36_お正月あれこれ[宗田家]

 お正月は3日まで、各家庭それぞれバラバラに過ごした。


 宗田家は華が骨折の後だということもあり、例年のスキー旅行は無しだ。それで一番文句を垂れたのは華だったが。

 その代わり初詣をみんなでした後、茅平家に挨拶に行き8時近くまで大騒ぎした。その足で宗田本家に向かう。さすがに5人家族で茅平家に泊まるのは無理だ。だから本家で元旦の夜を過ごした。華月も華音も朝からさんざんはしゃいだから、9時前にはあの天蓋付きのベッドで眠ってしまった。


「華くんのピアノ、聞きたい!」

 ほんのちょっとアルコールが入って上気した真理恵。風華も大人しく寝たから気持ちが解れ切っている。

「無理っ、長いこと弾いてないし」

「子どもの頃に一度聞いただけだもん、何でもいいから! チューリップでもいいから」

 いつの間にか夢まで期待で膨らんだ顔をしている。

「ミスるからね! 最初に言っておくから!」

 いやいやピアノの前に座る。けれど華にも多少ワインが効いている。


 弾き始めるまでたっぷり2分は目を閉じていた。その内ふわりと華の両手が上がる。激しい華の性格とはまるで違う優しいタッチでメロディが響き始めた。

韃靼だったん人の踊り……」

 夢が呟く。真理恵もこれはよく知っている。何度も華が聞いていたからだ。序章が指慣らしのように何度も繰り返されていく。良く知られているメロディが至ってシンプルに奏でられる。

 久しぶりのピアノはぎこちなく、拙いと言っても良かった。けれどメロディは途切れることなく繰り返し、徐々にミスタッチが消えていく。単調な弾き方が少しずつ変化し始めた。

 オペラ『イーゴリ公』の第2幕のこの曲は、奴隷女性が自由を祖国を思い描く歌から始まる。やがて君主のコンチャクハーン(=チンギス・カン)を讃える男声が曲を華やかに盛り上げていくが、なぜこの曲がこんなに華の心を掴んだのか、実は華も覚えてはいない。

 小さい時に母から聞いた話はそのエキスだけを華の中に残した。

『この女の人たちは大切なものを思って歌っているの。失ってしまったけれど取り返したいもの。この人たちはそれを求めているのよ』

 奴隷が自由を乞うる歌。それはいつの間にか、華にとって母を求める歌になっていたのだけれど。

 華の指は入り口から奥へ奥へと、曲の深みに入って行く。それは正確なメロディラインではないし、時にまたミスも生まれる。けれど音楽に向き合う華の姿勢は真摯だった。アレンジが深まる……


「おとうさん……」

 いつの間に起きてきたのか、真理恵の後ろに華月が立っていた。華は周りのことをすっかり忘れてメロディの中に埋没していた。真理恵は華月を膝に抱いた。初めて見る父の姿に華月は見入っていた。ふわりと静かに揺れる華の長い髪がその顔を時に隠し、そこに神秘的な美しさが生まれていた。


 20分以上も経って、華の手が止まった。自分の両手を見つめて現実に戻ったような苦笑を浮かべる。

「意外と弾けるもんだな。てんで下手くそだけど」

「華くん……すてきだったよ」

「ええ、聞けて良かった! 技巧なんてどうでもいいの、あなたの持つ音楽はとても素直で美しかったわ」

 泣いている夢の横で超愛が涙を流しているのを見て(参った!)という顔になる。

(絶対に絵を描きそう!)

 

「お父さん、僕、泣きたいような気分」

(冗談だろっ!)

 華は慌てた。

「華月、勘弁! お前までそんな風になって欲しくない!」

「華月は繊細なんだよ、華。分かってやってほしいんだ」

(繊細なのは父さんと母さんだけで充分だよ!)

 ついピアノを弾いてしまったことを後悔している華だった。

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