再び見えた光【後編・下】


「……ここ最近ずっと考えていたのですが。貴女様は一度、この国の外へ出るべきです。ここで学べる事も私がお教えできる事も非常に限られていますから」


「仕入れとは別に?」


 BKFP001のレシピを使用するにあたり、材料の産地まで同じ物を揃えていたBKFP002に倣っていた姫様でしたが、それでも彼のお菓子を再現する事は叶いません。


 技術が及ばないのは当然として、毎日味わっていたあの幸福感に少しも近付けないのはどうしてでしょう。


 そこで彼女は闇雲に試作を繰り返していた手を止め、原因がどこにあるのか考えました。


 その結果、『彼がなぜその材料を選んでいたのか知らない』という事に気付いたのです。


 品目はもちろんのこと、品種についてもこだわり抜いていたようで、調べていくと、レシピに記されていた中には、遠く離れた国でしか生産されていないものも数多くあるようでした。

 

 彼にも必ず選定基準があったはずです。


 手に取り、使用し、その食材の良さをわかったつもりで、ただ真似をしているだけでは意味がありません。


 姫様は急いで仕入れ先とコンタクトを取ると、遠い国々まで一人で買い付けの旅に出ました。

 

 そのときから彼女は時間を作っては直接現地に赴くようになったのです。


「はい。貴女様は完全にお菓子作りの基礎を習得なさったと言って良いでしょう。本日のスフレチーズケーキも素晴らしい出来栄えでした。私も試食出来れば良かったのですが……」


「ありがとう。その気持ちだけで十分よ。今日はたまたま上手くいっただけかもしれないけれど、嬉しいわ」

 

「ご謙遜を。何度も成功しているレシピでしょう。決してまぐれなどではなく、貴女様ご自身の努力の結果です。それに、私が申し上げずとも、以前からお考えになっていたのではありませんか? 『国外で修練を積みたい』と」


「…………その通りよ。この国を歩んできた道を否定したいわけではありません。でも、わたくしの思う素晴らしさは、現在のアッシュゴートにはほとんどないの。きっとこの先も戻ってくる事はないのでしょうね、あの景色は。どこを見ても工場ばかりで、畑は潰され、店は取り壊されて、昔の面影はどこにもなくて……」


 姫様は眉を曇らせます。


 BKFP001の材料の選定基準を知るために始めた事でしたが、いつしかそれは息抜きとなり、いまでは買い付けに出る日を心待ちにするまでになっていました。


「本当は帰ってくるたびに気が塞いでいたの。仕入れを口実に国外に出て、街並みを楽しんだり緑の匂いで安らいだりする事が出来ているおかげで、まだ数年は耐えられると思っていたけれど……。いまがそのときだと、あなたはおっしゃるのね?」

 

「はい。もしその土地の気質が合わなくても、また別の場所をお探しになれば良いのですし、戻ってくるという選択肢もございます。貴女様はそれをお選びにはならないかとは思いますが……」 

 

「…………ええ、そうね。最後には戻ってくるかもしれません。でも、途中で逃げ帰る事だけはしたくないわ。わたくしが帰ってくるときは、少なくともなにか手がかりを掴んだときです」


「ええ。材料調達すら旅として楽しんでしまえる姫様でしたら、きっと大丈夫です。設備や器具が用意出来れば、ここでなくともお菓子作りは出来るでしょう? 貴女様はもう必要な技術を身につけられたのですから、お城に閉じ込められてこもっておられずとも良いのですよ。どこか行ってみたい国はございませんか? 師事したい職人などは?」


「そうですね。行った事のない国で学んでみるのも良い経験になるでしょうし、尊敬する職人の方も沢山います。でも、そうですね。わたくしは……」


 姫様は様々な国の名前と、実際に見てきた景色、写真でしか見た事のない景色を思い浮かべます。


 BKFP002は、久しぶりに輝きを取り戻した彼女の話を何時間も聞いていました。

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