ボンデージロマンス

真斗崎摩耶

金獅子のロマンス

第1話 講和破棄の決闘 1

 1000年の歴史、その長い歴史の中で数々の伝説を生み出した"アルグリア王国"。


 その中でも近代で特筆されるべき英雄譚と聞けば、みなこう答えるだろう。


【テイナー辺境伯の獣和物語】


 かつて、子爵の地位についていたロイド・テイナー辺境伯は、テイナー領に隣接するアヴァラ山脈に移住した獣人族との講和に難儀していた。


 氏族の名はレオナード。金獅子の遺伝子を有する獣人族であり、彼らは力関係をなによりも重視した。ゆえに、ロイドが講和を求めて交渉の席に座ろうとも、彼らは拳をぶつけない限り頑として認めることはなかった。


おのれが敗北すれば悪、己が勝利すれば正義。己が屈するは力のみ』


 獣神と謳われた金獅子の英雄、レオナード・ネメアの掟は獣人族の世界で最も重要視される。


 そしてそれは、ネメアの血を引く彼らだからこそ絶対に守らなければならない鉄の掟なのだ。


 ゆえに、交渉の席に座る条件として彼らは力を求めた。言い換えれば、氏族の代表者、族長との決闘の勝利である。


 これらの前提条件を跳ね除け、交渉の席に座った。これだけでもロイド・テイナーが成した偉業は後世に語られてもおかしくはない。


 しかし、彼は交渉の席に座るだけに留まらず、見事レオナードとの講和を成し遂げたのである。


 この功績により、テイナー子爵家は国王より辺境伯の地位を賜り、後世に語られるべき英雄として、歴史に名を刻んだのである。


 ここまで聞くと、ロイド・テイナーが残したテイナー家の栄光は素晴らしいものであると誰もが頷くだろう。


 ロイドがレオナードの族長と渡り合った武勇と講和は、獣人に対する人間の価値観を大きく変えた。

 人類に蛮族と蔑むことをやめ、獣人族を同じ人として向き合う決心をさせた。


 しかし、のちに出版された【三日坊主の辺境伯】を読むと、彼らの評価は一変する。


————


 早朝、朝日がようやく顔を出した時刻。


 吟遊詩人がこぞって語る近代の英雄譚を生み出すに至った立役者である金獅子の獣人たちが暮らすレオナード集落にて。


「ほ、報告します! 現在、一名の人間がこのレオナード集落に向かって侵攻中!」


 獣人たちの装いの大半は狩猟によって賄われる。彼らの装いは狩った動物の毛皮を纏うというシンプルなもの、人間のように脆くなく、自然を生き抜くための合理性を追求し続けた彼らにとって、過度な装いは戦闘を妨げる。


