第29話 部屋

 辛かった。毎日ただだらだらと自分の部屋で寝ているだけの怠惰な日々。なんのストレスもなく、楽な生活のはずだった。でも、辛かった。堪らなく苦しく、辛かった。

 純はどうしていいのかも分からず、どう自分を立て直していいのかも分からず、すべてから逃げるようにして家に引きこもっていた。

 何かをしなきゃ。何かをしなきゃ。何とか・・、何とかしなければ・・、純は焦る。だが、焦れば焦るほどに焦りだけが空回りし、結局何もできない。

 何かをしようと思っても、このままじゃだめだと思っても、何もやる気が湧いて来ない。なんの希望も見えてこない。まったくの無気力で何もする気が起こらない。なんでもいい、何でもよかった。とにかく何かを、何かを・・。だが、何も見えなかった。何も見えてこなかった。

 ずっと部屋に引きこもっていると、常に心が不安定で、不安だった。足場のない、着地点のない、ふわふわとした不安の中空をいつ果てるとも分からず漂っているようだった。

「なんだこれ・・」

 純は今自分が置かれている状況すらが分からなかった。

「なんなんだよこれ」

 純は頭を抱える。ただ、ズルズルと落ちていく自分をとめられなかった。

 自分がなんなのか、自分が一体どうなってしまっているのか、まるで盲目の中で、真っ暗な宇宙を彷徨っているような孤独と不安が純を覆い、包みこんでいく。とにかく、辛かった。何がどうなっているのか、ちょっとでも答えが欲しかった。出口が欲しかった。自分がなんなのか。どうなってしまったのか。どこに立っているのか。どうしたらいいのか。この訳の分からない状態の答えが欲しかった。 

 ただただ、堕落した無駄な日々が流れていく。何もかもが虚しかった。生きていること自体が虚しかった。何をしていいのかも、どうしていいのかも、自分が何なのかも分からなかった。何も分からなかった。とにかく漠然とした苦しみがあった。なぜ、自分がこんな状態になってしまったのか、それすらが分からなかった。とにかく、何もかもが分からなかった。

 昼夜逆転した夜。繰り返されるたった一人冷たく孤独な夜――。

 長かった。永遠にも思える堪らなく辛い時間。朝までのその時間が、純の中に堪らない絶望を膨らませていく。それが毎日毎日夜になると必ずやって来る。

 言葉にできない耐えがたい苦しみだった。堪らない苦しみの感情が純の心の奥底から滲み出るように湧き上がって来る。

 深夜部屋で一人ポツンといると、社会の価値観から世界中で純だけがたった一人だけ取り残されている気がした。自分だけがたった一人置いて行かれている気がした。自分は世界で一番ダメな人間に思えた。恐ろしいほどに、どうしようもないダメな人間に思えた。

 同級生たちは、みんな立ち止まることなく自分の道をしっかりと進んでいる。純は、今も学校に通う同級生たちに、堪らない焦りと劣等感を感じた。

「俺はなんてダメな人間なんだ」

 惨めだった。堪らなく自分が惨めだった。

「俺はダメだ。ダメ人間だ」

 浮かんでくる言葉は、自責の念ばかりだった。 

 部屋の中にずっといると、ありとあらゆる思いと苦しみが純を襲った。これでもかこれでもかと、襲い来る苦しみと、自責の念。それは終わりのない無間地獄のようだった。

「ううううっ」

 純は明けぬ夜に一人頭を抱えた。

 

「お前いつまでいるんだ?」

 楢井が、練習試合のボールボーイをしている日明を、その横に立ち、チラリと蔑むように見下して言った。

「・・・」

 日明は黙ってそんな楢井を見返した。

 楢井は最近露骨に日明を疎んじるようになっていた。早く退部しろよとも聞こえるようなことを平気で言うようになっていた。事故直後こそ、日明の才能を必要として、サッカー部に残した楢井だったが、高津弟が東岡サッカー部に入って来てからは、その態度はがらりと変わっていった。

 楢井は、高津弟を重用し、一年でありながらレギュラーに抜擢すると、彼を中心にチームを作り始めた。その入れ込みようは、他の部員たちに異様に映るほどだった。

「高津高津高津」

 楢井の口からも聞こえる言葉はそればかりだった。

「・・・」

 しかし、日明には、高津弟がそれほどの選手とは思えなかった。確かに類まれなる才能と体格と身体能力はあった。身長も高一で百八十五あり、体も筋肉質でフィジカルも強かった。しかし、それが卓越して他者から抜きん出ていたのは中学年代での話で、高校年代でそれがそのまま通用するとは思えなかった。

 彼の、プレーのよさを作り出している基本は、その体格と身体能力にあった。それがあるからこそ、彼は相手をそのフィジカルで抑え、自分の空間を作り、そこで自分のやりたいボールコントロールが出来ることで、自分の思い描いたプレーをピッチ上で表現出来ていた。

 しかし、いくら力があるとはいえ、高校年代では、それほどの突出した周囲との力の差はなくなってくる。高校生になれば、当然みな体も大きくなるし、筋力も上がって来る。そして、体の大きな選手もフィジカルの優れた選手も多くなる。必然的に彼の能力が、十分にピッチ上で発揮され難くなる。実際に、ピッチ上で中学時代ほどの圧倒的力を彼が発揮しているとは言い難かった。日明はそれを見抜いていた。

 しかし、楢井は、年代別の日本代表に選ばれたというその肩書に目がくらみ、そのことにまったく気づいていなかった。実際の選手の力を見抜く力が、楢井にはまったくと言っていいほどになかった。しかし、その自信がどこから来るのか、楢井自身は自分が、選手の力量を見抜く目が卓越してあると思い込んでいた。

 日明は、そのことに暗澹とする思いだった。これからの自分のサッカー人生が、この男に握られていると思うと、絶望しかなかった。

 

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いつか失った夢の名残り 第2章(青春挫折篇) ロッドユール @rod0yuuru

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