第26話 一人の夜
医者も担任や親と一緒だった。とにかく何とかして純を学校に行かせよう行かせようとする。いくら純が、もう無理だと訴えても医者も聞く耳を持たず、説得しようとする。
不登校はこの今の日本社会では罪だった。何も悪いことをしているわけではないのに、それは大罪であるかのようにして扱われ、それが当たり前に信じられていた。ただ、学校に行っていないというだけで、世間の目は、純を犯罪者のように見つめる。だから、その悪い行為をやめさせようやめさせようと、ありとあらゆる大人たちが、あらゆる角度から、そういう方向で動き出す。そのことに純は辟易していた。
「いつから、自分がおかしくなったと思いますか」
「サッカー部を辞めてから・・」
「じゃあ、戻ればいいんじゃない?」
純の目の前に座る女医はかんたんに言った。
「・・・」
それができれば苦しみはしない。
純はこの人はダメだと思った。結局、医者が言うことはどれも理屈や正論ばかりで、具体的に現実の純の苦しみにはなんの役にも立たなかった。その日以来、純は病院に行くのをやめた。
診察で、死にたいと言った日から両親は純に何も言わなくなった。学校に無理やり連れていくこともなくなった。
そのことにホッとする純だったが、精神病院にも行くのもやめ、純はまただらだらと不登校を続ける中途半端な状態に戻っていた。
純はただ家に引きこもり、タバコを買いに行く以外、外にまったく出なくなった。
当時まだ引きこもりという言葉すらがなかった時代。純は、一人部屋に閉じこもり、昼夜逆転した深夜、自分がどういう存在なのかさえ分からず、不安と孤独と絶望に苛まれた。
同級生たちはみんなそれぞれに、それぞれの道をがんばって邁進している。しかし、今純は何も出来ず、ただただ怠惰で自堕落な生活に身をやつしていた。しかし、出口も見えずどうしていいのかも分からなかった。端からは楽しているとしか見られていないが、内実は抜け出せない苦しみの中で純は溺れ、もがいていた。
純はタバコに火をつける。純はタバコを吸い始めていた。サッカーをやっていた時はタバコを吸うなんて考えたこともなかった。タバコが体に悪いことぐらい十分に知っていた。サッカーをやっていたし、サッカーがうまくなりたかった。だから、体のことを常に考えていた。父が吸うタバコすらも嫌な気持ちがした。それが、今自分がそれを吸っている。しかし、落ちていく自分をとめられなかった。とにかくとめられなかった。ちゃんとしようという思いとは裏腹に、自暴自棄になっていた。もう自分の体すらどうでもよくなっていた。
純が夕食後、ちょっと、近くのコンビニに切れたタバコを買いに行った時だった。
「・・・」
そこに山田勇一がいた。彼とは小学生時代、少年野球で一緒だったしクラスも一緒だった。小学生の頃、純は本当はサッカーがやりたかったのだが、少年サッカーなど、数も少なくどこで何をしているのかすら分からない存在だった。仕方なく、野球など微塵もやりたくはなかったのだが、兄がやっていたこともあり、純は少年野球に入っていた。
中学もクラスこそ違えど、同じ中学だった。
「よう」
純は、山田に声をかける。だが、彼はただにやにやと笑っているだけで、それには答えようとはしなかった。狭い田舎町。純の今の現状のことも知っているのだろう。そういう目をしていた。
コンビニを出て一人夜道を歩く純。たまらない劣等感と屈辱感が純の胸を襲った。山田のあのにやついた顔が頭から離れなかった。
彼は、勉強もできて、野球もうまかった。進学校に進み、慶応に推薦という話もあると聞いた。
一方自分は不登校、高校中退で、引きこもりだった。純は、堪らない惨めさを感じた。
暗闇にボールの蹴る音だけが響き渡る。ボールを蹴って蹴って、思いっきり蹴り続け、もう完全に疲れ力尽きた時、日明は真っ暗な校庭に大の字に寝っ転がった。日明は大きく息を吐き、胸が大きく鼓動する。日明の真上に丁度月があった。
「・・・」
それを日明は黙って見つめる。
「まじめに練習出ろよ」
「ああ、来週からな」
「俺はマジで言ってるんだぜ」
隆史とのやり取りが目の前に浮かぶ。
「お前は確かにうまい、才能もある。でも、やっぱり、練習はちゃんとした方がいい。食事も生活習慣もちゃんとした方がいい」
「お前は俺の母ちゃんかよ」
「俺はマジメに言ってんだぜ。ふざけないでまじめに聞けよ」
「はいはい」
「今が一番大事な時だ。成長期。一番今が伸びる時なんだ」
「・・・」
「俺はお前がどこまで行けるか見たいんだ」
「お前だって」
「俺はお前に比べたらただの凡人だ」
「そんなことねぇだろ」
「俺が行けるとこなんて高が知れてる。でも、お前は違う。お前はどこまででも行ける」
「・・・」
「お前が本気で練習して、中学の時みたいに真剣にサッカーに取り組んで、その先が俺は見たいんだ」
「・・・」
「俺はもしかしたら、本当にお前はプロになれるかもしれないって思ってるんだぜ。日本人初のプロサッカー選手。お前が本気になって、本当に努力すればそこまで行ける人間なんじゃないかって、本気で思うんだ」
「・・・」
日明は隆史とのやり取りを回想していた。あの時、隆史はいつになく真剣な目をしていた。その剣幕に、日明もたじろいだくらいだった。
「・・・」
日明も思い始めていた。自分がどこまで行けるのか。自分がどこまで行ける人間なのか見たくなっていた。
「・・・」
日明は静かに光る丸い月を見つめた。
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