 ゆえに、力による合理性を追求し続けた獣人の血を引く報告者もまた、現在巻き起こっている事態に困惑を隠し切れず、言葉足らずの報告をするに至った。


「人間か。どこの国の人間かはわかるか?」


 そんな失態を演じた彼に、透き通るような声音が優しく諭す。


「も、申し訳ありません。言葉足らずでした。・・・・・・敵の所属する軍隊は不明、格好からして王国貴族と思われますが・・・・・・」


「ただの獣人狩りとは毛色が違うようだな。歴戦の斥候を担う其方がそこまで動揺するとは・・・・・・なにを見たのだ?」


 片膝を地に付け、拳を掌で受け止める獣人族特有の敬礼の姿勢を保ち、黒い立て髪が隙間風によって靡く、強靭な肉体を誇る斥候の名はレオナード・ヒリストン。

 この獅子の部族随一の斥候と謳われた猛者だ。なにをするにしても冷静沈着の姿勢を崩さない彼が珍しく慌てる姿に、問いを投げ掛けた獣人は密かに微笑みを浮かべた。


「テイナー家です」


「・・・・・・は?」


「ロイド・テイナーのご子息と思われる貴族が今回の襲撃の張本人なのです!」


「・・・・・・なるほど」


 さしものもこれには動揺を隠し切れず、僅かながらに目を泳がせた末に、一言を溢すので精一杯だった。


「ヒリストンよ、襲撃者の名と目的はわかるか?」


「はい。襲撃者の名はエドガート・テイナー、目的はレオナード集落随一の女戦士との決闘と明言しておりました」


「ほう、誘拐卿ゆうかいきょうとな。未だ婚約者が見つからず、他種族の女を片っ端から誘拐しているとは聞いていたが、とうとう我ら獣人の・・・・・・それもレオナードの女戦士をも求めたか。決闘などと仰々しい真似を介さざるを得ないとは、いったいどのようなブ男なのやら」


 貴族という地位にいながら獣人の女を求める。人間と獣人という種族の垣根を越えた行為だが、婚約に困った貴族が他種族を奴隷に仕立て上げて子を孕ませることも珍しくない。


 人間族は形を重視する。形だけでも次期当主がいることを示せれば問題はないのだ。


 その際に獣人との決闘でどんな卑劣な手段を用いるかは考えたくもない。


 長い歴史の中で幾度となく人間族と対峙してきた獣人族は、人間族の卑劣さを嫌というほど知っている。


 そんな彼女の思考を察したのか、ヒリストンは首を横に振った。


「いえ、少なくとも彼はブ男ではありません」


「む? そうなのか?」


「彼はロイド様のご子息ということもあって容姿は私から見ても非常に整っております」


「ふむふむ」


「それに、彼が噂通り他種族の女を誘拐するのであれば、夜中の集落を狙えば良い筈・・・・・・にも関わらず、彼は我ら戦士だけに攻撃を仕掛け、その大半を軽傷で制圧しました。その上、要望を口にした後の彼は平静そのものです」


「ほう」


「未だ目的は不明ですが、考えられるとしたらロイド様になにかあったとしか・・・・・・」


「ふむ・・・・・・承知した。ならば———」


 金色の立て髪を揺らし、頭部から生えるふさふさの獣耳を絞る動作を見せた彼女は、思考する素振りなく、ニヤリと尖った八重歯が露わになるほど笑みを深くして立ち上がった。


われが出よう!」


 その一言とともに彼女は、と呼ばれる金色の外套を脱ぎ捨てた。


 あとに残るは、常人を遥かに超えるそれを包んだ骨製の胸甲とイノシシの毛皮で編まれた腰巻きのみ。


 彼女の鍛えられた腹筋、太腿、二の腕を一切隠さず、曝け出すままだ。


「お、お嬢! お待ちください!」


 戦士としての姿を曝け出した彼女に、ヒリストンは渾身の待ったをかけたが、最早2mを超す体躯を持った彼女と、強靭な肉体が売りのヒリストンですら霞むほどの体格差があり、前に立つも容易に退かされた。


