47_祝! 10人目

「哲平」

「なんです?」

 夜は更けている。なんとなく外に行こうかという話になり、蓮と哲平は二人で星の下を歩いている。月は残念なことに雲に隠れていて、うっすら明るい雲が頑固にそこに居座っていた。

「9人、だな」

「なにが?」

「俺相手に誤魔化すなよ。有が増えてあっという間に9人になった。俺がいる内にもう一人、と思ってるんだがさすがにそれは無いか」

「そう思うんならまだいたらどうっすか? 常務も喜びますよ」

 それには答えない。哲平も答えがあると思ってはいない。

「末っ子を頼みますよ、河野さん。粗末にしたら河野さんでも許しませんからね」

「分かってる。あいつは俺が守っていく。もう辛い思いはさせないと7年前に自分に誓った」

「言いますね……」

 哲平の声は笑いを含んでいる。

「やっぱり複雑かな。二人が夫婦だなんて。複雑……違うか、不思議って感じ? どうして気が付かなかったんだろう、俺って結構鈍いんだなぁ」

「あっさり気づいたのは三途と常務くらいだ」

「三途さんはともかく、常務がよく受け入れましたね」

「まあな」

 そこには哲平にも分からない二人の歴史がある。

「常務とどう上手くやって行けるか。俺、ちょっと自信無いんすよ。あの人狸だから」

「お前が弱音とはな。常務はどうやらお前のことを楽しんでいるらしいぞ」

「俺はオモチャじゃないって。ケンカしたらどうします?」

「どうするって、俺はいないんだ、派手にやればいいじゃないか、お前らしく。常務はケンカするにはもってこいの相手だ。気にせずやればいいんだ」

 3月の夜風はまだ冷たい。

「戻りますか。このクソ忙しい時に風邪なんか引いてらんないし」

「管理職は体力仕事だ。これから先、面倒ごとが増える。後は任せたぞ」

「いい時に逃げるんですね」

「潮時ってヤツを俺は知ってるんだ、それだけさ」

 自分も10人目を見たい。そうは思うがもう3月は後2週間ほどで終わる。

(哲平のために子どもを産むわけじゃないしな。自然がもたらすものだ)

「河野さん、ファミリーの会と親父の会からは逃げられませんよ。あれは終身会員ですから」

「寄付金集めのか?」

「そういうことだと思っといてください」

 笑っている哲平と新しい関係になっていくのだと思うと、それはひどく新鮮で期待に胸が膨らむ。蓮はその日が今から楽しみだと心から思った。次世代に先を託す。子どもを哲平たちに渡すのだ。自分は外の人間になる。



 意外なものだ。諦めたことが転がり込んできた。しかも当事者はなんと野瀬進一、36歳。誰もが見放している独身貴族。

 蓮とジェイが自宅に帰った日曜の夜23時46分。蓮の携帯が鳴った。すでにジェイは眠っている。「明日は月曜だから嫌だ」というのを無理矢理蓮が抱いた。だから怒って不貞寝だ。


「どうした、こんな時間に」

『部長! すみません、明日休んでもいいですか!?』

 明日の予定を考える。

「明日はまずいだろう、俺の引継ぎがまだ終わっていない。資料の最終確認の日だ」

『…………』

「野瀬。何があったんだ、事情があるなら話せ」

『あの……』

「お前らしくないな、さっさと言え」

『結婚します、明日』

「……もういっぺん言ってくれ」

『結婚するんです、俺が!』

「誰と?」

『受付の谷岡ひろ子です』

「お前たち、まだ続いていたのか? あの秋の社員旅行で言ってた子だろ?」

『はい、記憶力いいですね、相変わらず』

「明日ってなんだよ、決まってたんなら早く言えよ」

『さっき決まったんで』

「さっきって……」

『ひろ子から電話があったんです。あいつ退職したんですよ、去年。で、別れました』

「それでどうして結婚なんだ?」

『さっきの電話で……』

「で?」

『子どもが生まれたって……』

「…………なんだって?」

『生まれちゃってたんです、それも先週! 男の子だそうで、俺によく似てて』

「ばかもん!!」

 ジェイが跳び起きた。それほど蓮は怒っている。

「なにがあったの?」

 小声で聞いたけれど答えは無い。けれどすぐに話は分かった。

「だから明日結婚か!? 相手のご両親とか式とかどうなってるんだ!」

『明日来るって、俺の家に。責任取れって言ってるって……』

「……呆れてものが言えん。完全に『出来ちゃった婚』か……」

 ジェイが目を丸くした。その意味は分かる。出来ちゃった対象は、赤ちゃんだ。

(誰? 誰からの電話なの? 明日結婚って、……誰? 誰?)

「準備とかどうするんだ」

『明日、役所に行って結婚届出すことにしました』

「それで?」

『それでって……それだけです』

「ばかもん!!」

『すみません! でも他にどうしようも無くて……そのご両親の立ち合いの元で届け、出すんです。ひろ子は出産直後で動けないんで』

「お前の家族は!?」

『これから電話します。で、部長、改めて式とかなんとかは部長が退職してからになっちゃうんですけど出席してもらえますか?』

「してやるよ。だが野瀬、」


(野瀬さん!? 野瀬さんが『出来ちゃった婚』で明日結婚!?)

