11_一人増えた

 クラスの発表を見て父哲平は心の底から喜んだ、

(華月と一緒か! やったな、和愛!)

 華月と和愛は1組。華音は一人3組になった。この3人ははっきり言って1年生の中で浮いている。

 しっかり者の和愛はクラス全員(華月を除く)が子どもに見える。入学式の後、親と離れて整列しただけで泣き出した子を見た時には本当に同じ年かと疑った。自分だって泣く時はある。けれど知らない者ばかりの中で泣くなど、有り得ないことだ。

 華月は冷めていた。クラスの中を見渡して、自然と友だちになれそうな子、平たく言えば感覚が似た子を探した。そして華月の出した結論は(この連中、面倒くさそう)だった。

 華音に至っては、何しろ恋する相手はジェイだ。男の子は全部ガキにしか見えない。包容力が無い、思い遣りが無い、気遣いが足りない、頭が足りない。

 要するにみんな、知らぬうちに華、哲平、ジェイ、広岡、池沢、ぶちょーさんと比べていた。子どもではあるけれど基本的に思考水準が高い。女性に至っては、真理恵、ありさ、莉々。さらに、三途川一家の存在、宗田超愛、夢夫妻。尋常ではない人間が周囲に多過ぎる。

 こうなるとこの関係図は弊害にしかなっていないもかもしれない。


 和愛は困っていた。同じクラスにいる男の子がやたらと絡んでくる。急に教科書を引っ手繰られたり、使っている消しゴムを遠くに投げられたり。

(なんか華月に似てる)

そうは思ったがケタが違う。けれどそれより何より困っているのは華月の反応だ。

 その男の子は木下ゆずるという。早くもクラスの問題児として担任に注視されているが、矛先ほこさきが和愛に向かっているのは間違いない。

 敏感に反応するのは華月だ。あれだけ和愛にちょっかいをかけてきたのに、譲が和愛に何かをするととうとう間に立つようになった。

「拾って来いよ、消しゴム」

「なんのこと?」

「お前が投げた和愛の消しゴムだよ」

「『かずえ』だって! お前ら『こいびと』ってやつ?」

「それとお前が消しゴム投げたこととは関係無いと思うけど」

「お前、偉そうだな」

「そりゃどうも」

 華月の声が低くなる。他のクラスメートには聞こえないほど。

「いいから拾って来いよ、消しゴム」

 そのまま冷ややかな目で自分より身長の低い譲を見下ろした。少し睨みあったが、一歩も引かない華月の様子に廊下に投げた消しゴムを取って来た。

「和愛に返せ。謝れよ」

 どうやら譲にはそこまでが限界だったらしい。手渡しではなく、和愛に投げつけた消しゴムは顔に当たった。目の近くを押さえた和愛を見た途端に華月は譲を押し倒した。

「華月、華月、やめて! いいから、私大丈夫だから! 華月!」

 和愛が必死に止めて、華月は相手から手を離した。周りも見ずに和愛の顔を調べる。

「ここ、痛くないか?」

「平気。そんなに痛くないの。ケンカ、やめて」

「和愛がいいって言うなら」

 一気に華月の人気が上がった。何しろ、女の子を守るためにケンカをするというのがカッコいい。まるでテレビを見ているみたいだ。しかも華月はあの華の容姿を色濃く受け継いでいる。髪の生え方も同じで、頭が動くたびにふわふわと髪が舞う。

 現実的な和愛にしてみれば、これ以上騒ぎを大きくしてほしくなかった。ああいう男の子には近づかずに無視することにした。

 和愛もまた、男の子たちには人気があった。千枝似の明るい笑顔。困ったことがあると真っ先に動いて親身になって考えてくれる。


 華音は女の子とケンカをしていた。クラスメートの町田友香ゆか。可愛くて幼稚園の頃から男の子たちにちやほやされてきた。それが華音と同じクラスになった途端に変わった。男子の人気をあっという間にかっさらった華音が憎らしくてしょうがない。