「今は族長代理だ」


「族長代理がネメアの立て髪を脱ぎ捨てないでください! これは族長を預かる者の証なのですよ!?」


「だから邪魔なのだ」


「じゃっ———!」


「この問題を解決するには、我の力が必要である。しかし、肝心の我が族長代理の地位にいればその力を行使できぬ。忘れたか? 曲者の目的はレオナード随一の女戦士」


「っ!!」


「我以外に条件を満たす戦士がこの集落にいるのか?」


「ぐぬぬ! ですが、もし万一、敗北することがあれば———」


 ヒリストンの懸念点はそこなのだ。彼女は次期族長候補筆頭の戦士、仮に今回の決闘で彼女が敗北することがあれば、のちの後継者選びは熾烈を極めるだろう。


 しかし獣人として、戦士が決闘に向かうこともまた止め難い。


 どうしたものかと悩む素振りを見せるヒリストンに彼女は楽観的な笑みを浮かべていた。


「曲者の力に屈するもまた一興。なにより、その相手はロイド・テイナーの子息。かつての和平を目的とした決闘とは趣きこそ違うが、心意気はいつでも同じ」


 やがてそれは獰猛な笑みへと変わり、獣人族の戦士としての面構えを取り戻してゆく。


「心血を注ぎ、我の理想をなんとしてでも勝ち取る! 全てを賭けて!」


 湧き上がる魔力によって金色の立て髪が波のように唸り、大気を震えさせる。


 その圧力は集落中、果てはヒリストンの獣人としての本能にまで届き、彼の首を縦に振らせるに至った。


「・・・・・・わかりました。そこまでの意志を示されたのであれば、最早止めるわけにはいかない」


 一度の咳払いを経たのちに、ヒリストンは鋭く射抜くような視線を彼女に向けた。


 年功序列、そのような文化は獣人には存在しないが、それに近しい文化がある。それは、戦士としての格の話、自分より弱くとも敬意を表すべき格を示す先達。故にヒリストンはこれまでの敬語口調を消した。


 戦士として彼は未だ彼女の上に立っている。


「レオナード随一の女戦士として、役目を果たして来い。レオナード・アレクサンドラ!」


 その瞬間、轟音鳴り響く。


 頑丈な木造建築物を突き破り、天にも届くと錯覚させる大跳躍。


 朝日に照らされた金色の立て髪が更に眩い光を放ち、深紅に染まる縦長の瞳孔が標的を定めた。


 黄金の魔力を込めて身体強化を成した足は大気すら踏み台とし———


「待たせた———」


 着地の轟音とともに深いクレーターを作り、降り立った。


 彼女の名は、レオナード・アレクサンドラ。


【テイナー辺境伯の獣和物語】にて語られる金獅子の氏族、レオナードの族長、レオナード・ライアンの娘にして獅子の部族随一の女戦士。


「———なっ!」


 未だ彼女を傍目に捉えるだけに留まった彼との決闘は、大岩に腰掛ける貴族服を纏った紫髪紫眼の彼に向かって放たれたアレクサンドラの高速ジャブによって幕を開ける。


 そして、開戦の火蓋を切った彼女のジャブはと鳴り響く音とともに容易く止められた。


「っ!!」


 それは黒の鎖。


 放たれるジャブの通過点に合わせ、両手に握られる鎖を引っ張って伸ばし、鎖で衝撃を緩和する。


 原理としては理解できる。


 だが、彼女はレオナードの姓を持つ金獅子の獣人、その膂力は人間族と平均的に比べても約10倍、なにより彼女はレオナード随一の女戦士、恵まれた体躯と鍛え上げられたその膂力は常人の20倍にも匹敵する。


 それを受け止めたのは、彼の肉体でも魔力の障壁でもない。


 彼自身に魔力を流すことがあれば、彼女も忽ちその流れに気づくだろう。


 じゃらじゃらと音を立てる黒いそれはところどころ紫が入り混じっている。ゆえにその正体は


「呪具か!?」


「御名答」


 じゃららら。


「ぐおっ!」


 武器自体に魔法の力が込められた鎖の呪具。袖の中から伸びるそれがさらに長大なものとなり、ジャブを止められ、勢いを失い、宙に浮かぶアレクサンドラの腹部を薙いだ。


「初めまして・・・・・・いや、待っていたとでも言っておこうか? レオナード・アレクサンドラ」


 意気揚々と挨拶をしたこの男こそ、【テイナー辺境伯の獣和物語】の主人公を飾ったロイド・テイナーの息子。その男は不快気に自身の短い紫髪を指差して、言葉を紡ぐ。


「俺の名はエドガート・テイナー。この世で最も忌み嫌われる紫髪の忌み子にして、ロイド・テイナーの実子だ」


 顔合わせは初めてなこともあり、互いにそれぞれの意味で相手の容姿に見入っていた。


 片やエドガートはアレクサンドラを品定めするように視線を流す。


 片やアレクサンドラは人間族にしてはかなりの長身、180は超えている上に、王国貴族の装いで鎖を握る手と頭部以外の肌は見えないが、浮き出る血管の数からして相当な鍛錬を積んだことは火を見るより明らかだと分析していた。


