第9話 小峰さんの遭難

 真莉愛を除くクラス全員が乗ったバスはお祭り騒ぎの賑わいだった。


「おーい。遊びじゃないんだからな。里山の現状について調べるという目的を忘れるなよ」


 先生の注意する声もみんなの騒ぐ声にかき消されていた。

 それもそうだ。

 校外学習なんて高校二年生にとっては遊びでしかない。


「佐伯くん、お菓子食べる?」

「ありがとう」


 隣に座る空音さんが差し出してくるお菓子を受け取る。

 当然のように僕と空音さんは同じ班となっていた。

 他には空音さんの親友の小峰さんもいる。


 いまやすっかり僕はクラスの陽キャグループの一員だ。

 それが少し嬉しくもあり、少し怖くもある。

 このまま流されていったら僕の未来は確実に変わってしまうだろう。


 その証拠に一周目に仲良くしていた裕太くんとは最近少し疎遠気味である。

 でも今回の校外学習は班決めの時に空音さんが猛プッシュしてくれたので、裕太くんも同じ班になれた。

 僕のことや裕太くんのことを考えてくれたのだろう。

 さすがは優しい空音さんである。


 一時間半ほど走り、バスは目的地の里山に到着する。

 僕たちの班は里山付近の野草や林について調べることになっていた。


 初夏の陽気と草の香りが心地いい。

 空音さんは山菜を見つけては、はしゃぎながら僕に報告してくる。

 はじめはグループに溶け込みきってなかった裕太くんも、次第に打ち解けてきたのも嬉しかった。


 日が傾きはじめ、そろそろ集合時間になったときだった。


「あれ? そういえば華ちゃんは? さっきから見てない気がする」


 空音さんの一言で、僕は一周目の記憶が甦る。


「あっ……」


 そうだった。

 一周目のとき、この校外学習で小峰さんは遭難した。

 あのときは親友の空音さんが亡くなったので、そのショックでボーッとしていたから遭難したと思っていた。

 しかしもしかしたらそうではなくて、この校外学習で遭難するのは小峰さんの運命だったのかもしれない。


「ちょっと探してくる」

「あ、ちょっと佐伯くん。私も行く」


 空音さんが呼び止めたが、僕は急いで渓流の方へと走り出していた。

 一周目はそこで小峰さんを見つけたからだ。


 実を言えば遭難した小峰さんを見つけたのは僕だった。

 それがきっかけで彼女と仲良くなっていたのだ。


「なんであらかじめ気をつけてあげられなかったんだ」


 自分の迂闊さを悔やむ。

 正直、一周目の高校時代の記憶なんてかなり薄れているので、こうして忘れてしまっていることは多いのだろう。


 草に足を取られかけて何度か転びながら沢に到着する。

 里山とはずいぶん離れた場所だ。

 一周目ではたしかこの辺りで小峰さんを見つけたはずだ。


「小峰さーん!」


 可能な限り声を張り上げて走り回る。


「こっちでーす」


 返事が聞こえ、そちらへと急ぐ。


「小峰さんっ!」

「佐伯くんっ……」


 僕を見た小峰さんはホッとした顔になる。

 その顔は一周目で発見したときとそっくりだった。


「ごめんね、大丈夫?」

「あそこから落ちちゃって」


 少し高いところを指差して苦笑いをした。

 少し濡れているので、川にも入ってしまったのだろう。


「怪我はない?」

「平気だよ」


 立ち上がろうとすると、顔をしかめてバランスを崩す。

 恐らく捻挫しているのだろう。


「無理しないで。ほらおんぶしていくから」


 背中を向けてしゃがむ。


「いや、でも……に悪いし」

「なに?」

「ううん。なんでもない」


 小峰さんはそっと僕の肩に腕を回して体重を預けてくる。


「じゃあ行くよ」

「ごめん。よろしくお願いします」


 小峰さんは恥ずかしさと申し訳なさで溢れた声を出す。


「重くない?」

「全然。羽毛を背負ってるみたい」

「絶対ウソ。それは言い過ぎ」


 正直十六歳の女性を背負うのは楽じゃない。

 けれど気を遣わせないため、決して重い素振りは見せられない。


「なんであんなところにいたの?」

「野うさぎがいてさ。それを追いかけてたら迷子になっちゃって。私って方向音痴だから」


 普段クールな小峰さんでは考えられない愛らしい理由に思わず笑ってしまった。

 もしかしたら可愛いものが好きだったりするのだろうか?


「笑わないで」

「ごめんごめん」

「でも佐伯くんが助けに来てくれてよかった。このまま死んじゃうのかと思ったし」

「そんなわけないだろ。大袈裟だなぁ」

「本当にそれくらい怖かったの」


 小峰さんはぎゅっと僕の肩を強く抱き締めてきた。


「本当に、ありがとう」

「無事でよかったよ」


 一周目の時はもっと泣いていた。

 あのときに比べると小峰さんは明るくて元気だ。


「ほんと、空音の言う通りだね」

「え? 空音さんがなんて言ってたの?」

「突然やって来て助けてくれる王子様みたいって」

「王子様って……そんないいものじゃないって」


 恥ずかしくて汗が出てきてしまった。


「ねぇ、ところで一つ気になってるんだけど」

「なに?」

「私を見つけたとき、『ごめん、大丈夫?』って言ったよね? なんで助けに来てくれたのに謝ったの?」

「えっ……」


 一周目と同じように遭難したのに事前に防げなかったので、無意識のうちに謝ってしまったのだろう。

 先程とは違う、嫌な汗が吹き出す。


「そんなこと言ったっけ?」

「言った」

「気のせいだよ」

「絶対言ったし」


 小峰さんは首を伸ばしてジィーッと僕の横顔を覗き込んでくる。


「なんか隠してる。あやしいなぁ」

「なにも隠してないって」


 小峰さんの顔が近すぎてドキドキしてしまう。

 一周目のときはいつも沈んだ顔をしていたし、よくうつ向いていたから意識したことがなかったけど、普通に小峰さんは美人だ。


 足元の悪い場所で小峰さんをおんぶしながら歩くので進むのが遅い。

 ようやく到着すると既にみんな集まっていた。


「また人命救助するとか、佐伯くん神!」

「マジでどうなってんだよ」

「俺が小峰をおんぶしたかった!」

「さすが佐伯くん!」


 みんなが大袈裟なくらいに僕を褒めて、なんだか逆に居心地が悪い。


 小峰さんの無事を確認した空音さんが涙目で駆け寄ってきた。


「大丈夫だった!? 心配したよー」

「ほらほら、泣かないで空音」


 どちらが遭難者かわからない光景にみんなが笑っていた。


「ありがとう、佐伯くん! 本当にありがとう!」


 空音さんは僕の手を握り、ブンブンと振る。


「そんなに大したことはしてないって」


 そう言っても空音さんは帰りのバスでもずっと僕に感謝していた。


 一周目の校外学習でも僕は小峰さんを発見して救出した。

 したことは変わっていないのだから未来に影響はない。


 しかし一周目のときはみんなからここまで英雄視されることはなかった。

 やはりこれは僕の未来が変わりつつあるということなのだろうか?



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 高校時代の記憶なんて年々薄れていきますよね。

 そのときは大事件だったとしても、時が経てば存在すら忘れてしまう。


 佐伯くんも記憶がかなり薄れてきているようです。


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