「『かのん』ってどんな字を書くの?」

「『はなおと』って書くのよ」

「鼻の音? 鼻水の音ってこと?」

 大きな声で言う友香に華音は大きなため息をついてやった。

「『鼻』って、『か』って読むの? 後で先生に聞いてみるね。でもね、ウチのお父さんもお母さんもそんな名前を思いつくようなバカじゃないの。それ聞いたらお父さん、きっと大笑いすると思う。可笑しなこと言う子がいるんだなって」



「華くん…… 華くん!」

 夜中の切羽詰まった真理恵の声に華は飛び起きた。時計を見ると1時近く。

「マリエ? どうした?」

「陣痛、始まった…… お願い」

「分かった!」

支度はもうしてあった。こんな夜中でもすぐに病院に行けるようにと。病院は双子が生まれたところだ。今度は子どもは一人だ。

「華月! 華音! 支度しなさい、茅平の家に行くぞ!」

 前もってこのことは説明しておいた。いつになるか分からないけれど、赤ちゃんが生まれる時には二人は茅平の家に行くことになるのだと。

「赤ちゃん、生まれるの!?」

「妹!?」

 聞いていたのは女の子だ。でも100%というわけじゃない。華月は男の子、華音は女の子がいいと思っている。

「今は約束できないな。学校にはお父さんか誰かが送っていくから。明日の用意、出来てるよな?」

「はい」

「はい」

「じゃランドセル持っておいで。着替えは茅平の家にもあるから気にしなくていい」


 病院に連絡して、茅平の家と宗田の家に連絡を入れた。茅平の家は落ち着いていたが、宗田の家では電話した途端に大騒ぎになってしまって華は電話を途中で切った。

 取り敢えずまっすぐ病院に行き、真理恵がベッドに落ち着くまでそばにいた。お産そのものはまだ時間がかかると聞いたから茅平の家に双子を預けて病院に戻った。

「お産は多分明日の午前中になりますよ。ご連絡するのでいったんお帰りください」

 双子の時は何があるか分からなかったから華はずっと真理恵のそばにいたが、普通のお産はこういうものだ。真理恵は夫立ち合いのお産を拒んでいたし、仕方ないから家に帰った。

 いても立ってもいられない。一応メールだけ、と部長と哲平にシンプルな連絡として送ったが、すぐに電話がかかって来た。

『明日休むだろう?』

 部長だ。

「でも、今取り掛かったばかりのものが」

『華。休むだろう? 真理恵さんをそのままでお前に仕事が出来るのか?』

(痛いとこ、突いてくるんだから)

