世話になったのも事実だし、平坂さんにIDとパスワードを送った、ただそれだけのことだ。
僕、いや、僕のキャラがいないともうろくに狩りもできない状況だから。
「そう言うつもりではないです。ただ今は遥さんのことに集中したいんです、覚悟を決めましたから」
「あー、うん、じゃあ、田沼さんのアカウント、帰ってくるまで使わせてもらいますね。規約違反なんだろうけど。タンクのはんぺんさんがいないと、そもそも狩りもできないし」
「すいません」
「皆にも伝えておきます」
平坂さんの言葉に僕は安心する。
昨日はいきなり落ちてしまったし、心配をかけてしまったかもしれない。
「お願いします」
そんなやり取りを部長が不思議そうな顔で見ていた。
なんでも言うことを聞いてくれると、言った遥さんに僕はお願いを一つした。
またデートしてください、と。
遥さんは、そんなんでいいの、と返してくれた。
僕はそれをOKと受け取り、今日の夜デートしてください、と再度送った。返事はまだ返ってきていない。
けど、今日はデートだ。
でも、何のプランもない。
そんなものはいらない。けど、今の僕に迷いもない。
今日のデートと名ばかりの、僕の今の想いを遥さんに伝えるだけの場だ。場所なんて、プランなんて、どうだっていい。
僕には遥さんを口説くなんて器用な真似はできない。
僕はそんな器用な人間ではない。僕にできるのは僕の想いを伝えることだけだ。
ただ嘘偽りなく。
ただそれだけのことだ。
心の奥底から思っていることを伝えたくて、考えをまとめることもしていない。
それにより上手く伝えられなかったり、伝わらないかもしれない。
それでも僕は、僕が心から思っていることを、なるべくそのまま遥さんに知って欲しい。
ただそれだけのことだ。
それで遥さんに呆れられるかもしれない。
嫌われるかもしれない。
それは今の僕にとって耐えがたいことだ。
それでも僕は伝えたいんだ。それしか方法がわからないから。
僕は何をどう伝えるか、それを考えずに、今はただただひたすらに仕事をこなしていく。
考えてしまったら、まとめてしまったら、それがもう僕の真意とは違ってきてしまうと思ったから。
僕はただ、僕の奥底から湧き出て来るものを、それだけを伝えたんだ。
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