命の秒針

KaoLi

第1話

 この世界では、身体のどこかに「時計」の刻印を持って生まれた者はすぐに「スラム街」と呼ばれる政府機関管理の施設のような街へと送られる規則がある。


 子は親を恨むことも許されず、秒針が進み、その命が尽きるまでの一生をこの「スラム街」で暮らすのだ。



 赤ん坊の頃からある者もいれば、僕のように中途で刻印が現れて親元を離れる者もいる。

 このスラム街に来る者の生い立ちは様々で、皆同じような境遇なので仲間意識が強い。

 外から来た人間に対しての対抗心が強いことがたまにキズだが、それ以外は生きやすい世界だった。



 僕がこの「命の秒針」を発症したのは今から二年前のこと。



 それまでは故郷で何事もなく平々凡々に暮らしていた。

 その日もいつも通りの日常を送っていた。家の近くには大きな公園があり、そこに棲みついている黒猫に会うのがスクールから帰宅する時の最近のコースだった

 猫に名前はない。おーい、と呼ぶと来る賢い猫だった。

 公園に着きいつも猫がいる秘密基地へと向かう途中、どくりと嫌な音が身体中に響いた。瞬間、急激に息が出来なくなる感覚に血の気が引いた。

 はくはくと息は肺から漏れるだけで、満ちる気配がない。

 まるで水を失った魚、人間に捕らわれた宇宙人の気分だった。

 何も出来ず意識が遠のく中で、黒猫が「みゃぉ、」と僕を蔑むようにして見つめている光景が映った。



 結局のところ倒れた原因はなんだったのだろうか。

 気がついた時にはすでに三時間ほどが経っていた。黒猫はもうどこにもおらず、僕はその日は大人しく帰ることにした。

 あの時以来、水を得た魚のように呼吸ができるし、人間から逃げおおせて宇宙船へ戻ることのできた宇宙人のように心が穏やかだ。


 ただ、あの日から少しだけ、身体に異変が生じているような気はしていた。


 いつものように、スクールに向かう準備をしていると、着替え時ちらりと赤黒い何かが胸元に見えた。


「……なんだ、これ?」


 それは、まるで「命の秒針」とでも言うべきか。

 心臓の真上に刺青のようにある痣、それは「8時」を刻んでいた。


 カチリ。



【8:15】



 母いわく。


 これは治ることのない、ただ死を待つのみの、時を刻む命の秒針らしい。

 スクールの授業でも習った通りの、模範通りの母の言葉に、思わず笑いが込み上げた。


 ということは、僕はこれから「スラム街」と呼ばれる機関へと送られるのだろう。知識だけはあったが故に、そこら辺の手続きは何事もなく順調に進んでいく。

 この「スラム街」に収容される僕みたいな中途者の場合、その家族には多額の補償金が贈られる。なんでも、一世帯あたりの働き手が不足することを補うための金額なのだとか。

 僕は、家族に売られたと考えていい。

 ただ怒りは湧かず、呆然と目の前の書面に名前が記載されていくのが見えた。

「スラム街」には同じ境遇を持つ人間がいる。これから自国に実験体としてこの身を捧げ生きていくとしても、僕はまた今まで通りに「日常」を送るのだろう。



【10:10】



 爽やかな風が吹き抜ける。ここは「スラム街」のとある路地裏。そして僕の暮らすビルがそびえる場所だ。


 まず政府にこの場所をあてがわれた。なんてことない、平穏で空気の澄んだ場所だった。「スラム街」と一口に言えど、それは健常者との差別化を図るために通称されているだけであり、機関の街中はさほど、今までと変わったことはなかった。


 この病気は一生治らない。死ぬことは確定事項。


 政府からは一日分の食糧が支給されるし、職をせずとも生きていける。ただそこにいるだけで、いいと言われているのだ。それでは生きる「意味」がない。


 生き甲斐がない。


 それでも僕は、死に場所を選ぶことができたのだと思えば、なんだ、心は穏やかなものだった。


 そんな僕はきっと勝ち組だ。


 カチリ。

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