第10話 決壊
目の前で大理石の廊下を歩く殿下の靴音が響く。
カツカツカツ……。
冷たい大理石から響く音は、温かみの欠片もなく、私の心を陰鬱とさせる。
舞踏会の説明を受けた私と殿下は、応接室を後にして寄宿舎へ向かっていた。男子棟と女子棟は別だが、棟が建てられている場所は並んでおり、自然と二人は同じ方向に向かって歩くことになる。
部屋から出た殿下は一言も口を開く事無く前を歩いていた。その無言が、得も言われぬ圧となって私を苦しめる。
応接室のある校舎を出ると、そのまま屋根のついた渡り通廊を歩いていく。
と、殿下は足を止め、周りを見回した。それに釣られ私も周りを見るが、人の気配は無い。殿下の方を向けば、怒ったようなひどく冷たい顔で私を見つめていた。
「お前は私に恥をかかせたいのか?」
「えっ……いえ。そんなつもりは……」
殿下の言葉が私を突き刺す。
「舞踏会でファーストダンスを任されるなんて当然の事だろ?」
「で、ですが……」
「大体、お前も侯爵家の娘だろ? こういう場でそういった責を負うなんてこと当たり前じゃないか」
「……」
殿下は、先程の私の対応が許せなかったのか、執拗に私を責める。私は何も言う事も出来ずにうつむいてしまう。
「そもそも私の許嫁であるなら、そのくらいの教育受けていて然るべきじゃないのか? 侯爵家ではなにをやっているんだ」
「……」
一方的に責められながら、いつしか話は家のことにまで及ぶ。今はこうして侯爵家の令嬢として生きてはいるが、もともとは身分もなければ男女差別も厭われる日本で生まれ育った私だ。ふつふつと何かが溢れそうになる。
――なによっ! 私の気も知らないで。
小説を知る私だからこそ、殿下の気持ちも理解は出来る。初恋の女性であるエリーゼとの間にある最大の障壁。それが許嫁たる私の存在。……でも。
――どうして、巻き込まれただけの私がここまで言われなければならないの?
目を閉じても、殿下の言葉は私の耳から侵入してくる。
眼の前に居るのはこの国の王子だ。私だって上級貴族の一員ではあるが、それでも王などの前では頭を上げることすら許可が必要な立場だ。
だがこうも責められれば限界もある。転生して十年近い年月で溜め込んだ私の黒いいらだちが……。
沸々と暴れだす。
「……さいのよ……」
「何? 言いたいことがあるならはっきり言え」
「うるさいって言ってるの!」
「な、な、なんだと?」
「さっきから聞いていればなんなの? 許嫁だとか、侯爵家とか。私の家のことなんて関係ないでしょ? あんた会ったことあるの? 私の親に。そもそもが初めて会った相手の親をいきなり貶すってなんなの? 正気? 王子ってそういうのがおかしいって教わってないの? 大丈夫なの? 王家の教育って、ちゃんとしてるの?」
「き、貴様――」
「で、何? 許嫁だから何? なんであんたの思い通りに教育されないといけないの? あんただってまだ子供でしょ? 心も育ちきってない子供が何を言ってるの? そもそもが許嫁とか言ったって、私達二人の間に何かつながり的な物があるとでも思ってるの?」
「毎年手紙――」
「あの代筆させた手紙のこと? ご丁寧に厭味ったらしく毎年のように同じ文面。一語一句神経質に同じ文をよ? しかもそれを毎年違う人に書かせるって、あれでどういう繋がりが出来るの? むしろそれで繋がりが出来たと本気で考えてるの? 手紙っていうのはね、丁寧に自分の字で自分の言葉で、相手に対して思いを伝えるものなの」
駄目だ……。止めようと思っても止められない。私は決壊したダムのように殿下を攻め続ける。もうだんだんと訳がわからなくなった私は、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらひどい状態になっていた。
「それに、許嫁って何よ。勝手に私の知らない内に決めて……」
「わ、私だって知らない内に決まったんだ」
「許嫁に指定されて、もう誰も私に近づいてくる殿方なんて居ないの。わかる? 気になる男性が居ても、もう恋なんて出来ないのよっ。殿下は良いわよ。好きに恋愛でもなんでもしても、どうせ今のうちに遊ぶが良いくらいに言われていたんじゃないの?」