「そこはいい。そこはいいんだが」


「・・・・・・?」


 ぶつぶつと呟きが発せられるアレクサンドラ。


 無理もない彼女は今、理想と現実のギャップにやられている。


 物語で語られるロイド・テイナーの白銀の髪はそこになく、短い紫髪と大きく開かれた瞳孔も同様に紫眼の瞳。


 なにより、そんなロイド・テイナーの息子かも怪しい男にしたり顔で拳を受け止められた現実と幼少期に顔を合わせた誰よりも明るいロイドとは程遠い薄暗い表情に、強いショックを覚えた彼女はそれを払拭するために、彼が腰掛ける大岩に力強く踏み込み———


「っ!!」


「もう少し凛々しいツラぁ引っ提げて来い!」


「ぐはっ!」


 ———強引に推進力を生み出した拳は曲者の頬に大きく食い込んで、エドガートの体を吹っ飛ばした。


「そのような卑屈な自己紹介は求めておらん。ロイド殿の子息を名乗るのであれば、その立場に相応しい面と誇りを語れる度量を持って出直して来い、我が言いたいことはそれだけだ。じゃあな」


 そして、アレクサンドラは理想と現実のギャップを強引に決着をつけ、倒れたであろうエドガートの様子を一切見ることなく集落に向かって歩き出した。


「痛つつ・・・・・・なるほど、心身共に効いた」


「は?」


 が、そこは流石かつて獣人とやり合った男の子息というべきか、アレクサンドラが振り返ると、彼は頬を軽く摩ったのち、容易に立ち上がった。


「改めて自己紹介を。【テイナー辺境伯の獣和物語】偉大なる主人公を務めたロイド・テイナーの子息。現テイナー男爵家が三男、エドガート・テイナーだ。気軽にエドガーと呼んでくれ」


「効いてないのか?」


「安心しろ、ちゃんと効いてる。それで?」


「ん?」


「そちらは?」


「其方は既に我のことを知っているだろう?」


「俺の知らないこともある。これから築く関係を考えれば、このやり取りも無駄にはならない」


 この自己紹介の意味に関係という言葉が添えられた時点で、エドガーの大方の望みが推測通りであると理解したアレクサンドラは思わず顔を歪めた。


「・・・・・・我が名はレオナード・アレクサンドラ。現族長、レオナード・ライアンが娘にして金獅子の称号を手にするもの也」


「金獅子・・・・・・レオナードで次期族長候補筆頭に与えられる称号か。通りで痛えわけだ」


 また一度軽く頬を摩り、大岩に立つアレクサンドラに向かって歩を進める。


「ある程度の知識はあるようだな」


 対してアレクサンドラは動かず、平静の態度を崩さない。


「仮にも講和を結んだ相手だ。真っ当な知識無しに襲撃するのは気が引ける」


 一方、エドガーは長袖の内側から先刻の黒い鎖を垂らし、ある程度の長さになるまで落としたのち、それを掴んだ。


 彼から引き立つ闘争の香りを前にして、アレクサンドラは尖る八重歯がよく見えるほどに笑みを深める。


「ハッハッハ! 噂通りのイカれ具合だな。誘拐卿ゆうかいきょうの名は伊達ではないか。その鎖で、いったい何人の女を捕らえたのだ?」


「お前で5人目だ」


「ほう、なるほど。4で打ち止めとは縁起の悪いことこの上ないなぁ」


 現時点での把握してる事柄で、互いに共通していることがある。


"未だ負ける要素無し"


