39_お正月あれこれ[広岡家]

「明けましておめでとうございます」

「おめでとうございます」

 莉々の声に続いて椿紗も言う。

「おめでとうございます」

 当然の正月の挨拶をみんなで交わし、広岡は笑顔になる。莉々は腕の中に生まれて3ヶ月の女の子を抱いている。陽南子ひなこという。


 広岡は、自分の『真伸』妻の『莉々』から真莉とつけたかったのだが、両親から手酷く却下されてしまった。

『まぁくん、つけちゃえば? いいじゃない、父親が選ぶんだから』

 その『まぁくん』呼びを気に入らない両親は莉々に辛く当たる。本人はてんで気にしていないのだが、広岡としては可愛い莉々に申し訳ないのと、自分自身の不甲斐なさの板挟みだ。

 結局、両親の反対に屈しそうになり、数年ぶりの大パニックを起こした広岡を助けたのは勝子と彦助だった。

『真莉の次に付けたい名前はなんなの?』

 勝子の質問に広岡は答えるのを渋った。

『莉々に……聞いてもらえますか? 俺、どうしても『千代子』はイヤなんです。それ以外ならなんでもいいです』

 両親が要求している名前は『千代子』。両親の曾祖母『千代子』は大変聡明な女性だったそうだ。


『莉々はあんたが付ける名前なら何も言わないから』

 勝子に首を横に振る広岡に彦助が語った。

『男子たるもの! 引けぬところは引くんじゃない。この子を育て、守っていくのは誰だ? 大事な宝物への初めての贈り物を粗末に扱うんじゃない』

 危うく『三平』になりかけた哲平を救った彦助の心からの言葉だ。

『太陽のような温かい心を持った子どもにしたい』

 そして、『陽南子ひなこ』という名前が誕生した。その直後に広岡の両親が宇野家を訪ねたのを知ったのは、12月半ばだ。

『広岡家の血筋を汲む者に最高の教育を与えたいから手元に引き取って育てたい』

 勝子も彦助も簡単明瞭だった。

『冗談でしょ! 子どもは親が育てるもんです』

『真伸はいい父親だ。学問だけを身につけたロボットを望むなら、養子でも迎えたらどうですか? 悪いがあの子は私たちの孫でもある。両親不在で決めることでも無いでしょう。お引き取りください』

『父ちゃん、カッコいい!』

 話にならん、そう言って玄関を出る後ろ姿に勝子は塩を撒いた。それきり両者は絶縁状態になった。


「椿紗、陽南を頼むな」

「はい。陽南ちゃん、お姉ちゃんがいるからね」

「莉々、何かあったら隠さないで言ってくれな。お前が矢面に立つ必要無いんだから」

「もう、まぁくんったら! 兄貴に聞いてるよ、今年は仕事大変だって。家のことは心配要らないから、どぉんと私に任せといて! さ、楽しいお正月にしようね」

 言葉は出さず、広岡は頷いた。知っている。母から暮れに電話があったのだ。

『まったく、親が親なら娘も娘! 高卒なんか嫁にするから親戚に子どものお披露目も出来ない! 莉々さんにも言いましたけどね、せめて大学くらい出られなかったのかって。あの人の名前が子どもにつくなんて許しませんからね!』

 それが二度目の大パニックの引き金になった。


 穏やかな天気の中、初詣をして帰りに宇野家に寄った。堅苦しい挨拶は要らないと、すぐに彦助と酒を酌み交わす。広岡はこの宇野の家が好きだ。

 意外とのらりくらりとこの家で浮遊している、一見いかつい顔の彦助。現実的で正義が好きな勝子(あくまでも『自分流の正義が好き』)。この夫婦が寄り添うように相手に恋している姿は微笑ましいのと、不思議なのと。

(いいなぁ、こんな夫婦。この二人に育ったんだよな、哲平も莉々も)

充分納得がいくというものだ。


 彦助が潰れて、甲斐甲斐しく勝子がその世話をしながら広岡家族を元哲平の部屋に追いやった。哲平もここに泊まる時にはその部屋に寝る。いわゆる『ゲストルーム』だ。

 子どもたちが眠った後、莉々と二人で酒を飲んだ。大した量じゃない。時々こんな時間を過ごす。

「俺、決めたんだ。もう広岡の家と関わるのは止めようって」

「だめだよ、まぁくん! そりゃクセのある人たちだとは思うけど、まぁくんは一人っ子でしょ? いつか後悔するよ」

「俺には莉々が傷つく方が後悔になるよ。いいんだ、もう。きっとあの人たちが俺を理解することなんて無い。あの人たちの前じゃ、俺は一人前の男にさえなれないんだ。けど、俺は男として、夫として、父親としてお前たちを守っていきたい。莉々のせいじゃないよ。俺の決断だよ」

 莉々は広岡の頬を撫でた。

「辛いのはまぁくんだよね…… 分かった! 取り敢えずまぁくんが落ち着くまではそうしよう。それで改めて話し合おうよ。簡単に決めちゃいけないことだから。それにね、まぁくんが思ってるより私は図太いんだよ。何せあの兄貴の妹だからね」

 笑って言う莉々に釣り込まれるように広岡も笑う。

「確かに! 哲平を見てるとさ、俺気分が良くなるんだ。最初の頃は何度か思ったことがあったんだ、イヤなヤツだって。だって俺が真似できないような男だったからね。でも、あいつは存在するだけで勇気をくれるんだよな。今では本当にいい兄貴だと思っているよ」

 その時、椿紗の寝言が聞こえた。

「……かづき……」

 広岡の顔付が途端に引き締まった。

「それに俺には使命がある。広岡の家をどうのこうの言ってる場合じゃないんだ。椿紗を魔の手から守らなきゃならない!」

「まぁくん、それ、病気! まるで厨ニ病に見えるよ! あれだけ華さんのこと笑ってたくせに」

「あいつはただのマヌケだ。現実が見えていない。相手はジェイじゃないか! でも華月は年が離れてないからな。しっかり目を光らせておかないと」

 莉々に言わせれば一言で片付く。

(父親って、みんなマヌケ。まぁくんも変わんないよ)

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