四十二歳の冴えない男が、恋をして、愛を知る。
只野誠
▼【第一話】 冴えない男。
田沼誠一郎。
趣味は時代遅れの一世代昔のMMOぐらいの男。
もちろん未婚。四十二才。年齢=彼女なしの一人暮らし。
そこそこの企業に勤めてはいて、今は事務職の係長をしている。
これが僕のすべてだ。他に特記すべきことは特にない。
ああ、後、家も汚い。
けど、パソコン周りと水回り、それとベッドの周りだけは、いつも綺麗にしている。
そこらはいつも僕がいるところだから。
それ以外の場所は、もう何年もろくに掃除もしてない。
ただ僕の部屋はあんまり汚れてないかな。物がほとんどないから。
台所とトイレ、浴室、それと僕の部屋。それがこの家での僕の活動範囲だ。それ以外の部屋はもう何年も立ち入ってすらいない。
足の踏み場がない、というわけではないが、まあ、埃が積もっているのを見ると、自分の目から見ても汚れていると思う。
床どころか壁にまで埃がたまっているんだから、なおさらか。
そんなことより今日は連休明けの出社だ。年齢的にだいぶ夜更かしが翌日に響くようになっている。
最低でも深夜一時までには寝ないと、もう体がもたない。
昔は平日でも二時や三時でも平気だったんだけどな。
今はもう無理だ。体がついていかない。
趣味のMMO、趣味とはいえもう惰性でしている感じではあるが、やめる気はないし、やめられない。
ギルドの仲間ももう七人しか残っていないし、その中でガチ勢は僕を入れて三名だけ。
残りの四人はエンジョイ勢で、ガチ勢の三名の誰かが抜けても狩りができなくなるような感じだ。
ただ皆と遊ぶのもだが、チャットで話しているだけでも楽しい。
MMOのゲームをしているというよりは、ただのチャットして人と交流しているのが楽しいだけなのかもしれない。
ここだけか僕の癒しだ。
現実などに何の興味もない。
それでも働かないといけない。そうしないと生きていけないから。
顔を洗うために鏡を見る。細身の幸薄そうな男が映りこむ。
少し髪も薄くなってきたか?
まあ、容姿なんてどうでもいい。どうせ誰も僕など見ないのだから。
それでも顔を洗って歯を磨く。朝食は取らない。胃腸の悪い僕は起きてすぐ食べるとお腹を壊しがちだから。
背広を着てその上から真っ黒で飾り気のないダウンジャケットを羽織る。これが一番暖かいから。
鞄を持って家を出る。
たまに何のために生きているんだろう、と思うことがある。
僕はその答えを知らないし、答えられない。
今日は火曜日だ。月曜日が休みだったから。
その分、仕事も溜まっているんだろうな、と思うと憂鬱だ。今日は間違いなく残業だろう。
基本書類の処理ばっかりで代わり映えのしない仕事が永遠と続く。
後たまに蛍光灯の交換とかもやらされるか。あとコピー用紙の荷物運びなんかの力仕事とかも。第三事務部で男は僕だけだから。
そういった仕事は自然と回ってくる。
その代わりお客様の対応は、女の子達がやってくれるので、人付き合いの下手な僕としてはとても助かっている。
ああ、一応、言っておくよ、職場の女の子達からはそこまで嫌われてはいない、とは思う。もちろん好かれてもないけど。
とはいっても、部長と僕と平坂さんの三人だけだけどね、この事務部。
部長は恰幅のいいおばちゃんで、年齢は…… あれ、いくつだったかな? 僕よりは年上だったと思うけど。
平坂さんは…… ああ、そうだ、この間、三十路になったと嘆いていたっけな。
仕事でしか話さないけど二人とも悪い人じゃないよ、まあ、よく知らないけど。
ついでに、この中で残業するのは僕だけだ。
まあ、部長は家庭があるし、平坂さんに残業させるのは、なんだかかわいそうだし。それに僕は男だから。
なにより一人の方が気を使わなくて僕も楽だし。
そんなことを考えながら満員電車に三十分揺られて会社に着く。
立派なビルだ。今時、自社ビルだなんてどうなんだろう? まあ、うちはそこそこ儲かってるからいいのかな。自分の会社が何やってるかだなんて事務の僕はそこまでよく知らないんだけどね。
おっと、今の言葉を口にしたら、流石に白い目で見られるよね、気を付けないと。
総合商社だからなんでもやってるようなものではあるんだけど。
ああ、一応言っておくと、よく知らない、ってだけで、まったく知らない訳じゃないよ。うちの第三部署は輸入食品の卸しが主だよ。
細かい商品のことを聞かれても知らないってだけの話ね。僕は今、事務職だから。
会社に入り無駄に広いロビー、そこの受付嬢がいる。
今の時代、自社で受付嬢を雇っている会社は珍しいと思うけど、うちは古い会社だから、派遣じゃなくて社員の受付嬢とのことだ。優秀な人はそこから秘書になるって聞いたこともある。
けど、僕には何にも関係のない話だ。
ちょうど制服に着替え終えやって来た受付嬢の、名もしならない女性と目が合う。
その瞬間、確かに聞こえた。
ゴーン、ゴーンと鳴り響く鐘の音を。
僕は確かに聞いたんだ。
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