第2話 隆史の葬式

「・・・」

 日明は、小さい頃から通いなれた隆史の家の玄関を静かに上がった。今まで自分の家のように、なんの躊躇も遠慮もいらない無邪気な感覚で踏みしめていたその場所に、今までとはまったく違う、別の世界の異質さがあった。そのことに日明は違和感を感じる。

 玄関には多くの靴が並んでいた。台所から多くの人が動き回る声や気配がある。多くの人が集まり葬式の準備が進んでいた。

 日明はそのまま、ゆっくりと廊下を奥に歩いて行き、平屋の奥の仏間に入る。隣りの和室と襖を取り払って二つの和室を繋げ、広くなったその部屋の奥に隆史の遺体の入った棺が置いてあった。親戚や、仲のいいご近所の人たちがその部屋に何人かすでに集まっていた。日明と同じ制服姿の人間もちらほらと見えた。隆史の同級生たちだろう。

 日明はその中を進んでいく。棺の前に、隆史の母親が座っているのが見えた。その姿は呆然と無気力にうなだれ、魂が抜けたみたいだった。それは、日明が知っているおばさんではなかった。

「もっと奥へ行って」

 事情を知らない隆史の親戚のおじさんの一人が、日明を同級生だと思ったのだろう、日明にそう声をかけ、奥へと促す。その声に、その場にいた、隆史の親戚や近所の人、友人知人が、一斉に日明の存在に気づき、見る。

 一瞬で、その場の空気が変わった。その場にいたすべての人が、日明を突き刺すような視線で見つめた。日明はそんな視線の中を、ゆっくりと、和室の奥へと歩き、隆史の母の前まで行った。

 日明は隆史の母の前まで行くとおずおずとその前に正座して座った。そんな日明をその場にいた全員が見つめる。すぐ横にある棺の中には冷たくなった隆史が横たわっていた。

「おばさん、あの・・、俺・・、すみませんでした」

 そして、日明はなんて言っていいのかも分からず、ただ頭を下げた。

「・・・」

 しかし、隆史の母は放心状態で、日明が見えているのかいないのか、目の前の日明を見ることもなく、黙っていた。

「すみませんでした。ほんとに申し訳ありませんでした」

 日明は、畳に額をこすりつけ土下座した。

「・・・」

 しかし、やはり、隆史の母は何も言わなかった。ただ静かに、棺の前で呆けたようにうなだれていた。

「申し訳ありませんでした」

 さらに日明は、畳に頭をこすりつけるように土下座をする。

「申し訳ありませんでした」

 日明は頭を下げ続ける。それをしたからどうにかなるものでもなかった。許されるはずもなかった。それでも、日明は頭を下げ続けるしかなかった。

「・・・」

 集まった隆史の親戚、知り合い、友人、同級生たちが、そんな日明を上から冷たく見つめていた。隆史はマジメで誠実な人柄で人望も厚く、大人や同級生たちみんなから信頼され愛されていた。

「お前、よくここに来れたな」

 その時、日明の背後から怒声が上がった。そして、一人の恰幅のいい中年男性が集まる人の中から前に出て来ると、日明の横に立ち、頭上から日明を見下ろすように睨みつけた。その形相は、およそ人間のものとは思えないほどの憤怒の色をなしていた。日明と一緒についてきた日明のおじさんもハラハラと見つめる。

「お前よくここに来れたな」

 隆史の親戚の人なのだろう、その男性はものすごい怒りのオーラを発散させ日明に迫る。

「・・・」

 日明は、何も言えず、正座した姿勢のまま頭を下げ黙っているしかなかった。

「てめぇ」

 そして、ついにその男性は日明の胸倉をつかむとそのまま、引き上げ突き飛ばした。

 日明はなされるがまま、無抵抗に吹っ飛ばされた。

「ちょ、ちょっと、やめて」

 その男性の奥さんなのか、慌てて中年の女性がその男性の前に入ってとめに入る。日明のおじさんも日明の下に行く。

「お前が殺したんだ」

 だが、その男性は中年女性に抑えられながらも、さらに日明のその頭上に怒鳴りつける。そして、中年女性を押しのけると、再び日明の胸ぐらを掴み、引き上げる。

「や、やめて」

 押しのけられた中年女性は慌てて、再び止めに入る。そして、その場にいた他の親戚の男性たちも、その男性をとめようと駆け寄る。

「やめろ、やめろ、暴力はダメだ」

「落ち着け、重さん」

 大人たちは、懸命に男性をとめようと男性の体を押さえる。その場は騒然とした雰囲気になる。

「死んで詫びろ。お前が死んで詫びろ」

 しかし、男性の怒りはおさまらなかった。男性は怒りに任せ叫び続ける。

「・・・」

 日明は何も言い返すこともできず、ものすごい力で体を揺さぶられながら無抵抗にうなだれていた。

「一人息子なんだぞ。たった一人で一生懸命育てて来たんだ。それを、それを」

 男性は隆史の母の方を見た。

「すみませんでした」

 日明は頭を下げた。それしかできなかった。こんな時、殴られた方が、楽だった。むしろ無茶苦茶にしてほしかった。いっそのこと殺してくれた方がよっぽど楽だった。

「あやまってすむと思ってんのか」

 男性はさらに大きな声を出す。男性は、周囲の大人たちにとめられながらも、さらにこぶしを振り上げ、日明の方に迫ろうとする。

「やめて、やめて」

「やめんか、もういいだろ」

 周囲の大人たちは必死でその男性を囲み、とめに入る。

「お前が殺したんだ」

 男性がさらに怒声を上げ日明に迫る。

「お前が」

「やめなさい、やめなさいよ」

 周囲の大人たちが男性を諭すように言う。

「お前が・・、お前が」

 その男性は泣き出した。

「俺がお前をぶっ殺してやる」

 その男性は、とめに入る大人たちを引きずるようにして、腕を伸ばすと、再び日明の胸ぐらを掴む。

「ぶっ殺してやる」

 男性は日明に迫った。日明は無抵抗にされるがままにしていた。

「やめてください」

 その時、部屋いっぱいに女性の声が響き渡った。その場にいた全員の動きが止まる。そして、声の方を見る。それは、さっきまで呆けたように座り込んでいた隆史の母の声だった。

「やめてください」

 今度は小さく言った。男性はうなだれたようにうつむき、日明の胸ぐらをつかんでいた手をゆっくりと離した。日明は力なくその場に、釣り糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。

「うううっ」

 そして、男性は大声を上げて泣き出した。その場は、何とも言えない悲しく、そして、いたたまれない空気に包まれた。

「日明」

 日明のおじさんが日明に近寄り、声をかける。

「大丈夫か」

「うん・・」

 日明が力なく答える。

「本当に申し訳ありませんでした」

 日明のおじさんが頭を下げる。そして、日明も再び、隆史の母と、周囲の大人たちに土下座して頭を下げた。

「もういい、もういい、帰ってくれ。お前の顔なんか見たくもない」

 別の隆史の親戚の人であろろう、中年の男性が言った。

「・・・」

 しかし、日明は動かなかった。

「早く行け」

 その男性は怒鳴った。

「あの・・」

 日明が、口を開いた。

「見送らせてください。隆史を見送らせてください」

「・・・」

 その場にいた全員が日明を見る。

「あの、勝手なことだとは分かっているんです。でも、最後まで、最後まで、あいつを見送らせてください」

 日明は頭を下げた。

「隆史を隆史を見送らせてください」

 日明は大人たちの前で、深く頭を下げ、必死に頼み込んだ。

「お願いします」

「・・・」

 大人たちは困惑する。しかし、相手は、隆史の友だちで、幼い頃からの親友だった。そのことをみんな知っていた。そして、高校生とはいえ、日明はまだ子どもだった。

「・・・」

 しばらく黙った後、大人たちは無言で了承した。

「ありがとうございます」

 日明は再び深々と頭を下げた。


「あの人は隆史のおじさんなんだ。小さい時からものすごく隆史くんをかわいがっていたんだ」

 駐車場から火葬場までの移動中、日明に、隆史の親戚のおじさんの一人が話しかけてきた。

「普段はあんな人じゃないんだよ。とってもやさしくて面倒見のいい人なんだ」

「・・・」

 日明はうなだれるしかなかった。自分がしてしまったことの大きさを、あらためて胸の奥にグサリと感じた。

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