 ジェイは完全に目が覚めた。


「このことは明日俺が公表するぞ。いいな?」

『えええ、待ってくださいよ、それは俺が』

「俺の在職日数はあと僅かなんだ。明日は休ませてやる。だから公表させろ」

『そんな無茶苦茶な……』

「子どもの名前は?」

すすむです。俺の名前から取ったんだって、ひろ子が嬉しそうに言ってくれて。早く親子3人で暮らそうって電話でも話したんですよ』

「…………谷岡によろしく言ってくれ。ああ、野瀬ひろ子になるんだったな」

『照れます!』

「一人で照れてろ、俺は寝る! おやすみ!」

 ガチャン! と切った蓮に思わずジェイが飛びついた。

「すごいね! 『出来ちゃった婚』って、ホントにあるんだ!」

「なに、お前が喜んでるんだよ」

「華さんに電話したい! ね、いい? すぐ電話したい!」

「子どもか? お前は。こんな時間に電話なんてだめだ」

「じゃ、哲平さんは?」

「お前は第二の浜田か? やめとけ、そんなこと。明日俺が朝のミーティングで言うんだ、その邪魔をするな」

 変な理屈で、ジェイは「はい」と言わされてしまった。



「発表がある!」

 ミーティングが終わる直前。座ろうとしたメンバーたちがまた背筋を伸ばした。

「野瀬が今日結婚する」

「……………………なんつったんですか? 部長」

 哲平の頭は蓮の言葉を受付なかったらしい。そう言えば一番最初に突っ込んで来てもおかしくない華の声がしない。見ると絶句状態だ。蓮は大人げないが溜飲が下がる思いがした。

(夜中に驚かされたんだ、俺がみんなを驚かしてやる!)

「さらに報告だ、子どもの名前は『進』だそうだ。先週生まれた。それを野瀬が知ったのは夕べだ。今日は先方の親御さんと役所に届けを出しに行くので休んでいる。吊るし上げは明日だ、分かったな!? 以上!」

 仕事が始まっても酷く静かだった。蓮は気分が良かったのだがだんだん不安になってきた。

(やり過ぎたか?)

 つかつかと華が来て前に立った。

「相手、誰ですか」

「受付にいた谷岡ひろ子だ」

「うそっ!」

 叫んだのは橋田。

「別れたって聞いてましたよ、去年!」

 本格的にオフィスがざわざわしてくる。その雰囲気になぜかほっとする蓮。

「なんでいきなり結婚なの?」

 どうやら華は猛烈に怒っているらしい、言葉がすっかりプライベートモードだ。

「悪いがこれ以上は言えん。後は明日、野瀬に聞け」

「哲平さん、良かったね! 栄えある10人目は出来ちゃった婚の『野瀬進くん』だってさ!」

 哲平のキョトンとした顔がだんだん涙顔になっていく。

「華ぁ…… やった…… やった、華…… 千枝、10人だ、やった……」

 まさか泣き出すとは思わなかった華が慌てる。周りももう仕事どころでは無い。

(しまった! やっぱり言わなきゃ良かったか……)

 蓮は、最後の最後で大きなドジを踏んだような気がした。



「華月、華音、和愛。のせたんに赤ちゃんが生まれたぞ。男の子だって。和愛、後で父ちゃん帰ってくるから頼むな」

「何を?」

「お前の父ちゃん、会社でも泣きっ放しだったんだ、10人目が生まれたって」

「うわっ! とうとうやったんだね! かあちゃんも喜ぶよね!?」

「……そうだな、めでたいことなんだよな。どうして腹が立つんだろ」

「華おじちゃん、10人目が生まれて怒ってるの?」

 不安そうな声の和愛を膝に乗せた。

「違うよ、和愛。そうじゃないんだ。正式ルートじゃないって言うか……俺はそれなりに野瀬さんに敬意を払ってたんだ、それなのにこんないい加減な……何考えてんだよ、別れてから子どもが生まれました、結婚しますって、見損なったよ、俺……」

「華おじちゃん?」

「あ、ごめん! それとこれとは別だった。進が生まれたって言うのはすごく嬉しいよ。父ちゃんも本当に喜んでた。きっとここに連れて来るようになるよ。三人とも面倒見てくれるか?」

 華月にも華音にも、『10人目』という赤ちゃんがどれほど哲平おじちゃんに大事な存在か分かっている。

「うん! 早く来るといいね!」

 3人の上気した顔に華はちょっぴり罪悪感を持った。

(子どもは素直だよな…… 俺も少しはそうならないと。……無理だ! あの声でこんなこと嬉しそうに喋られたら、俺きっとキレる!)

 蓮と同じように華も理不尽だった。


「華月、父ちゃん、きっとしばらく騒ぐよね」

「僕もそう思う。僕は哲平ちゃんのそういうとこ、好きだよ」

「ホント?」

「ホントだよ! 和愛の父ちゃんだし。僕もお父さんと父ちゃんと二人いるような気がする時あるよ」

「華月の父ちゃんになるってこと?」

 ちょっと華月の頭がこんがらがる。

「そうなるかな……」

 微笑ましく聞いていた真理恵が余計なことを言う。

「とうちゃんが華月のとうちゃんになるには、和愛ちゃんと結婚しなくちゃね。それ、とうちゃんも喜ぶかな?」

 色白の華月が真っ赤になる。華音がそれを目ざとく見た。

「華月、『ぷろぽーず』っていうのを和愛ちゃんにするんだ! でもね、小学と中学校と高校を卒業しないとだめだって哲平ちゃんが言ってたからね」

 今度は和愛が赤くなった。

(あらあら。二人とも可愛い!)


 そう。二人とも高校を卒業して、18歳で結婚する。そして哲平47歳、華45歳でお祖父ちゃんとなるのだ。立て続けに生まれる子どもは4人。遠いようで近い未来。

 その頃にはみんなかなり変わっていることだろう。

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