「や、やめろっ」
「何よっ。都合が悪いんでしょ」
「そうじゃない、人が来る」
「人が? 人がいちゃ駄目なの? 良いじゃない。見せつけましょうよ。私達は偽物の許嫁だって」
「ウィノリタ!」
「なによ! んぐっ!」
完全にヒステリックになった私の口を必死に抑えながら、王子は無理やり私を建物の影に連れ込む。
「んー。んー」
「良いから静かにしろっ。叫ぶんじゃないぞ」
「……」
殿下が必死に私をなだめようとする。貯め続けていた膿が出きった私は、少しづつ冷静になり始める。それと同時に自分のやってしまったことの重大さを認識し始めていた。
おとなしくなり、落ち着いた私を見てようやく口から手を離す。
「……まったく……なんて女だ」
「殿下がそうさせたんでしょ……」
「まだ言うか……」
もうこの際なんとでもなれだ。入学式早々にいきなり死亡フラグを立てたかもしれない。だが、高ぶった感情は私の冷静さを何処かに追いやっていた。
殿下は呆れたように私を見つめる。
「……もう行きます」
「お、おい。ちゃんと踊れるのか?」
「踊りますよ。侯爵家の教育でちゃんとダンスレッスンは受けていますから」
私が殿下を置いて寄宿舎に戻ろうとすると、更に殿下は私を呼び止める。
「待て」
「なんですか?」
「その顔でいくつもりか?」
「……もともとこういう顔なんです」
「涙くらいは拭いていけ」
そう言いながら私にハンケチを手渡す。私はそれを素直に受けとり、涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭う。
「後で洗って返しますので……」
「別に返さなくても良い」
不機嫌そうに言う殿下をもう一度見やる。
「ちゃんと返します」
そう言うと私は足早にその場をあとにした。
……。
……。
「あ、おかえりなさ……。ウィナ? どうしたのその顔」
無事に誰にも合うこと無く部屋までたどり着いた私は、しょぼくれた顔のままベッドへと向かう。
「……殿下と喧嘩した」
「はい? ど、どういうこと?」
「……なんでも無い」
「ちょっ。なんでも無くないじゃないですかっ!」
フラフラと寝室へ向かう私を追いながらハンナが心配そうに聞いてくる。私はそのままベッドにうつ伏せで顔を伏せる。
「……」
「一体何があったの?」
「……舞踏会で殿下と踊るように頼まれたの」
「そ、それは良いことじゃありませんか」
「良くないわよ」
「で、なんでそれが喧嘩に? ……まさかお断りしたの?」
「……初めはね。でも断れなかった」
「それはそうでしょ?」
「それで、はじめに断ったことが気に入らなかったみたいで……」
私はありのままをハンナに告げることが出来ず、分厚いオブラートに包んで話す。それでもハンナは顔を青ざめさせ、今すぐ殿下に謝りに行こうと私を急かす。
「もう良いわよ……どうせこの後殿下と踊るのだし」
「でもっ。誠意は見せておいたほうが……」
「……今はちゃんと謝れない」
「ああウィナ……」
ハンナは解っているのだ。私もあえて口にはしていなかったが、私が殿下と婚約などしたくないという事を。
私もこの世界に来て初めて知ったのだが、許嫁というのは別に婚約をしてるわけではない。ある意味口約束である。
この世界の恋愛事情はかなりおおらかだ。私にも転生して間もない幼少の頃から多くの男性の貴族から手紙などが届いている。そして殿下と許嫁に成ることで、その手紙がピタリととまる。
つまりそういうことなのだ。
結婚前の予約。手付、そういった他者に対する宣言なのだ。その為何の法的な制約もあるわけでもなく、一方が取り消したければ取り消すことは出来る。
そうは言っても王家に対して侯爵家が一方的に取り消すなんてことはありえないのだが。
婚約はその後、私の健康診断……。生娘であることまで確認して初めて行われる。圧倒的に女性に不利なシステムなのである。
ギシッとベッドが沈む音がして、ハンナが近くによってくる。
「……膝枕……しましょうか?」
「……うん」
私はこうしてしばらくの間、後悔と葛藤にさいなまされていた。
※あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます