第22話 社会人サッカー

 神さまはいない。今日もただ無為に横たわるベッドの中で純は思った。

 サッカーに対する情熱は誰にも負けていないつもりだった。人一倍練習も努力もした。でも、それが報われることも認められることもなかった。逆にそれは理不尽に踏みにじられ、純の純粋な思いは、無惨に壊された。

 そして、今、学校にすら行けない屍のような自分がいる。それが純の今の現実だった――。


 西谷に教えてもらった通り、部活が終わった後、隣り町にあるその企業の私設グラウンドに行くと、ナイターの明かりの下、確かにそこでサッカーをしている人たちがいた。

「初めまして」

 恐る恐る日明はその人たちに近づいて行き、声をかける。

「ああ、日明くんだね」

 その中のリーダーらしき、痩せた理知的そうな人が日明に気づく。

「はい」

「よろしく、西谷から聞いているよ」

「小川さんですか」

「うん」

 西谷に紹介してもらった小川はいい人そうだった。日明はほっとする。

「今日はよろしくお願いします」

「うん、じゃあ、あっちで着替えて」

「はい」

 小川の指さしたグラウンドの片隅で着替えを済ませスパイクを履くと、日明は練習の輪に加わった。グラウンドには七、八人しかいなかった。やはり、今の時代サッカーをやる人間は少ないのだろう。日本のサッカー環境は厳しかった。

 軽く体を動かしボールをいじり、パス交換などをして体を慣らすと、二手に別れ、ミニゲームが始まった。

 初めての大人に混じっての練習だった。体は大きくなったとはいえ、まだまだ大人に比べてまだまだ線が細い日明だった。だが、大人たちの中に混じっても遜色ない動きはできた。

「おおっ」

 日明のプレーに、周囲の大人たちからどよめきが起こる。社会人と言ってもそれほどレベルの高い人たちではなかった。その中で、日明の足技は、やはり、抜きん出ていた。

「お前うめぇな」

 大人たちの一人が驚きながら日明に声をかける。

「どんな動きしてんだよ。お前」 

 隣りの男も驚きながら言う。

「はい、はははっ」

 日明は照れ笑いをしながら答える。

「お前才能あるよ」

 また別の一人が声をかける。

「ブラジル人みてぇだな」

「よくそんな技覚えたな」

 みんなしきりと日明の足技に感心する。

「お前試合出れないんだって?」

 最初に声をかけた男の人が日明に言った。

「は、はい、まあ・・」

 ある程度のことは、西谷が伝えていたのだろう。

「何でお前が試合出れないんだよ」

「は、はあ・・」

「お前んとこの監督頭おかしいな」

「・・・」

 日明は何も言えず、言葉を濁すしかなかった。この時、日明に事情を説明する勇気はなかった。だから、日明は、言葉を濁しそのまま黙っていた。大人たちもそれ以上詳しく訊こうとはしなかった。

 そして、ミニゲームは続く。日明は久々の試合形式の練習に、水を得た魚の如く動き回る。しかし、いくらうまくてもフィジカルはやはり大人には適わなかった。そこで日明は苦戦する。フィジカルの差は、技術を飛び越えてやはり、大きなハンデになる。柔道で言えば、軽量級と中量級が戦っているようなものだからだ。

 だが、そのマイナスを補って余りある技術と才能を日明は持っていた。日明はすぐにそのフィジカルの差に慣れ、それに技術的に対応し出す。なるべく体をぶつけられないように距離をとりながら、動きとスピードで自分の技術を発揮できるスペースを作った。社会人の大人たちは、その技術の高さと対応力にさらに驚く。

 緩い練習の中でのミニゲームだったが、日明は久々の試合形式のボールタッチに、興奮し、歓喜した。少年相手では得られない体験だった。日明は、体が、その芯からサッカーを望んでいたことを実感していた。ボールを触るその一つ一つが、喜びだった。幸せだった。日明の体がサッカーのできる感動に震えていた。

 その日、久々に思いっきり汗をかき、充実した気分で日明は家路についた。

 サッカーが楽しかった。幼い子どもの時に感じていたあの熱い興奮が日明を、覆っていた。楽しかった。サッカーがただ純粋に楽しかった。

 サッカーの楽しさに、あらためて日明は気づいた。サッカーのできない日々が、日明にそのことを気づかせくれていた。

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