電話のこっちで顔をしかめた。

『今、イヤな顔してるだろう』

「なんで分かんですか」

『長いつきあいだからな。生まれたら教えろ。おやすみ』


 切った途端に次の電話が鳴った。

『こんな大変な時になに呑気に電話してんだよ!』

「哲平さん、声、でかいって!」

 携帯を離して喋る。

『ああ、悪い……真理恵は? もう病院か?』

「うん、帰ってきてすぐにメールしたんだよ。さっきは部長から、明日休めって」

『当たり前だ! 仕事は俺が見といてやる。お前んとこの面倒くさい新人……神崎だっけ? あいつに仕事の心得ってのを叩きこんどいてやるよ』

「助かる。あいつのことは誰かに任せたかったから。ジェイがよくやってくれてんだけど、あいつ甘く見てんだよ、ジェイのこと」

『ああいうのを怒らせると怖いんだって分かんないんだろうな。とにかく仕事のことは忘れろ。いいな?』

 これでやることは無くなったのだが、今はまだ3時半。立ったり座ったり。そんな夜を過ごし、病院の開く時間を見計らって家を飛び出した。



 1年1組と3組でちょっとした騒動が起きた。知らないおじさんとおばさんが4時間目の途中に前のドアから入って来たのだ。

「こんにちはー」

「こんにちは」

 先生が驚く。

「あの、どちらさまでしょうか」

 年齢不明のとんでもなく綺麗な二人。

「私、夢と……」

「夢お祖母ちゃん!」

 他の子たちが顔を見合わせて騒ぎ出した。

「ベビーが生まれたから迎えに来たのよ」

「マイボーイが来る暇が無いだろうと思ってね、私たちが来たんだよ」

 もう先生のことなど眼中にない。

「どっち? 男の子? 女の子?」

 華月が目を輝かせて聞く。

「華に似た美しい子だよ。つまり、君そっくりの女の子だ」

 みんなには目の前の光景が自分たちと同じ世界には見えない。呆気に取られていた先生がやっと担任としての言葉を拾い始めた。

「あの、ご両親がご承知でお迎えにいらしたんでしょうか?」

「まさか! せっかくのサプライズなのに! 真理恵もきっと子どもたちの顔を見たら喜ぶ」

教室の前方で問答している間に華月は帰り支度を始めた。

「和愛、お前も」

「私?」

「帰りどうするんだよ。一緒に帰ろう」

「ちょっと待ちなさい、二人とも」

 華月には分かっている。先生はまさなりお祖父ちゃんにも夢お祖母ちゃんにも絶対に勝てない。

 家族愛を説かれ、生命の誕生の賛辞を聞かされ、人生の美しさを語られる途中で先生は負けた。同じように華音も引き取る。教師たちは困り果てた。

「何かあっても、これじゃ私たち責任を持てないです」

「責任? おお、そんな不自由な檻に捕まってはいけないよ。小さな子どもへの教育という尊い仕事を授かっているんだ、もっと自由で伸びやかな心を持ちなさい。『責任』というおもりを自分に括りつけてはいけない」


 病院に行くと、華も真理恵も驚き過ぎて本当にサプライズになった。華は慌てて学校に電話を入れる。

「はい、はい、すみません。華月も華音も和愛も今私の手元におります。ご心配をおかけしました」

 真理恵も二人に話した。

「まさなりさん、ゆめさん。この子たちの学校のことは私と華くんで決めていきたいんです。お願い、何かするなら前もって言ってほしいの」

 二人の目から涙が零れる。

「それでは私たちはもうサプライズをしてはいけないんだね?」

「そうじゃないの、まさなりさん……でも学校には」

 どう伝えればいいか分からない。

「お母さん、僕が考えるよ。今日はどうしても赤ちゃんを見たかったの。ごめんなさい。でも今度からちゃんと考えるね。分かんなかったら電話する」

 華月のお兄ちゃんらしい態度に華は感動したし、真理恵も目を細めた。そして和愛の目には華月が頼もしく見えた。


 可愛い女の子だった。父と母を重ね合わせたような。目元は茅平の時恵に似てくりっとしている。今病室を切り取って写真に収めたらカタログの表紙にだって使えるだろう。超愛は家に帰ったら早速絵を描くつもりだ。

風華ふうか

 新しい妹の名前。あらかじめ真理恵が考えていて、華の了解よりも超愛と夢が飛びついた。

「華月、華音、風華……なんて美しいんでしょう! メロディが見えるわ、名前の中に」

「本当に美しい! 真理恵! 君は名前を考える天才だ!」

 手放しで喜ぶみんなの顔に華は勝負するだけ無駄だと思った。

(もし! もし今度男の子が生まれるなら絶対に俺が決める! 絶対に『華』なんかつけない!)


 電話の向こうからオフィスメンバーの『やった!』という歓声が聞こえた。すぐにスピーカーに切り替わる。

『どっち!?』

 柏木だ。

「柏木さん、芽緯かいには会わせないからね」

『ということは女の子か! 芽緯はハーフだからハンサムだぞ』

 柏木はあのままベルギーの彼女、アナベルと結婚した。1月に生まれた息子が芽緯だ。

「そんな話はいいの。あ、哲平さん、和愛、俺んとこに連れて帰るから安心して」

『おぅ、頼むな』

 わいわいがやがや。今日はオフィスも宗田家も茅平家も宗田祖父母家も、賑やかな一日となる。


「蓮、風華ちゃんで7人目だね」

「そうか……哲平の周りにはもうそんなに子どもがいるんだな」

「うん。あと3人で10人だよ」

「今日はまるで自分の子どもが生まれたようなはしゃぎっぷりだった」

「きっと自分の子どもだと思ってるよ」

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