ウィナお嬢様は、悪役になりたくないのです。

逆霧@ファンタジア文庫よりデビュー

第1話 まさかの悪役令嬢

 トントントン……。


 ウォルシュ婦人が分厚い教科書の束をそろえカバンにしまっている。私は上目遣いでおずおずとその所作を眺めていた。


「今日で私の授業は一応終わりになります」

「はい!」


 これで終われる。私はホッとして満面の笑みで返事をした。しかしウォルシュさんの顔は険しいままだ。


「一応……終わりになります」


 ウォルシュさんが険しい顔のまま、「一応」を強調するように繰り返す。


「……一応?」

「当然です。私から見れば貴女は公女としてはまだまだです」

「は、はぁ……」

「ため息をつきたいのは私です。こんなレベルで学院に放り込むなんて……」

「が、がんばりますよ?」

「私の人生でこんな中途半端に仕事を終える日が来るとは……」

「へへへ……ダメでした?」

「ええ。全然です。出来れば夏季休業になったら補習をさせていただきたいと思います。侯爵にもそうお伝えしておこうと思いますので……」

「え……」

「それでは、夏までに私の用意しておいた課題をちゃんとこなしておいてくださいね」

「ほ、本当に?」

「貴女は、王子のお妃として立派になろうという気持ちは無いんですか!」

「あ、あります! がんばります!」

「ふう……いつも返事だけは……。まあ、良いでしょう。貴女も学院へ行けば貴族のたしなみというものを痛いほど感じるでしょう。がんばりなさい」

「はい……。ありがとうございます」


 ウォルシュ婦人は、全てが不満といった顔のまま部屋から出ていく。

 私はそれを今まで習った最上級のお辞儀をして見送る。そんな私にチラッと視線を送りながらウォルシュ婦人はボソッと呟く。


「肩の力を抜きなさい。腕はもう少し柔らかく曲げて。背筋は伸ばしたまま!」

「!」


 公女の道は険しかった。



 私は部屋のドアに耳を付けて、ジッと婦人の足音が遠ざかっていくのを確認する。どうやらこれ以上のドッキリはなさそうだ。


「いやった~~~!」


 私はとうとう終わった公女教育に解放され、心が舞い上がっていた。

 そしてそのままベットの上にドーンと転がった。


 見慣れた天井を眺めながら、これからの学院生活について思いを馳せていた。




 ◇◇◇



 私の名前はウィノリタ。

 アンバーストーン侯爵の一人娘だ。

 そして、この国の王子フェリックス殿下の許嫁である。


 と。


 確かにそういう話であるのだが。中の人は別だ。

 紫藤涼子。それが私の本名。

 東京生まれ東京育ち。と言っても下町のべらんめえな東京だ。そこで暮らす私は地元の女子高に通う学生……のはずだった。


 そしてウィノリタは、私の読んでいた小説の登場人物。

 残念ながら主人公ではない。

 むしろ主人公をいじめる立場の令嬢。いわゆる悪役令嬢だ。


 クラスの友達の中で一大ブームが巻き起こり。私も波に流され、その小説の世界に没頭していた。その作品は漫画化やアニメ化、はたまたゲーム化までした超人気作品なのだが。私はもっぱら小説派だった。



 そんな世界に入り込んだのが約十年前。厳密には八年くらいか。

 私は突然、この体の中で目が覚めた。理由は全く分からない。見当もつかない。

 ただ、どうやら夢じゃない事だけは受け入れた。


 だって。何年も様々な努力をしたが。私は目を覚ますことが出来ないから。


 ただ淡々と、小説の時系列に向かって時計は回り続けている。



 小説の中のウィノリタは、主人公に嫌がらせをするのが仕事。ただ単にヘイトを重ね。そして悲惨な結末へと歩んでいく。


 ……冗談じゃない!


 まあ、そもそも私が侯爵令嬢としての品位を身に着けられるのかが疑問なのだけど。家庭教師の先生たちはあまりにも不出来な私に四苦八苦をしている。


 いや、していた。


 一方、小説の中のウィノリタは何をやっても完璧な令嬢。ドジで愛嬌のある主人公と真逆の存在である。そこから考えても自分としてはすでにフラグを折ってるつもりではある。


 と言っても、この世界の事は本を通してしかしらない。周りに怪しまれること無く溶け込めるようにと、私としては真面目に先生たちの授業は受けていたんのだが……。

 結果自分には貴族の令嬢としての素質は皆無だと思い知らされてしまう。


 でも……。


 呆れられ、駄目な子認定されることは精神的に結構くるのよね。



 ◇◇◇



 いずれにしてもこれで自分も自由だ。

 学院は王都にあるため、馬車で行っても一週間はかかる。学院では寄宿舎に住むことになるので両親もいない。

 小説の舞台である学院は、悪役令嬢にとってはある意味地獄の入り口のようなものなのだが。私は能天気にも待望の一人暮らしが楽しみで、浮かれていた。


 ベッドの上でニヤニヤとしているとノックの音がしてメイドが入ってくる。


「……ウィナ……。またドレスのままベッドに寝転がるなんて」

「ふふふ。良いじゃないのハンナ。今日私は公女教育を卒業したのよ?」

「ウォルシュ婦人はそんなつもりは無いようですよ。お館様に何やら直訴をしていましたし」

「げっ! ……もう勘弁してよ~」

「今日はウィナの送迎会があるのですよ。もう、新しいドレスに着かえないと」


 そう言いながらハンナがクローゼットの中に入って行く。私はベッドから体を起こしてその姿を眺めていた。


 ハンナは私の専属のメイドだ。元々ハンナの母親が乳母をしていた関係で子供の頃からの遊び相手だった。そしてそのまま友人の関係からメイドへとその立場を変えた。人前ではウィノリタ様と呼ぶが、二人きりの時は子供の頃と同じ「ウィナ」と私のことを呼ぶ。


「ハンナともしばらく会えなくなるのね。それは寂しいわ」

「……はい? 何を言ってるんですか?」

「え?」

「私もウィナと一緒に王都に参ります」

「でも私は寄宿舎に入るのよ?」

「侯爵以上の家庭は、メイドを連れていけるって、前に話したじゃないですか」


 地球での貴族のシステムはよく分からないが、この世界の貴族は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、士爵といった六つの爵位がある。その中で、公爵家は王家の親族にあたり、一般の貴族では侯爵家が一番上になる。

 我が家はその侯爵家であった。特別扱いもあるような話は確かに聞いたかもしれない。


「う……。そうだったっけ?」

「はぁ……心配だわ。この子は」


 呆れたようにこちらを見るハンナに、私は舌を出して誤魔化す。


「可愛い顔をしてもダメです」

「うふふ。可愛い?」

「当然です。見た目だけはこの国一番の美人ですからね」

「見た目だけ?」

「しゃべらなければ王子の心はウィナの物ですよ」

「ははは……」


 王子か……。嫌なことを思い出させる。

 見た目も完璧。中身も完璧なウィノリタだったが、残念ながら小説の中ではこれっぽっちも王子に愛されること無く退場していく。

 ウィノリタ以上の美人で、可愛げがあって、健気で、純粋な主人公が。王子のすべてを奪っていく。これはある意味出来レース。


 横に目を向ければ、サイドテーブルに置いてある王子の肖像画がニコニコとほほ笑んでいる。相変わらずのイケメンだ。紛れもなく小説の挿絵でトキめいたあの王子で間違いない。


 ……学院に行けば、王子もいる。私はこれから始まる学院生活を思い、私は深いため息をついた。

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