 今この場で、強者だけに許された共通の見解が生まれていた。


 故に、どこまでも前向きな口論に意味はないと察するのも同時期だった。


「・・・・・・勝ち気の強い女はいいが、敗北が見えたからといって折れてくれるなよ? そういうのが一番萎える」


「安心したまえ。これは神聖なる決闘。其方が敗北した我の首を落とそうと自由、我が敗北した其方の血肉を貪るのもまた自由、理想を叶える力は勝者だけにしか宿らない! かつてのロイド・テイナーと我が父のように、血湧き肉躍る決闘をしようじゃないか」


「かつての決闘を台無しにするこの決闘を、お前は受けるというのか?」


「勿論だとも! 歴史に残る英雄は既に代替わりを果たした。ならば、我らは新たな歴史を刻むため、誇りを胸に全力で戦うのみ!」


「物語に刻まれた講和決闘の再戦が、代替わりを果たした末に講和破棄という形で行われるとは、親父たちも予想できなかっただろうな」


「さしづめ講和破棄の決闘か。おもしろい!」


 軽く弾ませた体を大岩の前に落とし、大岩の側面を蹴ることで推進力を得た彼女が仕掛ける。言葉の熱に浮かされたか、あるいは久方ぶりに身内以外で相見える強者の風格を纏わせた敵に獣人の本能が刺激されたか。


 再び放たれるジャブは、先程よりも力強く荒々しいものとなった。


「っ!」


 速度が増したそれを再び合わせてみせたエドガーも紛れもなく戦闘巧者。


 しかし、緩和したジャブの衝撃は鎖越しに腕全体へびりびりと響いた。


(威力が明らかに増している。だが、獣人族の種族魔法は、獣の身体能力と特殊能力を発揮させる化獣かじゅう魔法。だが、化獣魔法特有の見た目の変化がなく、奴が行使した兆候もない・・・・・・だとするなら)


「素の膂力・・・・・・!」


「なにを驚いている? 我の膂力は———」


 ブォン! ・・・・・・ジャギィ!


 再び引き伸ばした鎖でアレクサンドラの拳を受け止めるエドガー、しかし先刻ほどの余裕は無く、じりじりと押されている。


「———こんなものではないぞ!」


 そして、地面を割るほどの踏み込みによって、推進力を生み出した拳は先程と同じように、エドガーの頬に迫る。


「っと!」


 これをエドガーは体を傾けることで回避する。


「逃がすか!」


 ギャリッ!


「っ!! しまっ———!」


 が、アレクサンドラは拳を受け止めていた鎖を強靭な握力で掴み取り、凄まじい膂力を用いて一本背負いの要領で叩きつける。


「———たが、問題ない」


 かに思われた。


 ジャキン!


 それはトカゲの自切と見紛うほどの鮮やかな切り離しだった。若干宙に浮く程度のタイミングでエドガーは鎖を何も使わず切断し、アレクサンドラの一本背負いから免れる。


 ドォン!


 結果、アレクサンドラが地面に叩きつけたのは自身の半ば切り離された鎖とそれを握っていた両手。人一人分を叩きつけるつもりで力を込めたそれは地面の表層にひびを入れたが、エドガーに明確な隙を晒した。


 宙に持ち上げられた体を捻り、眼前で晒したアレクサンドラの背中に容赦ないドロップキックを叩き込む。


「ごあっ!」


 思わず仰け反り、たたらを踏んで衝撃をどうにか軽くする。


(我が投げるタイミングで切り離したのか。味な真似を!)


 ダメージこそあるが、戦闘続行になんら差し支えない軽傷、だが彼女はエドガーの前で未だ背中を晒している。


「フッ!」


「ぐっ!」


 彼の着地と同時に、一息を吐く音が鳴り、アレクサンドラが振り返る直前にふくらはぎに強烈な痛みが襲い、仰向けに倒れかかる。状況から見て蹴りであることは理解できるが、この一手によってアレクサンドラの次の行動はまたしても封じられた。


「フッ!」


「ぐほぁ!」


 また一息、今度は脇腹への鋭い正拳突き、腹筋を絶妙に避けているため防御できず、突きを放った手にいつのまにかあの鎖が巻かれており、金属特有の硬さも上乗せさせているのか、威力が更に高い。


「・・・・・・は?」


 それだけに止まらず、踏ん張るアレクサンドラの膝裏に鮮やかな足捌きで緩やかな蹴りを加えられ、膝を折られたアレクサンドラは宙に浮きながら仰向けの姿勢にされる。


(だが、呼吸に合わせて攻撃してくることはわかっている。次のタイミングで)


「フッ!」


「ここだっ!」


 視界にもエドガーの拳を振り下ろす姿は映っている。獣人の反射神経と速度ならば容易に止められる一撃。


 それが放たれる。


「ッ!・・・・・・がっ!」


 しかし、伸ばした手を掴んだ後に訪れた後頭部の痛み。それはアレクサンドラの意識を刈り取る膝蹴りだった。


「ク・・・・・・ソ」


 アレクサンドラが最後に見たのは、冷徹な狩人の眼差しと、じゃらじゃらと鳴り響く鎖の音色だった。


「そんな無様を晒せるかぁ!」


「おっと!」


 金獅子と謳われた女戦士は並の獣人が意識を奪われる程度の攻撃で倒れるほど脆くない。上体を起こす際、地盤を割る勢いで四股を踏むように足を鳴らした彼女は振り下ろす寸前で止められた拳に頭を打ち付けたのち、


「っ!」


 一旦距離をとった。


「はぁ、はぁ、なんという戦闘巧者。この私が意識を失いかけるとは」


 再び大岩の上に舞い戻った彼女の心境は驚愕、ただの体術で圧倒された事実、自身が赤子同然にあしらわれた屈辱のあまり———


「一人称変わってるぞ?」


「し、しまった! ええい! しっかりしろ! 我は金獅子、レオナードの誰よりも強く誇り高い女戦士! 生娘のような言葉は吐かん!」


「意外としっかり者なんだな・・・・・・」


 彼女は一度冷静になる。


(奴に勝つには身体能力だけでは足りぬ。私に残された手札は身体強化魔法と種族魔法のみ。しかし、これはあくまでも決闘。本当に化獣魔法を使う必要があるのか? 死闘の領域に踏み込むほどにエドガーは悪ではないだろうに)


「いや、これは神聖なる決闘! ここで使わずしていつ使う!」


 覚悟を決めた彼女の体の内から金色の魔力が湧き上がり、大気を振るわせるそれは立て髪を猛々しく揺らし、獰猛な八重歯が美しいかんばせに野性という表現に相応しい、不規則な刺青の化粧を施した。


「・・・・・・くるか」


金色化獣こんじきかじゅう!」


 それは伝承に記された獣神ネメアのように、さらに長く立派な黄金の立て髪を靡かせ、現界する。


————————————————————


解説【この世界の魔法について】


・魔法

血筋によって遺伝した固有魔法の素養が最も重宝され、その理由は同様の固有魔法を所持する先人の模倣または発展が望めるからである。

しかし、大半が全く新しい固有魔法の場合がほとんどなため独学で学ぶことが多い技術。術式や詠唱で魔法を行使する場合などでは技術的な模倣は可能だが、模倣するにしてもその魔法に合った固有魔法がなければ実現し得ない。魔法は個人が持つ固有魔法をベースに扱われる技術。


・固有魔法

個人が所持する魔法。固有魔法の展開によって既存の魔法を行使することがベターなため、固有魔法無くして魔術師に成り得ないとも言われる魔法の基盤的存在。


・種族魔法

種族特有の性質を活かした魔法。

種族に備わった特性を安定して発揮させるために発祥し、他種族に模倣されることもほぼないので戦争の際によく使われる。


 アレクサンドラの化獣魔法を例に出すと、遺伝子の中から、祖先の能力を一時的に憑依させることが出来る。

 わかりやすく言えば、擬似的な先祖返り。

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