失った光【後編・上】


 ビスコッティを蜂蜜入りホットミルクで流し込んだ姫様は、決意を胸に、ある場所へと急いでいました。


「みんながわたくしに嘘を吐くはずはない……」

 

 ――――必要のない事はしないから。

 

「それはわかっているけど。…………直接、会いに行って確かめなくちゃ、納得なんて出来るはずないわ」


 ――――この目で見るまでは、希望は捨てない。


 姫様は、小走り気味の早足で厨房に向かいました。

 

 


 

「あなたが本日からわたくしの食事を担当してくださっている方ですか?」


 厨房の奥まで来た姫様は、開口一番そう尋ねました。


 お城の他の人たちは毎日の食事をブレヴィティで済ませるようになって長いので、他のアンドロイドの姿はありませんでした。


 初めてBKFP001に出会ったときは、沢山の調理用アンドロイドがここでお城の人の食事を作っていたのに。


 彼女はがらんとした厨房に寂しさをおぼえます。


 この広い厨房で何年もの間、彼が一人きりで自分のためにお菓子を作ってくれていたのかと思うと、胸が張り裂けそうでした。


「はい、そうです」


 話しかける直前に一瞥した、首の後ろに印字された製造番号は『BKFP002』。


 わかってはいましたが、やはりBKFP001ではありません。


 姫様は彼の不在をその目で確認し、なぜかほっとしている自分がいる事に気付きましたが、その喪失感は筆舌に尽くしがたいものでした。


「大丈夫ですか? お加減がすぐれないようでしたら、お部屋までお送りいたしますが……」


 『BKFP002』と刻印された彼は、ふらつき、すぐそばの壁に凭れた姫様に手を伸ばします。


「いえ、横にならなくても大丈夫です。少しよろけてしまっただけだから」

 

 姫様は大袈裟に笑いましたが、その声は寒々しい空間を余計に寂しいものにしただけでした。

 

「……申し訳ございません。姫様がお会いになりたかったのは、私ではないでしょう。存じ上げております。本当は『BKFP001』として振る舞えという指示を受けていたのですが、姫様はすでに私の製造番号をご覧になったようですし、すべてご存知であらせられるようでしたので」


 BKFP002は言いました。


 その指示は誰からのものだったのでしょう。しかし、それを知ったところで無意味です。


 喜怒哀楽のない顔も、起伏のない音声もBKFP001とまったく同じなのに……。

 

 新しい食事担当の彼は、姫様の事を他の皆と同じように呼びました。彼女を姫と呼ぶ人はもう一人もいません。


 また、呼び方のみならず、新任者の彼が愛しの彼よりもさらに丁寧な口調で話しているのを耳にして、姫様はようやく彼のいない現実を受け止められた気がしました。

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