05_ピンポンダッシュ

――ぴんぽん  ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん


 玄関のチャイムが鳴った、それもけたたましく。

「はーい」

 ジェイが立ち上がる。宗田家では普通のことだ。大した用じゃ無ければ全部ジェイが動く。

「どちら様ですか?」

 聞きながら開けると誰もいない。

「誰かいますか?」

 やはり返事は無く、周りも静かなもんだ。


 華のところに戻る途中で、足元に抱きついて手を伸ばしてきた華音を抱き上げる。ジェイの首にしがみつく華音の頬に ちゅっ として、華の元に行った。首にはしっかり華音の両手が巻きついている。

「どうだっ…… 降りなさい! 華音!」

「華さん、怒り過ぎだよ。ただ抱っこしてるだけだって」

「その『抱っこ』が問題なんだ! 華音!」

 ますますジェイにしがみついて華音は泣き出した。

「やだもん、ジェイくんがいいもん……嫌いだ、華くんなんか」

 慌てた華父。

「華音、怒ってない、怒んないよ。だからおいで。ジェイおじちゃんだって困ってるよ」

「本当? 華音がそばにいると困るの?」

「困んないよ! でも、お父さんがおいでって言う時は行かないと」

「やだ! ジェイくんの抱っこが華音は好き!」

(そろそろ華さんの顔が引き攣っちゃうよ!)

ジェイは華音を下ろそうとしたがそう簡単に華音は剥がれない。

「華音ちゃん、あのね」

 耳元に小さな声で囁く。

「トイレ、我慢してるんだよ。だから下りてもらってもいい?」

「……うん……お漏らししたら恥ずかしいもんね」

「うん、恥ずかしい。だからお願い」

 華音はジェイの頬に ちゅっ とした。

「ジェイっ!」

(来た!)

 素直に華音が下りる。

「ジェイ、座れ!」

 華父の理性がふっ飛んでいる。

「だめ! ジェイくんは座れないの!」

「なんで!」

「お漏らししちゃうから」

「華音ちゃん!」

 あ! という顔をする華音。

「ごめんなさい、ジェイくん……内緒だったのに……」

 なんとなく華は事情を察した。自分のためにジェイはそう言ったのだと。

「行けよ。途中で漏らすなよ」

「バ! 華さんのバカっ!」

 足音高くトイレに入ったジェイを見送って華音は華父を睨んだ。

「華くん、サイテー」

「華音!」


 トイレで深呼吸のジェイ。

(漏らさないよっ! 華さん、酷いよっ!)

華のために嘘をついたのに。そのトイレをノックされた。

「入ってます」

「知ってる」

 華だ。

「悪い。さっきはごめん。ありがとう、華音を下ろしてくれて。キスなんかされてるから腹が立った」

 ジェイがトイレのドアを開けて恨みがましい顔で華を見る。

「腹が立ったって…… 華音ちゃんはまだ6歳だよ? あんなキスなんて挨拶にもならないよ」

「おい、ウチはお前みたいに西洋かぶれしてないんだからな。もうキスは禁止だぞ。自分で防衛しろ」

 取り敢えず、華が本気でジェイが漏らすとは思ってないと分かったが。

(俺、大人だからね! お漏らしなんかしないんだから。それに西洋かぶれしているのは髪と目だけだよっ!)


 その時また ぴんぽん ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん とチャイムの音。

「誰だよっ!」

 華が玄関に立った時、また ぴんぽーん と鳴る。

「いい加減にしろっ!」

 開けると同時に怒鳴った。

「おい、どうしたんだよ」

「こんにちは、華さん! なんで怒ってるの?」

「広岡さん……莉々さんも、さっきチャイムかなり鳴らした?」

「かなりって、たった一回だけど」

「どうしたの?」

「ぴんぽんダッシュしていくヤツがいるんだ」

「わっ、懐かしい! 私も小さい時兄貴とずいぶんやったよ」

 莉々が嬉しそうに言う。

「こんにちは、華おじちゃん」

 玄関から上がった椿紗がきちんと挨拶した。

(この雰囲気、広岡さんの娘って感じだ)

 華はしゃがんで椿紗と同じ目線になった。

「椿紗ちゃん、『華お兄ちゃん』。前にも教えたでしょう?」

「華お兄ちゃん」

「そうそう」

「でも、パパがそう呼んじゃダメって言うの。正しくないって」

「広岡さん、娘になに教えてんですか」

「男が30過ぎて『おにいちゃん』はないだろう? なに、儚い抵抗してるんだよ」

 広岡が真面目な顔で言うから、本当に自分が無駄な抵抗をしているような気がしてくる。

 華音が走って来た。

「椿紗ちゃん!」

「華音ちゃん! 遊びに来たの、後で和愛ちゃんも来るって」

「知ってるー、あっちに行こ!」

 走り出そうとして椿紗は父を見上げた。

「行っていいよ。でも走らないで」

「はい」

 女の子二人がお喋りしながら歩いていく。どうやら華音の怒りは治まったらしい。

「やっと安心出来る! やっぱり女の子は女の子と遊んでなくちゃ!」

「その様子じゃまたヤキモチか?」

「ジェイが悪いんですよ、人の娘にちょっかい出すから」

「ちょっかいなんか出してないって! 広岡さん、いらっしゃい! あ、莉々さんも」

「華月くんはいないの?」

 広岡は男の子と遊びたい。

「マリエの買い物についてったんだ。何か一つでも持つって。でもその分幾つか増える気がするんだけどね」


 そこにまた、 ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん


「……犯人、分かった」

 華はドアを開けて怒鳴った。

「哲平さんっ! うるさいよ、どうせその辺にいるんでしょ」

 少しして出てきたのは和愛。申し訳なさそうな顔をしている。

「ごめんなさい、父ちゃんがうるさくて」

 和愛は本当にしっかりしている。あの父だからそうならざるを得なかったのかもしれない。物心ついた頃の父はひびの入った曇りガラスだった。今は元の強化ガラスに戻るためのリハビリ段階にはいっているが。

 どちらにしろ哲平は娘に苦労をかけている。特に今は余計な苦労を。


「和愛が謝ることじゃないよ。どこに行った? 問題児は」

「逃げました」

 華は大きなため息をついた。

「入って、今日は椿紗も来てるよ」

「本当!?」

 やっと子供らしい声を上げる。華は笑顔を見せた。この子にだけはいつまでも笑っていてほしい。

 まるで靴を放り投げるように脱いで奥に走って行くのを微笑ましく見送って靴を揃えた。そして外に出る。哲平の姿は見えない。

(ご機嫌取りにビール買いに行ったんだな?)

きっと文句は言うけれど、華は自分がすぐに許すのが分かっていた。

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