▼【第十五話】 彼女の部屋。
信じられない。何がどうしてこうなったのか。
僕は今、遥さんの部屋にいる。
お洒落な、女性らしい、部屋なんだと思う。僕の判断ではよくわからない。何か少し甘い良い匂いがする。
こんな体験をしてしまったら、僕の気持ちはもう本当に止まらないどころか暴走してしまう。
あと少し頭がボヤッとしているのは遥さんが頼んでくれたお酒のせいだろうか。
ああ、ああっ、考えがまるでまとまらない。
なんで僕は今、彼女の部屋にいるんだ。
靴下、靴下に穴開いてなくてよかった。
今はそんなことどうでもいい。
いや良くない。とりあえず穴が開いてなくて良かった。
なにが起きたんだ? どうして今僕はこんなところに来れているんだ?
これは夢か?
「ソファーに座っててください、用意しますので」
僕が呆然と立ち尽くしていると遥さんがそう声をかけて僕を現実に引き戻してくれた。
「は、はい!!」
用意? なんの用意? い、一体、何が起きているんだ。
り、理解が追い付かない。なにも追いつかない。
と、とりあえずソファーに座ろう。そう、そう言われたから座らなくちゃ。
で、僕は座った。
ただのソファーなのに何か特別なソファーにすら感じる。ソファーの触り心地すら素晴らしく良い物に思える。
で、これから僕はどうしたらいいんだ。
何もわからない。わからないけど、なんか幸せだ。僕は今、味わったことがないほどの幸福の真っただ中にいる。
「もっと楽にしてて、そんなちょこんと座らなくていいですよ。なんか借りてきた猫みたい」
「な、なんで僕はここに居るんですか?」
なにも理解できていない僕は、今一番の疑問を口にする。
「私が誘ったからですよ。取りたいんですよね?」
遥さんが誘ってくれた? この部屋に? 彼女の部屋に? 誰を? 僕を? なんで? それに、
「取りたい?」
なにを?
「お鼻の黒ずみ」
そう言って遥さんは自分の鼻を指さした。
僕は確かに言った、ような気がするが、もう何が何だかよくわからない。
「え? は、はい? 鼻?」
どこからともなくチンッという音が聞こえる。
僕でもよく知っている音だ、電子レンジの音。僕の家にもあって聞ける音だ。
だから少しだけ我に帰ることができるけど、そんなものはすぐに消し飛んだ。
「はい、準備ができましたよ」
そう言って彼女は、遥さんは同じソファーに座って、自分の腿をポンポンと叩いた。
それを僕は呆然と見る。
「ここに頭、仰向けにしておいてください」
「へ?」
腿、遥さんの太腿から目が離せなくなる。
あそこに乗せる? なにを? 僕の頭を?
「早くしないとタオルが冷えちゃいますので、早く! ほら!」
遥さんはそう、彼女はそう僕を急かした。
「は、はい!!」
慌てて僕は返事をする。なんだ、これは、何が起きてるんだ?
僕は膝枕をさせてもらった。
やわらかく暖かい、それが何よりもかけがえのないぬくもりに感じられる。
ものすごい近くに、僕を覗き込むようにして遥さんの顔がある。
なんだ、これは、どうにかなってしまいそうだ。
顔から火が出るほど火照っているのを感じる。
「まずは表面の汚れをおとしますね」
そう言って遥さんは綿のようなものに、何かをしみこませて僕の鼻を拭きだした。
なんだ、この天国のような一時は。
いや、え? まだ理解が追い付かない。理解のできないことが起きすぎて、まるで夢のようだ。
夢なのか? これは? 僕はとうとうおかしく、こんなことまで妄想するようになってしまったのか?
「じゃあ、蒸しタオルかぶせますのでそのままじっとしていてくださいね」
少し熱い位のタオルが僕にかぶせられる。
それがその熱が、僕を一瞬、現実に引き戻してくれる。
でも、そのタオルすらいい匂いがする、気がする。すぐに夢の中にまた引きずり込まれるような感じさえする。なんだ、何が起きているんだ。
僕は今膝枕をしてもらっているのか? いや、腿枕じゃないのか? なんで膝枕っていうんだ?
いや、今はそんなことはどうでもいい、なんで僕は?
「もういいかな? はーい、クレンジングするので、やっぱり動かないでくださいね」
彼女は何かいい匂いのする液体を自分の手に取って、手で、彼女の手で、指で、それを僕の鼻に塗り始めた。
僕はその感触を感じつつ、ただじっと彼女の顔を見ていた。瞬きすらできない。
「はい、じゃあ、洗面所で洗って来てください、はい、タオル」
そう言って僕は遥さんから、やわらかい暖かな、つい先ほどまで彼女が抱えていて、ぬくもりがまだある、タオルを受け取る。
「あ、ありがとうございます?」
僕は茫然としてお礼を言った。何に対してのお礼なのか、僕にわかるはずがない。
「洗面所はそこを右です」
「は、はい……」
僕は言われるがまま洗面所へ行く。
鏡を見る。
やはり冴えない僕がいる。
なのに僕は彼女の部屋にいる。なんでだ?
全部じゃないけど、鼻の黒ずみはほとんど落ちていた。
けど、僕はそこで見つけてしまう。
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